第十四話 何しに来たの、葵ちゃん?
「……あれ?」
なんだか一日、もの凄く疲れた。そう思い、重い足を引きずりながらようやくアパートについた俺はドアの前で待つ女性の姿を見つけて首を捻る。
「……あ! 春人さん! お帰りなさい!」
所在なさげに買い物袋を振り振りしていた女性が俺の姿に気付き、嬉しそうにぱーっと顔を華やかな笑顔に変える。
「……葵? どうした?」
なんだか理解が追い付かない。疲れているのもあるが、平日のこんな時間に葵が家の前にいるという現実がなんだか呑み込めない。
「……その……今日は春人さんにご迷惑をお掛けしましたし……料理でも振舞わせて貰おうかと思って……」
そう言って、手に持った買い物袋を掲げて見せる葵。ええっと……
「……俺に?」
「そ、そうです! その……ご、ご迷惑でなければ、ですけど……」
最後の方は聞き取れない様な小さな声に、上目遣い。
「……」
「……は、春人さん? その……やっぱり、ダメですかね?」
不安そうな、そんな顔。
いや。
いやいや。
いやいやいや、葵さんや?
「……ダメな訳ないだろ! 歓迎するよ! ありがとう、葵!」
そしてバックパックに入ってるウ〇ダー君、君の出番はない! もう君なんか用済み――あ、嘘嘘。明日の朝にはお願いするからね!
「……あの、春人さん? どうしたんですか、急に跪いて手なんか組んで」
「いや、ちょっと神にお祈りを」
「は、はい? か、神?」
「なんでもない。こっちの話だ。さ、汚い部屋だけど、遠慮せずに入って!」
「き、汚い部屋はちょっと遠慮したいですけど……いえ、春人さんの部屋はいつも綺麗ですしね! それじゃ、お邪魔しますね~」
ドアを開けてエスコートする様にドアを支える俺にちょっとだけ嬉しそうに笑顔を浮かべて、照れた様に葵がドアを潜る。その背を追うように俺もドアを潜って室内に入れば、夏の部屋特有の『もわっ』とした空気が体を包んだ。
「……暑いな」
「窓、開けて無いんですか?」
「ゲリラ豪雨で窓際がひどい事になったから」
「……ああ。確かにお洗濯ものとか困りますね、アレ」
「俺は基本、コインランドリーだから困らないけどな」
「ええ! ダメですよ、春人さん! ぽかぽかのお日様の下で干した方が気持ちいいですよ? お日様の匂いもしますし……それに、お金持ったいないです」
「ううん……気持ちは分かるけど、ちょっと面倒くさいよな」
「もう……意外にずぼらですよね、春人さん」
なんだかちょっと恥ずかしい。そう思い、ポリポリと頭を掻く俺にクスクスと笑って見せる葵。と、何かに気付いた様にポンと手を打って見せる。
「そうだ! 春人さん、それなら私が洗濯物、干してあげましょうか?」
「……へ? あ、葵が? いやいや、それは申し訳ないだろ?」
「良いですよ、別に。それに私、お洗濯好きなんです。アイロン掛けも好きですし……どうです? 春人さん、どうせワイシャツもクリーニングに出してるでしょ?」
「いや……そうだけど」
「どうです? ちょ、ちょっと恥ずかしいけど……し、下着も嫌がらずに洗いますよ?」
「いや、それは俺がイヤです!」
何が悲しゅうてホレた女の子にベ〇ータの息子を洗って貰わなならんのだ。いや、そりゃ付き合って同棲とかしてるんならともかく。
「……し、します?」
「……へ? す、する? な、なにを?」
「で、ですから……さ、さっき春人さんが言ってた……」
一息。
「……ど、同棲……」
ボンっと顔を真っ赤に染める葵。そんな葵の姿に、俺の顔も同様に真っ赤に染まる。
「え、ええっと……く、口に出てた?」
「ま、マジか……」
「は、はい!」
「す、すまん! 気持ち悪かったろ? わ、忘れてくれ!」
「い、いえ! 気持ち悪くなんかないです! そ、その、私もう――なんでも無いです!」
「あ、葵? いま、なんて言った? う――」
「う……唸るほど!」
「――はい?」
「お、お金ならありますよ! 唸るほど!」
「でしょうね!」
さらっと結構ひどい事言ってるぞ、葵!
