夕焼け、坂道、手繋ぎ夫婦。
瞬くと、落ち着きのない素振りで周囲を見渡す男と、そんな情けない夫を苦笑いで見守る女がいた。
「もういいんじゃないですか?」
「何が?」
新妻の問いにも上の空のサンタは、他人の視線が自分たちに向いていないか心配している。
「だから、これ」
そう言って柊が珍しく繋がれた二人の手を可笑し気に翳すと、夫は慌ててそれを制した。
元来、極度の恥ずかしがり屋であるサンタが人前で手を繋ぐことなどありえなかった。
が、この日の男は前日に見たドラマに大いに感化され、夫婦はそうあるべしと珍しく妻の手を取ったのだった。
「いやさ、やっぱり俺、夫婦っていうのは手を繋いでなんぼだと思うのよ」
ミーハー男は知った風なことを言う。
「すべての基本、ですか?」
「そう、それ」
ドラマの受け売りをそのまま鵜呑みにして夫は満足げに頷く。
「でもあなた、これまでにこうやって手を繋いでくれたこと、ありましたっけ」
得意げな態度が少々鼻についたので、柊は本質的な質問を投げつけてみる。
「いや、だからさ、今こうやって―――」
「昨日のドラマでやってたから、自分もやってみたくなったんですよね」
夫は図星を衝かれ、途端にしどろもどろになる。
「ドラマみたいに仲の良い夫婦を演じてみたくなっただけですよね」
追い打ちをかけるように新妻は真実を突き付ける。
「演じるってお前・・・」
サンタは何か言い訳をしようとするが、うまい言葉が出てこない。
この人はいつになっても変わらない。
陰で笑いを堪えて女は思う。
夫は手を繋ぐ恥ずかしさと昨日のドラマの価値を天秤に掛けている。
間違いなくそう思っている。
そんな顔をして歩いているから、柊にはわかるのだ。
わかりやすい男。
彼女は自分の満足が顔に出ないように努めていた。
もちろん、その表情が出ていたとしても気付かれないと知りながら。
夕飯の買い出しの帰り道。
陽の傾きかけた金曜日。
住宅街の延々と続く坂道を二人は歩いていた。
「無理しなくていいですから」
柊はそう言って手を引こうとする。
「無理してないし」
が、夫は意固地に握る手に力を入れる。
柊は半ば呆れて、でも実のところサンタの性格を知り尽くしているものだから、半ばこの状況を楽しんでもいるのだった。
「じゃあ、遠慮なく」
だから彼女は、思い切って夫に身を寄せてみる。
「バカ! 近いよ。誰かに見られるだろ」
「見られちゃだめなんですか」
二人は夫婦だ。
何もやましいことはしていない。
むしろ傍から見れば仲睦まじい姿に映るに違いない。
「ダメじゃないけど・・・」
「イヤですか?」
「イヤって訳でもないけど・・・」
それでも男は気恥ずかしくて仕方ない様子で必死に体を剥がそうとする。
「じゃあ、この手も放します?」
柊は自分が意地悪なことを言っているとわかりながら、どこかで快感を覚えている。
身を離しながら手は放そうとしない夫に、実のところ笑いを堪えるのに苦労していた。
目の前には熟れた柿のような太陽が坂道のテッペンに着座している。
目に入れても痛くないその夕陽を見上げ、柊は微笑む。
二人は手を繋ぎながらも微妙な距離を取っている。
「なんだかこれ、小学生の遠足みたいですね」
堪えきれずに新妻は歯を見せて笑いだす。
その顔を見て、サンタは一つ、鼻で笑う。
でも、なんだか段々、本当に笑えてきた。
「確かに、男女で隣の子と手を繋いで遠足に行ったっけ」
こんな風に、と夫は大げさに手を振って歩いて見せる。
「こんなに振らないですよ」
でも二人は可笑しくてそれをしばらく続けた。
「今日はサンマです」
手の振りと同じくらい元気よくそう告げる。
「大根おろし大盛りな」
サンタの声も普段通りの大きさに戻る。
「梨も買いましたから」
「いいね。よし、今夜は俺がむいてやろう」
「いや、それはいいですよ」
不格好な形になった梨がリアルにイメージ出来るから、柊はその申し出を体よく断る。
「大丈夫だって、やってやるから」
「いいですから」
「お前、俺のこと信用してないだろ」
ちょっと落とした声色にドキッとしたが、新妻は焦りを笑い飛ばしてみせる。
「じゃ、お願いしますかね」
しょうがないと思いながら、満足げに頷く夫を見守った。
手の振りが落ち着く頃には、夫婦は自然と肩を寄せ、いつもより少しだけゆったりと坂を上っていた。
「たまにはこういうのもいいもんですね」
柊がそう言うと、サンタはやはり照れだして、
「なんだよ、改まって」
とそっぽを向く。
そして、
「こんなの、いつでもやってやるよ」
なんて嘯いて見せる。
「本当に? 絶対ですよ」
そんなはずはないと知りながら、新妻は屈託のない笑みを夫に向ける。
そして―――
もうすぐ坂を上り切ると、手が離されてしまうんだ。
とそう思う。
少しだけ寂しい気持ちもあるが、柊は笑顔を崩さない。
きっとまた、手を繋ぐ時が来るのを知っているから。
きっとまた、二人で手を繋ぎ、笑顔のままこの坂を上る日が来るのを知っているから。
だから彼女は今というひと時を一歩一歩噛み締めたのだった。