8.歴史は残酷で非情
あの日、全てが消えてなくなった。人も、街も、思い出も、〝空〟も——
何もかもあの穴が持って行ってしまった。悪食の化け物みたいに全てを喰い散らして奪った。
震えながらそう語る彼女はその全てを目撃したのだ。僕が産まれるずっと前のあの天変地異の全てを——
西暦二〇一五年十月三十日、午前十一時三十七分。アメリカ・ロサンゼルス上空に『それ』は突如として現れた。
始めに眩い閃光が空を包んだ。音は無かった。ただ余りにも眩しい光だった為に誰もが目を瞑りその異常な光景から顔を背けた。
次に空にヒビが入りガラスが割れるような音と共に空が剥がれ落ちた。そして、剥がれ落ちたその空から形容し難いおぞましい空間が覗く。そこでようやく人々は気付く、自身に危機が迫っているのだと。
だが、もう既に遅かった。
突然襲い掛かる大地を抉る様な衝撃波。そして、それとは逆に空に引きずり込む強い引力が街を襲った。人々は・・・いや、それを口にするのはやめておこう。
様々な物が空を舞った。周囲各所から火の手が上がった。鼓膜が潰れそうなほどの音を聞いた。後に残るは形を失った物ばかり、辺りは不気味な青い炎に包まれ自我が狂気に呑まれそうになった。地獄とは正にこの場所の事を言うのだろう。こんなものが現実な訳がないのだから——
その日、アメリカ合衆国カルフォルニア州ロサンゼルス市を中心として起きた全長一四〇〇キロに及ぶ超巨大な空間断裂は州都サクラメントを含めた三百七十の町を一瞬にして消し去り、更に数千の周辺地域を青い火の海へと変え、生物の住めない危険地帯を生み出した。
負傷者一億四千五百四十一万三千八百二十一人、行方不明者九千万人以上、推定死者数は三千八百万人と言われており、全てを呑み込んだその空間断裂は『悪魔の口』と呼ばれ今尚存在する。
これが、テンペストである。
史上最大にして最悪の自然災害。地形も生態系も、環境さえも変えてしまう天災は後にも先にもきっとこれだけだろう。
だが、地獄はこれだけでは終わらない。
西暦二〇一五年十一月二十二日、ワシントン州シアトル市にて未確認生物が出現する。
丸太の様に太い四肢、一対の黒い翼、額から突き出た二本の湾曲した角、歪んだ口から覗く鋭い牙、先のとがった細い尾——突如として人々の前に現れたそいつは科学ではない未知の力を使って町を破壊し、人を喰った。
目に付くあらゆる物を蹂躙し歪んだ高笑いを上げたそいつは、歴史の中で何度も描かれてきた邪悪の化身『悪魔』に非常に酷似していた。
これこそ、後に『始まりの悪魔』と呼ばれる世界で初めて確認された悪魔である。
始まりはシアトル、次にベルビュー、レントン、シータックと始まりの悪魔による被害地域は日を重ねるごとに凄まじい速度で広がっていった。
アメリカ政府はすぐさま討伐作戦を開始、アメリカ軍による総力戦が行われた。
しかし、悪魔には軍が保有するどの兵器も通用しなかった。
多くの犠牲を払った。たくさんの思いを背負って犠牲を払った。それでも、破壊と捕食を繰り返す悪魔には傷一つ付ける事も叶わなかった。悪魔の被害は広がる一方だった。
そして、始まりの悪魔が現れて一か月が過ぎた時、遂に国がその機能を喪失、存続不可能な状況に陥った。・・・事実上の国の崩壊である。
たった一体、たった一体の悪魔だった。なのに、最強の軍事力を有していた国が僅か一月で崩壊した。この事実はすぐさま報じられ世界を揺るがし人々の恐怖を煽った。
しかし、地獄はまだ終わらない。
カナダ南東部サグネにて二体目の悪魔が出現。更にメキシコ、イギリス、イタリア、ロシア、中国、日本の六か国でも同様に悪魔が出現し、その後も始まりの悪魔に呼び起されているかの様に無尽蔵にその数を増やしていった。
この事態に対し国際連合は緊急会議を実施、国際平和と安全を維持するべく悪魔根絶を目的とした殲滅作戦を立案。加盟国百九十二か国を主軸とする連合軍を結成し、依然として数を増やし続ける悪魔に対し攻撃を開始する。
『第二次百年戦争』の始まりである。
だが、彼女はそこから先の話を頑なに語ろうとしなかった。ただ震える体を両手で抱えて俯くばかり——いや、そうなるのも無理もないのかもしれない。
この戦争の結末は、総力を結集した人類軍の〝大敗〟だったのだから。
百二十六年という余りにも長きに及んだこの戦争は、悪魔の軍勢の圧倒的な力によって人類は成す術も無く蹂躙される一方だったと聞く。そんな中で必死に生きた彼女がその目に映した光景は口にするのも躊躇われるほど残酷で凄惨なものだったのだ。
かつての繁栄も嘘のように衰弱し、二千余年に及ぶ人類が築き上げた文明は悪魔の無慈悲な侵攻により一度ゼロに帰った。
