真理の自覚 2
待ち合わせ時間は午後7時40分である。焼肉屋までは歩いて10分として、予約をしている8時までの残り10分は余裕をみての動きだった。35分にはアパート1階の外階段前に立っていた雨はスマホを操作している。あいにくの曇り空であり、月明かりもない状態だ。綺麗に晴れた日に告白すれば縁起がいいと思っている雨だが、こういう面でも彼方の人間性が出ていると少し苦笑が漏れる。そうしているとすぐそばの部屋から日向が姿を現した。軽く手を挙げる雨ににっこりとほほ笑んだ日向は戸締りをしてから雨の横に立つ。今日、告白の返事がもらえるとは思っていない様で、思わぬ焼肉パーティに心を弾ませているようだ。
「楽しみですね!なんかこういうの、久しぶりじゃないですか?」
少しテンションの高い日向にしてみれば、こうしてみんなで集まることが久しぶりなため、どうしても高揚感が抑えられない。原因は自分と彼方にある、そういう引け目があったせいかもしれないと思う雨は笑顔を浮かべ、同調するように頷いた。
「まぁ、江戸も晴人もこういう機会を狙ってたみたい」
「へぇ、晴人さんも?」
「最近、変わったからね、あいつも」
「雨さん、いい具合に手なずけてますからねぇ」
「そうそう、苦労してんのよ」
そう言って笑い合う。日向にしても、ここ最近の晴人は随分と変わったと思う。他人を寄せ付けない雰囲気もかなり薄れてきているし、何より、彼から声を掛けてくることがある。それだけでも大した進歩だと思えていた。やはり雨の存在が大きいのだろう。晴人の中にまだまだ恋愛感情は見えないものの、それでもかなり雨に対しては心を許している気がする。
「だから、気長に落とす」
「10年はかかりそうですね」
「2年でなんとかしたい、ね」
「卒業まで、ですか?」
「そうなるとさ、あいつ、ここを出ていくだろうし」
「そっか」
きっとそうなるとみんなバラバラになるのだろう。もし彼方と付き合うことが出来たとしても、雨と晴人とは離れてしまう。それが当たり前、だがそれが寂しい。
「お。揃ってるな」
「言い出しっぺが一番遅いってどうなの?」
腰に手を当てて睨む雨に苦笑し、それから日向を見る。一瞬目を逸らした日向だったが、すぐにそれは正してにっこり微笑んだ。いつものように、日向らしく。
「おーし、じゃ、行こうか」
「晴人は5分前に店に着けそうって」
「遅れたらビール3本は一気だな」
「うわ、なんかパワハラっぽい」
日向の声を無視して歩き出す彼方の背中を見つつ、雨と日向は顔を見合わせて小さく微笑むのだった。
*
暗い通りはもう慣れている。外灯もあるが薄暗い灯りにしかならない田舎だ、通る車もない。当然、監視カメラの類も無い。そう、こういう場所を探していた。都会はもうかなりの警戒が敷かれており、なかなか動きづらい状態にあったからだ。だからあえて郊外を攻め、そちらに警察の目を向けさせて逆方向のこの田舎に来たのだ。現状、48人の美女の皮が収集出来ている。今夜で49人目、そう思う中で2人の美女を見つければ欲も出よう。こういう場所だ、使い捨てのアジトにも困らない。だからここは一気に2人を手にすることに決めた。こんな田舎で2人の美女が一気に手に入るのだ、そうしない手はない。いつものように気配を消している。暗闇に紛れる黒い服装に身を固めた男は音もなく3人の背後5メートルに舞い降りた。図体のでかい男がいるが問題はない。気絶させて2人をさらえばいいだけのことだ。
「なんだぁ、テメェ?」
完全に気配は消していた。なのに大男は軽快に振り返ったのだ。そして今の言葉だ、どうやら予想を超えた存在であるらしい。
「へぇ」
男はそう言い、両腕を振る動作をする。すると片手に3本ずつの30センチほどの長さの刃物が姿を見せる。切っ先は緩やかなカーブを描くかぎ爪だ。彼方は瞬時にこの男が皮剥ぎ魔だと認識した、だからすぐに体が戦闘態勢に入った。
「簡単にはいかないか・・・・なら」
男はその言葉を背後に流しつつ一瞬で日向の眼前に迫った。彼方が何の反応も出来ず、雨には消えたとしか認識できない速度で。みぞおちに一撃を喰らった日向は糸が切れた人形のように地面に倒れこむ。そのまま今度は雨に狙いを定めた矢先、鼻先をつま先が掠めていった。仕方なく男は後方に飛び、3メートルの距離を置いてそこに立った。
