4-9-1 マイナスの傷
「そうですか……でも、手首を切ったくらいではノゾ君は死にません。それが分かっているのに、なぜ……?」
ミコトの表情が曇る。その顔には見覚えがあった。今まで何度もミコトを不安にさせてしまったが、その度に覗かせる表情だったから。
「……ごめん。俺さ、父さんが死んで、もう俺を縛るものは無くなったって思ったんだけど、どこか満たされていない感じがしたんだ。もし死ねたら、それが俺の本望だから、もっと充足感が得られると思って」
「それで、自分の手首を?」
「ああ。父さんが死んで、もっと“死”に興味が湧いたんだ」
ミコトに嘘は通じない。分かっていたから、隠すのはやめた。
「サトリとレイを探し出せればノゾ君はいつでも死ねるのに、それでも自分を傷つけるんですか」
「…………」
「ミコト様、今回のことは大目に見て頂けないでしょうか」
黙ってしまったノゾミの代わりに答えたのはムクロだ。ノゾミは俯いていた顔を上げる。彼が何を言わんとしているのかを考えるのは、もう諦めてしまった。
「私とて、これまでの長い人生を無為に過ごしてきた訳ではありません。ノゾミ様のように、死にたくて仕方のない人々も大勢見てきました」
ムクロの口調は平坦だけど、それが逆に憂いを感じさせる。
「自己否定や、生きるのが辛い、といった負の感情が許容量を超えてしまうと、自らの体に痛みを刻むことで心の痛みから逃れようとする方が居ます。ですが手首を切っても、足を切っても、心の傷は埋まらろません」
心の痛みから逃れようとする者の一人に、ノゾミも該当しているのかもしれない。そう頭の中でぼんやりと考えながら、聞いていた。
「そして、皆言うことは同じなのです。――流れる血を見て一瞬は痛みから解放されるが、すぐに後悔してしまう。何故だか分かりますか?」
その問に、ノゾミは何の反応も示さなかった。
あの時張り裂けそうに痛んだ胸で、自分を責めていたのではないか。後悔していたのではないか。いやおかしい。どうして、死にたいのに後悔しなければならない。
何も答えられなかったのは、ムクロの質問は単純そうでも、ノゾミの思考をぐちゃぐちゃに巻き込んでいったからだった。
 




