第二十四話 別に『唯一無二』が二つや三つ、あっても良いよね?
食事を済ませてイタリアンレストランから店外に出ると、夏だと言えど既に日がすっかり落ちた時間帯だった。金曜の夜、美女と呼んでも過言ではない二人を一人で帰らせるわけも行かず、俺は葵、中川の順番で家路を急いだ。
「……今日はありがとうございました。香織ちゃんも、春人さんも」
「俺は何にもしてないぞ?」
「いえいえ。今日も奢って貰って……申し訳ないです。今、私だってお金持ってるのに」
「……じゃあ逆に聞くけどさ? 『葵、七億円あるんだし、奢ってくれ』とか俺が言い出したらどう思うよ?」
そんな俺の質問に、きょとんとした後、葵はクスクスと笑いだした。
「……なんだよ?」
「だって……そんな春人さん、想像できないんですもん」
心底俺を信じているよう。そんな葵の笑顔に、俺も思わず見惚れて――
「はいはいー。そこまでですよー! 先輩も葵も、何いちゃいちゃしてやがるんですかぁ! はい、撤収ですよ、先輩。今度は可愛い可愛い香織ちゃんを家まで送りやがれです!」
俺の顔面に右手を押し当てて後ろに押すように力を籠める中川。ぶふっ! て、てめえ!
「ぐはっ! 何しやがる!」
「いちゃいちゃしてやがるからですよ! と・に・か・く! さっさと送ってください! 夜道は怖いんですよ! っていうか、葵! 貴方も一々人前でいちゃいちゃするんじゃないわよ!」
「ひ、人前って……」
「私の前だって人前でしょうが!」
「……前じゃなければ良い? 香織ちゃんの」
「良い性格してやがりますねー、葵。そんなの、認められるかぁー!」
「ぶぅ! だって香織ちゃん、これから春人さんに送って貰うんでしょ! ズルいじゃん!」
「ズルいとかじゃないのー。先輩は魔除けみたいなものなの!」
「……シーサーかなんかか、俺は。もう良い。ホレ、早く帰るぞ。葵、それじゃまたな」
「あ、はい! 春人さん、また連絡しますねー」
ブンブンと手を振る葵に俺は片手を軽く上げ、カバンの角で軽く中川の頭を小突く。
「いたっ! 暴力はんたーい!」
「煩い。さっさと行くぞ」
駅までの道を中川と二人で歩く。金曜の夜という事もあり、なんだかみんな少しだけ浮かれている様な雰囲気のある町は、夏の暑さを吹き飛ばすような騒々しさに満ち溢れていて、なんだか街が活気にあふれてる気がしてくる。
「先輩、夏、好きです?」
「まあ、嫌いじゃないかな。暑さには辟易するけど」
「そうですねー。最近、凄く暑いですし。温暖化?」
「どうなんだろうな? そういうのもあるんじゃね?」
知らんけど。
「……にしても、このクソ暑いのに見て下さいよ、ホラ」
「女の子がクソとか言うな。見ろって……何を?」
「アレですよ、アレ」
中川の指差す方向に視線を向ける。と、そこには楽しそうに男性の腕につかまる女性の姿があった。
「……ああ」
「彼氏彼女ですかね、アレ?」
「まあ、年齢的に同伴やアフターってカンジはしないかな。彼氏彼女じゃねーの?」
「どう思います、アレ」
「オブラートと直接、どっちが良い?」
「オブラートで」
「リア充、爆発しろ」
「オブラートでそれ!? 直接は?」
「〇ねば良いのに」
「……なんでしょう、闇を抱えすぎじゃないですか、先輩?」
そうか? 爆発すれば良いのにと思うだろう、フツウ。こっちは七億当たった好きな子に告白すら出来ていないと言うのに……!
