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晴れと雨の境界に陽はさしますか?  作者: 夏みかん
第2話
11/27

過ぎ去った時間 5

苦手なジャンルとはいえ、怖さよりもかなり楽しめる内容の映画だっただけに晴人はホッとしていた。本気で何度か日向の手を握りたくなったことは口外しないが、そういう気持ちになった自分を嫌悪する。結局、自分は他人を拒絶することなど出来ないのだと痛感させられた結果だ。こうして日向と映画を見ていることからしてもう意味は成さない。ならば、と、前向きになることもない自分をますます嫌いになっただけの話だ。


「手、握らなかったね」


ため口となった日向に苦笑も見せず、晴人は黙って歩くのみだ。これこそが晴人だと思う日向もそれ以上は何も言わない。ただ映画の感想をしゃべり続けるだけだった。映画館の入った建物の中には様々な店があり、1つのフロアは飲食店で占められている。そこにあるファミレスに向かった2人は平日であり、しかも時間的に空いていることもあってすぐに席に案内された。


「日替わりランチ、かな」

「俺もそれで」

「じゃぁ、呼びますね」


ここは敬語でそう答え、店員を呼ぶための呼び鈴のスイッチを押す。店員も忙しくないせいかすぐにやって来た。日替わりランチを2つオーダーし、追加で晴人がドリンクバーを注文する。


「おごりだ」

「え?全部?」

「そうだな」

「なんてラッキー!でも払います」

「好意は受け取ってもらう」


相変わらずの言い様だが、そこに優しさが見える。だから日向はとびきりの笑顔でゴチになりますと口にした。ぶっきらぼうで不愛想なのに、時折見せるこの優しさがみんなとの間を繋いでいると思う。


「先輩は今頃・・・・幻滅されてるのかなぁ」

「気になるのか?」

「そりゃぁね・・・・ぶっちゃけると、私、先輩のこと好きなんで」

「知ってる」

「やっぱバレバレですよね?知らないのは本人だけ、か」


焼き肉屋で酔ってキスしたからとは言えず、晴人は無表情を貫き、すぐそばのドリンクバーに日向を誘った。そうして席に戻り、日向はオレンジジュースにストローをさした。すると珍しく、晴人から口を開いた。


「あの筋肉バカに惚れる要素があるのはわかるけど、あいつはああだぞ?」

「わかるんだ?」


どっちの意味かと一瞬思考するが、どっちもかと判断する晴人。


「先輩は恩人なんですよ」


そう言う日向は辛そうな、それでいて恋をしている笑顔を見せた。どうやら彼方への想いは本物で、それでいて結構長い片思いのようだ。しかし、笑顔の意味はそれだけではないようで、晴人は黙って日向の言葉を待った。


「さっき母に会ったじゃないですか?」


ややトーンダウンした口調だが、晴人は何も言わずに頷く。だが、ここで料理が運ばれてきたために一旦中断を余儀なくされた。


「暗い話なので、食べてからにしましょう」


日向はそう言うとナイフとフォークを晴人に手渡す。受け取った晴人もそうだなとだけ返した。こういう時、晴人の世捨て人のような雰囲気は助かると思う。急かすこともせず、ただ日向のペースで進めることが出来るからだ。だから食事中はあえて彼方の話題は出さずに映画の話に終始した。あの場面はああすればいいのに、だの、あのセリフは良かっただの。晴人は食べながらも相槌を打ち、珍しく時々は意見を口にする。そうして食事は進み、やがて残ったのはドリンクだけになった。この頃にはもう映画の話題も出尽くしている。だから、日向は覚悟を決めて話を戻した。晴人ならばきっと、そういう思いも込めて。



