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こうなってしまったミコトに抗う術を身につけていなかったノゾミは、彼女にも出来そうなことを依頼する。
「俺がこの皿に卵を割るから、ミコトは牛乳を入れてくれ」
「分かりました!」
ノゾミは手早く卵を一つ割ると、ミコトに牛乳のパックを手渡した。
「どのくらい入れれば良いですか?」
「俺がストップって言うまで」
ノゾミはいちいち材料を計ることはしないで目分量で味付けをするタイプなので、ここには計量器の類はほとんど置いていなかった。しばらく料理をしていなかったので、感覚が鈍ってなければ良いのだが。
ハラハラしながらミコトの様子を見ていたが、ノゾミがその行動に制止をかけるのは、思っていたよりもずっと早くに訪れた。ミコトが開封したての牛乳パックを、勢いよく傾けたのだ。
「ス、ストップストップ! 入れ過ぎだ」
「ぇえっ!? ど、どうしましょう……」
「入ったもんはどうしようもない。卵を足すか」
もう一つ卵を割ってから卵液をかき混ぜると、量は多いが丁度良いくらいの濃度になった。
「パンも足さないと駄目だなこれ……ミコト、どのくらい食えそうだ?」
「半切れくらいなら」
「なら、もう一枚焼いて半分ずつ食べるか」
ノゾミは食パンを三枚取り出すと、食べやすいようにそれぞれを四等分に切り分けた。それを卵液に浸してから、あらかじめ温めておいたフライパンにバターを投入する。
たちまち台所に広がった芳ばしい香りに、ミコトはわぁっと声を漏らした。
「良い匂いですね」
「危ないから、近付きすぎるなよ」
バターが十分に溶けたところで、パンを焼いていく。本当はもう少し浸しておいた方が美味しくなるのだが、元より時間をかけて作る気は無かったので問題ない。
しばらくは互いに無言でパンが焼き上がるのを見守っていたが、残りわずかになったそれを見て、ミコトが手伝いを申し出た。
「ノゾ君、僕にできることはありますか?」
「ああ、適当な皿を出しておいてくれ」
これくらいなら失敗することはないだろう、と簡単な仕事を頼んでおいた。
「このお皿はどうでしょう?」
「それでいい。ここに置いてくれ」
ミコトが選んだ皿に出来上がったフレンチトーストを盛り付ける。一時はどうなることかと思ったが、ちゃんと形になっていた。
「メープルシロップが無いから、ジャムでものせとくか」
ノゾミは冷蔵庫からイチゴジャムを取り出してトッピングを施す。するとミコトは、待ちきれない、といった様子でそれをリビングダイニングへと運んでいった。
その後ろ姿を眺めながら、ノゾミは自然と目を細めていた。
二人はローテーブルに向かい合って座り、早速作った料理を前に手を合わせる。
「「いただきます」」
気が付けば、咀嚼をする間の沈黙さえ気にならなくなっていた。
こういう家庭的な雰囲気は久し振りで、ノゾミの心には言葉にはできない、何か暖かいものが溜まっていくような感じがしていた。
「ノゾ君、これ、凄く美味しいです!」
ミコトの嬉々とした声は、さらにノゾミの胸に温もりを与えていく。
「そうか……良かったな」
ノゾミもフレンチトーストを口に運び、その甘さを噛みしめた。少しジャムが多かったかもしれないと思いつつ、無造作にテレビのリモコンを手にとって電源を入れる。
するとそこには朝のニュース番組が映し出された。内容は、昨日の通り魔事件について。
その瞬間、ノゾミの中に溜まっていたものが、すーっと風船がしぼんでいくみたいにどこかに消え失せてしまった。