真昼の満月 3
人気のドーナツのチェーン店が隣町の駅前にオープンしたため、それを買いに来て、何故か目の前に彼方が座っているこの状況はなんなのだろうか。日向にすればラッキーなのだが、ここ2、3日の死人のような彼方は今をもって改善されていない。原因が雨絡みなのはわかっているだけに何も聞かず、店の前をふらふらとした足取りで歩いていた彼方を呼び止めて今に至っているが、テーブルの上にある彼方のドーナツとアイスコーヒーはそのままで、日向が買った2つのドーナツは1つが姿を消し、アイスティーは半分がなくなっている。そこそこの時間が経っているとはいえ、彼方は注文時を除いてまだ一言も発していない。
「先輩、食べないなら私が食べますけど」
「・・・・・食べる」
「食べるんかい」
彼方はドーナツを掴むと乙女かと思うほど少しだけかじり、コップを手にしてストローで一口だけ吸うようにしてみせた。
「苦い」
「ミルクもシロップも入れてないから」
呆れた口調の日向はなんでこんな人を好きになったのだろうと真剣に考えるが、それでも答えは出ているだけにその疑問はすぐに消えた。ミルクとシロップを入れた彼方が再度コーヒーを飲み、コップを置いたタイミングを見計らってから日向は言葉を発した。
「雨さんと、何があったの?」
告白してふられて、それでもまた何かがあってこうなった。未練がましいというか女々しいというか、ますますこの男を好きな自分はダメな女だと思う。
「木戸と、イチャイチャしてる」
「そりゃ雨さんは晴人さんを好きなんだし、晴人さんはまぁ、ああだからイチャイチャはどうかと思うけど、雨さんにすればそこは攻めてるんでしょ」
「俺もしたかった」
「ふられた男が、みっともない」
グサッと刺さる一言にコーヒーを飲むものの、その目はキョどってますますみっともない。未練がありすぎだと思う反面、よくそこまでふられた女性に固執できるものだと感心してしまう。それだけ気持ちが本気だったのだろうが、それでもやはり女々しいと思う。
「俺、なんでふられたんだろう」
「そこは雨さんがはっきり言ってたでしょ?」
「好きな相手に好きを求めて、何がダメなわけ?」
「先輩はさ、誰からか好きだと言われたこと、あるの?」
「ない」
「先輩が好きじゃない相手からさ、好き好きって迫って来られて、断っても断っても好きって来られたら、どんな気持ちになる?」
「気持ち悪い」
「つまり先輩は気持ち悪いってこと」
今の日向の言葉に愕然とした顔をして見せる彼方。
「何故、今、気づいた?」
もうどうしようもないと思う日向はいっそのこと彼方への気持ちを捨てようかと本気で思う。しかしながら出来もしないその思考に苦笑しつつ、諭すように言葉を発するしかない。
「要するにさ、先輩の気持ちって相手を考えない独りよがりなんだよね」
「・・・・木戸には、それがない?」
「あの人は他人を拒絶したがってるけど、それが出来ない優しさがあるの。他人の気持ちをさらりと受け流す術も持ってる。だから不快にはならない。先輩のはただただ不快」
「・・・・お前も不快って思ってるのか」
ますます落ち込む彼方を見て、日向はもうここではっきりさせようと意を決した。このバカを相手に駆け引きも何もない、そう判断した結果だった。ここでふられても、それはそれだ。
「私はね、先輩が好きなんですよ。あの時、死にたいと思っていた私を助けてくれたあの日からずっと。助けてくれたから、なんて安直な恋です。でもきっかけなんてどうでもいいんですよ、大切なのはこの気持ち」
淡々とした告白をし、アイスティーを一口飲む。緊張もドキドキもない告白だったものの、相手が彼方なのだからこんなものだろうと自覚している。言われた彼方はポカーンとしつつ、ますます目をキョドらせて細かく体を揺すり始めた。ダメだこりゃと思う日向が2つ目のドーナツに手を伸ばした時だった。
「俺さ、告白されたの、初めてでさ」
不意にそう言われ、開いていた口を閉じてドーナツを戻す。大きな体の彼方が小さく見えている。それが可笑しくて、可愛くて、日向は小さく微笑んだ。やっぱり自分は彼方が好きなんだと、そう思いながら。単純な理由で好きになったこの男ははっきりいって最低の部類なのかもしれない。それでも、ちゃんといいところを知っている。自分にしてくれたことが全部、結果として自分を救ってくれている。あの日、自分に勇気をくれたことも、ここに居場所を作ってくれたことも。
