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三、

 家に帰ってから、ベッドに寝っ転がって悶々としていた。家族に相談できる内容でもなく、そう簡単に答えは出そうになかった。

 自分がいじめられているわけではない。三上も覚悟の上でカミングアウトした。だからこれでいいのだと、そう思えたらどんなに楽だろう。目をつぶることが、耳をふさぐことが、口をつぐむことができたなら、僕はどれほどの重荷を捨て去ることができるのだろう。

 けれどその重荷はまず第一に三上が背負っているものだ。重荷を捨て、目を背ければ、いずれ三上はこの巨大な敵意に潰されてしまうかもしれなかった。

 突き刺すような胸の痛みは、ずっと治まることなく叫び続けていた。

 いたい。いたい。いたい。

 きっと誰もがその声を聞いているのに、みんな聞こえないふりをしている。「自分には関係ない」と思い込んで口をつぐんでいる。


「関係ないわけないじゃん……」


 かすれた声でつぶやく。さっきも三上に向かって言った言葉だ。

 関係ないわけないのだ。けれどそれは自分が同性愛者だから、ではない。

 迫害はいつでも、どこでも、誰にでも起こり得ることなのだ。性的指向だけではない。趣味、出自、人種、信教、性別――迫害されない保証は誰にもない。だから目の前の迫害に目をつぶることは、自分の首を絞めているに等しいのに。

 もどかしかった。自分は同性愛者だから、三上の味方になったところで同性愛者が二人集まったにすぎない。溝を埋めることも、わかり合うこともできない。同性愛者と異性愛者の間の壁を壊すことはできない。

 それならば異性愛者だと偽ろうか。ふと頭をかすめた考えを振り払う。それは三上の嫌いそうなやり方だった。同性愛者であることに誇りを持っている三上にしてみれば、異性愛者を装うことは同性愛者に対する侮辱だ。自分を否定することだ。そんなことをしてまで味方をしてほしいとは思わないだろう。

 考えれば考えるほどわけがわからなくなった。三上はどうしてほしいのか。僕は三上に何をしてやれるのか。答えの見つからない問いはぐるぐると堂々巡りを続けた。


    *


「広太、ご飯だぞー!」


 いつの間にか思考は止まって、ぼんやりしてしまっていた。気付くともう日は暮れていて、父親の呼ぶ声で我に返った。我が家では、ワーカホリック気味の母親より父親の方が多く家事を担当している。

 気付いたときにはそういう分担が出来上がっていたから大して疑問も抱かずに受け入れてきたけれど、実際のところどうなのだろう。父はろくに残業もできず、立場が悪くなったりしたんじゃないだろうか。

 非の打ち所のない夕食をもそもそと口に運びながら考えを巡らす。いつもなら美味しく感じるはずの食事も、今はあまり味を感じられない。まるで世界から色が失われたかのように、すべてのものが鈍く沈黙している。

 僕も父親も、必要がなければ自分からはあまり話さないタイプの人間なので食卓は静かだ。だから話の始め方を考える余裕は十分にあった。


「……ねえ、父さんは僕のために仕事のいろんなことを諦めてるでしょ?」


 言われた父は驚いたように顔を上げると、一体何を言い出すんだと言わんばかりの怪訝な顔をした。


「そんなこと気にしてるのか?」

「ううん、ちょっと気になっただけ」


 悩んでいるのはまったく別のことなのだが、誤解させてしまっただろうか。僕は取り繕うように力なく微笑む。


「確かにな、そりゃあ選ばなかったものもいっぱいある。……でもな、その代わりに得たものだって大切なものだぞ?」


 きっと嘘偽りなくそうなのだろう。選んだ今も、選ばなかった今も、等しくあり得た未来だったのだ。だから諦めたのではなく選んだのだと、父はそう言いたいようだった。


「だけど――」


 実際問題それは等しい選択肢ではない。誰もが仕事を選ぶなかで、家庭を選ぶことは異端だ。迫害の対象だ。

 言いよどんだ僕を見て、父は静かに目を閉じた。


「関係が悪くならなかったかって? そうだなあ、上司には散々嫌味を言われたなあ。昇進もめっきりなくなったし」


 あまりにも何でもないことのように言うので、僕は不思議に思った。パワハラは決して簡単に受け入れられるものではない。


「なんで、なんで父さんはそんなに強くいられるのさ? なんでそんなに自分を犠牲にして……」

「それは違う。私は自分を犠牲にしているなんて思ったことはないよ。それに、それを言うなら母さんの方がよっぽど苦労してると思う。男ばっかりの場所で人の何倍も努力をして、ようやく対等だと認められる。私はそんな母さんを支えたいって思ったから、ずっとこうやってきたんだ。自分のやりたいことをやってきたんだ」


