真昼の満月 1
今日も1人で大学を出て、駅へと向かう。友達などいない晴人にとって1人でいるのはいつものことで、これが日常だ。だが、ここ最近はその日常が崩れている。そろそろか、そう思う自分を嫌悪しつつも現実はそんなものだと思えば、案の定背後から肩を叩かれた晴人は露骨な、それでいて自然にため息をついた。振り返るまでもない、そのまま横に立った人物が彼方であると分かっているからだ。
「よっ!偶然!」
そんなわけがあるかと思うが何も言わない。だいたい、違う大学に通っている2人がこうもほぼ毎日出会う偶然などあるものか。
「どっか行くか?」
にこやかにそう言うが再度ため息をついて返す。毎度毎度誘われるが、断っているのにも関わらずこれだ。さすがにこの状況がずっと続くのかと思うとげんなりするため、この行動の真意が知りたい晴人は少し歩くスピードを緩めて横目で彼方を見やった。
「4日連続で断るのは気が引ける、わけでもないけど、飯でも行くか?」
時間的に移動して夕食を取るとなると午後6時前、少々早いが問題ない。だからか、彼方は目を輝かせバンバンと晴人の背中を叩いて喜びをアピールした。それ以上に満面の笑みがそれを物語っている。他愛のない会話、いや、一方的な会話をしつつ2駅向こうにある大きな居酒屋に入った2人はまずはビールを注文し、その後は彼方が主導で食べ物を頼んでいった。
「よしよし、まずは乾杯だな!」
運ばれてきた生ビールのジョッキを持った彼方は同じようにした晴人のジョッキにそれを当て、ご満悦な様子で半分近くまで一気に飲んでいく。対する晴人は一口だけ飲んでジョッキを置いた。
「で、ここ数日のストーカー行為、どういう魂胆だ?」
「ストーカーとは失礼な」
運ばれてきた枝豆を手に取りながらそう言う彼方を見つめる晴人の目は冷たい。雨とのデートから一週間、あの日に何があったのかは大まかに雨から聞いている。元カレの遭遇、その後の彼方の熱烈な愛の告白などを。結局、彼方は自分の主張だけをした格好になったようだ。自信満々に雨の過去など気にしないと宣言したが、雨にしてみればその言葉を鵜呑みにはできなかったようだ。なんだかんだ言いながら好きな人の過去のAVを観賞したことも気に入らない。あの日、コーヒー店で晴人は観賞をきっぱりと否定しているし、興味もないと告げている。彼方の言葉はどこか軽薄で信じられないと雨は言っていた。それは彼方ではなく晴人を好きだから、ではなく、彼女の感性がそうさせたものかもしれない。だから雨はきっぱりと断り、自分が好きなのは晴人だと再度告げていたのだ。
「お前はさ、雨の事、どう思ってる?」
「別にどうも・・・ただのお隣さんだ」
「ほんとにぃ?」
疑う目と口調を無視して焼き鳥を食べ、ビールを飲む。それを見た彼方は疑いの目を濃くしつつ同じように焼き鳥に手を伸ばした。
「お前さ、あいつを助けたんだろ?」
焼き鳥を食べつつそう言う彼方の言葉に一度考え込む。あのストーカーの事かと気づいたため、頷いてビールを飲んだ。
「俺も助けたんだよ、あの日、元カレから」
「らしいな」
「ああ、聞いてたか。だからさ、好感度的には同じはずなんだよなぁ」
こいつは本当に何も分かっていない、そう思う晴人はどうするかを悩んだ。自分が諭すのが正しいのか、このまま自分で気づくのを待つべきか。ただ、日向の件もあるため、晴人はここ最近崩れていた人との関りを絶つという信念を再度認識したばかりだが、それを破ることにした。それが正しい、そう判断したからだ。
「相手の好感度を、お前が判断するのは間違っている」
「え?」
ジョッキを置いた彼方は運ばれてきた出し巻きを受け取って置きながらも晴人の睨むような目から顔を逸らすことが出来なかった。それほど、今の晴人は強烈な人間味を醸し出している。
「お前が好きな気持ちがそのまま相手も同じである、と思うこと自体が間違いだ。好きにも色々あるし、相手にその想いを伝えることは大切だ。でも、だからといって自分の愛情がそのまま相手に伝わると思うことも、相手が同じように自分を好いていると判断する事も間違いだ。告白は自分の気持ちを相手に伝えること、相手に自分の愛情や思想を押し付けるものじゃない」
