5-2-1 豹変
「――――ぅ……」
体中が怠くて重い。重力が普段の何倍にもなってしまったかのようだ。覚醒しかけた意識を呼び起こし、やっとのことで目を開ける。
自らの体の変化に気が付いたのは、その時だった。
「なんだ、これ……」
腕が、全く動かない。
後ろ手に縛られていて、藻掻けば藻掻くほど縄が皮膚に食い込んだ。
(嘘だろ……誰がこんな)
いや、こんな事をやりそうなのは一人しかいない。
あの雪のように白い青年。ノゾミが眠りに落ちる直前に嗤っていた、あの妖しい青年。
(そうだ、キオは!?)
頭をもたげて部屋を見回すが、ここには誰も居なかった。ノゾミはリビングの壁にもたれて座らされていて、ろくに身動きも取れない。
ただ正面に見える二つの扉が、異様な程の存在感を放っていた。どちらかの部屋にキオは居る。そして同じ場所にサユキも居るのだろう。
「はぁー…、最悪……」
サユキが何を考えているのかは分からないが、厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ。早いところキオを見つけて帰らなければ。
(その前に、この縄を何とかしないとな)
縄から腕を引き抜こうとしてみるが、力を籠めると縄が擦れて痛い。近くに鋏やカッターも見当たらないし、あったとしてもこの状態では使えない。
(助けを呼ぶか? でも助けって誰だ)
大体、荷物はキオの部屋に置いてきたので、携帯電話も持ってない。
(畜生、アイツが出てきたら問い詰めてやる)
全く、サユキは一体何をしたいのやら。もしかしなくても、これは監禁だ。たとえ謝られたとしても、腹の虫が治まらない。
(あ、どっちかの部屋に居るなら、声出せば届くかも)
たかが壁一枚しか隔てていないのだ。直接サユキと話すことにはなるが、彼を追求する何よりの手段だ。
「おい! サユキ…さん。居るんだ、でしょう。何がしたいんですか!」
すると、案外すぐに答えは返ってくる。
「ノゾミ君? 起きたんだ。こっちに来てごらんよ、足は動くだろう」
挑発されるように言われて、ノゾミの頭に血が上る。
壁に体重をかけてやっとの思いで立ち上がると、サユキの声がした方の部屋へと歩き出した。
(キオ……今行くから)
扉はドアノブのレバーを下ろして開けるタイプだった。手が使えないので、体を捻って肘でレバーを下げるとドアが内側に開く。その拍子にバランスを崩したノゾミは、前に倒れ込んでしまった。
胸を床に打ったせいで一瞬呼吸が苦しくなったが、お陰で扉が開かれる。
「キオ……っ」
顔を上げると、弟が仰向けで床に横たわっていた。
それも、血溜まりの中で。
「な…、キオ……?」
「おはようノゾミ君。気分はどうかな」
サユキは部屋の横にあるベッドに座って、二人を見下ろしている。が、ノゾミの視界には入っていなかった。
「キオ、おい起きろよ……キオッ!」
「あれ、僕の声聞こえてないかな?」
「キオ! 何してんだ、眼ェ開けろよ! キオ!!」
「ふぅん……」
ふっと目を細めたサユキの顔から、笑顔が消えた。
彼はベッドを離れてノゾミの元へ近づいてくる。本能的に身を固くしたが、髪の毛を鷲掴みにされて強制的に上半身を起こされた。
「ぅぐ……」
「僕はここだよ」
「お前…キオに何をした?」
「――――殺してもらったんだ」
「ッ!」
ノゾミは、もはや相手が年上であることも忘れて叫んだ。
「ふ…ざけんな、テメエ! 俺の弟に勝手に手ぇだしてんじゃねえよ! 糞野郎がぁッ!!」




