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二、

 放課後、僕は熱に浮かされたように重たい足を引きずって歩いていた。ちょうど職員室の隣、会議室の前を通ったとき、中からヒステリックな声が響いた。


「一日中顔を合わせているんでしょう!? そんなの耐えられないわ!」

「奥さん、落ち着いてください。大丈夫ですから」


 たぶん保護者と、担任だ。


「大丈夫!? 朝から夕方まで同性愛者と一緒にいるのに!? どういう根拠で大丈夫なんですか!?」

「奥さん、非常にデリケートな問題ですので、そう興奮せずに!」


 思わず、僕の足は止まっていた。心臓に冷水を浴びせられたような感覚。僕は耳を澄ませた。


「トイレだって着替えだって、それにこれからプールも始まるのに、こんな状況に我が子を置いてられません! 何か問題が起こって、一生消えないトラウマが残ってからじゃ遅いんです! そうなったら責任取れないでしょう!?」

「わかりましたわかりました! こちらでも対応を検討中ですので、今日のところはひとまず収めていただけますか!」


 張り合うように担任の声量もつり上がっていく。そして、がちゃりとノブがひねられた。開いた扉の向こうに、見慣れた担任の驚いた顔が現れる。


「ああ、今野か。何か用か?」

「……いえ」


 そう言いながら向き直り、クラスメイトのうちの誰かの母親だろう彼女に視線を向ける。


「おばさん」


 それは自分が思っていたよりずっと冷たい声だった。


「もし自分の息子が同性愛者でも、今と同じこと言える? 言われて耐えられる? あなたの息子のそばにうちの子は置いておけませんって」

「そ、それは……」

「三上君がどれだけつらい思いをしてるのか、わからないの? あなたの言葉が、どれだけ彼を苦しめるのかわからないの? 拒絶されて嬉しいわけないじゃん。どうして会ったこともないくせに同性愛者ってだけで性犯罪者みたいに言わなきゃいけないの? どうして……っ」


 もう自分が何を言っているのかわからなかった。ただ怒りと、悲しみをごちゃ混ぜにした衝動に突き動かされて僕は言葉を連ねた。


「何も違わないのに、同じ人間なのに、それでも認めてあげられないの? 受け入れてあげられないの? どうして、みんなと同じように接してあげられないの? 自分と違うものを認める、ほんのちょっとの、その勇気ぐらいあるでしょう?」


 僕は誰に向かって話しているのだろう。おばさん、担任、級友――違う、自分。


「何一つ知らないのに、知らないから差別するんだ。それがどれだけ理不尽なことかわかる? 僕は、そんなの耐えられない」


 最後の方は声が震えた。

 くるっと踵を返して、僕は走り出した。涙が溢れてきたからだ。担任も、おばさんも、呆気にとられて金魚のように口をぱくぱくしている。

 廊下の角を曲がって、前を良く見ていなかった僕は立っていた誰かにぶつかりそうになった。謝ろうと思って顔を上げると、困ったような表情が飛び込んできた。


「三上、君……」


 そこにいたのは、渦中の本人だった。


    *


「聞いてたの……? 最初から……?」


 小さく頷かれる。

 そして彼は苦笑いのような顔をした。

 いくら強がったって、悲しくないわけないのだ。胸が潰れそうだった。


「……何で今野が泣いてるのさ」

「こんなの、泣かないわけないよ! おかしいじゃん! なんで三上君がこんなふうに扱われなきゃいけないんだよ!」


 限界だった。友人たちも、保護者も、担任でさえ三上のことを理解しようともしない。もうこれ以上自分を押さえつけておくことはできなかった。あまりにも残酷な世界に、心が泣き叫んでいた。


「俺は、こうなるだろうって思ってたよ」

「じゃあなんで!」

「嘘をつきたくなかった。ゲイだってことを隠すことで、明かしたときに誰かを傷つけたくなかった」

「そんなの、自分が傷つけられたら意味ないじゃん……。みんなから拒絶されるために明かしたの?」

「そりゃそうだ。受け入れてもらえるかも、なんて初めから期待すらしてないさ。俺がゲイだって知って嫌いになるのなら、初めから嫌われた方がましだろう。自分を偽って作った友人なんて、自分を苦しめるだけだ」


 僕は三上が怒る姿も、泣く姿も見たことがない。いつだって何でもないように振る舞って鋼の扉で心を閉ざしている。その扉は何よりも固く、そして重い。その向こうで彼は一体どんな表情をしているのだろう。

 みずからの意志でクローゼットから出てきたのに、彼はまた閉じ込められている。存在を否定されている。誰よりも強い心を持っているのに、そんな彼が、なぜかとても寂しそうに思えた。


「僕も……、僕もゲイなんだ」


 発した言葉はかすれていて聞き取りづらかったと思う。

 これまで誰にも言ったことはなかった。親はもちろん、友達にだって明かしたことはない。好きなタイプを聞かれても、アイドルの好みを聞かれても、なんとなくごまかして偽ってきたのだ。

 対象が別だったとはいえ周囲の人々の同性愛嫌悪に晒され、僕は不安定になっていた。何より、傍観という方法でそれに加担していることに耐えられなかった。僕は迫害されるのを恐れて、見て見ぬふりをしていたのだ。


「だったら、俺と一緒にいない方がいい」


 しかし僕のカミングアウトに対しても三上は淡々と言葉を返した。


「隠しておきたいなら、疑われるようなことはするな。俺の近くにいるだけで、今野もきっとそうだと思われる」


 それなら、今までと同じように傍観していればいいと言うのか。止めることも味方になることもせず、ただ黙って見ていろと言うのか。


「そんなの、酷すぎる……」

「なんでだよ。今野は関係ない。わざわざ巻き込まれる必要はないだろ」

「関係ないわけないじゃん! なんでそうやって全部自分で背負おうとするんだよ!」

「じゃあ何ができる? たとえゲイだと公表して俺の味方を宣言しても、結局は犠牲者がふたりになるだけじゃないのか? 今野がそうなることは誰も望んでない」


 言葉に詰まった。僕は、どうしたいのだろう。どういう未来を望んでいるのだろう。


「とりあえず、今野が俺と一緒にいるのは良くない。誰かに見られでもしたら取り返しのつかないことになる。早く離れろ。いいな?」


 揺るぎない口調で言われ、僕は無言で頷くしかなかった。

 足早に立ち去っていく三上の背中は、どんな助けをも拒否しているように思えた。しかし依然として、その背中はどこか悲しそうだった。

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