静かにそう言い、晴人はビールを口にする。鋭く、辛辣な意見だがこうでも言わない限り彼方は何も変わらないだろう。それこそ、恩人であり、つらい自分を支えて変革させてくれたことから抱いている恋心をどうにもできずにいる日向がかわいそうだ。少しは周囲に目を向けろ、そういうおせっかいな感情が晴人を突き動かした結果だった。目を大きく見開いた彼方は一瞬だけ晴人を睨んだが、殺気もなくそのまますぐにしゅんとなって首を垂れた。色々思い当たる節もあったのだろう。今の言葉は心に大きく響いた。
「あん時、雨にも言われた・・・俺の想いは独りよがりだってな」
「俺にそれを否定してほしかった、のか?」
そうかもしれない、だから彼方は小さく頷いた。あの日以来、誰かに自分を肯定して欲しかったのだ。晴人ならば、と思った自分が間違いだったと思い知らされ、自分の今までの実らぬ恋の原因が何かをようやく悟った気になった。
「独りよがり、か」
「もう少し広い目で周りを、自分を見てみろよ。そんなお前でも好きでいる、そんな子がいるはずだ」
すぐ近くにな、とは言わない。それこそ、彼方が自分で気づかなくてはならないことだから。
「いるのかねぇ」
「多分、な」
そう言った晴人はビールを飲み干し、通りがかった店員におかわりを注文する。そんな晴人をぼんやりと見つめつつ、彼方はあの告白の事を思い出すのだった。
*
早めの夕食を終えた2人がショッピングモールから駅に向かう途中にある小さな公園に入ったのはただの偶然だ。昔住んでいた家の近くにあった公園に似ている、そう言ってそこに雨が立ち入った時、彼方は神の啓示を聞いた気になっていた。ここで告白をしなさい、そんな声を聞いた、確かに。
「あのさ」
「ん?」
小さめのブランコに腰かけた雨が目の前に立つ自分を見上げている。その仕草、表情に思わず抱きしめたくなるが、その衝動は抑えてごくりと唾を飲んだ。
「俺、お前が好きだ、本気で」
まっすぐに目を見てそう言う彼方に、雨は表情も雰囲気も変えない。こういうことになる、それは十分に理解できていたし、予想もできていた。だからすでに予定されている言葉が自然と口から出た。
「ありがと。でも、ゴメン、私は晴人が好き。だから、ゴメン」
「あいつである必要、あるの?俺とあいつじゃ、俺の方がお前を大事に出来る」
「そうかもしれない。でもね、晴人はまだ優しさを失っていない。私を助けてくれた、陰から」
その意外な言葉に戸惑いつつ、それでも彼方の雨に対する想いは薄くならない。むしろどんどん強くなっている。一歩前に出た彼方のそのどこか血走ったような眼を見た雨は自分の中の彼方への嫌悪感が大きくなるのを必死に堪えるだけだ。
「俺も今日助けたじゃん!それでおあいこ!俺をもっと知ってくれ!そしたらきっと!」
「あんたは、独りよがりなんだよ。あんたの気持ちの強さがそのまま私に通じると思う?私はあんたを嫌悪しているんだよ?ううん、さっきまではそんなことなかった、でも、今、あんたを嫌いになってる。だってそうでしょ?あんたが私を好きだから私もあんたを好きになれって言ってるのと同じ」
勢いよく立ちあ上がった雨に気おされつつある彼方だが、それでもぐっとこらえる。言われた意味もよくわからない。ただチャンスをくれと、付き合ってちゃんと自分を見てくれと言っただけのことだ。
「あいつがお前を好きになるわけない」
「決めないでよ、勝手に!そうかもしれないけど、私はそう信じてる。でも、あんたみたいに自分の気持ちだけを晴人に押し付けたりしない」
「押し付けなきゃ、成就しない!」
「それが間違いだっての!」
怒鳴る雨。睨む彼方。その後、数十秒は睨み合いが続き、雨が彼方の脇を通り過ぎて駅へと向かった。そんな雨の腕を掴みかけた彼方だが、それを察した雨が一瞬振り返って睨んだことで動きを止める。再び歩き出した雨を追うように歩き出した彼方の中で、雨への想いは固まって落ちない汚れのようになっていくのだった。
*
「お前は、どう生きたいんだ?」
4杯目はレモンサワーだ。酒に弱いのか、既に顔が赤く言葉も頼りなくなってきた彼方を見た晴人は3杯目の梅酒を一口含む、今の質問にどう答えるかを思案していた。
「雨と付き合うのか?」
「ないな」
ここは即答だ。
「あんな美人に好かれて、それでも?」
「言ったろ?俺はあいつを好いてない。美人だろうがブスだろうが関係なく」
「あれがブスなら地球人はみんなブスだ」
酔った目でそう言われても説得力もない。最後に残ったつくねを食べつつ、そろそろ店を出る頃合いかと思う晴人は小さなため息をついた。
