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月の砂漠に星が降る  作者: 琴月
罪深き迷宮の章
4/7

一話

「―――今は落ちぶれたがそもそも我等、元は闇の精霊。…かのっ!闇星神にまでお仕えしていたことのある誇り高き一族であるぞ。その我に、なんだその無礼な言い草はっ!…ふ、ふん、そんな目つきで睨んだって怖くないぞ!さては女、俺様の本当の恐ろしさを知らないなぁ?ククク、お前には…そうだな。毎日少しずつ背が縮んで呪いをかけてやる。少しずつ太っていく呪いもだぞ!樽の中の酒も全部飲み尽くして、ありとあらゆる悪戯をしてやるっ。後悔してももう遅い、このダリス様に無礼を働いたことを、醜い姿になった後で、せーぜー悔いるが……え?何、あっちょっと?や、ヤメテ!チョッ何するんですかっ!ヒィッ!ちょっとしたジョーク!ジャストジョークですってば!ごめんなさい、ボク調子に乗ってました!ああだから羽とか尻尾とか引っ張らないでぇイタタタタタタッ何その手は…!あひぃ――――――!!!!」


 シェイラは天高く掲げた握りこぶしを、身動きとれない魔物の上に勢いよく叩きつけた。


「…やかましい…っ」


 ぷきゅるっとくぐもった声がして、羽の生えた小さなカエル―――もとい、魔物は、握ったこぶしと本の間でサンドイッチになる。額に青筋を浮かべたシェイラは、間髪いれず目を回しているカエルを手で掴むと、開いた本の間にぐいぐいとねじ込んだ。


「痛いっ!いたいですううううう!!」

「とっとと元いた本の中に帰れ!この下っ端悪魔が…っ」


 シェイラが掴んでいるカエルは、手のひら程の大きさをしている。背中には、まんまるく太った身体には、申し訳程度に飛び出た小さな黒羽。白い本のページに身体を押しつけられると、大きな口を更に大きく開けて、あんぎゃーっと情けない悲鳴を上げた。

 彼女が何故、魔物とこのような会話を繰り広げているのか。

 ―――話は、数時間前にさかのぼる。



***



 砂漠の乾いた夜風が、ゆらゆらとハンモックを揺らす。

 いつも、夜は本を読まないシェイラだったが、今日は違った。

 つい数刻前の夕方、彼女は街から六日かけてこのオアシスにようやく帰って来た。途中砂嵐にあったため貯蔵庫にしている洞窟やハンモックは砂まみれだ。だがそれらを手早く片づけてしまうと、シェイラはオアシス中を探し周って山ほどの乾いた木々を集め出した。薪を付けて、夜通し本を読むためだ。

 何よりも読書が好きなシェイラは、時折オアシスを通りかかるキャラバンの人間に、読み終わった本を譲ってもらう。ゆっくりと時が流れるオアシスでは良い暇つぶしになるし、何より本の世界に思いを巡らせるのは楽しいものだ。シェイラは本が手に入る度、木陰に張ったお気に入りのハンモックに寝そべって日長読書に耽った。

 しかし数日前は違った。

 朝起きると、オアシスの空気はしっとりと湿り気を帯びていた。水面にはいつもより強いさざ波。頬を薙ぐ風はひんやりと涼しい。


「これは、砂嵐が来るな」


 多少の風ならオアシスの木々が守ってくれるが、砂嵐となると話は別だ。洞窟の中も泉も木々も、全て吹き荒れる風によって砂まみれにされてしまう。…もちろん、シェイラの大事な本も、だ。

 砂嵐の気配を察したシェイラは、洞窟の奥に置いてあった自らの蔵書を布でくるんでしまうと、それら全てをラクダの背に積んだ。街へ売りに行くためだ。手放してしまうのは惜しいが、洞窟で砂にまみれるよりは、多少なりとも金銭になった方がずっといい。…それに古書商人のところへ行けば、何か面白い本が見つかるかもしれない。

 果たしてシェイラの思惑通り…いや、思惑を外れたと言ったほうが正しいだろうか。彼女は売りに行く以上の本と共に、上機嫌でオアシスへ帰還した。ラクダの背を全て書物に占領されてしまったため、シェイラは長い砂漠を徒歩で越える羽目になったが、他ならぬ彼女自身の楽しみのためだ。一日や二日旅程が伸びたところで、シェイラは気にしなかった。

 砂嵐で散らばった砂塵もあらかた片づけ、本を読むための明かりも十分。ついでにおやつ入りの籠も用意すると、シェイラは待ちに待った気持ちでハンモックへ寝そべった。積み重ねた本の山から一冊手に取ると、胸をときめかせながら表紙に指を伸ばす。

