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月の砂漠に星が降る  作者: 琴月
青白き飾り石の章
1/7

一話

 アル=スウドと呼ばれる大陸がある。

 太陽神の宮殿が通ると言われる天陽道の直下に位置するため、大半を砂漠に占められた過酷な土地だ。だが、五大陸の中心に位置するこの地は、古くから海洋貿易の重要拠点として繁栄と遂げていた。


 アル=スウドは二つの国で成り立っている。

 各大陸との貿易で発展を遂げてきた商人の国、東のアル=シディーラ。

 学園都市を形成し数多くの魔術師や戦士を輩出する、西のアル=ディバラン。

 そしてその間に広がるのが、アルバド砂漠。

 真白き熱砂が支配する、過酷で広大な砂漠だ。


 そのアルバド砂漠の外れ。アル=シディーラ寄りのやや南東に位置する場所には、ひとつのオアシスがある。切り立った峡谷の間を絶えず流れる地下水脈により、宮殿ほどの大きな泉を絶やすことなく湛えているオアシス。たくさんの木々と色とりどりの草花。そこは砂漠の中心にありながら、まるで別世界のような、穏やかな風に満ちていた。

 ―――さて。

 時にオアシスには、一人の住人がいる。耳のない、風変わりな姿をした女が。

 人々は噂する。それは人ではないと。

 魂を魅了する、美しき魔物の化身なのだと―――。



 ***



「やっと見つけたぞ、魔物よ!」


 ハンモックに揺られながら木陰で読書にふける女を、アドゥルはやっとの思いで見つけた。

 ここは、アル=シディーラ最西都市カフジから、昼夜問わず歩いても四日かかるという場所に位置するオアシスだ。東と西を旅するキャラバンはよく利用しているようだが、魔物が住むと噂されているため一般の人間はほとんど寄りつかない。アドゥルはここまでラクダに乗ってやってきたが、それでも乾季の砂漠を越えるのは容易ではなかった。砂漠のはるか彼方に緑が見えた時は、心底安堵したものだ。

 それでもここへやってきたのは、理由がある。

 オアシスに住むという魔物を退治するためだ。

 ―――女の姿をしたという、恐ろしき魔物を。


「今からお前を…退治してやる…!」


 だが生憎、女は読書に夢中のようだった。アドゥルの言葉が耳に入らないのか、一向に振り向く様子がない。

 アドゥルはそれが魔物の罠だと思った。「魔物は人間の姿をしている。だが騙されてはいけない。それこそ魔物の罠。人の姿で油断させたところを襲うのがいつもの手なのだ」と、酒場の男が言っていたからだ。

 アドゥルは腰の剣を引きぬくと、正面に構えた。ハンモックに揺られる女の背中に、一歩。また一歩と、慎重に近づいてゆく。

 しばし思いあぐねた末、やはり背後から襲いかかるのは騎士道精神に反すると感じて、アドゥルは鞘をベルトから外した。そーっと鞘の先で、ハンモックをつつく。それでも気付かないようなので、もう一度。


「おい…女…」

「…」

「女!」

「―――ん?」


 鞘で小突かれる違和感に気付いたのか、ようやく女がアドゥルの方を振り向いた。

 真珠のように薄い色素の瞳がアドゥルの視線とぶつかり、男はついに決戦の時かと身体に緊張が走る。だが予想に反して女は、「嗚呼、旅人か」とのんびり言うと、再び本に目線を戻してページをめくった。

 背中越しに面倒臭そうな声で、


「泉の水は好きに使っていいぞ。元よりあれは私のものじゃない。ラクダに乗って来たのなら、ここでゆっくり休ませていくといい。…ただし他の人間も使うから、むやみやたらに汚すなよ」


