第十二話 東雲恵梨香は意外にポンコツでワガママっ娘である
私、東雲恵梨香の銀行での同期である小山春人は一言で言うとちょっと変わったヤツだ。こう言うと語弊があるかも知れないが、別に春人に人には言えない趣味があるとか、なんか変な性癖があるとか、そういう類の話ではない。
むしろ、春人はどちらかと言えば人当たりの良い方だった。同期の中でも目立つ方では無かったが、さりげない気遣いが上手いヤツでなんでも卒なくこなす。研修でもそうだ。同期の中でも出来る人間、出来ない人間が出てきがちだが、そんな中で春人は出来ない人間をさりげなくフォローするのが抜群に上手く……なんとなく、そんな誰にでも自然に気が使える春人の事を良いな、って思っていたりした。そんな春人の事を『変わったヤツ』と思い出したのはとある研修の時。マナー講座の席での八人グループで春人と一緒のグループになった時だった。
唐突で申し訳ないが、私はそこそこ人気者だ。顔だって平均よりは上だろうし、感情表現も豊かな方だと自分では思うし、男女ともに友達も多く……そして、何より胸もFカップと大きい。同期の中でも比較的目立つグループだった私の周りには、男女問わず多くの人間が集まって来てくれた。集まってきてくれたのが、御多分に漏れず、男の子の目は私の胸に吸い込まれていた。まあ、これも仕方ない事だとは思う。中学校や高校ぐらいまではイヤだな、と思っていたのだが、流石に二十年以上付き合っていれば自分の体の特定の部位が男性の目を引くのは仕方のない事だと思う。誇らしいとか見せつけてやれ、なんて気はさらさらないし、気分の良いものでは当然ないが、諦観の念ぐらいは持つってモノだ。その時のマナー講座でもそうだった。男の子は名刺交換で名刺を差し出す私の名刺を見て、その後私の胸を見て、そして私の顔を見る。話をしている最中でも視線がチラチラと私の胸に集まっているのだって当然気付いていた。
――春人以外の男は、だが。
春人との名刺交換でも春人の視線が胸に言っている事は気付いていた。だが、春人は他の男とは違い直ぐに私の顔にまで視線を上げて来た。会話の最中もそうだ。心持視線を上に固定し、私の顔にだけ集中しようとしていた。今まで当たり前の様に視線が胸に言っていた私にとって、春人のそんな姿はちょっとだけ新鮮に映り――だからこそ、二人っきりになった時に聞いてみたのだ。
『ねえ』
『うん? ああ、東雲さん? どうしたの?』
『小山君ってさ? 貧乳派なの?』
『ぶふぅ! な、なに聞いてんだよ、お前は!』
『だってさ~。小山君、全然私の胸見ないじゃん? 自分で言うのもなんだけど、私は結構立派なモノをお持ちなんですけど?』
『……なに? 見られたいの?』
『んなワケあるか。私別に、痴女じゃないし。でもまあ、諦めの気持ちはあるかも』
『……男性を代表して謝罪しとく。スケベで済まん』
『別に良いよ。いや、良くは無いけども! ともかく、小山君って全然私の胸の方に視線が来ないなって思って、ちょっと気になって』
『……セクハラになる? これ言ったら』
『内容に寄るけど……まあ、私が聞いたから言ってくれて良いよ。許可しよう』
『上から目線、どうもありがとう。あー……まあな? 俺だって二十歳過ぎの健康な男だし? 全く興味がないと言えば当然嘘になる訳でして』
『ふむふむ』
『でも、その視線はきっと不快なものであるだろうことは理解している訳でして……その、なんだ? やっぱり失礼かなと思って、なるだけ見ない様に努力はしている。でも……その、やっぱり? お前も自分で言う様に立派なモノをお持ちで……その、ちょっと視線が行くのはどうしてもこう、本能と言いましょうか、なんと言いましょうか……』
『……へぇ』
『……引いた?』
『ううん、全然。小山君、変わってるな~って』
『変わってる? 何処が?』
『上手く言えないんだけど……なんか、変わってる』
『……俺、結構スタンダードな人間だと思ってるんだけど』
その時の私は春人のこの言葉を聞いて違和感を覚えるぐらいのものだったが、今なら春人の変なところが分かる。
他の男は私の胸を見ながら、見ていないフリをする努力をする。
春人は私の胸を見ない努力をする。
小さな違いで、大きな違い。極力私の胸を視線に入れない様にしながら、それでも我慢できずにチラリと視線を向けた後、慌てて視線を逸らす。そんな春人の仕草が面白くて、なんだか可愛く思えて来て、配属された支店も隣同士だった事もあり、私と春人はどんどん仲良くなっていき……そして、徐々に、だが確実に春人に惹かれて行った.
