真昼の満月 4
4人が写った写真をテーブルの上に置き、あぐらをかいて座る彼方は腕組みをしてみせた。眉間に寄った皺、鋭い目つき、額ににじむ汗。写真の中には自分と、その隣にそっと佇む日向がいる。少し間を開けて立つ晴人の隣には微笑む雨がいた。彼方は日向と雨とを何度も往復させる。綺麗だと思う雨、そしてあまり何も感じない日向。いや、意図的に何も感じないようにしているのだろうか。日向は可愛い部類に入る。現に学校でも結構男子に人気があると聞いていた。まぁ、自己申告であったが。それでも雨にしても晴人にしても日向は可愛いと口にしていたし、以前一緒にいた時も男性がチラチラと見ていたのを感じている。
「う~ん」
きつく目を閉じてまずは雨の顔を思い浮かべた。自分には辛辣で、そしてフラれた女性。美人で、それでいてきつい性格をしている。時折見せる笑顔は美人系ではなく可愛い系だ。一目惚れだった。いや、誰に対してもそうなのだが。そんな彼女は晴人を好きでいる。死にたがっている、元カノに未練タラタラの男を、だ。
「けど、あいつは確かに・・・優しいし、芯が通ってる。最近はちょっと変わってきているしな」
唸るような声でそう呟き、大きなため息をついた。以前のような他人を拒絶している感が薄れてきているのは確かだ。それはきっと雨のせいだと思う。いや、日向も、そして自分もその一旦になっている。死にたがっているのは変わらない。だが、その中に少しの異物が入り込んでいる、そんな感じだ。
「あいつが・・・・俺を、好き?」
予想もしていなかった。焼肉店で突然のキスをされた時はただただ戸惑い、酔いのせいだと思っていた程度だ。しかしあれは酔っていたからこその日向の願望を実現したものだったのだ。
「奈良橋が、な」
父親からの性的な虐待、母親からも体罰的、精神的虐待。ただそれから救ってやりたいと思った。あの時の日向は死にたがっていたからだ。そう、晴人とはまた違った、露骨に分かるその心情が顔に出ていた。だから手を差し伸べたのだ。しかし、それは日向にとって救いの手だった。何の見返りもなくただ自分を救ってくれた恩人に恋をした、それだけのことだ。何も知らない、どういう人かもわからない男を好きになった。そう、まるで自分のようだ。容姿だけで好きになる、そんな単純な自分と。
「付き合って、みるか?」
写真の中の自分に、満面の笑みを浮かべている自分にそう問いかけた。もちろん答えはない。ただ、心が揺れているだけ。
*
ため息しか出ない。さっきまでしていた電話が原因なのだが、かといってどうしようもない。
「ったく」
ため息と同時に出た言葉に嫌気がさしながら、投げ捨てるようにスマホをテーブルの上に置いた。
「真宙ちゃん?」
キッチンから顔を出す雨に目で返事をし、さっさと調理に戻れと手を振った晴人に苦笑してから雨はキッチンに戻った。まるで夫婦のようだなと思う自分はもう汚染されているのかもしれない。毎日のようにここで雨の料理を見て、その腕を上げることに貢献しているのだから。しかもそれをまんざらではないと思っている自分がいる。彼女を亡くして自分の無力さ加減を知ったのにこれだ。もう誰も愛せないし、生きていたくはない、はずだった。それなのに今は少し楽しいと感じている。生きることが、ここで過ごす日々が、何より、こうして雨と料理をしていることが。
「再来週に来るんだとさ・・・・付録つきで」
「付録?」
それが佐々木杏珠のことだとピンときた雨はニヤリと微笑むと綺麗に揚がったてんぷらをお皿に盛り付けていく。
「悪そうな顔しやがって・・・」