「だからさ、その、少し考えさせてくれ・・・・今の俺は混乱している」
「先輩はいつでも混乱してますよ、恋愛に関しては、ね」
そう言って微笑んだ日向は今度こそドーナツを頬張った。
「気長に待ってますんで」
どうせまともな返事はないだろうと思っている。それでも告白できたことは嬉しいし、何より、すぐに断られると思っていただけにかなり確率は低いながらも進展が望めそうだ。だから日向は微笑むのだった。
*
小皿に盛った煮物を箸で摘み、晴人はぱくりと口へ入れた。少し噛みしめ、それから自信満々な雨を見て鼻でため息をつき、それから頷いた。
「美味い」
「っしゃ!」
ガッツポーズを取る雨を横目に小皿を置くと、晴人はそそくさとリビングへと戻った。残された雨はせっせと夕食の支度をし、テーブルの上に料理を並べた。ようやく合格になった煮物は会心の出来である。また、晴人直伝となった肉じゃがも免許皆伝となっている。他の料理も得意になり、これで雨の腕前はかなりの上達ぶりをみせたことになる。
「よしよし、これでいつでもあんたの嫁になれるよ」
「勝手になろうとするな」
「あら、戸籍上のみ、でもいいけど」
その言葉を無視していただきますと言った晴人は夕食を始めた。遅れて雨もいただきますと言い、自身が誇る最高傑作を味わっていくのだった。テレビでは今日も皮剥ぎ魔のニュースでもちきりだ。
「なんで捕まえられないかな?」
「防犯カメラに映らずに犯行を重ねているからな」
「今時、そんなこと出来るってのが怖い」
「そうだな」
やはり特殊能力者の犯行だろうと思う。こうなると特安が動いているのだろうが、果たして対応出来るのかどうか。かといって、かつてのように積極的に動こうとは思わない。彼女が生きていた頃は特安の要請を度々受けて協力したこともある。あの頃の自分は戦うことに恐怖もなく、自信に満ちていたからだ。何よりそれが結果として彼女を守るということにもなっていたから。
「逃げられないんだろうね、こういうヤツに狙われたら」
「・・・・だろうな」
一瞬、夜に出かける際には俺を呼べ、そう言いかけた自分を押し殺す。今の自分は誰も守れない、そういう自信があるからだ。
「夜はもう出かけないけどさ」
「どうしてもって時は彼方に言え」
「あんたに言う」
「俺は・・・・」
「いてくれるだけでいいのよ」
晴人の言いかけた言葉を遮った雨は微笑んでいた。なんだかんだ言いながら、晴人はきっと守ってくれる、そんな気がしているからだ。いくら晴人が強いといっても、人目に付かず既に23人を殺害している超凶悪犯を倒せるとは思っていない。撃退してくれるだけでいいし、一緒にいるだけで犯人も自分を狙ってこないだろうという風に考えていたからだ。
「でも、早く捕まえて欲しい」
「誰よりも警察がそう思ってるよ、きっと」
そう言って煮物を食べる晴人は他人事のようにそのニュースを見つめるだけだった。
*
特安の坂本は頭を抱えていた。どうやって誰にも気づかれずに23人もの女性を殺し、皮を剥ぐことが出来るのか。防犯カメラの映像などを確認しても、被害者女性はある場所で忽然と姿を消し、そしてむごたらしい姿で翌日に発見されるのだ。犯人はカメラの場所をあらかじめ知っているのだろうと考えて現場近くの映像を全て見直したが怪しげな人物は映っていない。不思議なことしか出てこないこの事件は難航し、世間的にも警察上層部からもその醜態を咎められている始末だ。かといって捜査員は皆よくやってくれている。それよりも犯人が特殊すぎることが問題だった。
「間違いなく、能力者、だな」
「でしょうね」
もう警察上層部もその可能性を認めている。かつては多くいたという遺伝子に変異を持つ特殊能力者。今では
国連が主導で先進5か国にて抑制薬を開発し、乳児の予防接種に偽装させて盛り込むことで能力の具現化を抑制した結果、今や能力者の数は全人口の0.01%に過ぎない状態にある。
「やっかいだな」
「かつてこういう能力者を倒したっていう一般人がいたっての、信じられないですよ」