 うつ伏せになって本を読んでいる女は、足をぶらぶらと遊ばせている。その態度が、アドゥルの神経を逆なでした。


「お、女…!」


 男は手に持った剣を振り上げると、勢いよくハンモックのロープを両断する。


「うわっ…!」


 ばらばらと幾本ものロープが解けてゆく。釣られていた白い布がばふっと広がって、草の上に落ちた。


「いっ…たた…」

「これで少しは、俺の話を聞く気になっただろう」


 したたかに身体を地面に打ち付けて倒れ込んだ女の前に、アドゥルは勝ち誇って剣を突き付けた。

 その剣に、ようやく女がアドゥルの顔をまじまじと見る。


「ようやく見つけたぞ、砂漠の魔物!俺と勝負しろ!」

「…お前な…」


 痛みをこらえていた顔が、やがてアドゥルを見ると怒りに変わる。


「人が気持ち良く読書してるのに、それを邪魔するとは一体なんのつもりだ!」


 女のあまりの怒り様に、アドゥルは思わずうろたえる。しかしここで魔物に後れをとったとあれば、末代までの恥である。


「お、お前が何回呼んでも振り向かないから…」

「私は耳が聞こえないんだ、この馬鹿者!」

「耳が聞こえないって…女。お前、…魔物だろ?」


 ぶちっと血管の切れる音がした。


「ハンモックで優雅に本読んでる魔物があるかぁ―――ッ!!!!」


 …ごもっとも。



 ***



「ちゃんと元に戻していけよ、このウスラトンカチ」


 背中にかけられた無礼な言葉に、アドゥルは耳を疑った。


「ウッ…ウスラトンカチ!?俺にはちゃんとアドゥルっていう名前が…!」


 女は怒り冷めやらぬ様子で、ふんと鼻を鳴らして、


「私のハンモックを壊しておいて、何が名前だ。お前などウスラトンカチで十分だ」

「くっ!」


 アドゥルは悔しそうに歯噛みしながらも、ハンモックの修復作業を続けていた。こんな暴言を吐く女の言うことはききたくなかったが、ハンモックを壊してしまったのはほかならぬ自分だから仕方がない。アドゥルはグローブを外すと、細いロープをいくつも開いた布穴に通していった。


 女は名をシェイラと言った。

 このオアシスに住んでいる魔物―――もとい、人間だそうだ。

 耳が聞こえないが、人と会話する時は唇を読むため、さして不自由も感じていないらしい。

 一体どこの生まれなのか、顎のあたりで切りそろえられた髪は美しい白銀。アドゥルもそうだが、黒髪が普通であるここアル=スウドでは見たことがない色だ。こんな砂漠の真ん中で暮らしているにもかかわらず、その肌まで透き通るように白い。瞳の色素も薄いのだから、もしかしたらアルビノと呼ばれる突然変異で生まれたのかもしれなかった。

 会った当初は、彼女を魔物だと信じて疑わなかったアドゥルだが、改めて聞かれると迷ってしまう。

 確かに彼女は、魔物と噂されるほど特異な容姿をしている。美しすぎる美貌は人間離れしていて、月のようにミステリアスだ。

 だが今後ろの木陰で本に夢中になっている様は、とても悪しき者とは思えなかった。籠状に編んだ椰子の葉の中には、干した甘い棗椰子の実。一粒取り出すと口の中に放り込んで、指先を舐める。ゆっくりと咀嚼しながら読書に没頭する様は、どこから見ても人間のそれだ。