「……うん?」
「……え? ど、どうしました、春人さん? ひ、引きました?」
「いや、そんなに引いてはないけど……口に出てた? え、何処から?」
「ちょっとは引いてるって事ですか! いえ、確かに私も結構最低な事を言った自覚はありますが……何処から?」
「何処から口に出してた、俺?」
「え、ええっと……『同棲してるならともかく』って」
「そこだけ?」
「? そ、そこだけ、ですが……」
あ、あぶねー! 『ホレた女の子』とか出てたら、マジで『お金目当てルート』に突入の危険だったじゃねーか! いや、逆にこれ、もう大丈夫なのか? だって葵、俺と同棲しても良いって言ってたよな? それって、結構脈ありって判断で良いんだよな!
「……」
「……」
「……そ、その」
「……」
「あ、あお――」
「――な、なんちゃって! あ、あははは! さ、は、春人さん! ごはん作ります! 私は明日お休みですけど、春人さんはお仕事なんですから!」
「――……い?」
そう言ってそそくさと持って来たエプロンを付けて(猫さん、可愛い)台所に立つ葵。
「え、えっと、時間が掛かる料理は難しそうなので、簡単に出来るものにしますね! ご飯は家で炊いて来たものがありますので! あ、春人さん! ご飯炊いてます?」
「あ、いや……た、炊いてない……けど」
「そうですか! それじゃ、丁度良かったです! それじゃちゃっちゃと作りますね!」
言うが早いかこちらに背を向けてトントンと包丁をリズムよく刻む葵。その姿はなんだか新妻感が出てて非常に素晴らしいものだったが。
「……クーラーでも点けるか」
この得も言われぬ感情、どうしてくれる! と。
なんだか少しだけ疲れた俺は、クーラーのスイッチをオンにした。
◆◇◆
「……美味かった」
「ふふふ。お粗末さまでした。良かったです、美味しいって言って貰えて」
「いや、本当に美味かった。さんきゅーな、葵」
「いえいえ。そう言って頂けると幸せですよ」
台拭きでテーブルを拭きながら笑顔でそういう葵。先ほども感じたそこはかとない『新妻感』に少しばかり酔っていると、机の上を拭き終わった葵がエプロンを外してバッグに詰め始める。
「……葵?」
「ご飯も食べて貰いましたし……今日はそろそろ帰りますね?」
「いや、もう帰るのか? その、もうちょっとゆっくりしていけば?」
「ふふふ。とても魅力的なお誘いですけど……もう、夜も遅いですしね? 春人さん、明日もお仕事ですし、ゆっくりして下さい」
「遅いって……まだ、八時じゃないか。つうか葵、本気で何しに来たんだ?」
これじゃ、ただ飯作りに来ただけじゃん。いや、俺は嬉しいんだよ? 嬉しいんだけど……なんか申し訳ないぞ、おい。
「……何しに来たと思います?」
「え? いや、飯を作りに来たんじゃ……」
「そうですよ。ご飯を作りに来ました。でも、そうじゃなくて……」
……なんで今日、ご飯を作りに来たと思いますか? と。
「……」
「……」
「……」
「……お、お礼です!」
「……へ? お、お礼?」
「そ、そうです! 昨日、誕生日プレゼント貰ったじゃないですか! だ、だから、そのお礼です! 全然他意はない、本当にただのお礼ですから!」
早口でそう捲し立てると、葵は勢いよく立ち上がり――そして、テーブルの角で小指を打って『っっっつ!!』と声にならない悲鳴を上げて蹲る。
「葵! だ、大丈夫か!?」
「ひっく、だ、大丈夫です! そ、それでは春人さん! 良い夜を!」
一息でそう言い切ると、もう一度立ち上がり持って来たバッグを肩に掛ける。
「おい、葵! 送ってい――」
「それじゃ、春人さん! さようなら!」
「――く……」
すたすたとドアまで早歩きで歩くと、靴を一瞬で履き終え、右手をしゅたっと上げて見せる。
「では!」
「……ああ、うん。気を付けて」
「はい! ありがとうございます!」
バタンと、ドアが閉まる様子を茫然と見つめ。
「……なんだったんだ、一体?」
葵の謎の行動に俺は首を捻る事しかできなかった。
次回は葵ちゃん視点です。