「日向ちゃん!」
叫ぶ雨が倒れる日向の全身をさするが、傷もなく、服も裂かれていない。
「打撃による気絶だ、多分大丈夫だろう・・・・皮は後で剥ぐのか?」
額に汗を滲ませる彼方の言葉に背筋が凍る。この男があの皮剥ぎ魔なのだと、恐怖に足が震える雨。そんな雨と日向をかばうように前に出た彼方はじゃりっと音をさせて地面を強く踏むと構えを取った。
「空手か?」
「ああ、引退はしたが、まだ、強えからな」
「そうは見えないなぁ・・・でも、観察眼は認めるよ」
今のとっさの動きからして強さはわかる。それに気配を殺した自分に気付いた上にさっきの日向への一撃が気絶させるためのものだと見抜いていもいる。腕前は相当だろう。だが、自分には及ばない。だから男は奇妙に笑った。左側だけ口が笑みをかたどっている。右側は口を閉じたまま。気味の悪さを強調するその笑みに気を失いそうになる雨が晴人に助けを乞おうとスマホを手にした時だった。不意にそれが弾かれる。地面を転がるスマホの音を聞きつつ、男が小さな玉のような物を投げたのだと推測する彼方は焦りを隠すのに必死だった。見えなかったのだから。
「お兄さんを倒さないと、さすがに2人は運べないなぁ」
「倒せるかな?」
「簡単だよ、殺せばいいんだから」
また言葉が流れる。一瞬で目の前に現れた男が下からかぎ爪を振り上げた。だがその動作は予測済みだ。雨への危害はないと判断した彼方はやや大きめに後ろに飛ぶ。追うかぎ爪も計算のうち。だから体を回転させてそれを避けつつ回し蹴りを相手の頭部に見舞う。しかし男は瞬時に右側に移動していた。足元をしっかりと見ていた彼方はそれを追い、ラッシュをかけた。拳、手刀、蹴り、膝、全てを武器にして男を攻撃いつつかぎ爪も避ける見事な動きだ。だが男は奇妙な笑みを消すことなく攻撃をかわし、反撃する。一進一退の攻防を続ける中でスマホを拾い上げた雨は傷ついた画面であったが動作はすることを確認し、晴人を呼び出そうとした。
「野暮だよ」
男の声が耳元でする。鳥肌が立つより先にスマホは奪われて遠くに投げられた。その手をめがけて彼方の蹴りが舞うが、男はまた一瞬で間合いを開けていた。さすがに肩で息をする彼方であったが、まだスタミナはある。だが、心配しているのは膝の状態だ。痛みを感じ始めているだけに、長引けば終わる。
「お兄さん、予想よりもずっと強いね・・・でも、膝、痛めてる?」
「気のせいだろうさ」
「そうかな?」
気付かれている、そう思うが気配にも出さない。だがこれでそこを攻めてくることが分かるだけに、勝利への道筋も出来た。あのかぎ爪に裂かれれば致命傷だが、膝を狙ってきたところでどうにか相手を掴めれば勝機がある。だから彼方は古傷が痛む右足を前に出して構えを取った。ここを狙えばいい、そういう風に。
「じゃぁ、遠慮なく」
その挑発に男は乗った。また一瞬で間合いを詰め、凄まじい打撃の蹴りを右膝に叩きこんだ。予想を超えるその重い一撃だったが、横殴りの爪が彼方の顔を分断しにかかる。その腕は見えない。だが気配でわかる。伊達に世界チャンピオンではないその腕前が爪を伸ばす腕を掴む、はずだった。気を取られすぎた、と言えばそこまでだ。かぎ爪の腕は掴めたものの、右の太ももに3本の爪が突き立てられ、切っ先から5センチは姿を消している。痛みで叫びながら掴んだ腕を引き寄せるが、瞬時に太ももから抜かれた爪が腹部を裂いた。いや、痛めながらも力を込めて飛びのいた甲斐があり、裂かれたのはほんの数ミリ程度だ。だが右足はもう使えず、腹部にも痛みが走る。肩で息をする彼方をまたあの奇妙な笑みで見つめる男は血の付いた爪を振るうとそれを彼方に向けた。
「ああ、なんて楽しい日だ・・・・こう、何もない場所を選んで正解だったよ。お兄さんのような人と戦えるし、可愛い子は2人も見つかるし」
「そうかよ・・・でも、まだ終わっちゃいねぇぞ・・・・雨も、日向も、俺が、守る!」
血を吹き出しながら力を込められた右足。どうにか立った彼方は左足を前に構えを取った。しかしここまでで、右足に力が入らない。
「どっちがお兄さんの恋人?先にそっちから剥いであげる・・・あぁ、心配しないでいいよ、性的なことはしないし、興味ないから。興味があるのはその美しい外側だけ。だから永遠に保存するんだよ、ぬいぐるみみたいにしてさぁ」