「本当に人間なんだなぁ…」

「少なくとも、魔物ではないぞ」


 予想に反して返ってきた答えに、アドゥルはぎょっとする。

 シェイラの目線は、今も本のページに注がれたままだ。


「耳が聞こえないんじゃなかったのか?」

「近くにいれば、ある程度の言葉はわかる。声で空気が震えるんだよ」


 シェイラはアドゥルを見ると、さもなんでもないことのように言った。


「それはすごいな」

「そうでもないさ―――嗚呼、ところで」


 思い出したようにシェイラは呟いて、


「お前なんでまた、魔物退治なんかしに来たんだ?…その格好、アル=ディバランの騎士だろう?」

「よく知ってるな」

「砂漠に、そんな重い金属の鎧を着てくる馬鹿はいないからな。さぞかし街では目立っただろう」

「ぐっ、…いちいちお前は癇に障る言い方をするな」


 からかったセリフに素直に反応するアドゥルを、シェイラはとても楽しげに見た。


「砂漠を越えるには、それなりのルールがあるんだ。商人達に聞かなかったのか?」

「すぐたどり着けると思ってたんだよ…」

「やれやれ」


 シェイラは呆れたように肩をすくめた。アドゥルの身体は、まるでこれから戦場に出かけるかのような重厚な鎧で固められている。あんな重い図体を乗せられたのなら、さぞかしラクダも苦労したに違いない。


「ここへ来たのは」


 幾本ものロープをぎゅっとひとつにまとめて、アドゥルが言った。


「―――魔物を倒せば、すごい宝石が手に入るって酒場の男に聞いたんだよ」

「宝石?」


 オウム返しに聞き返すシェイラに、アドゥルは頷いた。


「そ、宝石。うちの一族は代々騎士の家系でさ。一人前だと認められるためには、儀式に使う宝石を自分で見つけて持ち帰らないといけないんだ。アル=シディーラならいい宝石が見つかると思ったんだけど…」


 アドゥルは深くため息をついた。


「…生憎、持ち合わせが足りなくって」

「なるほど。それで自力入手を試みた、ということか」

「そういうこと」

「ふぅん」


 宝石に儀式…ということは、もしかして。


「お前、―――もしやラハイム家の人間か」

「なんだ、知ってるのかうちのこと」


 きょとんと目を丸くするアドゥルに、シェイラは頷いた。

 その一族の名前はなじみ深い。思い出すように頭に手を当てると、「確か…」と呟く。


「代々アル=ディバランの神官騎士を務めている一族だな。持ち帰った宝石を台座に埋め込んで、剣を作るんだっけか」

「おお、よく知ってるな」


 改めて見れば、アドゥルの胸元には月の紋章を模した銀の首飾りが下がっている。

 シェイラは得心した。

 ラハイム家は、月光神信仰を国教とするアル=ディバランに、古くから続く高位騎士の家系だ。傭兵として国や大陸の外へと旅立っていく剣士が多い中、彼等は月光神の守護者として、代々国を守る要職に就いている。…昔から、信仰心の厚い一族なのだ。

 故にこうした儀式が、今でも一族の中では重要視されている。


「なるほど、それで宝石…か」

「爺さんも親父も立派な騎士で、立派な原石を持ち帰った。だから俺も、それに負けないくらい大きな宝石を手に入れたいんだ」


 シェイラは、目を輝かせるアドゥルに苦笑した。


「騎士の力量が、宝石で決まるわけじゃあるまい?」

「そうだけど」


 アドゥルは口ごもって、


「…でももう一人前だってことを、認めさせたいんだよ。…みんなに」


 項垂れて子供のように口を尖らせた。そういう表情を見せると、随分と幼く見える。

 そう言えば…と遅ればせながらシェイラは気付く。宝石を持ち帰る試練は、確かラハイムの人間が成人する際の儀式だったはずだ。ということは、この男の歳の頃は十七か十八ということになる。

 それを思えば、目の前の青年の言動がやや子供らしいのも頷けた。


「やれやれ」


 あまり人間に関わることが好きでないシェイラだったが、しょげた子供を無下に帰すのも忍びない。それに何より相手はラハイム家の人間だ。シェイラは読みかけの本を閉じると、脇に抱えて立ちあがった。


「ハンモックを直したら、出かける準備をしよう」

「どこか行くのか?」


 アドゥルの問いに、シェイラは秘密めいた唇でふふっと笑った。


「私の秘密の場所に、連れて行ってやる」

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