 そうしてシェイラは、書物の世界へと意識を沈めていった。


「―――なぁ、お前どう思う?」


 一冊読み終えて、シェイラは尋ねる。まだ冷めやらぬ空想の世界を、意識だけが彷徨っていた。


「好きな女の魂を、冥界まで取り戻しにいく男の話さ」


 読み終わったばかりの本のその一句一句を思い出すかのように、表紙にそっと頬を寄せる。


「男は女の魂を求めて、長い長い孤独な旅に出る。やがて世界の果ての果て…冥界にたどり着いた男は、冥界の王にかけあう。彼女の魂を返してほしいと。いくつもの試練を乗り越えて…ようやく男は女の魂を手にする」


 でも…とシェイラは呟いた。―――魂を連れ戻っても、肉体までが甦るわけじゃない。


「女は甦ることができた。でもその姿は男には見えなかったんだよ…」


 シェイラは本を置くと、仰向けになって空を見上げた。砂嵐も過ぎて、今は穏やかで柔らかい風が流れている。

 哀しいよな、とシェイラは呟いた。


「男じゃなくて、女がさ。冥界にいればそのまま、次の生を与えられただろうに。迎えに来てもらったのはいいけど、自分が今どこにいるのかも誰にも気付いてもらえないんだ…」


 やっぱりさ、男は女の魂を取り戻すべきじゃなくて、冥界でそのまま一緒にいた方が幸せだったんじゃ…とシェイラはそこまで言いかけて、


「ちょっとお前、聞いてるのか!?」


 声を苛立たせると、ハンモックの下を覗き込んだ。見るとそこには黒く丸まったけむくじゃら。最近夜になるとオアシスを訪れる、真っ黒い狼だ。

 黒い狼はその大きい身体を丸めていたが、耳だけはシェイラの声を聞くかのように立てている。彼女がのぞきこむと、「ちゃんと聞いていますよ」と言わんばかりに顔を上げて、耳で風を払った。


「なぁ、お前はどう思う?言葉が話せなくても、私の言っていることくらいわかるだろ?」


 だが狼は本の内容に興味がないのか、面倒臭そうに鼻を鳴らすと、再び顔を地面の上に置いた。目を閉じるところを見るに、さてはこのまま寝てしまうつもりらしい。


「ちぇ、付き合い悪いな。…さてはお前、男か」

「…クゥ」

「女心のわからんヤツめ」


 本の背表紙でこつこつと狼の頭をつつくが、丸まった頭は知らん顔だ。仕方なくシェイラは次の本を読むことにした。読み終わった本を草の上に置くと、高く積み上げた本の山から、新しい一冊を代わりに取る。


「ええと、…これはどんな本だったっけな」


 焚火の明かりに表紙を照らすと、題名はどこにも書いていない。けれど、まっさらな布張りの表紙に触れると共に、記憶が甦った。これは古本商人から、タダで譲り受けた本だ。

 確か中身が白紙だったから、と。


「―――でもこれ、中身ちゃんと書いてあるぞ」


 そう言った時の、店主の驚いた顔を覚えている。


「ええっ、本当ですか?」


 シェイラはページをぱらぱらとめくって


「ほら。ちゃんと全部のページに印刷されているぞ」

「あれ、ほんとだ…。おかしいなぁ、私がさっき見た時には確かに…」


 店主は何度も首を傾げたが、やがて本の裏表をくまなく見ると、こんな薄気味悪い本は引き取ってくれと言ってきた。そんな曰くが付いているものだからどんな本かと思えば、なんのことはない。中身はただの恋愛小説だ。だから店主の言葉を、シェイラは素直に喜んだのだ。

 そう。なんと言っても、シェイラの好みは柄にも似合わず恋愛小説である。そして題名のないその本の厚さは、指三本並べた程の大作。きっと読み応えも十分だろうと、シェイラはまたとない幸運を喜んだ。

 さて。

 長い小説を読むのは、やはり長い夜がふさわしい。

 ハンモックに肩肘をついたシェイラは、布張りの美しい表紙に手を這わせ、ときめきに胸を弾ませつつ、その最初の一ページに手をかけた。その瞬間。

 ―――何かがシェイラの顔に張り付いた。


「ぎゃああああああっ!!!!」


 何者かに飛びかかられて、シェイラは不覚にも悲鳴を上げた。その声に、ハンモックの下で寝ていた狼が驚いて飛び上がる。シェイラの手から放りあげられて、天高く舞い上がる本。