てんぷらの出汁を味見しつつそう言う晴人に小悪魔的な笑みを浮かべ、雨はてんぷらを盛った皿をリビングに運んで行った。真宙だけでなく杏珠も来るとなるとまた雨に色々と過去を知られてしまうだろう。そう、璃維のことをより深く。だが、それでもいいと思っている自分がいる。そこを嫌悪しつつ出汁を小皿に入れた晴人はてきぱきと準備をする雨を横目にそれをテーブルの上に置いた。こうして一緒に夕食を取るようになって2週間ほど、寝るとき以外はほぼ一緒にいるような生活スタイルになっている。これではほぼ同棲に近い。
「ほら、準備完了!食べよ?」
にこやかにそう言う雨を可愛いと思っている自分がいる。璃維だけがただ1人の存在だったはずなのに。思い出せ、彼女のあの苦しそうな顔を。思い出せ、あの心の痛みを、無力さを。どんなに鍛えようが、どんなに強くなろうが、どんな相手もなぎ倒そうが病気を倒すことはできず、彼女を救えなかったあの屈辱を。
「またこのニュースかぁ・・・・ここんとこほぼ毎日。もう50人も犠牲者が出てる」
その言葉に現実に引き戻された晴人がテレビへと顔を向けると、今日もまた皮剥ぎ魔のニュースが流れている。一向に犯人にたどり着けない警察への風当たりもきつくなる中、女性たちの恐怖もかなり大きくなっていた。現に夜の街に女性が少ない。
「ホント、警察は何やってんだか」
「特殊すぎるんだろう、コイツが・・・昔なら、こういう特殊なのが多くいた頃ならもっと対処も出来てたんだろうけどな」
「特殊、ね」
そう言われてもピンとこない。だいたい、超能力者など架空の世界の話なのだから。
「さ、食べましょ」
にこやかにそう言う雨に促され、いただきますと言ってからてんぷらを食べた。程よく揚がったその味は以前に揚げたものよりも格段に良くなっている。
「どうよ?」
自信満々にそう言われた晴人だが、ここは素直に美味いとだけ口にした。雨に下手な評価は出来ない。今やもう表情などで見破られていまうのだから。やれやれと思うも、苦笑がもれた。
「どういう意味の笑い?」
「腕を上げすぎだって意味」
「そう」
晴人の評価に満足げに微笑む雨に、晴人は自分の中の矛盾と、彼女と雨に対する気持ちのぶつかり合いを感じながら口の中の味を噛みしめるのだった。
*
「質が悪いなぁ」
フード被った男はマンションの踊り場から女性だけを見つめていた。ここ最近は皮剥ぎ魔、つまりは自分のせいでめっきりと夜の街から女性が減ってしまった。大きな街ではもうダメかもしれない、そう思い、明日からは田舎の方にでも回ってみるかと考える。もうコレクションは必要以上に集まっている。それでもまだ欲求は止められない。もっと、もっとと本能が欲しているのだ。
「ああ、もう、俺をうならせる女に会いたい」
男はフードの下で恍惚に満ちた表情を浮かべて見せる。だがそれは一瞬のことで、すぐに鋭い目つきに変えると一瞬でその場から姿を消した。恐るべきスピード、ジャンプ力で向かい側のマンションの踊り場にジャンプし、そこからさらにジャンプして消えたのだと、誰も知る由がないほどに。
*
昼間なのに空に浮かぶ月。昼の太陽、夜の月、その理を壊すようなその光景をぼーっと眺めている日向は背後から近づく晴人に気づかなかった。だから、そっと声をかけられただけでその場でジャンプするほど驚いたのは言うまでもない。
「ぼうっと、何してた?」
そう言いながら日向が見上げていたものを見やった。
「真昼の満月、か」
そう呟く晴人の口もとに淡い微笑が浮かんでいる。いつか見たその微笑はまたも日向の心を熱くしていく。優しさや憂いといった感情が満ちたその微笑は日向を引き込むのに十分なものであった。
「月は夜ってイメージがあるから、なんか、こう、何度見ても異世界に来たみたいな変な感じになります」
「そうだね」
優しい表情のままで月を見上げている晴人を随分変わったと思う日向もまた笑顔で月を見あげた。
