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晴れと雨の境界に陽はさしますか?  作者: 夏みかん
第1話
2/27

入り交じる模様 1

ようやく部屋の片付けも終わり、家具の配置も決まってほっとする。だから、宇都宮雨はようやくの独り暮らしが始まる高揚感を抑えきれずにその場で大きく背伸びをしてみせた。別に暗い過去から逃げるためにここに来たわけではない。そう、これは新しい自分になるための第一歩だ。だからこそ希望に満ちている。希望の大学に進学して1年、実家から3時間近くをかけての通学に嫌気がさして両親を説き伏せて今に至っている。このそう広くはない部屋はまだ新しさを残すアパートだ。2階の奥から2番目の部屋、ここはまさに雨にとって楽園なのだった。そう、右隣りに住む不愛想でイラつく男がいるだけで。今思い出しても腹が立つ。ああいう、自分は慣れ合いを求めていません的な男は一番嫌いな部類だった。だからこそ雨は気持ちを切り替えた。別に隣の住人だからといって仲良くする必要などないのだから。ああいうタイプの男とは関わる必要などない、だから雨の頭の中からあの男の存在を消した。と、廊下を歩く音が聞こえ、左隣で止まる音がする。玄関横のキッチンスペースに立っていたことが幸いした雨はそのまま玄関にある下駄箱に置いていた包みを手に取ると慌てて外に飛び出した。午前中に伺った際は留守だったようで、まだ左隣の住人と真下に住む住人に挨拶が出来ていなかったのだ。夕方が迫る午後3時、ここでようやく帰宅したようで、外に出た雨は鍵穴に鍵を差し込んでいる大柄の男ににこやかな笑みを見せた。短髪に体格もいい男は一瞬あっけにとられた顔をし、それからかなり表情を緩めた。


「隣に越してきました、宇都宮です。よろしくお願いします」


とびきりの笑顔でそう挨拶され、男は耳までを真っ赤にしつつ鼻息荒く雨に近づき、そのまま差し出した包みを持つ両手を握りしめた。びくっとしつつも急なことで固まった雨に対し、ぎこちない笑顔を浮かべた男はすぐに真顔になるとぐっと雨を引き寄せるようにしてみせた。


「何かに書いてあった・・・・恋はいつでもハリケーンだと」

「はぁ?」

「俺は一瞬で恋に落ちた・・・君という、この世にたった1つの清らかで美しい花に」

「花ではなく雨です。宇都宮雨」

「雨・・・響きがいい!美しいあなたにふさわしく、それでいてどこか儚い、そういう名だ」

「あの・・・・」

「ああぁ、これは失礼、俺の名前は江戸、江戸彼方えどかなた


そう自己紹介しつつ、彼方はさらにぐっと雨を引き寄せつつ握った手に力を込めた。軽くあしらいたい雨だったが、180センチを超えているであろうその巨体に圧倒されてもうどうしようもない。


「何やってんですかっ!先輩っ!」


急に響き渡る女性の怒声を聞きながらも笑顔で握った手に変化を見せない彼方だったが、鉄製の階段を勢いよく登り切り、彼方と雨の間に割って入る制服姿の女子高生は鋭い目つきで2人を交互ににらみつけた。


「ありがとう」


小声でそう言う雨の言葉にやっぱりそうかといった表情をした女子高生はずいっと彼方ににじみ寄った。さっきの割り込みで離れた手を名残惜しそうにしている彼方はそんな女子高生を一切見ず、ずっと清々しいと思っているどこか不気味な笑顔を雨に向けたままだった。


「先輩!」


両手で頬を挟み、無理やり自分の方に顔を向けるが、それでも彼方は雨の方に視線を送っている。仕方がないと思ったのか、女子高生は手を放すと強烈なビンタを彼方に食わらせるのだった。


「あれ、奈良橋・・・・いたの?」


ここでようやく我に返ったのか、彼方はそう言うと張られた頬をさする。


「何なんですか先輩!」

「悪い、奈良橋、俺は人生で一番の恋をしている・・・・紹介しよう、彼女になった雨さんだ」

「違います」

「でしょうね」


即座に否定する雨に対し、即座にそれを肯定する奈良橋と呼ばれた女子高生。そんな彼女に苦笑を見せつつ、雨は自己紹介をして見せた。


「私、そこに引っ越してきた宇都宮雨です」

「ああ、真上さんですかぁ・・・・私は奈良橋日向ならはしひなた、この近くの竜崎高校に通う2年生です」

「あ、真下の?ちょっと待ってて」


そう言うや否や、雨は部屋に戻ると彼方に渡した物と同じ包みを日向に差し出した。


「これ、タオルです。引っ越しのご挨拶」

「わぁ、ありがとうございます」


にこやかにそう言う日向は実に可愛いと思う。おそらく、町を歩けば確実に男たちが振り返るほどの可愛さを持っていると思う。それに自己主張の激しい大きめの胸も目立つ。かといって雨の胸もそれに負けるとも劣らないのだが。日向のやや茶色めの髪は肩までで、その髪形も実に似合っている。