 ぱん、と何かが弾けたような気がした。

 僕が何か行動するのは、三上に頼まれたからじゃない。自分の意志だ。だったら自分のやりたいようにやるべきなのだ。たとえそれが多少険しくたって、自分で決めた道なら突き通せる。同性愛者だとか異性愛者だとかはこの際大した問題じゃない。今起きているのはいじめで、僕はそれに立ち向かいたいと思っている。行動するのに十分な理由だろう。

 僕らの未来はいつだって「今」から始まるのだ。道を選び直すのに、遅すぎるなんてことはない。

 いつの間にか、世界には色が戻ってきていた。


    *


「おはよ!」


 朝の廊下、僕は三上徹に挨拶をした。三上が驚いたような顔をする。


「今野、なんで――」

「決めたんだ。傍観はしないって。だってそっちの方がずっと苦しいことだって気付いたから。その結果どうなろうと僕は受け止めたいと思ってる。僕は自分の意志で、君と仲良くなりたいって思うんだ」


 もう声は震えない。今は涙の出番ではないから。誰かと仲良くなりたいなら、笑顔が必要だ。三上の顔に浮かぶ心配そうな表情も、僕の心の中に残る不安も、まとめて打ち消すぐらいの笑顔が必要だ。


「三上君、僕は君と、友達になりたいんだ」




 僕は孤立してしまった三上をクラスに引き戻したいと思った。そのために僕はわざとらしいほどに三上と会話をし、距離を縮めようとした。しかし、それは必然的にいじめの主導者たちから反発を買うことになった。


「おい今野~、なんで三上なんかと一緒に居んだよ~? ケツ掘られっぞ~?」


 粘りつくような話し方で絡まれる。しかも内容は三上への侮辱。それを囲む、嘲るような下卑た笑い声。内心、はらわたが煮えくり返る思いだったが、僕は平静を保って答えた。


「別に僕が誰と仲良くしようが僕の勝手だろう」


 案外強い口調になってしまったようだった。にやけていた顔が一瞬真顔になり、そしてまたにやける。


「……もしかして今野もホモなのか?」


 思わず固まる。恐れていた問いだった。認めればクラス全員にカミングアウトすることになる。しかし否定すれば同性愛は隠すべきものだと自分で認めるようなものだ。そんなことをすれば、三上への、いや同性愛者全体への侮辱にも思えた。

 即座に否定しないことを肯定と捉えたのか、目の前の顔のにやけがますますひどくなっていく。まるで新しいおもちゃを見つけた子どもだ。僕は唇を噛んだ。それから心を決めて、息を吸う。


「「だったら何なんだよ」」


 僕は驚いた。僕の言葉にまるっきり重なって、もうひとつの声がしたのだ。目を向けると、椅子に座ったまま顔をこちらに向けた敏也がいた。


「寄ってたかって下らねーことばっかりしてんじゃねーよ。そんなせせこましい真似、十分見飽きたわ」


 それは明確な意思表明だった。僕が目指した緩やかな融和ではないかもしれない。クラスを二分してしまうかもしれない。それでもその言葉は、この小さな空間を塗り替えるだけの力を持っているように感じられた。

 いや、まさに。普段から人当たりの良い敏也の行動で、リバーシの駒がひっくり返るように教室の流れは反転した。引き続いて数人の女子が賛同し、暴言と暴力を非難した。今や多数派は少数派に変わっていた。そっちの衝撃の方が大きかったのか、僕のカミングアウトは誰にも取り上げられずさらっと流されてしまった。

 でもきっとそれが一番自然なのだ。性的指向なんて大した違いじゃない。僕は僕だと、そう思ってもらえればそれでいい。

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