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第十八話 ただ、強請ることしかできないほどに、中川香織は弱くない。


 夏場の暑い最中を歩いて帰ったせいか、少しだけ汗ばんでいる感覚が不快だった。流石にシャワーを浴びている時間は無いのでタオルで顔と腕を軽く拭いて、私は葵から借りた服を脱ぐと自身の服に着替える。『洗濯とか良いです。そのまま返して下さい』とか言われたけど、流石に少しとは言え汗ばんでいる服をそのまま返すのは抵抗があったのでそのまま洗濯籠に突っ込みかけて、いやいや、人から借りたものを返すんだったらクリーニングでしょうよと思い直して畳みなおすと、私はトートバッグに詰めた。行きがけのクリーニング屋にでも出そう。よし! 私の乙女、仕事した!

「……にしても……何してるんだろうね、私も」

 昨日の夜、酔った勢いもあってか葵は私に告白した。『実は、宝くじで七億が当たったんです』と。人間、驚きすぎると声も出ないとは言うけど……まあ、確かに声も出なかった。というか、初対面同然の私にそんな事言っていいのかと思って聞き直すと、『だって、春人さんの信用する人でしょ?』ときょとんとした顔で言われた。小山先輩、洗脳か何かしてるんですかって本気で心配したけど、その後の葵の言葉で私は冷静さを取り戻すことが出来た。


『それに……知ってる人に言うの、ちょっと怖いので。だからと言って黙っておくのも、それはそれでなんだか怖くて』


 その理由の方で、ようやく納得できた。自分の親しい人が七億当てた。そうなると、どうだろう? 少なくとも私なら、例えば小山先輩が七億当てたら絶対に言うだろう、『奢って下さい!』と。

 先輩と私の仲なら、『はいはい』と先輩も笑っていなしてくれるだろうが、もし葵が本当に仲の良い友達にそう言われたらどう思うだろう? 最初はいいかもしれない。二回目、三回目と続いたときに、葵は本当にその友達を『友達』としてみる事が出来るのだろうか。笑って奢って上げる事が出来るだろうか。

「……まあ、無理だよね」

 私なら無理だ。きっと、『利用』されてると、そう思ってしまうだろう。今まで通りの友人関係を続ける事が出来る自信はきっとない。七億あれば、多少の奢りぐらいは金銭的には問題ないが、要は気持ちの問題である。

「……そう考えると小山先輩への信頼度、マジ半端ないよね」

 一体どういう接し方をしたら、あの子をあそこまで信用させることが出来るんだろうか? だって小山先輩だってもしかしたら言うかも知れないじゃないか。利用しようとするかも知れないじゃないか。そんなに人を信用できるんだろうか?

「……」

 ……きっと、私なら無理だ。小山先輩に『七億当たりました~』って胸を張って言える自信はない。それを隠して、何事もなかった様に振舞うかも知れない。

「……あーあ」

 無論、小山先輩に奢るのが嫌なのではない。今までお世話になった先輩だし、それぐらいの恩返しは全然させて貰う。むしろ、貰いたい。でも、でもでも、もしそれで先輩が私に対する態度を変えたらどう思うだろう? 手のひらを返した様に優しく接してきても、反対に余所余所しくされても……そんなの、どっちもへこむ。

「……敵わない、のかな……?」

 葵はそんな躊躇もなく、小山先輩を頼った。自分自身でその荷物を持つのは重すぎると、小山先輩に懇願し、そして小山先輩はそれを了承した。

 ……それが、その関係が……溜らなく羨ましくて、悔しい。

本人は『春人さんに重荷を背負わせてしまいました。もう、春人さんの隣にいる権利なんて無いです』なんて随分落ち込んでいたけど、きっと小山先輩の事だ。そんな事、微塵も考えて無いだろう。

「……精々、『七億当たったから優しくしてると思われたどうしよう』ぐらいの感じだよね、あの人なら」

 その想像は少しだけ楽しく、そしてとっても悲しかった。先日のカフェで、先輩が『資産運用の勉強をしようと思う』と言ったのだって、葵の為なのだ。

「……愛されてるな~、葵。いいな~……」

 信用し、信用に応えるために頑張る。その姿のなんと貴き事か。私では決して無理なその領域に、葵は居るのだ。その差は歴然、きっと届くことは無いのだろう。

 ……。

 ………。

 …………届くことはない、のだろうか?

「――っ! くぅ!」

 鏡に映る自身のその顔の、なんと情けない事か。そんな顔をする自分自身が許せなくて、私は自身の頬を思いっきり両手でパンっと叩く。鏡の向こうで、涙目で頬を真っ赤に染める自分の姿と目があった。その余りの情けなさに、思わず笑みが零れる。

「……ばーか」

 鏡の中の自分にそう言うと、鏡の中の自分も同じような不細工な、それでもとびっきり良い笑顔でこちらに『ばーか』と言って見せる。

「……ホント、馬鹿だね、私は」

 ライバルがいるだろうことは知っていたじゃないか。その中には、きっと自分より仲が良いであろう女の子がいる事だって想像して来たんだ。


 ――そんなの、今更だ。


 ちょっと目の前で仲の良さを見せつけられて諦められる程度の想いじゃない。ずっと好きなんだ。ずっとずっと好きだったんだ。どんなライバルが来ても負けない、どんなライバルにだって勝ってやると、そう思ってきたんだ。こんなちょっとした事で、こんな簡単な事でこの感情が消える事はない。もし、この感情が本当に消え失せてしまうのであれば。


 きっと、この世に恋なんてない。


「……そもそも、愛して貰おうなんてキャラじゃないですし」

 強請る事はしない。懇願することはしない。足元に縋りついて、泣きわめくことも無い。

「正々堂々、勝ち取ってやりますよ!」

 無いもの強請りは趣味じゃない。全部、全部、勝ち取ってやるんだ。

「……さて、何時までも葵を待たせてもいけないし……そろそろ、いこっかな」

 鏡の中で良い笑顔を浮かべる私にもう一度にかっと笑んで――流石に両手で頬を張ったのはやり過ぎだったかと、ヒリヒリする頬を押さえながら私はそんな事を思った。


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