家を出たきっかけは家庭環境に大きな問題があったからだ。母親は父親を愛し、その強すぎる愛情は時に間違った嫉妬に変わって喧嘩に発展していた。父親は母親を愛していたのだろうが、それよりも1人娘である日向に対しての愛情の方が強かった。えてして父親はそんなものだろう。ただ違うのは、父親は日向を1人の女として愛していたことだ。中学2年の時、それは起こった。酔っているわけでも、精神的に病んでいるわけでもない父親にキスをされたのだ。数週間は母親の目を盗んではそうされ、日向は恐怖とその異常さに何も抵抗できなかった。いや、拒否すれば殺されるかもしれない、そんな父親の目に心を殺されていたのかもしれない。やがて行為はエスカレートし、体をまさぐられるようになった。そして最初のキスから1年ほど経ち、強制的にお風呂に乱入されて性的な虐待が始まった。それでも父親としての本能かどうかはわからないが最後まで行為が及ぶことはなかった。誰にも言えず、ただされるがままだった日向は何度も母親に告げようとしたが恐怖でそれが出来ない。冷たい目をした父親に、無言のその威圧に屈していたのだ。そして、その日が来た。パートに出ている母親は必ず決まった時間に帰宅するが、その日は土曜日で、父親は休み。日向は入浴の後で部屋で全裸のまま体をまさぐられていた。この日の父親の目はいつもにも増して異常だったことから、今日こそ貞操の危機だという意識はあった。実際に父親のタガは外れていたと思う。あと数分、母親の帰宅と部屋への乱入が遅ければどうなっていたかはわからない。部屋に乱入した母親は父親を突き飛ばし、同時に日向に馬乗りになって殴り始めたのだ。日向が父親を誘惑した、そんな風に解釈をして。そして自分を裏切った夫も許さず離婚へと至ったが、日向を引き取ると言った父親とこのまま幸せにさせてなるものかと、母親は親権を持った。日向は3年生に進んだが、母親との溝は深まるばかり。学費など、世間的に必要な費用は負担するが、それ以上のお金は一切出さなかった。かといってアルバイトもさせない。このままでは高校進学もどうなるかわからない中で、ただ元気だけは捨てなかった日向は性的虐待を受けていた当時から周囲への明るさは失っていなかった。だから誰も気づかない。両親の離婚の真相も誰も知らない。世間体を気にした両親のおかげだろう。いい加減、今の生活を苦痛に思い、心が壊れかけている時、彼方に出会ったのだ。


「お前、腹減ってるのか?」


時間を潰すために公園にいるのが日課の日向にそう声をかけてきたのは彼方であり、急に体つきの大きな男にそう言われて委縮するのは当たり前だ。だが彼方はにっこりと笑い、すぐ目の前にあるファミレスを指さした。日向はただそっちに顔を向けただけで何も言葉を発していない。


「飯食ったら、話聞いてやる・・・・お前、大きく悩んでるだろ?」

「なんでですか?」

「わかるんだよ、俺には」

「新手のナンパですか?」

「そうだよ。でも慈善事業的なナンパだ。俺は江戸彼方、高校生だ」


まるでどこぞの漫画の主人公のような自己紹介をした彼方は笑みを浮かべたままじっと日向を見つめている。自分に触れもせず、ただそう言っただけのこと。ほっといてほしいし、相談する気もない。なのに、日向は自己紹介をしていた。


「奈良橋日向、中学3年」

「日向、ね・・・・名前負けしてんぞ、その暗い顔は」

「してないし」

「確かに、な・・・でも毎日ここで座って、暗い顔している」


そんな顔をしている自覚はない、なのにそう言われた日向は頬を伝う何かを感じ、そっとそれに触れてみた。指先についた水滴が涙だと理解するまで数秒を有し、それから数度涙を拭った。


「メシ食って、腹いっぱいになったら話を聞くからさ、おごるぞ!だから、行こうぜ」


彼方はそう言って微笑み、日向は涙に濡れた手を差し出されたその手に重ねた。この時の温もりとその笑顔は日向の中で決して消えることのない記憶となった。その後ファミレスで久しぶりの美味しい食事を味わい、日向はこれまでのことを包み隠さず彼方に話して聞かせた。助けてほしい、ではなく、ただ話を聞いてほしい、そんな感じで。全てを聞いた彼方はしばらく腕組みをして何かを考えるようにした後、1つの提案を日向にした。後日、日向はそれを実行し、今に至っている。



