三話
シェイラとアドゥルは洞窟を後にすると、最寄りの街であるカフジへ向かった。シェイラが採掘した他の宝石を売るためだ。馴染みの宝石商がいる店のドアをくぐると、シェイラを見て店主が嬉しそうに顔をほころばせた。付き合いの長い宝石商は、シェイラの持ちこむ宝石が全て一級品だと知っているのだ。
しかしアドゥルは店主の顔を見たとたん、「ああっ!」と叫ぶ。
「どうした?」
「こ、こいつ!こいつだよ、酒場でオアシスの魔物を倒したら宝石が手に入るって言ったヤツ!」
歳は五十を過ぎているだろうか。割腹の良い店主は、アドゥルの言葉にニヤニヤと笑って口髭を撫でた。
「オアシスに住む魔物と称されるご婦人に話を聞いてもらえたら、ご希望に添える宝石が手にはいるかもしれませんね―――と。私はそう言ったんですよ。勘違いして鉄砲玉のようにすっ飛んで行ったのはそちらでしょう」
「そんな言い方じゃなかっただろっ、この…ッ!」
剣を抜こうとするアドゥルを見て、店主がひっと声にならない叫びをあげる。シェイラは喉の奥で笑うと、落ち着かせるように騎士の肩を軽く叩いた。
「からかわれたんだよ。冗談好きな店主も悪いが、真に受けたお前にも非はある」
「でもっ」
「アドゥル、いいじゃないか別に。私は無事だし、こうして宝石も手に入ったんだから」
「それは…そうだけど。俺は、お前を殺そうと…」
「気にしてない」
それで話は終いとでもいうように、シェイラは肩をすくめた。悪戯っぽく微笑むいつもの顔に、アドゥルのわだかまりが溶けていく。
「それじゃあ、店主。原石を買い取っておくれ」
シェイラは布袋に詰めた宝石を、カウンターの上に丁寧に並べた。いつもより多い石塊の数に、店主が涎を垂らさんばかりに喜ぶ。思わず両手を擦り合わせて、
「おおっ、今日は随分多いですねぇ」
「運がよかっただけさ」
シェイラは控えめに答えた。本当はアドゥルという人手が一人増えたため、持ってこられる量が増えただけなのだが、余計な口は火種の元だ。
「これ全てお前さんのところで買い取ってもらえるだろうか」
シェイラの言葉に、店主はもちろんと、二つ返事で頷いた。
「シェイラさんの持ってくる石なら、全て言い値で買い取らせていただきますよ」
「それはありがたい。じゃあ今日の石は、全て二割増しで頼むよ」
「ええっ、それは流石に…」
言い淀む店主に、シェイラは顔を寄せて囁いた。
「…そろそろ私に石を持ってこさせたくて、アイツを炊きつけたんだろう?当然の代償だと思うけどね?」
「トホホ…」
店主はそれ以上何も言えず、机の下からそろばんを持ち出すと黙ってパチパチと珠を弾きはじめた。売上がどれほど下がるか、今から算段しておくのだろう。
「―――それじゃあいいか?」
「はい、お願いします」
シェイラはカウンターに並べた石を順に手に取ると、中の石を言い当てていった。
「こっちの石は、孔雀石だ。たぶん重さは三十キラトくらいだろう。綺麗な塊になっているから指輪にでもしてやってくれ。こっちは…」
通常は石の中心を切ったり重さを量ったりなどして中にある宝石の価値を店側が見極めるのだが、シェイラはまるで中に何が入っているのかわかっているかのように、鮮やかに石の中身を当てていく。最初はそれを疑いの眼差しで見ていた店主だったが、やがてシェイラの言っていることに嘘偽りがないことがわかると、目利きを全て彼女に任せるようになった。石をいちいち割開く手間が省けるし、何よりも不用意に石を傷つけず済む。
当然値段もほぼシェイラの言い値で買うにはなる。が、それを差し引いてでも、シェイラの持ち込む宝石は素晴らしいものばかりだった。
「…ところで」
「ん?」
石の確認を全て終えたところで、店主はシェイラに尋ねた。
「いつも思うんですが、中を切ってもいないのにどうしてわかるんですか?」
「…。経験と勘、かな」
「勘…ねぇ。我々宝石を扱う人間でも、石に包まれたままではなかなかわからないものですが」
首をひねる店主に、シェイラの秘密を知るアドゥルは一人口の中で笑った。
***
夕刻、二人は酒場『ハリネズミの尻尾亭』で互いの労をねぎらった。
ここしばらく砂漠での野宿ばかりだったアドゥルにとって、久しぶりの温かい食事。そして、温かいベッドだ。だが酒場の二階に宿を決めたアドゥルとは違い、シェイラは宿に泊まることなくこのままオアシスに帰るつもりらしかった。
「本当に、泊まらないのか?」