「あ、と、一人暮らし?」

「はい」


そう答える際の一瞬の曇り顔を逃す雨ではないが、そこは気づかないふりをする。彼女もまた自分と同じ、何か複雑な事情があるのだろう。


「私も。東帝大学に通う2年生」

「東帝?じゃぁ、木戸と同じかぁ」


その名前にピクリと反応する雨を見逃さない日向に対し、彼方はがっくりと肩を落として見せた。


「俺は明門大学2年なんだ・・・・ちょっと離れてるから、通学とかでは会えない、かぁ」


心底残念そうにそう言う彼方にほっとしつつ、だからといってあの嫌な感じのお隣さんと同じ大学に通っているとは夢にも思わずにいた雨の心境は複雑だ。


「そういや、木戸にはもう?」

「あ、ええ、午前中に」

「あいつ、不愛想だったでしょ?」

「ええ、まぁ、そうかなぁ?」


言葉で濁しつつも顔にはそうだとありありと出ている。だから彼方も日向も小さく微笑んでいた。


「まぁ、あんな感じだけどいい奴だよ。年も同じだし、仲良くやってほしい」


無理です、そう言わない大人な雨は愛想笑いを振りまきつつ肯定も否定もしない曖昧な相槌を打つ。


「いい奴って言っても、先輩にとっては料理を分けてくれるいい人ってだけですけどね。木戸さんは友達だとも思ってないでしょうし」

「そうそう、あいつああ見えて料理が得意なんだよ。今度分けてもらうといいよ」

「確かに、ピカイチですよね・・・お店開けばいいのに」


彼方だけでなく日向もそういうのだからその腕に間違いはないのだろう。だからといってごちそうになろうとは思わない。生理的に合わないのだから。


「ところで、日向ちゃんは江戸さんの高校の後輩?」


既に日向ちゃんと呼ぶ雨に対して自分も名前で呼んでほしいと思う彼方を無視し、日向は小さくかぶりを振った。どうやらそういう意味での先輩後輩ではないらしい。


「人生の先輩だからって言われて・・・・素直にそう呼んじゃった私もバカなんですけど、もう慣れてしまったからずっとですね」

「そっか」


最初の行動と今の言葉からして、日向が彼方に恋をしていることは理解できた。一方通行の恋なのだろうが、それはそれで羨ましいと思う。もう自分はそういう純粋な恋をすることはないのだから。


「お、帰って来たな」


田舎のせいか、アパートから見える景色は単純なものでしかない。廊下から見える景色は少し離れた場所に団地が広がり、それ以外は駐車場や数軒の家が並ぶのみ。反対側は公園と川があり、遠くに山がある実にのどかな風景でしかなかった。こういう場所を好んで探していた雨にとっては最適な場所である。そんな団地のそばを通ってこちらに向かってやって来るのは晴人だ。今日は少し肌寒い感じなのに、どこか薄着で歩いている姿は浮世離れしているように見えた。軽く手を挙げる彼方に気づきながらも何の反応も見せない晴人は駐車場を囲んである壁の横を通ってアパートの階段を上がってくる。


「よぉ、今日は釣りじゃないんだな?」

「こんにちは」


彼方にそう言われても、日向に挨拶されても反応を見せない晴人は3人で廊下をふさいでいる形のために一番奥にある自分の部屋に行けずに立ち止まった。無表情でも美形であるが、かといって声をかけられるかといえばそうではない。無表情な上に近づくなというオーラが出ているからだ。


「どいてくれ」

「あー、雨さんとはもう知り合ったんだってな?今度、飯でも差し入れしてやってくれや」

「余ったらな」

「余らせろ、俺の分も」

「あ、私も!」


この不愛想で無反応な男にどうしてこうも気安く話しかけることが出来るのか不思議に思う。雨にしてみればこういう人物とは関わり合いになりたくもない。


「わかった」


そう言うと2人を押し退けるように通ると、睨むようにして自分を見つめている雨にすら視線を送らずに自室の前に立って鍵を開け、挨拶もなしにさっさと部屋に入ってしまった。その態度も雨をイラつかせる。


