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月の砂漠に星が降る  作者: 琴月
青白き飾り石の章
2/7

二話

 シェイラの言う秘密の場所とは、オアシスから南に渓谷を下った先にあった。

 乾いた渓谷の間を縫うように歩いていくと、突然岩がぱっくりと裂けてできたような洞窟が姿を現す。シェイラは脚を折りたたんだラクダの背からひらり舞い降りると、慣れた足取りで洞窟の中へ入っていった。


「お、おい。明かりがなくても大丈夫なのか?」


 ガチャガチャと鎧の金属音を鳴り響かせながら、アドゥルもラクダから降りる。


「私は暗闇でも問題ない。お前は明かりを点けてから来い」


 真っ暗な洞窟の中へ躊躇いもなく入っていってしまうシェイラに、アドゥルは慌てて荷物の中からオイルランプを取り出した。発火粉で火を付けると、オイルが沁みた火種にそっと明かりを灯す 。

 洞窟の中に入ると、空気は一転した。ひんやりと湿った空気が、静寂と共に足元にから忍び寄ってくる。遠くで微かに水滴の落ちる音。肌についた汗が冷えて、アドゥルは思わず身震いした。

 オイルランプをかざすと、奥へと細い一本道が続いているようだった。濡れた岩に足を滑らせないよう気をつけながらシェイラの後を追う。


「シェイラ、ここがお前の秘密の場所か?」


 明かりをかざすと、少し先にシェイラの影。

 大声で呼ぶと、音に気付いたのか影が振り向いた。


「ここは音が反響するから、お前が“何か”言っているのはわかるが、“何を”言っているかまではわからないんだ。―――いいから黙って付いて来い」


 シェイラはアドゥルの問いには答えぬまま、先へ進んだ。

 延々と続く岩壁。手元にあるのは頼りないオイルランプの灯りだけだ。洞窟内は空気が湿っていて重い。息苦しさと緊張でアドゥルは次第に、この洞窟をもう何時間も何日も歩き続けているような錯覚に陥った。自分の吐く息が音が、やたら大きく聞こえてくる。

 …もう少し歩いたら奈落までたどり着いてしまうのではないか。アドゥルがそう思い始めた時、唐突にシェイラが足を止めた。

 見れば、辺りは広間のように少し広くなっている。

 奥に続く道はない。どうやらここが終着地点のようだった。

「明かりを消せ」

 シェイラがアドゥルに言った。


「真っ暗で何も見えなくなるぞ」

「いいから」

「…わかったよ」


 仕方なくオイルランプの明かりを吹き消す。

 白い煙を残して、辺りには完全な闇が満ちた。

 暗闇で聴覚が過敏になっているのか、呼気の音がいつもよりも大きく聞こえる。

 遠くで落ちた水滴の音が冷たく響いて、アドゥルはふいに寒気を覚えた。体温の、ではない。心の…だ。

 自分はシェイラの言うことを全面的に信じてここまでついてきた。けれどそれは少々、浅はかだったのではないか。アドゥルの胸に一抹の不安がよぎる。

 本当は、彼女の正体はやはり魔物で、自分を騙してここへ連れてきたのだとしたら。

 もしそうだとしたら、これは―――罠。

 アドゥルは身体に走る震えを奥歯できつく噛みしめて、恐る恐るシェイラに尋ねた。


「ここで…何を、するんだ?」


 知らず、右手剣の柄にかけられる。

 だが、シェイラはアドゥルの心の内を知ってか知らずか、女性にしては低目なその音を、さらに落として言った。


「石を探すのさ…」

「…石?」

「そう。…宝石の元となる原石を、探すんだ」


 互いの声が洞窟の壁に反響する。

 低く響くシェイラの声音は、闇の中一層神秘めいて聞こえた。

 不意にひんやりとした指先が額に触れて、アドゥルは驚いた声を上げた。


「何を…!」

「しっ」


 シェイラの声が、アドゥルの言葉を制する。その瞬間、アドゥルの息が止まった。


「目を閉じて…」


 シェイラの言葉に従い、アドゥルの瞼が下りる。いざという時は躊躇わず引きぬこうと思っていた右手は、凍りついたかのように微動だにしなかった。ごくりと唾を飲み込むアドゥルを他所に、額に触れたシェイラの指は肌を伝って下へ降りてくる。眉を過ぎると、そのまま瞼の上に乗せられた。