「自分で児童相談所に電話したんです。全部話して、今までのこととか今の状況を」

「なるほど、だから高校からここに、か」

「母方の祖父がすぐに動いてくれて、援助してくれて。親権は母ですけど、実際は祖父ですね。だから早く成人して自立したい」

「できれば江戸と結婚、か?」


この時の晴人はすごく人間味にあふれた言い方をしていた。表情もどこか柔らかい。これが本来の晴人なのかもしれないと思いながら頷く日向だったが、それが叶わないことも理解している。彼方の中で自分は恋愛対象ではないのだから。


「先輩はあーですからねぇ」

「そうだな」


苦笑気味にそう答えた晴人に対し、日向もまた苦笑する。自分のこの恋は叶わない、それはもう理解している。かといって何もしないというのも癪だ。


「ま、諦めずにマイペースでいきます」

「俺は、あいつには君が一番似合っていると、相性もあっていると思ってる」


日向にそう返した晴人に表情はない、いつもの晴人だ。なのに何故だろう、その言葉には重さがある、そんな感じがした。なにより無表情なのに暖かい目をしている気がする。だから小首を傾げる日向に対し、飲み物を一口含んだ晴人は一旦間を置いてからその仕草に応えるように口を開いた。


「あいつはきっと、女性から愛された経験がないんだと思う。だから自分からの一方通行な愛情ばかりを押し付ける。君のその想いを受け止める度量があればいいんだろうけど、欠如しているからなぁ」


テーブルに肘をついて憮然とそう言う晴人は実に人間らしさを醸し出している。いつもの晴人にはないその感じに違和感が抑えきれないが、とにかくその言葉に納得は出来た。


「だから、頑張るよ。私の恩人で、人生の先輩で、何より、好き、だから」


最後は照れた顔を見せる日向に淡い微笑を返す晴人。思わずドキッとしてしまった日向は今のような人間味溢れる晴人であったならば、彼方にこうまでの想いを抱いていなければ好きになっていたかもしれないという思いに駆られていた。だからこそ気になる、晴人の恋愛事情が。


「木戸さんは、愛された経験があるんですね?」


晴人はまたいつもの無表情に戻っている。だがかすかにさっきまでの柔らかい雰囲気を残していた。


「愛されて、愛した。たった一度だけ、だけど」

「一度でも羨ましいです」


困ったような笑顔を見せる日向に苦笑するが、晴人にしてもどうにかしてやりたいと思う。そういう他人に干渉している自分を意識しない晴人は不意に浮かんだ雨の顔に少々動揺しつつ、飲み物を口にするのだった。



最寄りの駅で電車を降りた晴人と日向が改札に近いドアから降りて前を歩く雨と彼方を見て足を速めた。時刻は午後7時半、デートを終えるには少々早いような気がするが、2人の関係性からして妥当なものかとも思う。これは成果がなかったなとわかる日向は改札を出たところで背後から彼方に体当たりをしてみせる。よろめきながら振り返った彼方は死んだ目をしつつ困った顔をした日向を見つめた。


「奈良橋・・・・」

「どうしたんですか?先輩、死にそうですけど」


苦笑も出ないほど顔色の悪い彼方に心底心配そうにそう言う日向に、目をうるうるさせた彼方は思わず日向に抱き着いた。固まりつつも振りほどこうとはしない日向をじっと見た後、雨はそのまま歩き出す。日向は目で晴人に追ってと告げ、無言で返事をした晴人が少し前を歩く雨に並んだ。日向はそれを確認し、彼方の背中をぽんぽんと叩きながらゆっくりと引きはがしにかかる。されるがままの彼方は涙で溜まった目を日向に向けたままだ。