記録に残っているその事件は有名であり、今では伝説にすぎない。
「その伝説の末裔に応援でも要請するしかない、かな」
「神頼み、ですか?」
「あるいは、宿縁によって導かれる、か」
「何です?その映画のキャッチフレーズみたいなの」
笑いながらそう言う部下の言葉に苦笑しつつ、その宿縁が現実のものになる予感のようなものがあった。善と悪、ではないが、彼らはそういうものを呼び寄せ、駆除する役目を背負っている、そんな気がしているからだ。
*
ドアを開けて通路に出て、何気なしに見上げた夜空に浮かんでいるのは満月だった。思わず見とれしまうほど優しい輝きを放つその月を眺めていた晴人は隣の部屋のドアが開く音にそちらへと顔を向けた。
「あら」
自然とそう声を出し、にこやかに隣に立つ雨から逃げるように歩き始めた時だった。
「綺麗な月」
その言葉を聞きながら雨の真後ろを通りかかった時、不意に次の言葉が飛んだ。
「月が綺麗ですね」
そう言われた晴人は立ち止り、雨へと顔を向ける。その雨は意味ありげな微笑みを浮かべつつ晴人を見つめていた。それが夏目漱石の生んだ告白の言葉であることを理解している。
「ただの感想」
悪戯な笑みを浮かべる雨の言葉に鼻でため息をついた晴人が歩き始めたが、雨は自然と横に並んで歩きだす。怪訝な顔をする晴人にますますその笑みを濃くした雨はそっと耳元に顔を寄せた。
「ぶっそうな世の中だもの、ボディガードよろしく」
「・・・・気配を感じてってことか?俺は駅前のコンビニに行くだけ」
「私も」
出かけようとしたタイミングが合っただけのことだが、それでも何かしらの運命を感じてしまう。本当は晴人に声をかけて一緒に行こうと思っていたからだ。
「言っとくが、守る気はないぞ」
「そうね。でも、いるだけで牽制にはなるでしょ?」
ああ言えばこう言う奴だと思う晴人はもう何も言わず階段を下りた。並んで歩くも会話はない。ただろくな外灯もない薄暗い夜道に、月光に照らされた影を落とすのみだ。
「日向ちゃんね、告白したらしいよ」
その言葉に驚く様子もなく黙々と歩く晴人の口もとに小さな笑みが浮かぶのを見逃さない。すぐみ消えたその笑みははっきりと雨の脳裏に焼き付いている。ここ最近の晴人は随分と変わってきた。人との関わり合いを最低限ながらも持続させ、そして表情も変化が見られる。今でも死にたいと思っているのは確かだが、だからといって今の人間関係を絶つほどの思いには至っていないと思う。自分に料理を教えてくれていることもそうだ。だからこそ大事にしたい、そういう気持ちを持続させることを。
「で、付き合うのか?」
こういう部分も変化の表れだ。以前なら興味すら抱かなかっただろう。なのに今はその話題を楽しんでいる感じが出ている。現に日向も晴人に対して積極的に友好関係を築きつつある。
「保留だって。まぁ、相手からの告白は初めてらしいから、あいつも戸惑ってる」
「お前にこっぴどくフラれて、自分の恋愛観念を根本的に否定されたからな」
「あんたも結構なことを言ったって聞いてるけどね」
「誰に?」
「日向ちゃん経由」
「・・・そうか」
ここでも表情は柔らかい。何より色々なことに興味を引いているのはいい傾向だ。だから雨は焦らない。きっと、今ここで本気の『月が綺麗ですね』発言をしても結果として晴人は自分を拒絶するだろう。時間をかけても今の晴人の変化を大事にしたいと考えている。
「あいつも、日向となら上手くいくと思うんだがな」
「そうかな?」
「日向は彼方の本質を知っているからな」
小さな人間関係だが、今の晴人はちゃんと築けている。それが嬉しい雨はそっと腕を絡ませる。怪訝な顔をするものの、そのままにしている晴人は以前のままだ。こういうところが本来の晴人の名残であり、元に戻せる可能性を秘めていると思える。
「ホント、綺麗な月」
呟く雨につられてか、晴人も夜空を見上げた。美しい月がそこにある、それだけで夜の闇も怖くはないと思えた。ただ、こんな月夜にも鬼は出る。あの殺人鬼が目の前に現れたとして、自分はどう対処出来るだろうか。そんなことをぼんやりと考えている自分を自覚せず、晴人は密着する雨の温かさをどこか心地よく感じている自分を自覚するのだった。