第一話 いや、この雰囲気って絶対告白出来ないよね。
「……マジかよ」
流石に駅前で『七億、七億』と連呼するのもどうかと思い、俺は自室に彼女を連れて来た。思えばこうして彼女を俺の部屋に招くのは初めてだが……いや、そんな事どうでも良いくらい、あんまりにも驚きすぎて冷静では無かったのもあるが。七億って、おい。
「……えぐ……えぐ……ど、どうしましょう、春人さん……な、七億なんて……」
「な、泣くなよ。いや、良かったじゃねーか。幸運だろ?」
「降って沸いた幸運にしては大きすぎますよ! な、なんだか怖くて……」
そう言って震える手で宝くじを――余りにも高額すぎて家に置いて置くのが怖くて持って来たらしい――持つ葵。まあ、気持ちはわからんでもないが。
「それにしても……本当にあるんだな、一等当選って。いや、あるのは分かっては居たけど、都市伝説かなんかかと思ってたよ、うん」
「わ、私もです。しかも、私、今回宝くじ買うの初めてですよ! 社長に勧められて……『葵ちゃんもたまにはどう?』って! だから連番? なんかよく分からないんですけど、買ってみただけなのに……なんで、こんなことに……」
そう言って再びさめざめと泣く葵。いや、泣くなって!
「な、泣くなよ。いいじゃんか。これでたぶん、一生働かなくても食っていけるぞ? 老後二千万円問題なんて目じゃねーって。よかったじゃん」
「よ、良くないですよ! だって七億ですよ? 私の勤める会社の年商の五倍くらいありますよ!? そ、そんな大金、こ、怖くて……」
「……」
「……それに、私ネットで見たんです。大体、宝くじの高額当選者って幸せになれないって」
「……それは……」
「周りの人も離れて行くって聞きましたし、皆の態度も変わるって! それで、疑心暗鬼になって……い、イヤです! お金があってもそんなの私、絶対に嫌です!」
その言葉を聞いて。
「…………は、ははは」
俺は冷や汗をダラダラと流す。
だって……考えても見ろ。今俺が此処で『好きです! 付き合って下さい!』とか言った日にはどうなると思う?
『……春人さんも、私のお金が目当てなんですね……』
って、ぜったいこうなるだろう! いや、葵はいい子だし、流石にそこまで思うことは無いかも知れないが……それでも、心の何処かで『お金目当て』って思っても誰が葵を責められようか。
「えぐ……? 春人さん? なんだか顔色悪いけど、どうしました?」
「い、いや……なんでもないでござるよ?」
「ご、ござる!? 春人さん、ど、どうしたんですか、一体! 武士の人になっちゃったんですか!」
「いや、なんだよ武士の人って」
思わず冷静にそう突っ込む。
「だ、だって……ござるって……」
「まあ、俺も冷静では無かった。でもまあ、考え方を変えようぜ? 落ち込んでも仕方ないじゃないか。それならホラ、もうちょっとポジティブに考えよう!」
「ぽ、ポジティブ、ですか? あ! この宝くじを捨てるとか!」
「なんで!? それの何処がポジティブ!?」
「だ、だって……七億あるから、皆の態度が変わるのなら、これが無ければ大丈夫って事に……」
「いや、まあ、確かにそうかも知れないけど……でも、流石にそれはちょっと勿体なくないか? 葵だって欲しいもの、あるだろ?」
「ほ、欲しいもの、ですか?」
「ほら、服とかさ?」
「服は今ある分で十分ですし……」
「バッグとか靴は? ブランド物だってなんだって買えるぞ?」
「べ、別にブランドにそんなに興味も無いですし……小奇麗であれば、それで」
「……車は?」
「免許、ありません」
「…………大きな家、とか」
「一人暮らしでそんな大きな家、掃除が大変じゃないですか!」
「……」
「……」
「……なんか、すみません」
「いや……そうだな。葵はそういう子だよ。だからこそ」
「だからこそ?」
「い、いや! なんでもない!」
あ、あぶね。今、『だからこそ、俺も惹かれたんだ』とか口走りそうになった! 俺、自重! 今はその言葉、絶対言ったらダメなヤツ!