「そこのカラオケでいいですか?」

「うん」


いやに素直な彼方の言葉に苦笑しつつ、あの日のお礼とばかりに今度は彼方の泣き言をとことん聞いてやろうと思う日向だった。



何の会話もなく、いつもよりやや遅いスピードで歩く雨に並ぶ晴人だが目もあわさない。いつもの晴人だと思う雨だが、どうして日向と一緒だったのか気になっていた。


「奈良橋さんと出かけたの?」


前を向いたままそう問いかける晴人は、ああ、とだけ返事をする。昼間のこと、そしてついさっきあった出来事もあって、雨はその足を止めた。


「なぁんだ、なんだかんだ言いながら女の子とデート出来るんだ?」

「暇つぶしだしな。それに、あの子はあの子で色々抱えてる」

「へぇ」


自分でも嫌になる嫉妬に、雨の言葉は徐々に強くなっていく。


「で、人生相談?わざわざ電車に乗って?」

「映画を見に行った、気分転換だ」


そう言い、晴人は歩き出す。そんな晴人の背中を睨み、それから速足になった雨は晴人の右手首を握った。それをかわすこともせず、晴人はそれを機に再度足を止めて雨を見やった。睨む雨を見てため息をついた晴人は顎で右側にある全国チェーンのコーヒー店を指す。その意図を汲みつつ、雨は掴んでいた手に力を込めた。


「彼方に真剣に告白された」

「そうか」

「昼間、偶然会った元カレを撃退してくれた」

「そうか」

「それでも、断った」


晴人は相槌を打たず、黙って雨を見つめていた。雨の目に涙が浮かぶ。


「彼は真剣だった。私の過去なんか気にしないって・・・・でも、彼は私の動画を見てた。そりゃそうよね?みんなそうだもの・・・・・あなたを除いて」


一筋流れた涙が意味することを考えず、晴人は黙ったまま雨を見つめていた。だから雨は一歩前に出た。掴んでいる手をそのままに。


「過ぎ去った過去は、時間は戻らない・・・・あんなやつのためにって思うけど、自分の意志でそうした事実はひっくり返らない。でも、あんたは・・・あんただったら・・・・」

「興味がないからな・・・・他人の過去とかに」

「私を好きになったら、興味を持ったら、あんたも見る?」

「さぁ、そういう例え話はしてもしょうがない」

「でも、私は!」

「俺は今でも死にたいって思ってる・・・ただ、彼女に死ぬなと、生きろと言われたから生きてるだけだ」


雨は流れる涙をそのままに晴人を見やった。死にたいと告げたその口もとに淡い笑みが浮かんでいるのは何故だろう。惹きつけられるようなその笑みに、掴んでいた手を放す。無意識だった。


「私は、あんたが好き」

「ありがとう。でも、ゴメン」

「わかってる・・・・でも、なんで?なんで今・・・」


笑ったのか、そう問えずに俯いた。次に顔を上げた時、晴人の口もとに笑みはない。


「おごって」

「ん?」

「コーヒーとパフェと、アイス」

「わかった」

「あと、抱きしめて」


冗談でそう言い、苦笑した雨の表情が驚きに変化する。不意に自分を抱きしめた晴人のその行動の意味がわからずに硬直する雨はそっと離れてコーヒー店に向かう晴人を茫然と見つめることしかできない。振り返った晴人が大きなため息をつき、それを見た雨は無意識的に歩いて晴人の横に並んだ。


「なんで?」

「ん?」

「なんで抱きしめたの?」


雨は上目遣いでそう問い、そんな雨を見た晴人は無表情のまま前を向いた。


「言われたから。あと、気分だっただけ、そういう」

「じゃ、もう一回」

「今はもうそういう気分じゃない」

「だったら、またそういう気分にさせてあげる」

「できるもんなら、な」

「見てなさいよ」

「はいよ」


何故かその会話が嬉しいと思う雨は、元カレと遭遇し、彼方から暑苦しいほどの告白を受けたことも忘れて胸が高鳴るのを抑えきれないのだった。

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