「なんだよ、独りよがりって・・・」
「俺が好きだからお前も俺が好きだって思い込みだよ」
「だってさ、俺は絶対に大事にするし、何があっても守ってやれる」
「そりゃ妄想だ・・・・・絶対に助からない病気からどうやって救ってやれる?」
自然と出たその言葉に晴人は自身で固まる。酔ったせいか、それとも。よくわからなくなった自分を制御するよう梅酒を口にして落ち着かせる。動揺する晴人など気にせず、彼方は少し今の質問について考えた。
「俺が守るってのは悪い奴らからだ。絡まれたりした時にって話だ・・・病気だったら、その最後の瞬間まで支えてやるしかない。医者にはなれないんだからな。だからそれまでは最高の思い出作りをしてやりたい。まぁ、でも実際そうなったらこんな綺麗ごとなんぞ言えないか」
一人で答えを出して一人で微笑む彼方を見て、晴人は彼女の最後の言葉を思い出す。
『あなたは生きてね・・・生きて、また誰かを好きになって、そして、その人を守るの。それが晴人の全て。私は幸せだった。後悔はいっぱいあるけど、それだけは胸張って言える。だから、生きてね、私の分も』
最後のお見舞いの、別れの言葉。その後、彼女は危篤状態になり、そのまま帰ってこなかった。彼女の遺言は呪いのように晴人を縛り付けている。彼女以上に愛せる人など現れるはずもないのだから。
「お前のそういうところ、恋愛に活かせばいいのに」
そう言い、晴人は梅酒を飲み干した。言葉の意味がわからない彼方が小首を傾げる様を見た晴人は席を立つ。
「さ、帰るぞ」
「ああ」
そう言われてふらふらと立ち上がった彼方を見つつ、伝票を手にレジへと向かう。
「人の事は言えない、か」
そう呟いた晴人は財布を出しつつ、彼女の最後の言葉を再度頭の中で反芻するのだった。
*
ふらふらと歩く彼方と、それに並んで歩く晴人を見かけたのは日向だ。コンビニに買い物に行ったその帰りに2人に遭遇し、そのまま近づいて声をかける。
「珍しいね、2人で飲んだの?」
「奈良橋かぁ・・・おうよ、ま、慰労会だな」
「なんの?」
「このバカの失恋だ」
首を捻る日向にそう返した晴人は、やはりここ最近の柔らかい雰囲気を持っている。だから日向は微笑んだ。
「先輩、慰労なら私が付き合ってあげるって」
「お前、酒飲めないだろ?」
「未成年ですからね」
「それになんだよ、付き合ってあげるって・・・・お前と付き合うわけないだろ?」
「はいはい、酔っ払い」
何と言われようと別に傷つくことはない、そんな日向を見て強いなと思う晴人は、この愛に気づかない彼方を心底バカだと認識した。他人からの愛情を感じ取れない男が独りよがりな愛情を押し付けているのだ、バカを通り越して人間失格だ。
「そういえば、さっきまたニュースになってましたよ、皮剥ぎ魔。2つ隣の大きな街で。なんか近いから怖い」
「あまり夜に1人で出歩くなよ。もし出歩くなら、俺かこのバカに言え」
「いいんですかねぇ」
「おおぅ!いいぞ!俺は誰であれ守ってやる!正義の味方だ」
「はいはい、酔っ払い」
そう言いながらもどこか嬉しそうだ。そんな日向を見て雨にもそう声をかけないとと思う晴人は自分の中の変化に心のどこかで嫌悪する。
「真宙ちゃんにも気を付けるよう言っておいて下さい」
「ま、そうだな」
真宙ならきっとその手の犯罪者も倒せると思うが、一応伝えておこうと思う。真宙は戦いになると女を捨てる。素っ裸にされていても堂々と戦える、そんな戦闘狂だ。木戸一族の女はどの家でも同じらしい。
「真宙ちゃんかぁ・・・かーわいいよなぁ・・・ああ、会いたいなぁ」
「死ねばいいのに」
心からの辛辣な言葉も耳に入らず、彼方は真宙とのめくるめくロマンスを妄想していた。そんな2人を見つつ、皮剥ぎ魔が近い場所まで来ていることを危惧する晴人だが、知り合いの警察関係者にコンタクトを取る気はない。もう自分は戦わない、そう決めている。そうだ、決めたのだ。なのに何故だろう、この連中だけは守りたい、そんな意識が芽生えつつある、無意識的にだが。
「よし、木戸、今日からお前を義兄と呼ぶぞ!お義兄さん!」
「もう、殺してもいいかもしれないですね」
「殺すと犯罪だから、その一歩手前でやめとくよ」
苦笑気味にそう言う晴人の人間らしさを見た日向は微笑んだ。それが酔いのせいかはわからない。ただ、少し変わり始めた晴人を見て、自分ももっと積極的に彼方に迫っていこうと思う日向であった。