第七話 MS5 マジで修羅場に突入する五秒前。
後輩ちゃん視点です。
私こと、中川香織には好きな人が居る。同じ銀行の一つ上の先輩、小山春人先輩だ。
入行初日、私の指導担当となった小山先輩を前にして私が思ったのは『なんだか冴えない先輩だな~』という、考えように寄らなくても分るほどの超失礼な感想だった。どちらかと云えば小山先輩の更に一個上の先輩、すでに転勤している高橋先輩の方がイケメンだったし、高橋先輩だったら良かったのに、と失礼にもそんな事を考えていた。
『だからな、中川? 此処は』
『はいはーい。頑張りまーす』
『おい、中川! 聞いてるのか!』
『聞いてます、聞いてます。先輩、そんなに怒ってたらモテませんよー』
完全に舐めた口を聞いてた私。でも、そんな私を見捨てる事無く根気強く指導してくれた小山先輩に……今、思い返しても恥ずかしい。私は『この人、私の事好きなんじゃね?』なんて斜め上の勘違いをしてしまった。
感じの悪いことを百も承知で言えば、私は結構モテる。生まれ持った顔立ちはそこそこ可愛いし、モテる為の努力――オシャレや、ダイエットだって欠かさずやっている。こんな冴えない男、どうせ彼女なんて居ないだろうし、ちょっとからかってやれ、ぐらいの気持ちで先輩をちょくちょく飲みに誘っていた。
……無論、先輩の奢りで。
もうね? 本当に黒歴史。どんな感じの悪い女だって話なんだけど、当時の私は『私と飲みに行けるなんて冴えない小山先輩からしたらご褒美じゃん?』ぐらいに思っていたのだ。誰か、あの時の私を殺してくれ……まあ、そんな事もアリながら、小山先輩と二人でちょくちょく飲みに行っている間に、少しずつ小山先輩の『良さ』が私にも分かる様になって来た。
小山先輩はモテたのだ。銀行の『おば様』方から。
銀行には正社員以外にも多くのパートさん、嘱託さんが働いているが、小山先輩はそのパートさんや嘱託さんから驚くほどモテた。別に男女の色恋の話ではない。些細な……それこそ、窓口繁忙日にヘルプに入ってくれただとか、やれ重い荷物を持ってくれただとか、やれ書類の綴り込みを手伝ってくれただとか。先輩だって決して暇な訳では無いのに、自分の仕事を上手くスケジューリングして、空いた時間で他の人の手伝いをする。人員も減らされ、皆忙しい中、率先して人の手伝いをする小山先輩がモテないワケがない。
小山先輩はいわば、フォローの達人だったのだ。
『冴えないヤツ』から、『頼りになる先輩』にランクアップは果たしたものの、それでいきなり『好きな先輩』になるほど、私だって安い女じゃない。当然、『好きな先輩』にランクアップした事件があったのだ。
入行から一年。後方で事務担当をしていた私は、お客様対応の最前線である窓口係に移動になった。店内での係替えであり、転勤ほど緊張はしていなかったものの、それでもいきなりの窓口は相当に緊張もした。
『いつも後方でやっていた事務を、今度はお客様対応をしながらするだけだから。大丈夫だ、そんなに緊張しなくても』
小山先輩は私にそう教えてくれたいたが、全然、そんな事は無かった。環境の変化に戸惑い、何時も出来ている事務が出来ない。そんなテンパった状況で、私は誤入金をやらかしてしまう。
誤入金は読んで字の如く、『この口座に入れて下さい』と言われたお金を誤って他の口座に入金することだ。私はある会社から預かった手形とか小切手が落ちる口座への入金を、その会社の別口座に入金してしまったのである。当然、その会社が切っていた小切手や手形は落ちない。三時間際、おかしいなと思って会社に電話した後方事務のパートさんのお蔭で発覚したが……当然、会社の社長さんは烈火の如く怒った。手形が落ちないなど信用問題だ、担当したモノを出せ、直接謝罪に来させろ、と。幾ら電話口で上司が謝ってくれても許してくれない中、外交から帰って来た小山先輩が異変に気付いた。
『どうした?』
『……せんぱい……えぐ……ど、どうしましょう……誤入金……してしまいました』
もう既に私は泣いていた。そんな私に一瞬びっくりした様な表情を浮かべ、それでも優しく先輩は聞いてくれたのだ。
『……どこの会社だ』
『東西工業さんです……社長さんが凄く怒ってて……』
『東西さんか……分かった』
そう言って小山先輩は係の上司の元に向かうと身振り手振りで電話を替わってくれとして見せる。その姿に訝しんだ表情を浮かべるも、小山先輩だという事に気付いた上司は素直に電話を替わった。
『頼む、小山』
『はい……お電話変わりました、小山です。はい、はい……そうです。はい……ああ、ありがとうございます。ええ、元気にしてます。え? す、済みません……そ、そんな事無いですって、社長! 別に担当変わったら知らんぷりとかじゃないですから! ……はい。それじゃ今度、コーヒーご馳走になりに行きます……はい』
先ほどまでとは打って変わり、なんだか和やかに話をする小山先輩。と、私の隣に来た上司がほっと息を吐いた。
『……良かったな、小山が帰って来てくれて』
『あ、あの……だ、代理さん? コレ……』
『東西工業さんは小山が前の担当でな。あそこの社長、小山の事がお気に入りなんだよ』
やがて電話がひと段落したのか、通話口を押さえたまま小山先輩が私を手招きする。
『中川』
『は、はい!』
『東西工業の社長さん、お前と話をしたいって』
『……え』
『大丈夫。もう怒ってないから。それに、ミスはミスだ。お前が自分の言葉で、しっかり謝罪しろ』
優しくも厳しい小山先輩の言葉。その言葉に、私は意を決して電話を替わった。
『お、お電話替わりました、中川です。その……この度は誠に申し訳ございませんでした!』
『……もういい。春坊が説明してくれたしな。今後は気を付けろ』
『は、はい! 本当に申し訳ございませんでした!』
『ああ、分かった分かった。春坊から聞いた。お前、春坊が初めて指導した後輩なんだってな?』
『春坊……こ、小山先輩ですか』
『そうそう。良かったな、お前。春坊の弟子じゃなけりゃ、許してやってないぞ』
そう、少しだけ冗談めかして言う社長。その言葉に、驚きで止まっていた涙が再び流れた。
『……はい』
『……良い先輩持ったな』
『はい……はい!』
『春坊が今度コーヒー飲みに来るって言ってたからな。お前もそんとき、一緒に来い』
『……はいっ!』
この瞬間。
私の中で小山先輩は『頼りになる人』から『好きな先輩』になった。
◆◇◆
私の目の前で楽しそうに笑う女。小山先輩に『春人さん』なんて親し気に話すその姿がなんだか無性に腹が立つ。
「……せんぱーい。楽しそうですね~」
まるで油の切れたブリキの人形の様、ギギギと音が鳴りそうな程にぎこちない仕草でこちらを振り返る小山先輩に。
「折角だし、もう少しお茶していきましょうか? あの女の人も含めて、ね?」
にっこり笑ったつもりだったが、引き攣った小山先輩の顔を見る限り、きっと巧くは笑えてなかったのだろう。