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おあずけ

「.....詩音」


 ここまでされて、理性を保っていられる男がどのくらいいるだろう。


 今、遥星を水際で押しとどめているものは、詩音に対する罪悪感と迷いだった。



 捜査に利用するために、無理を言って側に置いた。

 結果として彼女が「おとり」となって、

 これまでに何度も何度も、危ない目に合わせてきた。


 それを知らず、自分を好きだという彼女。


 本当のことを知ったら、悲しむだろう。泣くだろう。

 そして、幻滅するだろう。

 自分の元を、この世界を、去っていくかもしれない。


 そうなったら自分は、どうなってしまうだろうか。

 正直、わからない。

 想像がつかない。想像したくない。



 生まれて初めて抱くこの感情の苦しさから、逃れる方法が思いつかなかった。

 詩文の世界では見聞きしていたものが、ようやく実感となってわが身に降りかかってきた。



「詩音」


 もう一度名前を呼び、その細い肩を自分の胸へ引き寄せる。その存在を確かめるように、両腕で強く抱き締めた。


 ---


 急に腕を引かれ、彼の胸へ顔をうずめる形になった。彼の呼吸が、鼓動が、自分の身体にまで伝わってくる。少し苦しいけれど、苦しいままでいさせて欲しいと思ってしまう。



「さっきの、倒れてきた荷箱だが.....」


(え、その話? そんなの、今話さなくても)


 また話を逸らされたのかという思いと、彼の腕に包まれている現状に、思考が追いついていかない。


「十中八九、あれは狙って倒されたものだ」


「え?」


「奴は、私一人でもなく、詩音一人でもなく、私たち二人がいるところを狙ってきている」


 遥星は、抱きしめた姿勢のまま、そう推察される理由を簡単に話した。


「おそらく、次もある。その時が――勝負だ」



 賭けだった。


 詩音が怯えて嫌がってしまうようなら、その時点で作戦は実行できなくなる。

 ただ、何も知らない彼女を、再び危険に晒すことは、いい加減終わりにしたかった。


 自分に真っ直ぐ気持ちをぶつけてくる彼女に、せめて誠実でありたいという思いが、そうさせた。



「そうなんですね、わかりました」


 詩音の反応は、存外にあっさりしたものだった。

 遥星は抱きしめていた身体を離し、詩音の顔を見る。


「.....怖く、ないか?」


「うーん、なんていうか.....慣れましたし。 それに、突然来るよりは予測できてた方がずっといいです」


 あっけらかんとした物言いに、安堵する気持ちと、申し訳ない気持ちが交差する。



「ねぇ、それよりも.....おあずけ、ですか?」


 甘さを含んだ声で、詩音が上目遣いで問いかける。

 日はもうすっかり沈み、部屋は暗闇に包まれていた。


 せっかく真面目な話をして取り戻しかけた理性を、再び引き剥がされそうになりながら、遥星は平静を保っているかのように答える。


「何がだ?」


「返事ですよ、返事。私の故郷では、『好き』と言われたら、『自分も好き』か『好きでない』か、答える義務のようなものがあります」


――まぁ、結婚どころか、恋人になる前段階での話だけど。


(.....期待して、いいのかな。この人の場合、単純にさっきの話を聞かせる為だけに抱きしめたのかもしれないし。ってか、ここで『好きじゃない』って言われたらもう本当に立ち直れない)


「それは、何か意味があるのか? 」


「えーとですね、次の段階へ進むための、お互いの意思確認のようなものですかね」


「次の段階.....?」


 それを聞いた遥星は少し考え込んでから、困ったように言った。


「詩音は、その、随分と積極的なんだな。女子(おなご)とは受身なものだと話に聞いていたが、私の妻はどうやら、そうではないらしい」



――そう、通常なら「次の段階」とは、「恋人関係になる」ということを示す。だが、詩音と遥星は既に夫婦であって、そういう次元にはいない。

 これまでの流れを(かんが)みても、今、詩音が既に寝台の上にいることを考えても、想定されるその「段階」とは――



 詩音は今さら自分の放った言葉の意味に気付き、一気に耳まで熱くなった。


「え、あ、あの、違うんです!いや、違わない、けど、そりゃそういうことも含まれてると言えばそうなんですが、今この場でそうってことじゃなくて、いや、あの、なんていうか、その!」


 はしたないと、幻滅されてしまっただろうか。

 とにかく弁解しなければという焦りから、訳の分からないことを発しながら手をぶんぶん振った。


「ちょ、痛い、当たってるぞ」


 パシッと、詩音の振っていた片方の手が掴まれ、騒ぐ口に遥星の人差し指が添えられた。



「.....そういうことなら、『おあずけ』だ」



 手と口を封じられたまま低音で(ささや)かれ、詩音の動きが止まった。遥星は大人しくなった詩音の手を離し、手拭いを水で絞り直して手際よく足首に巻き付けた。


「まず、この脚を治さなくてはな。動かしてはならぬと、医者も言ってただろう。今、茶を淹れてくるから、ちょっと待っててくれ」



 遥星がその場から立ち去った後も、詩音はしばらくぴくりとも動けずに呆然としていた。



(.....何、今の。は、反則……! 女慣れしてないって、実は嘘なんじゃないの?)


 頭のてっぺんから足の先まで、燃えるように熱い。

 怪我をした箇所がじんじんと疼くが、そんなものが霞むくらいうるさく心臓が跳ねる。



――この鼓動の甘さにずっと浸っていたい。



 暗闇の中で、まるで自分が火の玉のように光っているのではないかと思う程、自分自身の熱を全身で感じていた。

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