12.助けてあかりちゃん!
「何?何か問題に巻き込まれたと思ったの?そんな訳ないじゃない。」
私達の話を聞いたエレナは笑いながらそう言った。
授業が終わった直後にエレナから送られてきたあの『助けて』という連絡。あれはエレナ曰く急に先生から出されたレポートを手伝ってほしいという意味だったらしい。
エレナのあんまりな反応に私は不貞腐れた声で言葉を返す。
「だって『助けて』なんて言われたら誰だってそう思うでしょ。」
「だとしても大袈裟だよ。ここは修道院なんだから、そんな命に係わる様な事件起きる訳ないでしょ。」
「ありえない。」
エレナの言葉に同意する様にヘレンもそう口にする。その言葉に私もあかりも引きつった顔をする。私達の心配を返してよ・・・・
そんなこんなでエレナと合流した私達は、集合場所の第七区画第二演習場から第三区画まで移動してきて修道院の図書室へ足を運んでいる。
一応図書室と言うだけあって場所は室内にあるものの、その広さは国立の図書館くらいはある巨大な図書室だ。いや、もしかしたらそれ以上かも・・・周囲に並ぶ本棚なんてビルかと思ってしまうほど高く、天辺がかすんでしまっている。あれは上の方はどうやって取るんだろう。
「それで、手伝ってほしいレポートって言うのは?私達もレポートがあるからそんなに真剣に見れないけど。」
そう言いながらあかりが近くの机に座りエレナ達に尋ねる。すると、エレナは急に驚きの表情を見せて私達に言う。
「え?あかり達もレポート?」
「うん、リン先生に出された。・・・何だっけ。」
あかりの隣の椅子に手を掛けながらエレナの言葉に答えた私は、また題材を忘れてしまって困った表情であかりに尋ねる。
「対魔女戦闘の危険性と重大性についてレポートにまとめて来いって。それも今日中に。」
「え~⁉あかり達も⁈」
エレナは更に驚いた表情で声を上げた。周囲のシスターの視線が一斉にエレナに集中する。彼女達の冷ややかな視線を浴びて肩をすくめたエレナは口元に手を当ててひっそりと私達にレポートの趣旨を伝える。
「私達もリン先生からレポート出されてて。でも、内容は『バチカン条約と魔女条約の違いについて』っていう違う内容なんだけど。」
「そうなんだ。けど、私達より簡単そう。」
私が楽観的にそう言うと彼女は眉をひそめて不機嫌に言う。
「馬鹿言わないでよ。レポートにまとめて来いって言われてんだよ?改めてどう違うか何て訊かれても説明できないよ。」
ああ、確かに。と私は妙に納得する。
言われてみればバチカン条約と魔女条約の違いって何だろう。どちらも修道院に通って魔法を学んでください、みたいな内容だった気がするんだけど・・・
「守る〝人〟の違いよ。」
「え?」
不意にあかりがそう言った。
何か知っていそうなあかりの反応にエレナは前のめりになって彼女に教えを乞う。すると、あかりはレポート用紙と筆記用具を自分の鞄から出して仕方ないといった様子で徐に話し始めた。
「バチカン条約。その名前は通称で、正式名称は『魔女の魔法行使による危険性に関する安全保障条約』。二一四六年、魔法による暴力や犯罪に対する安全保障の為、バチカン聖国が提唱し結ばれた多国間条約。魔女は、魔法を行使できない非魔女の安全の為に、魔法の正しい使用方法とその危険性を理解し、その魔法を悪用してはならない事を約束するというもの。」
あかりの話を聞きながらエレナは必死にメモをする。一方ヘレンは、あかり話し始めて数秒で眠りの体勢に入り机に突っ伏して寝ている。