砂漠の夜は冷たく、野犬や狼も多い。心配そうに尋ねるアドゥルに、だがシェイラは「大丈夫だ」と笑って答えた。大人しくカルダモンの香るコーヒーをすするアドゥルとは対照的に、もう何杯目か数えることすらかなわない椰子酒を、この上なく美味しそうにあおる。
「あまり街にいない方がいいんだ。私の容姿は、何かと目を引くからな」
「…そうか」
では、この食事が終わったら長い別れとなる。アドゥルの寂しさに気付いたのだろうか。
「―――次に会った時は、お前も一人前のラハイム家の騎士か…」
頬杖をつきながら、感慨深げにシェイラが呟いた。
「嗚呼。きっと月光神に仕える立派な神官騎士になってるな」
「…そうか」
シェイラとの出会いがアドゥルの胸に走馬灯のようによぎる。短い間だったが、夢のような一時だった。
「シェイラって…家族とかいないのか?」
ふと、疑問が胸に湧いてアドゥルはシェイラに尋ねた。
もし一人ならば、一緒にアル=ディバランへ行かないか、誘ってみよう。
…そう思ったのだ。
オアシスの一人暮らしは危険だし、なにより寂しくないはずがない。いくら容姿が人の目を引こうと、街に住んだ方が楽しいに決まっている。自分と共に帰る美しい女性を、きっと家族も歓迎してくれるだろう。
そんな幸せに満ちた、淡い未来を描いて。
だが。
「家族、ね…」
囁くような呟きと共にシェイラが見せた顔に、アドゥルは言葉を失った。それはあまりに哀しく、ぞっとするほど冷たいものだったからだ。
「―――家族か」
もう一度呟くと、シェイラは自嘲気味に笑った。椰子酒の入ったグラスを手の中で回しながらも、シェイラの目はどこか遠くを見ているようだった。アドゥルは、自分が今さっきまで言おうとしていた想いは、けして不用意に口にしてはいけないものだと悟った。
「…嗚呼」
茫然とした顔のアドゥルに気付いて、シェイラは慌てて笑みを取り繕う。
「重い空気になってしまったな。すまない」
「いや、俺の方こそ変なこと聞いてごめん」
「…変なことじゃないさ。ただ…私に家族はいないし、これからも作る気はないんだ」
「これから、も?」
「一人が気に入ってるのさ」
シェイラはおどけたように首をすくめた。だがアドゥルにはそれが嘘だとわかった。
だから。
「シェイラ」
「うん?」
「会いに行くよ。いつになるかわからないけど、必ずまた、あのオアシスまで」
アドゥルの言葉に、シェイラは笑った。
「ちゃんと立派な神官騎士になってから来るんだぞ」
「立派な原石があるからね。ちょっとやそっとじゃへこたれないさ」
シェイラは胸を張る未来の神官騎士を、眩しそうに見つめた。
***
広大な夜の砂丘は、さながら海のようだ。
ラクダの背にゆられながら、シェイラはアドゥルとの別れを思い出していた。
今頃あの若き騎士は、宿の温かい布団の中だろう。椰子酒を一口飲んだだけで顔が真っ赤になってしまった様を思い出して、シェイラは口の中で笑った。
久しぶりに会った性根の良い人間だった。もし何か狡賢い企みを持ってオアシスに来ていたら、シェイラにはすぐにわかる。アドゥルの訪れに自分が気付けなかったのは、彼がそういった類の人間でない何よりの証だ。
―――だから、本当は、もう少し別れを先に延ばしたかった。
けれど、街にはどうしても残れない理由がある。
ふわり、と。
ひとひらの煌めきがシェイラの肩に舞い降りた。
星屑がこぼれおちてきたかのように、光の粒がひとつ、またひとつ。
「もう気付かれてしまったか」
シェイラは天から落ちる輝きに気付いて、苦笑した。
空を見上げるときらきらと瞬く星の海。そしてその真ん中には、まるで暗い砂漠を行くシェイラを導くかのように、大きく輝く月の姿。
月明かりに導かれたかのように、光はキラキラと舞い降りてきていた。
それはまるでシェイラの頭上にだけ、星が降っているかのような幻想的な光景。光は星の瞬きのように煌めきながら、蝶のようにゆっくりとシェイラの周囲を舞い踊る。ようやく愛しい存在に巡り合えたかのように。
「お前達は目ざといね」
シェイラは、まるでそれらに意思があるかのように、光の粒子に語りかけた。
この煌めく者達のおかげで自分は夜、人の目に触れることができない。この光を見ることのできる者は稀だが、もし見られたら魔物どころの騒ぎではないだろう。
…それこそ、オアシスにもいられない。
けれどシェイラは、それを哀しいと感じたことはない。
それほどまでに、この煌めきの欠片は、彼女にとって何者にも代えがたい大切な存在なのだから。―――懐かしく愛しい、月の精霊の輝き。
やがて光に包まれたシェイラは、ラクダに揺られて砂漠の海を進む。
ゆっくりと、星が降る中を―――。