四、
「敏也、ありがとう。すごく、嬉しかった」
一段落してから、僕は敏也に感謝を伝えた。敏也がいなければ今頃僕はどうなっていたか、想像したくもない。だけどたぶん三上が懸念した通りになっただろう。僕に続けて三上も、受け入れてくれたことはありがたい、と言った。
「ごめん!」
唐突に、敏也は僕たちに向かって深々と頭を下げた。
「三上、どうか許してほしい。自己責任だとか仕方ないことだとか、俺は何度も酷いことを考えた。そうやっていじめを正当化した。止める機会はいつだってあったのに、そうすることができなかった」
三上は突然の謝罪に驚いて目をぱちくりさせた。
「それから広太も。ずっと、ひとりで抱えてたんだな。昨日話してからいろいろ考えて、俺がどれほど無知だったのか気がついたよ。今は自分が恥ずかしい」
「そんな! 謝らなくていいよ。敏也は悪くないし、むしろ感謝してるんだ」
カミングアウトをためらったとき、真っ先に浮かんだのは大切な友人を失うかもしれないということだった。だから親友の敏也が受け入れてくれたことは僕にとってとても大きなことなのだ。そしてそれこそ何よりも大切なもので、同時に僕が一番望んでいたことなのだと――初めて気付いた。
「ほんとに、全部敏也のおかげだから。敏也がいてくれて良かった」
「確かにそうだな。これまではどうあれ、鈴木は今日、勇気ある行動で俺たちを助けてくれた。そのことだけで十分埋め合わせられてると思う」
そろそろと頭を上げた敏也は、謝罪が受け入れられてほっとした表情を浮かべた。敏也は小さな過ちでもすぱっと謝ることができる人だ。そういうところも周りから好かれる要因なのだろう。
三上が右手を差し出して、敏也がそれをつかむ。ふたりの握手は和解と結束と――、それからかけがえのない友情が芽生えた証に思えた。
*
三上徹の父親は、頻繁に、というほどではないがこれまでに何度か家族を連れて引っ越しをしてきたらしい。
「俺も、最初の頃はわざわざ明かす必要もないよなって思ってたんだ。俺が黙っていれば何の問題もなく過ごせて、それで万事うまくいくと思ってた」
三上がどうしていきなり自己紹介で性的指向を明らかにしたのか、ということにはもう少し続きがあった。「傷つけたくなかった」と言ったことの背景には、以前の学校での出来事があるのだと、三上はぽつりぽつりと教えてくれた。
「この前いた学校でさ、それなりに楽しんで過ごして、仲のいい友達もたくさんできて、もうここから引っ越したくないって思ったくらい、大袈裟かもしれないけど幸せだったんだ」
僕は三上が言った言葉を思い出す――「知った途端に態度を変えられるくらいなら」。話の筋書きが読めてしまい、背筋が寒くなった。淡々と語られる言葉の端々から、悲しさがにじみ出ているような気がする。
「だけど、すべては一変した。ある女子から告白されて、すぐに断ったんだがしつこく押されて、『付き合ってる人はいないんでしょう』『私のどこがダメなの』『お試し気分でいいから』等々、延々迫られたから面倒になってゲイだって明かしたんだ。信じられないくらいの変わり身の早さだったよ」
友情や恋愛感情なんてそんなもんなのだと言わんばかりの冷笑が浮かんだ。僕は心臓を掴まれたような鋭い痛みを感じる。それはきっと三上が感じているものだ。
「あっという間に学校中に広まって、学校中の態度が変わった。一番の親友だと思ってたやつにまで、いやむしろ一番近かったからかもだが、『近づかないでほしい』って言われたよ。その瞬間に何かが壊れた気がして、俺は人を信じられなくなった。学校に行けなくなって、部屋にこもって一日中『死ねたらいい』って思ってた。親が理解してくれて症状はいくらか落ち着いたけど、それで何か変わるわけじゃない。結局人間なんて薄情なものなんだと、どうにかこうにか諦観するまでずっと苦しかった」
簡単に諦観できるはずがないし、たとえ諦観しても苦しくないはずがない。信じていた友人に裏切られる恐怖は想像するだけでも胸が締め付けられる。心ないアウティングと周囲の拒絶が彼の心に残した傷痕はどれほど深く、そしていつまで消えないのだろう。僕は掛ける言葉を失って、ただ無言で耳を傾けていた。
