46.溢れる愚痴は少女の背中を追う
煌々と照り付ける太陽、日射しを浴びて熱を帯びる煉瓦。日傘が無ければ一瞬で全身を焼けてしまいそうな暑さの中、私はキアラら友人達を伴って寮から修道院へと向かう。
あの長かった夏休みもようやく終わり、私達はかつての学校生活を取り戻し始めた。休みの間あれだけ静かだった修道院もシスターが帰省から帰ってきた事で元の装いが戻ってきている。
それに伴って周囲のシスター達は口々に元の修道院生活に不平不満を漏らしている。
「はぁ・・・・」
かく言う私もその一人。
夏季休暇が終われば本格的にチームによる実戦訓練が始まる。そうなれば必然的にあのクレア・ベルと一緒に戦う事になるでしょう。
全くもって、億劫ですわ・・・・
とはいえ、いつまでも彼女を毛嫌いしている訳にはいかない。自分の心情を優先すればどんな結果を招くのかここ最近の出来事で嫌というほど思い知った。今後の活動を考えればクレアとは友好的な関係を築かなければならない。
・・・・はぁ。一切気乗りはしませんけれど、仕方ありませんわ。これは、私だけの問題ではないのですから———
わざとらしく肩を落とした私は前方数メートル先を一人で歩くクレアの背中を眺めながら覚悟を決めた。そして、ゆっくりとクレアに近づき声を掛ける。
「ご機嫌よう。クレア。」
けれど、クレアは私を一瞥するも何事もなかったかの様に足早に立ち去ってしまう。
「え、ちょっと!」
私の制止の声も聞かず彼女は私から遠ざかっていく。そのあまりにも辛辣なクレアの対応にキアラ達が憤りの声を上げて暴れ出し、クレアを追う事も叶わず私はそれを抑え込む羽目になった。
その後も何度か彼女に声を掛けてみるもことごとく無視され、仕舞いには——
「『話しかけないでくれる。』———なんて言うんですのよ!全く信じられませんわ。折角この私が心を翻して声を掛けたと言いますのに!私を嫌っているにしたってもっと言葉がありますでしょう⁉」
「そりゃ~、あんな態度取ってればね・・・」
クレアの態度に憤りを隠せない私の声に隣に座るフレンダが困り声でそう言い頬杖を突く。
場所も時間も変わって、今は第六区画第十三講義室。午後の授業前の和やかな雰囲気に私の声が響き周囲のシスターの視線が私達に集中する。その怪訝な視線を肌で感じながら、私は誤魔化す様に咳払いをして乱れた服と姿勢を正した。
そんな私に呆れた様な表情をしたフレンダが肩を竦めて言う。
「だいたいカチューシャがチーム分けの時にあんな態度取るからだよ?クレアだって傷付いてるんだよ。」
「あれは本当にそう思ったのですから仕方ありませんわ。」
何の悪びれもなくそう明言した私にフレンダは「そういうとこだよ。」と肩を落としてため息を吐いた。
そのあんまりな反応に納得のいかない私を余所にフレンダは眉をひそめて私に尋ねる。
「そんなにクレアの事嫌い?」
その言葉に私は目を伏せて言い淀む。
「・・・・・別に。嫌い、という訳ではありませんわ。」
「・・・ならなんでそんなに毛嫌いするのよ。」
「・・・・・」
フレンダの言葉に私は何も答えられず彼女から目を逸らした。
——正直に言えば、私はクレアを嫌う明確な理由がある訳ではない。私が彼女の事を避けているのはあくまで私の個人的な事情に過ぎず、彼女に何かしらの非があるという訳では決してない。
そう。これは決して、クレアが悪い訳ではないんですの———
「カチューシャがそんな態度だからクレアだって仲良くしたくないんじゃないの?」
「・・・・・」
———そんなの、分かっていますわ。これは私の我儘。ただの八つ当たり・・・
けれど———
「そもそも彼女のあれは私が原因というより、もっと根本的に彼女自身が人との関わりを避けていますわ。それはアナタ達も知っていますでしょう?」
「それは、まあ・・・・」
まるで幼稚の様な言い訳を漏らした私にフレンダは机に突っ伏しながらうなり声を零して同意する。
そして、それをいい事に私は更に言葉を重ねた。
「ですから、そもそも私が彼女の為に心を砕く必要なんてあります?むしろ、彼女の方から歩み寄ってくるべきですわ。」
すると急に、フレンダの陰にいたあかりが片手間に作業をしながら口を開く。
「そうは言っても、このままにはできないでしょう?私達は命を預けるチームなんだし、カチューシャは曲がりなりにもパートナーなんだから。」
「・・・・・分かっていますわ。」
あかりの言葉が私の胸に深く突き刺さる。
あかりの言う通り。あの時このチーム、あのパートナーで戦うと決めた以上、下らない私情を挟むべきではない。況して言い訳など・・・子供のする事ですわ。
理屈では、分かっている。ですけれど、それで全てを承諾できる程私は人ができていない。
「でも珍しいね、カチューシャが愚痴なんて。それも私達の所に来てまで。」