◆◇◆
私がきらめき銀行加山支店に入行して二年が過ぎ、三年生になった頃、春人の店から二個上の先輩である高橋先輩が転勤してきた。イケメンで仕事の出来る先輩。下の子たちはきゃーきゃー言ってたし、高橋さんの同期の先輩も目をハートにしていた。私も高橋さんはイケメンだな~とは思うけど、別に男として魅力的だ、とまでは思っていなかった。
『東雲さん』
『はい……高橋先輩? どうしたんですか?』
『いや、東雲さんって小山の同期だったかなって。仲、良いの?』
『小山……ああ、春人ですか? 同期ですよ? 仲は……まあ、同期で一番仲が良いですかね?』
『そっか……そのさ、プライベートで仕事の話とかって……する?』
『春人とですか? そりゃ、少しぐらいはしますけど……どうしたんです?』
『いや、その……ちょっと格好悪い事言っても良い?』
『……良いですけど?』
『……小山ってさ? 家でどんなことしてるとか言ってる?』
『……はい?』
『……俺、あいつにだけは仕事で負けたくないんだよな。後輩相手になに張り合ってんだって話なんだけど……』
『……はい?』
『仕事が出来る人間』という触れ込みで鳴り物入りで転勤してきた高橋さんの言葉から『春人には負けたくない』って聞いた言葉の衝撃は今だに忘れない。
『あいつ……お客様に凄い好かれてるんだよ』
『……春人が?』
『意外か?』
『いえ……ええ、いいえですね。あいつ、気遣い上手いですもん』
『そうなんだよ。お客様と真摯に向き合うっていうか……こないだあいつ、融資先のお寿司屋さんと一緒に魚市場の仕入れまで行ってるんだぜ? 朝の二時起きで準備して、一緒に魚選んだって』
『……アホなんですか、あいつ』
『アホだろ。銀行員がそこまでする必要あるのかって思うけど……でも、それでお客様の心を掴んでるんだからな』
『スタンドプレイが得意なんですね、春人。それは意外かも』
『それが、スタンドプレイって訳でもなくて……ただ、魚市場について行っただけなら俺もそう思うんだけどさ? あいつ、ちゃんと魚の市場調査とかして行ってるんだよ。だから寿司屋の大将言ってたんだ。『あいつは若いのに良く分かってる。まあ、目利きはまだまだだがな』って』
『……すごいアホなんですか、あいつ。寿司屋に弟子入りでもするつもりなんです?』
『……そうじゃないと思うけど……でもまあ、凄いアホだとは思う。アホだと思うし……負けてられんとは思う』
高橋先輩から聞いた春人の話は意外でもあり、よくよく考えれば意外でもなんでも無かった。春人は気遣いの達人だ。私たちの同期、皆が仲良くできる様に、誰も躓かない様に陰日向にフォローしていた春人の事だ。きっと、取引先に対しても同じようにフォローしていただけの話だろう。
そんな春人の話を高橋先輩に聞くたび、私も負けてられないと思うようになっていった。春人がこんなことをしている、あんなことをしていると聞くたびに、私も絶対春人に追いついてやると、そう思っていた。春人の凄いところを聞くと悔しい反面、嬉しい気持ちもありながら、勝手にライバル認定していたのに。
『? はい、そうですけど……その、良くして貰ってますよ、いつも』
米井社長の言葉に、心底腹が立った。いつも良くして貰ってる? おい、春人。お前、どんだけ手を抜いてるのよ? 貴方が本気になったら、『良くして貰ってる』なんて、そんな判で押した様な回答が出て来るワケないだろうに!
『……』
だから、腹が立った。私がライバルとして勝手に張り合ってる春人が、なんだか下にいるようで、そしてそんな春人に対して、私は感情のままに言ってしまったのだ。
『……何、手抜いてるのよ、このバカ!』
社会人としてダメダメな発言をする私。慌てる春人。ポカンとする米井社長。カオスだった。
その後、春人がなんとか事情説明と謝罪、そして私の感情のままの『春人はこんなに凄いんです!』トークをする事で事なきを得たが、帰り際、私の方を生暖かい目で見ながら『青春ですね』なんて言う米井社長の言葉に、私は穴があったら入りたい気分で一杯だった。
つうか私、初対面のお客様の前で何やってんだ……
こんな社会人はいません。フィクションです。