「……あ!」
「ど、どうした? なんかあったか?」
「家で思い出しました! 実家の住宅ローン、まだ残ってるって! それを払ってあげます!」
「おお、いいじゃないか! どれくらい残ってる? 二千万か? 三千万か?」
「えっと……な、七百万ぐらい……?」
「……」
「……」
「……あと、六億九千三百万か」
いや、七百万は大金だぞ? 大金だけど、七億の百分の一だからな。このペースで行ったら終わらんぞ。
「……ううう……使い道がない……」
「……まあ、別にそんなに慌てて使い切る必要はないんじゃないか? 使い道が決まるまで、銀行にでも預けておいても良いんだし」
「でも……春人さん、昔言ってたじゃないですか。『銀行の金利は詐欺みたいに安い』って。無くなっても構わないお金ですけど、詐欺はちょっと……」
「いや、言ってたけど」
確かに銀行の金利は詐欺みたいに安い。安いが、別に増やす事を考えなければ金庫代わりには丁度良いんじゃねーかと俺は思うんだが……
「別にお金を増やしたいとは思って無いんですよ? 降って沸いたお金ですし、無くなっても惜しくはないんです。ただ、手元に七億あると思うと、なんとなく怖くて……こう、その使い道を全部自分で決めるって、小心者の私には出来そうに無いです」
「……まあ、言わんとしてることは分からんでもないが」
「……出来れば早めに使い切って、普通の生活に戻りたいと言いましょうか……ううん、すみません。上手く言語化出来ないのですか……」
……まあ、葵は決して派手目な美女、という訳ではない。こう言っては失礼かも知れないが、フランス料理のフルコースを食べているより、小さな定食屋でほっこりとサバの味噌煮定食を食べている方が似合う女だ。別に馬鹿にしているわけではない。単純に庶民的で可愛らしいという話だ。
「……あ!」
と、突然、葵が『私、名案が浮かびました!』という顔でポンっと手を打った。そのまま、何時もの様ににこにことほっこりした笑顔を浮かべて見せる。
「春人さん! 私、このお金、春人さんに預けます!」
「春人さんに預ける? ああ、ウチの銀行に預けるって事か? それなら――」
「そうじゃなくて!」
俺の言葉を遮り、興奮した様に両手を握って上下にブンブンと振って見せて。
「このお金、『春人さん』に預けるんです! 前、言ってたじゃないですか! 『運用ってのはお金が沢山あれば、それだけ稼ぎやすい』って! だからこのお金、春人さんに預けます! 運用して下さい!」
「ぶふっ!」
……とんでもねー事言いやがった。
「私は……運用? はあまり詳しく無いですけど、春人さんは銀行員さんですから、金融のプロですよね? なら、このお金、春人さんに預けます! だから春人さん、このお金、運用して下さい!」
「いや、ちょっと待て!? なんでそうなる!?」
「だ、だって……運用は一杯お金があれば良いんでしょ? だったら七億なんてすぐ使い切れるかな~って」
「そりゃ、確かに運用すれば七億ぐらいは直ぐに使える……というか、運用できるけどさ。でもそれなら、通帳に七億入ってても一緒じゃないか?」
「だって……七億も入ってる通帳、怖いじゃないですか」
「……それに、運用ってのは確かに大金があれば成功はしやすいが、当然失敗する事だってあるんだぞ?」
「? 別に良いですよ、失敗しても。私、さっきも言いましたよね? この宝くじ、捨てちゃおうかな~って」
「……だがな?」
「……お願いします、春人さん」
「……」
「……このお金、春人さんが使い道を決めて下さい。じゃないと……じゃないと、私……」
そう言って潤んだ目でこちらを見つめてくる葵。
「……」
……泣く子と地頭には勝てん。加えてそれが惚れた女なら。
「……分かった。それじゃ、責任持って運用させて貰う。あ! でも借名取引はコンプラに引っ掛かるから、あくまで俺が出来るのはアドバイスだぞ? それで良いなら……まあ、半分ぐらいは、その重荷を背負ってやるよ」
「ホント!? やった! ありがとう、春人さん! 私、すごく嬉しい!!」
そう言って両手を万歳の形にしてピョンピョンと跳ねる葵。その姿がなんだか可愛らしくて微笑ましくて……そして、俺はポケットに突っ込んであった『それ』に気付く。
「……なんか色々あってすっかり忘れてたけど……ホレ」
「うわっぷ! な、なんですか、これ?」
ぽーんっと放り投げたそれを空中であたふたとキャッチする葵。その後、コテンと首を傾げて見せる。なにそれ、可愛い。
「誕生日プレゼントだ。一日早いけどな」
……本当は日付が変わる瞬間に渡そうと思ったんだが……流石に彼氏彼女でも無いのに、午前様はさせられないからな。
「た、誕生日プレゼント……あ、開けて良いですか?」
「ああ」
「あ、ありがとうございます! んしょ、んしょ……! は、春人さん! こ、これ!」
「どうだ? 気に入ってくれたか?」
「き、気に入りました! す、すごくかわいいですけど……で、でも! こんなの貰えません! だってこんな高そうなもの!」
……七億あればソレ、何万個も買えるけどな。
そう心の中でだけ思い、俺は顔を苦笑の形に変えた。