「……で、でもですね? もしかしたら、そうかもしれませんよ?」
「どんだけ日本語不自由だ。なんだよ、脈絡もなく『そうかもしれません』って」
「だ、だから! そ、その……わ、私たちもですね? もしかしたら、『そう』見えるかも知れないじゃないですか!」
「俺とお前がか? ねーよ」
「なんで即答!? うー! 先輩のばーか!」
フンと拗ねた様にそっぽを向く中川。ホント、こいつは……って、そうだ。
「それより……ありがとな」
「へ? 何がです?」
「葵の事だよ」
「……ああ。べっつに良いですよ。私がしたくてしただけですし」
やがて駅に到着。中川に断って俺は切符を買うと、改札の向こう側で待つ中川の元へ。
「お待たせ」
「……いつもいつも思うけど、先輩も大概付き合い良いですよね? わざわざ私ん家の側の駅まで送らなくても良いのに」
「俺が嫌なの。お前になんかあったら」
「……これ……こう……込みで……言ってくれれ……いいのに」
「なんか言ったか?」
「なーんでもないです! っていうか、先輩だってそうじゃないですか!」
「だから、ちょいちょいお前は日本語が不自由なんだよ。なにが?」
「私が葵にした事だって、先輩が私にしてるのと一緒でしょ! 先輩は私が心配だから送ってくれる。私は葵が心配だから、なにかしらフォローしてあげる。一緒でしょ!」
「俺とお前と、お前と葵じゃ付き合いが違うだろうが」
しかも初対面アレだし。
「人間関係に付き合いの長さは関係ありません! 深さです!」
「そもそもお前と葵にどれ程の深い付き合いがあるんだよ」
「乙女の秘密です!」
「はいはい。ホレ、電車来た、乗るぞ」
電車に乗っても少しばかり不機嫌そうな顔でつんっとそっぽを向く中川。ったく、なに怒ってるんだよ?
「……別に怒って無いですよ。ただ、ちょっと悔しいな~って」
「悔しい?」
「さっき、先輩は『ありがとう』って言ったじゃないですか?」
「言ったな」
「あれ、葵を助けてくれてありがとうって事でしょ? 普通、先輩がそんな事言います?」
「……言わないか? 自分の世話した……というほど世話した訳ではないけど、可愛がってる後輩が困ってたのを助けて貰ったらお礼を言うの普通だろ?」
「だから、それが悔しいんですよ! どうせ、葵だから助けた癖に」
「へ?」
「だ・か・ら! 葵が困ってたから助けただけでしょって言ってるんです! 私だったら助けてくれない癖にって!」
そう言って再びふんっとそっぽを向く中川。いや……え?
「助けるぞ?」
「ふん、そうでしょう? どうせ葵だか――って、え?」
「いや、助けるぞ? どれほど力になれるかはわからんが、助けるに決まってるだろうが?」
確かに、葵は可愛い後輩だ。無論、好きな子ってのもある。そういう意味では、『唯一無二』ではあるが、しかし。
「お前が困ってんだろ?」
だからと言って、別に中川香織が『唯一無二』じゃないとは言ってない。『唯一無二』の後輩だ。中川香織の代わりは中川香織以外にはつとまらない。
「なら、絶対に助けになる。例え何も出来なくても、話や愚痴ぐらいは聞いてやるさ」
だって。
「お前だって、可愛い後輩だからな」
瞬間。
「……はぅ」
ボンっと、中川の頭から湯気が出るかの如く顔が真っ赤に染まる。
「な、なんてこと言うんですか、先輩はっ!」
「え、ええ? か、可愛い後輩って言ったの不味いか?」
「不味いですよ! い、いや、不味くはないけど……ま、不味いです!」
「だから、お前はちょいちょい日本語が不自由なんだって」
「う、煩いです! 先輩が悪いんですから!」
今度こそ、ふんっと完全にそっぽを向いて俺から視線を外す中川。
「……ええー……」
結局、中川は『今日は此処までで良いです! じゃ!』と駅前から脱兎の如く逃げる瞬間まで、俺に視線を合わせる事をしなかった。
「……俺、なんかした?」
なんとなく、取り残された様で……俺は小さく、ため息を吐いた。