しかし、そんな地獄にもようやく終わりが訪れる。
戦争が終わり無敵の悪魔から逃れる為に隠れながら生きる生活が二年ほど続いた頃、人々の前に一人の女性が現れた。
深い霧と共に現れた彼女はやつらのあの力と同じ力を使ってあの悪魔をいとも容易く倒して見せた。『撤退させた』ではない、『倒した』のだ。これまで百三十年、傷一つだって付けられなかったというのに、彼女は悪魔を倒したのだ。
そして、彼女は怯える人々に高らかに告げた。
「安心なさい!悪魔は無敵の神なんかじゃない!我々の力で打ち破れるこの世の生き物です!だから、諦めないで!まだ希望はある‼」
彼女が『始まりの魔女』と呼ばれる最初の希望、この絶望の世界に初めて人々の前に現れた魔女だった。
彼女は襲い来る悪魔を次々と倒し、人類の生存域を延ばしていった。更には彼女の他に別の魔女も現れ始め、悪魔との今までの圧倒的な力量差が一気に逆転した。
突然現れた穴によって地獄に落とされた人類は、遂に未来を切り開き始めた。
————『終焉(第一章二節)』ルイス・カルバーナ 著
「——こうして、テンペスト・第二次百年戦争を起源として始まった悪魔が統べる暗黒時代は始まりの魔女を筆頭とする魔女達によって終息へ向かっていきます。」
歴史担当のニーファがそう語った。その彼女の話を聞きながら私は内容をノートに写していく。今は午前の座学の時間、歴史の授業の最中だ。
今から十二世紀前か・・・そんな前の世界は一体どんな世界だったんだろう。どんな生活がそこには在ったんだろう。と、授業中にもかかわらず私はついそんな妄想を思い浮かべてしまう。
因みに私の隣にはフレンダが座っているんだが、彼女はペンを片手にコクリコクリと舟を漕いでいる。
「——ですが、かつて栄えた科学の技術は第二次百年戦争の時に失われてしまいます。暗黒時代の終幕後、その多くが再現されましたが現在の科学とは違う技術を有していたと言われています。」
ニーファの言葉を聞いて私の妄想が更に膨らんでいく。
違う技術が使われていた?それは今とどういう違いがあるんだろう。原理?が違ったんだろうか。それで、もしそれが途絶えてなかったとしたら?そこにはどんな物があったんだろう・・・
私が独りそんな妄想に浸りながらノートの片隅に落書きをしていると授業終了の鐘が鳴る。
「あ、鐘が・・・それじゃあ、今日はここまでです。次は魔女社会の発足と創始者についてです。よろしくお願いします。」
そう言ってニーファは荷物をまとめて講義室を後にする。そして、それを合図に生徒達が各々友達と言葉を交わし始めた。
徐々に講義室が騒がしくなってくる。その影響かフレンダが短い航海から帰ってきた。
「・・・ふぇ?・・・え、まさか授業終わった?」
寝ぼけたガサガサの声でそう言った彼女に私は呆れた声で言葉を返す。
「終わったわ。ついさっきね。」
「えぇ~!ノート写してないよ!あかりごめん、見せて~」
泣きそうな顔で私に訴えるフレンダに私は少し嫌そうな顔を見せて彼女をからかいながら素直にノートを貸した。それを受け取った彼女は私に礼を言ってすぐに自分のノートに書き写す。
すると、前の席から二人のシスターが私に声を掛けてくる。
「ねえ、あかり。今日の放課後って空いてる?」
「え?ええ、空いてるよ。」
私がそう答えると二人は嬉しそうな顔をして話を続ける。
「じゃあさ、放課後私達と一緒にクレープ食べに行かない?何か最近新しくできたんだって。それにあなたとゆっくりお話したいし。」
「いいよ、私でよければ。フレンダも来る?」
「うん、行く。私もいいかな?」
フレンダが二人に尋ねると二人は快く了承してくれた。私達が付いてくると分かって嬉しそうに二人は顔を見合わせる。
その時、私は不意にこの間の事を思い出して気になった事を二人に尋ねた。
「ねえ、二人はエカチェリーナの事何か知ってる?」
すると、二人は怪訝な表情をして顔を見合わせる。
「エカチェリーナ?」
「ほら、あの金髪の子だよ。」
「ああ、あの子ね。何か魔女の名家の娘らしいって事は聞いたけど・・・」
二人は曖昧にそう答える。
何か知っているかと思って訊いてみたものの、これと言った答えは返ってこない。やっぱりもう少し詳しそうな人に訊くしかないか・・・
そんな事を思っていると二人が徐に話し始める。
「でもさ、あの子正直ウザイよね。何でも自分が正しいって言い方するし。」
「分かる~、なんか鼻につくって感じ?」
「いくら名家だからって調子乗ってるよね~」
そう言って二人は笑い合った。その二人の様子に私は少し恐怖を覚えた。