「これで確約は取れたな」

「楽しみ」

「・・・・余ったら、でしょう?いつになるかわからないよ?」


喜ぶ2人にそう言うが、2人は何故かニヤついた顔ををしている。


「あいつがああ言った場合、今夜にでも支給されるはずだ」

「木戸さん、人付き合い嫌いだからそういうのはさっさと済ますタイプなんです」

「いや、普通、無視しない?」

「あいつは逆だよ、そういうことはさっさと終わらせて催促をさせないタイプ」

「はぁ」


何か釈然としないが、付き合いが長いであろう2人がそう言うのだからそんなものなのだろう。そう思っていると日向が彼方の脇腹を肘で突っついた。


「先輩、バイト、遅れちゃうけど」


赤いベルトの腕時計を見せつけるようにした日向の言葉に彼方がぎょっとする。


「ヤベ!じゃぁ雨さん・・・デートはまた後日。奈良橋、遅れるなよ?」

「先輩とは違いますので。あと、雨さんは心底嫌がってます」

「またまたぁ」


そう言いながら愛想を振りまき、彼方は自室に戻った。やれやれとばかりにため息をついた日向を見た雨は少しだけ日向との距離を詰める。だから日向も雨に体を向けた。


「同じバイトなの?」

「はい。駅前のファミレスです」

「恋する女子高生だね」

「そこはまぁ、そうですね」


照れくさそうにそう言うが、否定をしない日向をすごいと思う。本気で彼方を好きなのだということがわかる表情、言葉は雨にとって重いものでしかない。


「あなただったら、こういう言い方は失礼だけど、もっといい人を彼氏に出来ると思うけど」

「そうかな?それに、先輩すごい人なんですよ。高校時代は空手の選手で、2年連続で世界大会優勝なんです。まぁ、その最後の試合で右ひざを壊して引退しましたけど、でも、今でも鍛えてますからね」

「へぇ、そうだったんだ」

「ネットで検索すると出てくるほどの有名人です。私の命の恩人だし」

「え?そうなの?」

「はい・・・・あー、今日はもう時間がないんで、今度お茶しながらお話しましょう!」

「そうね、そうしたい」

「じゃぁ」


そう言うとスマホを取り出す。その行動にピンときた雨もスマホを取り出すとお互いに連絡先を交換するのだった。



料理は得意ではないが、独り暮らしのために勉強してきた。だからそれなりの物は作れるはずだったのだが、調味料を揃えていないとこに気づいてい舌打ちが漏れる。こればっかりはやる気だけではどうしようもなく、仕方なく買いに行くことにした。日向に借りるという選択肢もあったが、バイトなのでどうしようもない。ここ最近は常に誰かに見られている気がしている雨にとって、夕方とはいえ薄暗い時間に出歩くのは気分が乗らない。過去のトラウマもあってどうにかしたいが、晴人に借りるという選択肢は持ち合わせていなかった。あの男の目は元カレを連想させる。だから部屋を出た雨は軽く悲鳴を上げてしまった。出た瞬間に、そこに晴人がいたからだ。思わず体をすくませる雨に対しても表情を変えず、手に持っていたタッパを差し出す。


「肉じゃが」


そう言われてタッパを見れば、それっぽい色が見て取れた。ゆっくりとそれを受け取った雨は軽く頭を下げるしか出来ない。ドキドキする心臓をどうにかしつつ、目的を果たしてさっさと部屋にの戻ろうとする晴人を思わず呼び止めてしまったのはなぜだろうか。


「あ、あのぅ!」


さすがの晴人もドアを開いた状態で顔だけを雨に向けた。表情がないその顔は怖さと、そして何故か優しさを感じる。


「あの2人の分は?」


何故それを口にしたかはわからない。だが、晴人は少しだけ体を雨の方に向けた。


「残してる。バイトから帰る時間に届けるよ」


ぶっきらぼうにそう言った晴人が顔を部屋に向けた時、またも無意識的に言葉が出てくる。


「あ、えと、お酢、貸してほしい・・・」


何故それを言ったかはわからない。タッパを手にしたままの雨をじっと見つめた後、晴人は開いたままのドアをそのままに部屋に入ると、すぐに戻ってきた。手にはお酢の瓶を持っている。それを雨に差し出し、それからタッパを指さした。


「合わせて玄関先に置いてくれればいい」

「あ、うん、そうね」

「じゃ」


わけのわからない返事をする雨に反応することなくさっさと部屋に戻った晴人が閉めたドアの音で我に返った雨は手にしたタッパとお酢をしげしげと見つめ、それからゆっくりとした足取りで部屋に戻った。そのままため息をつくとお酢を使用し、その後タッパを開いた。いい香りが鼻をくすぐり、思わず手で少しつまむと味見をする。何とも言えない甘い味が口に広がり、驚愕の表情を浮かべた。あの男がこんなにも美味しい料理が作れるとは意外過ぎる。


「なるほど・・・これは・・・・」


楽しみだ、そう思う自分を都合よく思いつつ、これはこれで楽しい生活が遅れそうだと思う雨は自分の料理に神経を注ぐのだった。

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