「その為、魔女は国連が指定する教育機関の教育課程を修了しなければならず、またそれを修了しない限り魔女はあらゆる保護の対象並びにその人権を尊重されない。従って、魔女は修道院の教育課程を修了するまで魔女条約の対象、またはそれらに付随する条約、規約、確約などの対象となる権利を得られない。」
「え、えっと・・・」
一気に話されて理解が追い付かないエレナの様子を見てあかりは優しく今の話をまとめてくれる。
「つまりね。非魔女の安全を確保する為に国連が結んだ最低限の保険。それがバチカン条約。」
「あぁ、なるほど・・・」
「対して魔女条約は、正式名称を『魔女の人権と教育に関する国際連合条約』と言って、バチカン条約が結ばれた翌年、二一四七年に修道院が提唱し結んだ魔女に対する保護条約。魔女に対してその人権を尊重し、修道院での魔法に関する教育を義務化させるというもの。魔女を人間だと認め、人間と同様の政治的自由、身の安全の保障を約束し、差別的処置を行わない事を取り決めた国際条約。つまり、バチカン条約とは逆に魔女を守る為の保証が魔女条約って事。分かった?」
一通り話し終えたあかりは私達を見つめる。すると、彼女は私達の反応に困惑した表情を見せて声を漏らす。
「・・・・何?」
「いや、やけに詳しいねと思って。」
「いやいや、これくらい常識でしょ。」
私の言葉にあかりは呆れた表情をしてそう言葉を返した。その反応にエレナは思わず声を上げる。
「いやいやいや、誰もそこまで鮮明に記憶してないよ。」
「凄いね、あかり。」
エレナの声に引っ張られるように私は若干引き気味な声で彼女にそう言った。それを聞いて彼女は微妙な表情を見せる。
だが、彼女は急に表情を暗くして小さな声で言葉を口にする。
「・・・・・・は・・・どね。」
「何て?」
「ん?ううん、何でもない。」
聞きとれなかったエレナがそう尋ねるが彼女はそう言ってはぐらかした。あかりのその反応にエレナと私が首を傾げていると急に背後から声がする。
「じゃあ、その二つの条約の事を何ていうか知ってる?」
びっくりして振り返るとそこには入学の時に学校の説明をしてくれたサリーが立っていた。
「サリー先生!」
エレナがそう声を上げるとサリーは覗き込むように私達を見て柔らかな声で尋ねる。
「なぁに?みんなでお勉強?」
「リン先生からレポート課題出されちゃって・・・」
椅子の背もたれによりかかりペンを投げ出したエレナが困り顔でそう言うとサリーは全てを理解したような表情をして言葉を返す。
「ああ・・・リン先生ね。彼女よくそういうのやるんだよね。それで、どんなの?」
「バチカン条約と魔女条約の違いついて。ねえ先生、この二つの違いって?」
「ん?じゃあ、彼女が言った通りよ?守る人の違い。バチカン条約は非魔女を、魔女条約は魔女を守る為に結ばれた多国間条約。あと挙げるなら、提唱している国・団体の違いとか署名国の違いとかだけど一番の大きな違いはそこね。」
机に手を付いてサリーは私達にそう語る。
個人的に思う事だけど、サリーは雰囲気的に先生という感じがしないから、こうして勉強を教えている姿を見るとなんだか不思議な感じがする。
「因みにさっきの答え、分かる?」
「さっきの?」
思い出した様にそう言い出したサリーに私が首を傾げて尋ね返すと彼女は優しく問題を言い直してくれる。
「この二つの条約の事を何て言うのか。」
バチカン条約と魔女条約の事を?それって確か・・・
「それ授業で言ってた気がする、何だっけ・・・?」
私はあかりに尋ねた。すると、彼女の口から当然の様に答えが返ってくる。
「魔女の契約。」
「ケーキ焼く?」
「契約ね。てか、ちゃんと起きててよ。」
寝ぼけたヘレンの意味不明な言葉にエレナが呆れた声でツッコミを入れる。でも、その二人に構わずあかりは言葉を続けた。