「吐きそうな言葉、ありがとうよ。でも、そうはさせねぇ」
「どうやって?お兄さん、もう死ぬよ?」
「死なねぇ」
「これでも?」
目に見えない速度で左手が動いた。それと同時に彼方が呻く。ハッとして彼方を見た雨は異様な光景に息をのんだ。彼方の右肩付近にナイフが生えている。いや、刺さっているのだ。男のかぎ爪は3本のままだから、あの手の状態でナイフを投げたのだろう。目にも止まらない速さで。
「あれれ?頭を狙ったんだけど、なぁ!」
わざとらしくそう言い、再度手を振れば、今度は左肩にナイフが刺さった。さすがに両膝をつく彼方はどうしようもない自分を嘆くが、まだやれることがあると踏ん張る。
「あいつを呼んで来い・・・・なんとか俺が抑えるから」
「でも!」
反論する雨に笑みを見せる彼方。それを受けて走ろうとする雨。
「バカなの?」
さっきまで前にいた男が走り出そうとした雨の目の前にいる。あわてて急制動をかける雨の右腕を持って横に振り、雨はそれに流されるように木でできた壁に背中から激突した。怪我が無いように投げたのだろう、痛みはあるが血は出ていないようだ。
「ケガなんかさせないよ・・・皮に傷がつくもん」
一瞬で近づいて雨の頬を舐めた男は失神寸前の雨にあの奇妙な笑みを見せ、それから彼方に向き直った。へなへなと崩れ落ちる雨は大声を出す気力もなく、ただ茫然と右手に起用にナイフを持つ男の姿を見つめるだけだった。両膝立ちになり、両腕はだらんと下がっている。足元は血だまりで、上半身も赤く染まっている。そんな彼方は自分を見る男を見ていた。
「俺は死んでもいい、だから、日向と雨は助けてやってくれ」
「バカ?俺の目的は女2人の皮だよ?」
「日向を殺さないでくれ」
「うわぁ、泣いてるし」
彼方は泣いていた。自分の不甲斐なさに、日向を奪われる痛みと悲しみに。もう蹴りも拳もふるえない。ただ命乞いをすることしか出来ないのだから。
「頼む」
ぼろぼろと涙を流す彼方に対し、男は苛立ちの表情を浮かべた。
「うっざ」
そう言い、右手にナイフを持つ。
「死ねよ」
そう言い、ナイフが彼方の眉間を目掛けて放たれる。それと同時に金属音がし、また同時に男が右側に顔を向けた。ナイフは彼方の左側に落ち、彼方がそれを目で追う。雨は閉じていた目をゆっくりと開いた。下を向いていた雨の目にあったのは100円玉だ。
「俺のナイフを小銭で迎撃?あんた、何者?」
男は苛立ちと喜び、両方の感情を出しながらそう聞いた。目の先にいる晴人に。
「何者?俺が知りたいね」
「今度はあんたが俺のお相手?」
「そうなるかな?」
そう言い、晴人は歩いて彼方に近づいた。かなりの傷だが、まだ大丈夫そうだ。
「店の前で待っていたが、遅いから来てみた。あともう少し我慢できるか?」
「ああ・・・・まぁ、どうにかな・・・・でも、勝てるのか?」
そう言われながら日向を見るが外傷は見当たらない。呼吸も安定している。次に雨を見た。泣いている、だが、怪我はないようだった。ホッとした晴人は男に向き直る。
「えらく余裕だな?」
「そりゃ、あんたなんか簡単に殺せるからね」
「なるほど」
納得するなと思う雨だが、果たして晴人はどうする気なのだろう。誰も守れないし守る気もないと言っていた。とすれば、ここは一度撃退するだけなのだろうか。そもそも、そんな簡単なことが出来そうな相手ではない。
「守る気もないし、守れないと思ってたんだけどな」
「実際そうなるよ」
「かもな。でも、別に守る気はない・・・・ただ、お前を倒すだけ」
「それを守るって言うんだよ」
「それは結果だ・・・・それに、今のこの状況、心情なら、俺もあそこにたどり着けそうな気がする」
「どこに?」
「無我の境地に、さ」
その瞬間、晴人から気が発せられる。殺気ではなく、何かしらの気が。だから男は笑った。
「器用な笑い方だな?」
「これが普通なんだよ」
「どこかだよ」
そう言い、晴人は軽く腕を上げた。男はかぎ爪を晴人に向ける。この状況で自分たちを助けるのではなく、戦いの境地に至ろうとする晴人が理解出来ない彼方は嫌悪感を出しつつもじっと2人を見つめた。そんな彼方の傍に寄り、2人を見つめる雨は彼方と対照的に結果として自分たちを守ろうとして戦う晴人の姿に少し感動しているのだった。