「よーばれて、とーびでてっ、へっ?あれ?あっ、あひゃあああぁぁぁ―――!」

「ひゃっ、うわっ…ちょ…!?」

「グゥルルル…ギャン!」


 続く三者三様の悲鳴。

 ハンモックの下で唸り声を上げた狼は、敷物さながら、哀れシェイラの身体に押しつぶされた。続いて高い所から重力に従い落下する分厚い本と、言葉を発する何か。


「な、なんなんだ今の…」

「―――ぁぁぁあああ…――――――ムギュッ」


 見開きを下にして、シェイラと狼の目の前にバサッ!と本が落ちた。

「…」


 沈黙が辺りを満たして、シェイラは狼の首にぎゅっとしがみつく。

 やがて本がごそごそと動いて、思わず喉がごくりと鳴った。狼の耳が、ぴんと立つ。

 本の下から、緑色の手がぴたり。ぴたり。緑色の丸い身体がのそり。薪の明かりで、ようやくその全容が露わになる。

 それは一見、巨大なカエルに良く似た姿をしていた。緑色のぬらりと光る肌。ぽっちゃりとした丸い身体。そして四本に分かれた吸盤のついた指先。見れば見るほどカエルに似ているが―――違うところもある、羽と尻尾がついているのだ。

 羽は申し訳程度の大きさで、黒い蝙蝠を模したような形をしていた。ただ奇妙なことに、もう一方の尻尾の先は、本の見開きの間に繋がっているようだ。なるほど、本を放り投げたらカエルまで飛んでいったのは、そういうことかとシェイラは納得した。


「…本からカエルが出てくるとは、驚きだ…」

「カエルだとっ!?」


 シェイラの言葉は、カエルのプライドをひどく傷つけたようだった。


「女、見た目が小さいからと言って、馬鹿にするなよ!?今は落ちぶれたがそもそも我等、元は闇の精霊―――(以下略)」

 ―――そうして。

 話は、シェイラがカエルを本の中に押し戻そうとしている、“今”に至るのであった。



***



「どうやら…」


 シェイラは、本と魔物―――立派なことに、ダリスというちゃんとした名前があるらしい―――相手に散々格闘した末、


「本の中に無理矢理押し込んでも、中に入っていくわけじゃなさそうだな…」


 と、さも口惜しそうに呟いた。


「当たり前ですよっ!!」


 もはや魔物は半分泣いている。

 当然だ。本の中に無理矢理戻そうと、シェイラの手や足で何度もぺちゃんこにされたのだから。


「本の魔物なら、中に入ることができて当然だろう?」

「私はこの本に憑いてる魔物であって、本そのものじゃありませんっ!」

「なんだ違うのか?…でも、その尻尾。本の中から生えてるぞ?」

「これは、なんというか。…一緒にいるうちに取れなくなっちゃったんですよ…」


 ダリスは肩(らしき場所)を落として、困ったように言った。


「そんなことあるのか?」

「いやぁ、お恥ずかしい限りです…」

「潔く尻尾を切ったらどうだ?」


 シェイラの言葉に、ダリスは飛び上がった。


「そそそそんなことしたら、中の魂が取れないじゃないですか!」

「魂?」


 シェイラはきょとんとダリスの顔を見る。

 ダリスはそう!と一層大きな声をあげると、開いた本の表紙と裏表紙をシェイラに見せた。


「そうですよ。この本の中には、人間の魂が入ってるんです。…それも、尋常じゃない数の魂がね」

「ほう。流石は魔物だな。そういうことがわかるのか」

「もっちろん!しかもこの本は…、 “臭う”んですよ」

「臭う?…何がだ?」

「罪人の臭い。…それも飛びきり上級の罪人の臭いです」

「…でも…」


 シェイラは首を傾げた。

 自分が見た時は確かに、何の変哲もない普通の本だったのだが。大体、人の魂が込められている本ならば、自分にも多少なりともわかっていいものだ。


「私が見た時は確かに、普通の本だったのだが…」


 そう思って本を取りあげてよく見ようとしたその時。

 本のページが、さざ波のように揺らめいた。

 異変に気付いたシェイラが目を凝らす間もなく、水面と化した紙の中から腕がぬうっと伸ばされる。手はページをめくろうとしていたシェイラの腕を捕えると、本の中へ引き寄せた。


「あっ―――」


 悲鳴を上げる間もなかった。

 狼がシェイラの衣の端を咥えようとするが、一歩遅い。手に引きずられて、シェイラの身体がページの海へと吸い込まれる。

 とぷん―――と。

 小石が水面に落ちるような音を立てて、シェイラの姿は本の中に消えた。

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