「私達魔女が厳守しなければならない絶対的約束、だから『魔女の契約』って呼ばれてる。でしょ?先生。」
あかりは確認する様にサリーにそう尋ねた。彼女はそれに対して「ええ、よく勉強してるね。」と言って優しい笑顔であかりを称賛する。
いや、本当に凄いと思う。さっき目にしたあの戦闘力に加えてこれだけ知識を持っているなんて、天は二物を与えずなんて言葉が嘘の様に思えてしまう。
「あの、サリー先生。私も訊いてもいいですか?」
私を含めあかりの凄さに関心を抱いていると彼女が真剣な面持ちで尋ねた。
「どうぞ。」
「対魔女戦闘の重大性って何ですか?」
あかりのその言葉にサリーの表情が曇る。
「魔女戦か・・・あなたもレポート?」
「はい。対魔女戦闘における危険性と重大性についてなんですけど、危険性は分かるんですが重大性がイマイチ・・・」
「そうね・・・少し難しい問題だけど、説明してあげる。」
サリーはそう言って近くの机から椅子を取ってきてそれに腰を掛ける。そして、彼女はゆっくりと話し始める。
「先ず、『滞留魔力』って知ってる?」
「確か悪魔の口から放出された空気中に漂う魔力の事ですよね。」
あかりがそう答えるとサリーは頷いて言葉を続ける。
「そう。普段生活する中であんまり感じないかもだけど、世界中の空気中には常に魔力が混ざってる、地域によってその濃度に違いはあるけどね。でも、それ以外にも魔力が空気中に漂うことがあるの。何だかわかる?」
「魔法を使った時、ですか?」
「そう、魔女が魔法を使うとその魔法が消えた後には必ず魔力が周囲に残ってしまうの。当然よね、魔法のエネルギーは魔力だから使えば必然的にそうなってしまう。この残ってしまう魔力の事を『残留魔力』って言うんだけど、ここまで良い?」
「はい。」
「この残留魔力の濃度は魔女が使用する魔法の強さに比例して高くなるんだけど、同時にこの魔力も〝魔力〟である以上、相応の汚染能力を持っててね、当然、残留魔力濃度が高くなれば汚染被害が大きくなるの。つまり、魔女が魔法を使えばさっきの滞留魔力と相まって局所的に汚染力の強い魔力濃度の高い箇所が出来てしまう。もしそうなれば悪魔化のリスクは格段に上がるわ。」
「そんな事が起こり得るの?」
あかりとサリーの会話を聞いていたエレナが怪訝な声でそう尋ねた。
「日常で使うような軽い魔法ならそんな状況滅多に起きないんだけど戦闘は別。中でも魔女戦は悪魔戦とは違って両者共に魔法主軸の戦闘をするからそういう環境を作りやすいの。だけど、相手を倒すのに手加減は出来ないから、そんな事を気にしていられるはずもない・・・」
エレナの質問にサリーが肩をすくめてそう答える。
そんな事が起きるんだ・・・・あれ?でも、そうだとしても・・・・
「でも、相手が耐性のある魔女ならそこまで問題にはならないじゃ・・・?」
私が考えていた事を代弁する様にあかりがそう尋ねた。すると、サリーは体を前に倒し机に両肘を突いて答える。
「いくら耐性があるとはいえ耐えるのにも限界があるでしょ?いくら魔女でも汚染を遮断できる訳じゃないから。それに、戦闘で傷を負って弱ってしまったら耐性も何もない。傷付いた身体を治そうと自分の魔力だけではなく周囲の魔力さえも吸収して回復を始める。そうなったらどんなに凄い魔女でもその魔力濃度に耐えられるかどうかわからないわ。」
「・・・・・・・」
「それが、魔女戦の重大性ですか・・・」
「それだけじゃないわ。」
ポツリと言ったあかりの言葉をサリーがすぐに否定した。その理由を彼女は教鞭を振るように立てた指を振ってあかりに話す。