私が悶々と苦悩する傍からフレンダがそう言って面白そうに笑みを浮かべた。そんな無神経な彼女に対して私は眉をひそめて言葉を返す。
「私だって愚痴を漏らしたい時くらいありますわ。それにこんな事、アナタ達の前でしか口にできませんもの。今朝だって、暴徒化したキアラ達を抑え込むのに苦労したんですのよ?」
「あー。なんか想像つくね・・・特にキアラとか・・・・でも、少し前までは信じられない言葉だね。カチュ~シャ~?」
今朝の事を思い出して疲弊した私の声にフレンダは楽しそうに笑う。その浮かべた笑みの憎たらしさを感じながら私がフレンダを睨むと彼女は何故か嬉しそうにはにかむ。
その理由はもう分かり切っている。だから、私は深くは言及せずにうんざりした様子で彼女に言葉を返した。
「うるさいですわよ、フレンダ。」
すると、彼女は余計に嬉しそうに笑みを浮かべる。はあ、全く。この子、私が心を許した途端に面倒くさくなっていません?
「それより、先ほどからあかりは何してるんですの?」
それはそれとして、先ほどから気になっていたあかりの事を私が尋ねるとフレンダは上体を起こして素直に答える。
「ああ、これ?これは———」
「ほら、できたよ。」
けれど、そこへちょうど作業を終えたあかりがフレンダの声を遮って近くに座っていたシスターへ手にしていた物を差し出す。私がフレンダの陰からあかりの事を覗き込むと、彼女が手にしていたのは淡い水色のブラウスで傍にいた上半身キャミソール姿のシスターが嬉しそうにそれを受け取っている。
どうやら取れかかっていたボタンをあかりが直したらしい。ブラウスを手にしたシスターは綺麗に縫われたボタンを嬉々とした表情で見つめてあかりに感謝を伝える。
「ありがと~。スゴイ!今度なんかお礼するね!」
「別にいいわよ。これくらいの事で。」
「そんな事ない!ほんとに助かったんだから!」
彼女は勢いのままにあかりにそう伝えるとお礼の約束を取り付けて楽し気に立ち去っていく。なんとも快活なその姿に私は関心を抱きながら何気なくあかりに尋ねた。
「あなた、裁縫なんてできたんですの?」
「ん?うん、一応ある程度にはね。できて困る物じゃないし。」
広げた裁縫道具を片付けながらあかりは至って普通にそう返した。その平然とした様子に私は無意識の内に肩を落とす。
本当に、あなたって人は——
「なに?カチューシャ。その目は・・・」
すると、私の熱烈な視線に気づいたあかりが嫌そうな顔をして私に尋ねる。その顔に肩を竦める私は素っ気なく言葉を返した。
「別に。ただ本当にあなたって妙に多才だと、思っていただけですわ。」
「妙にって何よ。妙にって。」
「ね。変なとこできなかったりするのにね。この間だって普通に料理してたよ。」
「そうなんですの?」
フレンダの予想外の言葉に私がそう尋ねるとフレンダが自分の事の様に「うん!」と相槌を打ち嬉しそうに笑みを浮かべる。その反応に小首を傾げる私を横目にあかりは謙遜した様子でフレンダの話を修正する。
「って言っても作ったのは簡単な照り焼きだよ?」
「料理ができるだけすごいよ!私なんててんでダメだもん。」
けれど、フレンダがすぐにその言葉を否定してあかりの事を褒める。そして、最早お約束の様にそれを受けるあかりはすぐにそれを大した事じゃないと卑下する。
——全くもって、相も変わらずあかりは自己評価が低い。過度な謙遜は嫌味にしかならない事を彼女は理解しているのかしら。
「まあそれはそれとして、そう急ぐ事は無いんじゃないかしら。」
などと、独り考えているとあかりが急に私にそんな事を言い出した。
「何の話ですの?」
私は訳も分からず唐突に振られたその言葉の意味をあかりに尋ねる。すると、彼女は顔をしかめる私を見て呆れた表情をしながらため息交じりに答えた。
「クレアの事。貴女がクレアを毛嫌いする理由も、クレアが人を避ける理由も私は知らないけど、人間関係なんて一朝一夕で築けるものではないでしょう?もちろん、このままにしておく訳にはいかないけど、無理に関係を築こうとするとそれこそ歪みができるから。気負わないでのんびり縮めていけばいいと思うよ?」
「・・・・・・」
あかりの言葉に私は口を噤んで視線を逸らした。
そうは言ってもチームによる実戦訓練は近いと聞いた。あまり呑気な事は言ってはいられない。
どんな事情があろうとも、理屈も信念も押し曲げて関係改善を図らなければ。また、誰かを傷つける事になる。
もう二度と、あんな失態を犯す訳にはいかない。
私は講義室の片隅に座るクレアに目を向けた。彼女は今日も変わらず独りで椅子に座りその周囲の席には誰もいない。明らかに避けられているのが見て取れる。
彼女が人を避ける理由———あり得るとすればあの魔眼なのでしょうけれど、本当にそれだけなんですの?それとももっと、別の理由があるとでも?
