君の名は
男性は、窓のような格子のそばの机と椅子に詩音を案内し、自らお茶を淹れてくれた。格子からは、外の景色が見えた。明るい満月と、輝く星空ーーー外は電気のような光は一切なく、闇に包まれていた。
「.....美味しい」
お茶を口に含んだ詩音が、そっと呟く。
今が一体どういう状態なのかわからないが、この混乱の中、香ばしい良い香りのする温かいお茶が、少し心をほぐしてくれた。
「そうか、良かった。少し珍しい茶葉でな、鎮静効果があるらしい。まだ茶はあるから、何杯でも飲んでくれ」
男性が微笑みかけ、そのこともまた詩音の警戒心を解した。
そもそもここは、どこなのだろう。
私はどうして、ここにいるのだろう。
色んな疑問が浮かんでくる、というか疑問以外浮かばない状況である中、ます一番確認したかったことを聞いてみる。
「あの.....質問よろしいですか」
男性が#頷__うなず__#いたのを見て、続ける。
「何故、私のことを#匿__かくま__#ったのですか? あなたは、身分のある方なのでしょう? 不審者として、私を突き出すのが自然だったはずでは?」
そうなのだ。
さっき聞こえた話を考えると、この人は女性に殺されそうになっていた。結果的に、詩音がぶつかったことでそれを防げたわけだが、とはいえ、詩音自身も怪しい者に違いはない。この人の立場的にも、謎の侵入者を許せる状況ではないはずだった。
男性は、優雅にお茶を飲みながら答える。
伏し目がちにした目や、茶器を持つ指の先まで美しく、やはり身分の高い人なのだと認識させられた。
「.....そなたは、私のことも、ここがどこであるかも知らなかったであろう?
私のことを狙う暗殺者であれば、そんなとぼけたりせずにあの時狙うのが絶好の機会であったろうし、その類の者ではないと思った。
あそこで私が突き出せば、そなたは牢に捕えられてしまうことになるが…...なんとなく、それはさせたくないと直感で思ってな」
こちらの表情を#窺__うかが__#いながら、そのまま男性は話を続けた。
「単純にそなたと話してみたいと思ったのじゃ。.....嫌だったか?」
ーーええっと、なんでそんな潤んだ瞳で見つめるのでしょうか。あざとい系男子か。
「滅相もない」と詩音が否定すると、わかりやすく嬉しそうな顔をした。
ーーだからなんなの.....仔犬か。
「私も聞きたいことがあるのだが――そなたの、名を教えてくれぬか」
名前。
確かに、そうか。
この人と私は初対面で、今こうして向かい合って話をしているからには、お互いの名前を知っていた方が何かと都合がいい。そんなこともすっかり頭から抜け落ちていた。
詩音の頭の中は、とにかく自分のことでいっぱいだった。
ここはどこなのか、何故ここにいるのか、「確かめたい」という欲求のみがベースにあるため、それ以外の情報がある、ということは想像していなかった。
この人にとっては、自分のスペースに突然異物が入ってきたようなもの。その正体を知りたいと思うのも、自然なことかもしれない。
これが、ホームとアウェーの違いだろうか。
だから、相手がこんなに落ち着いてみえるのだろうか。
(合コンでは、いつも当たり前のようにしていることなのに。)
ただ名前を聞かれただけだというのに、何かすごく特別なことのように錯覚した。