もう泣かないと決めたのに、僕の視界はまた涙でぼんやりとぼやけてしまう。
人はこんなにも残酷になれるものなのだ。ただ「違う」から排除する。それは排除される側からすればこの上なく理不尽で苦しいことだ。
「俺もさ、正直言うと三上のこと避けてたんだ」
敏也が、恐る恐るといったふうに沈黙を破った。
「気持ち悪い、とはそんなに思わなかったけど、関わったら面倒かなって、正直考えてた。三上は俺たちとは違うんだ、だからみんな避けて当然だよな――って。だけど、今はそんなの絶対間違ってるって断言できる。ゲイだとかゲイじゃないだとか、そんなの全然特別なことじゃないんだ。そんなことを言い訳に、誰かを苦しめちゃいけないんだ。差別をするのは、きっとそのものを良く知らないからだと思う。知らないから怖がったり遠ざけたりする。ただそれだけなんだと思う」
それは自戒、反省、そして宣言でもあり、希望だった。僕ら人間はどうしようもなく不器用で数え切れないほどの過ちを起こす生き物だけれども、そのたびに人は変われるのだ。立ち止まり、考え、道を選び直すことができるのだ。
「昨日、もやもやした気持ちを母親に相談してみたんだよ。そしたら、いつになく真剣な表情で言われたんだ。『助けを求める声に、耳を塞いじゃいけない。誰かを助けることは、自分を助けることなんだよ』ってさ」
敏也の母親には、僕も何度も会ったことがある。さばさばした人で、敏也と同じくらい快活で人当たりのいい人だ。そんな彼女が言った言葉にしてはずいぶんと厳しく、しかし優しいものだった。
「それでも俺は、首を突っ込むことをためらってた。けど、『誰かのために声を上げなきゃ、あんたのために声を上げてくれる人はいないんだ。無関心は自分の首を絞めてるんだよ』って言われて、はっとしたんだ。同じ教室にいたのに、俺はどこか遠い出来事みたいに思ってた。滑稽だろう? でも本当は違う。これは他でもない自分たち自身の問題なんだって、解決しなきゃいけない問題なんだってようやくわかったんだ。遅すぎるくらいだったけど。それに広太がゲイなのかもしれないって考えてみれば思い当たる節はいくつもあった。広太に三上のことを尋ねられて俺が返した言葉を、今思い返すとすげえ酷いこと言ってたって気付いて、それが広太を傷つけてたってわかって、何かしなきゃって思った。力になりたいって思った」
敏也は向き直って、僕の目を真っ直ぐに見つめる。
「広太、俺はずっと広太のことに気付いてあげられなかったし、これまでに何度も広太を傷つけたと思う。幾度となく同性愛をバカにしたり、笑ったりした。それが広太にしてみればどんなに苦しかったか、想像すらできない。こんな俺だけど、どうかこれからもずっと、俺の親友でいてくれないか?」
僕の視界は再びぼやけた。けれど、今度は嬉し涙だった。
「……当たり前じゃん。これまでもこれからも、敏也は僕の、大切な親友だよ」
どうにかこうにか答えると、僕は頬を濡らしながら、情けなくくしゃっと笑った。
人が生きていくなかで、きっと他人を傷つけてしまうこともあるだろう。だけど、他人の傷を癒すのも、また人なのだと思う。人は他人を死に追いやるくらい残酷にもなれるけれど、誰かを救えるくらい優しくもなれる。僕はそう信じている。
冷静な判断ではなく感情的にカミングアウトしてしまったことを、やはり少なからず後悔している。しかし敏也には受け入れてもらえたのだし、そのことだけで十分すぎるくらいだという思いもある。今僕の心を満たしているのは、不安ではなくて安堵だった。
もちろんこれから先、避けられたり笑われたりすることもあるだろう。だけどもう僕はひとりじゃない。受け入れてくれる仲間がいる。それはきっと計り知れないほど大切なことだった。
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