———考えても仕方がない事、ですわね。
「・・・・・」
ぼんやりとクレアの事を眺める私の脳裏にフレンダの言葉が蘇る。
『カチューシャがそんな態度だからクレアだって仲良くしたくないんじゃないの?』
・・・・これほどフレンダの言葉が刺さる事もありませんわね。
そんな事を思っていながらも何の進展もないまま数日が過ぎた。あの後もクレアは変わらず『関わるな』の一点張りで近付くきっかけすらできない。何をそんなに人を避けるのか理由も何も分からないまま時間ばかりが経過する。
これはもう私が手を尽くすよりも先に彼女をどうにかするべきなのでは?・・・などと、良くない考えが私の頭の中を堂々巡りする。
「足元気を付けてください。カチューシャ。」
悶々と考えに耽る私に対して前方を歩くスーが気遣って声を掛けてくる。というのも、今私達は以前から課外授業で度々訪れている森林公園に来ているのだ。ちょっとした実戦訓練と私の気分転換を兼ねて。
いくつもの木の根が這うボコボコとした山道。高く青々と生い茂る木々から零れる日の光に照らされたその土の道を私達はゆっくりとした足取りで歩く。
こういう時キアラが真っ先に同行したがるのですけれど、今日キアラは所用で私に同行できないという事で急遽彼女の代わりとしてスーが私に同行している。・・・正直、私は要らないと言ったのですけれどキアラが——
「なりません!カチューシャに何かあったらどうするんですか⁉」
の一点張りで聞かなかった。
まあ、この森林公園は問題が二度も起こっているのですから彼女としても心配なんでしょう。
「ところで、どうして急に森林公園にいらしたんですか?」
このデコボコ道を慎重に進むスーが不意にそう尋ねた。彼女の一歩後ろを歩く私はその言葉に反応して彼女の事を一瞥すると眼下の小川を眺めながら言葉を返す。
「ほんのちょっとした気まぐれですわ。・・・それと、少し考え事を晴らしに、ね。」
「なるほど・・・」
「アナタこそ、よかったんですの?急にこんな事に付き合わされて。」
「とんでもない!カチューシャがお呼びなら地の果てであろうとも飛んでいきます!」
「別に私が呼んだ訳ではないのですけれど・・・」
私の言葉を否定して真っ直ぐな眼差しで答えたスーに私は思わず肩を落とす。キアラもそうですけれど、私を慕ってくれるあまり自分の時間を度外視する傾向にあるのはいただけませんわね。
私の付き添いなど使用人にやらせればいい事。社交も何もない場所にまで気を使わなくてもよろしいでしょうに・・・
とは言っても、そういう訳にはいかないのでしょうね。親の顔というものもありますもの、彼女達の心情はどうであれ世間体を蔑ろにはできないのでしょう。
奇しくもクレアとの仲を取り繕うとしている今の私とそっくり———
「——っ!」
「カチューシャ!」
私が声を掛けるよりも早くスーが声を荒立てた。存外、反応が良い彼女に密かに驚きながら私は低い声で言葉を返す。
「分かってますわ。この高い魔力、ここが圏外とはいえ異常ですわね。」
私達のいる場所から北に少し離れた地点、そこに明らかに場違いな非常に高い魔力の反応がある。ここが保護生活圏の外とはいえ、この森林公園は修道院に管理された場所。加えて、私達シスターの出入りが許可されているエリアに危険性の高い高魔力の魔物なんているはずはない。
なのに、これほど高い魔力・・・もしかしなくても異常事態、ですわね。———全く、この森が呪われているのか。それとも私の運命が呪われているのか。本当に、辟易しますわね。
なんて私がこの不運に落胆しているとスーが真剣な面持ちで声を上げる。
「ちょっと私、見てきます。」
「えっ、ちょっと!待ちなさい!」
私の制止も聞かずスーはその魔力がいる場所へ走り出した。彼女は鬱蒼とする草木を掻き分けて森の中を駆け抜けていく。その無鉄砲さに私は頭を抱えながら渋々彼女の背中を追う。
けれど、例の魔力に近づくにつれその魔力の禍々しさに気づき胸がざわつき始める。