「ここで更に出てくるのがバチカン条約の第五条。『魔女並びに非魔女は故意及び過失に問わず悪魔を作り出す行為、またはそれを誘発する行為を行ってはならない。』つまり、下手に魔女戦をすると条約に触れる可能性が出てくるの。」
「え?でも確か、第七条で魔法を悪用した魔女は討伐対象とするって・・・・」
彼女の話を聞いて今日の授業の事を思い出した私はそう尋ねた。すると彼女は、困った表情でまた肩をすくめてその言葉に答える。
「そう。そこが問題なの。条約違反の魔女を討伐するのも狩り人の仕事だから、第七条に則って悪い魔女を討伐したりするんだけど、下手な戦闘して相手を悪魔化させたら第五条に触れちゃって逆にこっちが罰せられたりするの。しかも、その分水嶺も結構曖昧だから対魔女戦闘って色々とリスクが伴うの。」
だから、魔女との戦いは悪魔より怖いって言われたりするんだ・・・戦闘の危険だけじゃなくそういう危険もあるから・・・
「なんか、面倒くさいね。」
机に頬杖を突いたエレナが言葉通り面倒くさそうにそう言葉を漏らした。そして、それに賛同する様にサリーも頬杖を突いて答える。
「そうなの。だから皆、魔女の討伐任務はやりたがらないの。最悪の場合、自分が殺されるかもしれないから。」
「何でそんな条約を・・・」
「怖いからですわ。」
私が漏らした言葉に嫌な声が返事をした。声が聞こえたのはエレナの背後、私は恐る恐るその声がした方を覗き込む。
そこに居たのは、やっぱりエカチェリーナだった。
「悪魔に対抗できる力が魔女しかなく治療法もない。ですから、人はせめてもの防衛と安心の為に条約というものを作ったんですの。それがあれば、何か面倒事が起きた時にすぐに言い訳が出来ますもの。」
彼女はそう言いながらレポート用紙の上でペンを躍らせている。その姿を見た私は体が委縮する。今更ながら私は彼女が苦手らしい。
「貴女もレポートを書きに?」
隣に座るあかりが首を傾げながら彼女に尋ねる。その声にエカチェリーナは不機嫌な声で言葉を返す。
「ええ。何か問題でも?」
「・・・いいえ、少し意外だっただけ。」
彼女の言葉を聞いてあかりは肩をすくめて素っ気ない声でそう返した。
その反応が気に食わないのか、それともそもそも私達が気に食わないのか不快そうな表情のエカチェリーナは私達を一瞥すると強い口調で言う。
「それより、気が済んだならもう少し静かにして頂けるかしら。こう言ってはあれですが気が散りますわ。先生も、教えるのはよろしいですけれど場所を留意していただきたい。」
「あはは、手厳しいね。それじゃ、私はこれで。レポート頑張ってね~」
彼女の反応に苦い表情をしたサリーは私達にそう言い残して手を振りながらその場を立ち去った。
その姿を見送った私達はレポート作成を再開する。
さっきとは打って変わって静かになった空間。その中でエレナはレポートではなく眠気と戦うヘレンを起こしながらペンを走らせる。隣に座るあかりも静かにサリーの話を基にレポートをまとめている。
「資料取ってくる。」
そう言って私は席を立つ。
別に私はこういうのを書くのが苦手って言う訳じゃないけど、使う使わないは別として参考資料はあった方が良いだろう。
そう思って私は本棚ビルの方へ歩き出す。・・・ただ、この広大な図書室から資料を探すのはかなり骨が折れそう。
まあ、ちょっとした気分転換になればいっか。
あ、そういえば条約の話をしてた時、あかりが言ってたあの言葉・・・
『私を守るものは無いけどね。』
エレナ達は聞こえなかったみたいだけど、あれってどういう意味だったんだろう・・・・
・・・ま、いっか。