「昼は太陽になって、夜は月か星になっていつでも見ている、か」
日向には聞こえない声でそう呟き、晴人は病室でそう言った璃維の言葉を思い出していた。自分の死期を悟り、嘆く晴人に投げたその言葉が胸に刺さる。
「太陽と月、昼間でも心配で、だからか」
笑みを苦笑に変化させた晴人は彼女が望んだものをもう一度噛みしめる。彼女が望んだのはただ幸せに生きて欲しい、それだけだ。死にたい、後を追いたいという気持ちを理解しつつもそれをひっくり返すためにはどうすればいいかを考えていたのだ。だからいつも見ている、そう告げたのだ。それは理解できている。しかし、彼女が全てだった。彼女がいれば他には何もいらなかった。生きたいとも思わない。なのに、その意思は今、揺らいでいる、気がしている。
「お前はきっと軽蔑してるんだろうな」
心の中でそう独り言を言う。軽蔑はされたくはない、しかし、彼女のいない世界を生きていたくない。
「俺は・・・」
どうしたらいいのか分からない。ここ最近は死にたいと思うことが減っている。雨のせいか、日向や彼方のせいか。
「彼女の望み、か」
自分の望みよりも璃維の望みの方が強いのだろう。死んでもなお、自分を叱咤激励し、幸せを望んでいる証拠なのかもしれない。それでもまだ自分は前に進めない。情けない男だとしみじみ思う。
「そう言えば、江戸から返事は?」
不意にそう言われた日向は月から晴人に顔を向け、そして苦笑しながら首を横に振った。告白から随分経つのにまだなのかと思うと同情しかない。それでも日向は何も言わずに待つのだろう。
「彼、ああいう人だし」
「初めて告白されて戸惑っているか、もしくは・・・・」
「もしくは?」
「本気で悩んでるんだろうな」
「私と付き合うこと、悩むんですね、やっぱ」
「そうじゃない」
きっぱりと日向の中の気持ちを否定したその声に落としかけた顔を上げた。晴人はまっすぐに日向を見ている。
「付き合うならきちんと付き合いたい。中途半端は良くない。だから悩むんだよ。本気で君と向き合い、付き合うために。独りよがりな愛を自覚したからこそ、ね」
小さく微笑む晴人に日向も笑顔になった。そうだといいなと思う。いや、そうなのだろう。
「ここまで何年も待ったんです。まだ待てますよ」
「そういう君だから、あいつには合うんだろうね」
「そう言う晴人さんは雨さんとどうなんです?」
不意な攻撃に苦笑が漏れる。ここでそれを言うかと。
「どうって言われても、ただの料理の師弟関係だよ」
「だからって毎日一緒に晩御飯。もうね、結婚しちゃえって思ってます」
ぐっと迫ってそう言う日向に苦笑を濃くした晴人はもう一度満月を見上げた。夜にはないその薄い姿は儚く見えた。
「付き合ってもないのに、結婚か」
「それぐらいお似合いです」
「かもな」
意外な言葉に今度は日向の表情が驚きに変化した。まさか晴人の口からそんな言葉が出るなどとは思いも寄らなかったからである。
「まぁ、それはもう長い年月をかけて答えが出るかどうか、かな」
「そうかな?意外と簡単に出そうですよ、あの恋愛バカと違って」
それはないと言いかけた自分をどこかで否定している自分もいる。だから晴人は自分自身に戸惑った。他人を拒絶するためにここに来たのに、今は真逆の方向に進んでいる。それを嘆く自分と受け入れる自分、どちらが勝つのかはわからないし、結果が出るまでには時間がかかるだろう。自分が思う通り随分先に出るのか、それとも日向が言うように意外と早く出るのか。
「君たちの結論よりは後だよ、絶対」
「意外と同じくらいかも」
そう言い、笑い合う。晴人はきっとこういう変化をした自分を自覚していないのだろうと思う日向はゆっくりでも変わっていく環境に満足しつつ、全てがいい方向に進むことを祈るばかりだった。