これは、本当に危険な予感がしますわ。それこそグリゴリの時と同じくらいの命の危険すらも感じる。何としてでも彼女の事を止めなければ——
そんな予感も心配も虚しくスーはその禍々しい魔力の傍までやってきてしまう。私はスーに追いつくなりすぐに彼女の腕を掴んで物陰に隠れた。
「カチューシャ、見てください。」
こちらの気も知らないで危機感皆無のスーが脇目も振らずにそう言ってある場所を指差した。
ある意味無神経な彼女に呆れつつもその指差した先の方を見ると、そこには身の毛もよだつ禍々しい魔力を纏う大きな魔物の姿。———けれど、私は魔物のよりも先にその傍に立つ背の高い少女に目が引かれる。
「あれは・・・まさか、クレア?」
そう。そこに立っていたのは今まで散々私の頭を悩ませてきたクレアだった。彼女は修道院では見せない様な穏やかな表情している。
そして、そのクレアの目の前にいる魔物にもまた、私は驚愕する。
「なんですか・・・あれ・・・・」
スーが虚ろげにそうポツリと漏らす。それもそうでしょう。蝙蝠の様な翼、サソリの尾、何よりあの人間の様な顔を持つ獅子。クレアの前にいる魔物は他ならない、あの——
「・・・間違いありません、マンティコアですわ・・・」
「えっ、マンティコアって、あの人喰いとも呼ばれる⁉」
「ええ、凶悪かつ獰猛な食人の化物ですわ。・・・・ですのに、あれは——」
あり得ませんわ。あのマンティコアが人間を目の前にして捕食を行わないなんて・・・むしろクレアに懐いている様にすら見える。そのクレアも、平然と目の前にいるマンティコアに一切動じていない。
もしかして彼女は、あのマンティコアを使役しているとでも?まさか、そんな事———
「・・・私、行きます。」
突然そんな事を言い出して立ち上がろうとするスーを私は腕を掴んで引き止める。
「やめなさい。相手はあのマンティコアですのよ?魔力耐性も高いあの怪物を、一体どうすると言うんですの?」
「でも、あんなものを野放ししたら何が起きるかわかりませんよ!事が起きる前に処理しないと——」
「だからってアナタが対処できるようなもので———」
〈パキッ〉
その時、スーが誤って足元の枝を踏み割った。乾いた音が鳴り、驚いたクレアがこちらへ振り向く。
「だれ⁉」
慌てた様子で振り返ったクレアと私は目が合った。彼女は普段しているフードを被っておらず、今まで隠していたその顔が日の光に照らされている。
整った顔立ちに綺麗な碧眼、僅かに青み掛かった短い黒髪。その少し大人びた顔から受ける印象は少女というよりも少年に近いものの様に感じる。
ただ、一点を除いて——
それは、まるで宝石で出来ているかの様な、鮮やかで深いサファイア色の蓮の花。花弁一つ一つが僅かに透けており、この世の物と思えない様な何とも言えない異彩を放っている。これが普通の花であるならば、素直に美しいと口にする事もできたでしょう。
——でもそれは、クレアの右目を苗床とする様にその花弁を開かせている。
余りにも異様な目に咲く蓮の花、その花こそが彼女の魔眼だと気付くのにそう時間は掛からなかった。
何とも異質で、この上なく不気味で・・・でも、どこか神秘的なそれに私は思わず息を呑む。
「あんた達、なんでここに⁉」
驚きを通り越して動揺を見せ始めるクレアはそう言って後退りする。その怯えとすら取れる行動に傍にいたマンティコアも喉を鳴らし、顔を歪めせて私達を威嚇し出す。
けれど、そんな両者に構わずスーは憤りを隠せない様子で言い寄る。
「クレア・ベル!これは一体どういう事⁈マンティコアなんて怪物を連れて何をするつもりなの⁉」
「ま、待って‼だめ!近寄らないで‼」
突然右目の蓮を手で覆い慌てた様子で声を荒立てるクレアに、私はただならない雰囲気を感じて咄嗟に彼女に近づくスーを引き止めた。
「——っ、スー!戻りなさい‼」
「でも———」
私の言葉にスーは不服そうに振り返る。けれどその瞬間、心を失った様に彼女の目の色が変わった。




