夢は踊る
淡く光るあの甘い幻想が、私の手に届くのであれば。
遠い願いを掌に乗せることが出来るのならば。
私はきっと幸せだった。幸せになれていた。
けれども、そうはならないのが現実だ。
誰もが笑顔になるハッピーエンドなど存在しないのだ。
ただ、一縷の希望を宿して、夢は踊るだけだ。
——
右手を切られた感覚で、覚醒する。
あぁ、私はもう彼女の隣にはいれないのだ。
左手を潰された衝撃で思い出す。
私は、今日、彼女に殺されるのだ。
なんて心地よい世界なのだろう。
なんて残酷な世界なのだろう。
それでも、これが私の望んだ世界。
あの子の血肉となることが出来る、世界……
——
出会いは唐突で、それでいて、唐突ではなかった。彼女と出会うということは知っていたからだ。
△市から転校してきたという彼女は、眩しい笑顔で私の世界を照らした。どうしてなのかはわからない。それでも、不思議と心を牽かれたのだ。
黒くつややかな髪、ふわりとした表情の笑顔、暖かなあの青い瞳。目が合った瞬間にどきりとした、あの感覚を私は忘れない。いついかなる時も、忘れなかった。
彼女は私の方を向き、両腕を掴みながらこのように言葉を発した。
「友達になってください……!」
彼女の手は、暖かくて柔らかかった。
緊張しているあの表情は、可愛くて、それでいて健気だった。
虜になっていた私は、首をコクリと縦に振った。
目的を果たす、そのためにここにいる。心の中でそう言い聞かせながら。
——
夢は踊る。繰り返し、時に悪夢となりて、踊る。
私が望んだ世界は、彼女の世界。
近くて遠いあの空間。
望むほど遠く、離れていってしまう世界。
死ねるなら一緒が良かった。一緒に死んで、どこまでも離れないでいたかった。そう、頭で考えてしまう。
それでも私は貴女は殺せない。
私は貴女を責められない。
だって、私は貴女が大好きなのだから。
——
幸せな生活は続いた。
短めのスカートを履いて登校した彼女にどきりとしたこともあったし、一緒に写真を撮ったりすることもあった。仲がいいことをクラスでからかわれたこともあった。
幸せだった。青い瞳の彼女が、私の方を見てくれるだけで、それだけでもいいのに、一緒にいることができたから、幸せだった。
キスしたいとか、言い出したかった。けれども言えなかった。女の子同士でそういうことをしていいのだろうか、そもそもキスしたら彼女と一緒にいられなくなってしまうのではないか。そういったことを考えてずっと抑えて、自分自身の気持ちに素直になれなかった。
ずっと一緒にいよう。そう言葉にしたくなった日もあった。けれどもそれは、出来なかった。言葉にすると何もかもが崩れ去ってしまいそうで。
不器用で、何もできない。そんな私を、私はただ呪った。
目的を果たす為に、ここにいるのに、何もできていない。むしろ、彼女のことを好きになってしまっている。
胸に手を当てると、ドキドキとしてしまう。
駄目な私だ。このままでは、どうなってしまうのだろう。
——
貴女が襲いかかってくる。
泣きながら襲いかかってくる。
その涙は私の為のもの。貴女の優しさだと言うのなら。
それを私は甘んじて受け入れる。
夢は踊る。悪夢と踊る。残酷なワルツを踊り続ける。
——
『お前はあいつを殺せないのか』
いつからか、頭に響いてきた。内容は分かっていた。理解はしたくなかった。
私の使命は、彼女を殺すこと。
厳密に言えば……魔法少女を殺すこと。
世界に仇なす悪魔として生を受けた私は、それだけを使命に、人間の世界に存在している。
人間社会に溶け込み、仲良くなったところで油断している魔法少女を殺す。そういった手筈だった。しかし、それが出来なかった。
……好きになってしまったのだ。
同性の、あの魔法少女を。
消してしまいたくないと、願ってしまったのだ。
あの、柔らかくて暖かな、一人の少女を。
殺したときの情景を思い浮かべるだけで、頭が痛くなる。胸が締め付けられる。一人になってしまうと考えてしまう。怖くて、怖くて仕方がない。
……悔しかった。私の存在意義は、魔法少女を殺すこと。けれども、私が存在していて初めて、生きている実感をくれたのはあの魔法少女。普通に出会えてれば、もっと幸せになれたのに。唯のクラスメイト同士だったら良かったのに。
私の夢は、崩れ去りそうであった。
きっと、正体がバレるのも時間の問題だ。
——
着実に私の体を、貴女が抉る。
それでいいのだ。魔法少女は決して悪魔になど負けてはいけない。
私のような悪は殺されてしまえばいいのだ。
幸せを望んだ悪魔など、消え去ってしまえばいいのだ。
夢は踊る。終焉を迎える日まで、いつまでも。
——
悪魔の口づけには、呪いを付与する効果がある。だから、それで彼女を呪い殺せ。
声が、囁いてきた。
……キスをする。魅力的な響きではあった。けれども、できない。
彼女の心をそんな形で裏切りたくなんてなかった。
もっと、ハッキリと、私の言葉で好きだと伝えて、消えたかった。
彼女を殺す選択など、私にはできそうになかったのだ。
『殺せ』
心の中で、声がする。
きっとこれは私の声ではない。
私の声であっても、私の声だと認めたくない。
『彼女を殺せ』
使命を果たす為に、ここに来たとしても。
私はそれに従いたくなんてなかった。
『殺してしまえ』
私には、できない。
ほんの少しだけの時間だとしても幸せに感じてしまった。
彼女のことを裏切れない。
彼女の思いを裏切りたくない。
そして、芽生えた私自身の感情を、裏切りたくなかった。
繰り返し聞こえる殺せ、という声は悪魔としての私の声だ。ガンガン頭に響き渡り、心を壊してしまいそうなほど、連続して響き渡る。
このままでは私は悪魔として、何も伝えられないまま、彼女と別れることになってしまう。
それだけは嫌だった。だから、決意して……言葉にした。
「私を、殺して」
——
彼女が余計に悲しまない様に、街への被害は極力避けた。
彼女の綺麗な体に、一つも傷を付けたくなかったから、攻撃も格好だけ強そうな技で、誤魔化した。
それでも悪魔として、攻撃的な姿を演じて殺される。それだけは、意識した。彼女の遺恨にだけは、なりたくなかったから。
「幸せ……だったよ」
彼女が何を喋っているかは聞き取れない。でも、泣いている。私の体を抱えて、泣いている。とても、暖かくて……どこか、冷たかった。
「敵同士なのに、こんな風になっちゃって……馬鹿だよね」
彼女が首を横に降る。馬鹿じゃないよ、と語りかけてくれる様に。
その動作を見て、安心した。私の好きになった魔法少女そのものだ、と。
「……貴女も、幸せ……だった?」
大粒の涙をこぼしながら、彼女が頷く。それは、私にとって最大の幸福だった。
悪魔である私を受け入れてくれたのだから。
「よかった……」
貴女に会えて、よかった。
言葉が届いたかはわからないけれども、薄れゆく意識の中……笑うことができた。
——
誰もが幸せになれるハッピーエンドなど存在しない。
それでも、幸せの断片を見ることができたのであれば。
それはきっと、一つのハッピーエンドの形なのかもしれない。
夢は踊る。悪夢と共に、どこまでも。
夢は踊る。思いを乗せて、どこまでも。