 じんわりと妙な温かさを感じたのは、気のせいだったのか…。


「さぁ、目を開けろ」


 シェイラの指が離れる。

 言われるがままアドゥルがそっと瞼を開くと、そこは別世界に変わっていた。

 闇の中、壁一面に満ちた淡く輝き。あるものは青く。またあるものは赤く。洞窟の中を、色とりどりの光が埋め尽くしている。

 アドゥルは胸の内にあった全ての感情を忘れた。まるで星の海の中に立っているようだ。とてもこの世のものとは思えない。…まるで天国の景色のようだ。


「…美しい」


 ただ茫然と声が漏れる。


「石の精霊が放つ光だよ。綺麗だろう…」

「嗚呼…」


 夢のように幻想的な光景に、アドゥルは感極まって泣きそうになった。

 この光が精霊だと言われて、心のどこかで納得する。確かに精霊はこの世のものとは思えない程美しい存在として、詩人にも語り継がれているからだ。けれど、人にはその姿をけして見せないという精霊の輝き―――それがこんなにも胸を打つものだとは一体誰が思うだろう。

 光は、精霊達の命の輝きそのものだ。

 シェイラは一歩進むと、低い声で精霊に語りかけた。


「さぁ…お前達の中で、ラハイムの剣に輝きたいものはいるか…?」


 シェイラの言葉に呼応するかのように、ある者は輝きを増し、またある者は輝きを失ってゆく。選別されたかのように、洞窟内部の輝きがその数を減らしていく。


「―――アドゥル」


 シェイラは振り返ると、神官のように威厳のある声音で、若き騎士の名を呼んだ。


「この中から、お前の石を選べ。彼等はお前に選ばれたいと思っている者たちばかり。お前の意思に従い、永久にその身の守りとなるだろう」

「シェイラ…お前は一体…」

「早くしろ」

「…嗚呼」


 アドゥルはシェイラの前に出ると、洞窟の中を見渡した。ゆっくりと壁に沿って歩く。精霊達の意思の表れか、壁に近づくと光はなおさら輝きを増した。星の数ほどもあるたくさんの煌めき。その中で、やがてアドゥルは一つの光を見つける。


「…これ、だ」


 それは他に比べるととても小さい。けれどとても強い輝きを放っていた。そっと指先を触れると、燃えるように青白く輝く。まるで南の空に浮かぶシリウスのようだ。ゆるぎない意思のようなものをその光の中に感じる…。

 シェイラはアドゥルが石を決めると、腰から鑿を取り出しその周りを槌で打っていった。石を傷つけないよう、丸く削り出すと、アドゥルの手にそれを託す。


「お前が選んだ石だ。大事にしろ」

「ありがとう…」


 石はやがて、ゆっくりとその輝きを失っていく。洞窟の中も、真っ暗な闇と変わる。

 それでも…とアドゥルは思う。目を閉じると瞼の裏には、溢れんばかりの精霊の光が満ちていた。きっと自分は、この光景を一生忘れることはないだろう。美しい精霊たちの輝きを―――。


「シェイラ」


 他にいくつか原石を採掘した後、来た道を戻ろうとしたシェイラをアドゥルが呼びとめた。


「…ん?」


 空気の震えを感じとって、シェイラが振り向く。アドゥルは自分の口元がよく見えるようにオイルランプをかざすと、ゆっくりとした口調で言った。


「―――お前は、やっぱり魔物だな。石の精霊を見えるようにすることのできる人間なんて、アル=ディバランでも聞いたことがない」

「…」


 静かな眼差しのシェイラに、でも、とアドゥルは続けて、


「俺はお前が魔物だとしてもちっとも怖くない。シェイラは良き魔物だ」


 そう言って笑った。きらきらと目を輝かせながら。


「…ふふっ」


 アドゥルの言葉にシェイラも笑った。いつもより、少しだけ嬉しそうに。

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