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思わず左の腕で顔を覆い、風上を仰ぎ見た。人影など無いはずの外から誰かに見られている気がして、刀を鞘に収める。
風が止むとそこは閑散とした空間に戻っていたが、ノゾミは縁側の向こうに見慣れぬ姿を発見した。
(誰だ。こっちの家の奴か?)
それは漆黒のスーツを纏い、後頭部で結わえた常盤色の髪を風に揺蕩わせている。
ここからでは顔色までは伺えないが、ノゾミが感じた視線の正体に違いなかった。遠くに立っているため、目を凝らしてみても、その姿が男性だということくらいしか分からない。
(何してんだ、あの人)
彼はただこちらを見つめていて、その場から動こうしない。もしやと思い守り刀を父の胸元に戻すと、彼の足は別の方向へと向いた。
(やっぱり……俺が手首切ったの、見られてた?)
背筋が冷えるような瞬間だった。彼がこの家の人間だった場合、何と言われるのだろう。
彼はもうどこかに行ってしまって、その足跡が残る地面には、どこからか飛んで来た木の葉が侘しく踊っているだけだ。白昼夢を見ていたかのような光景にノゾミはしばし唖然とするが、一拍後には再び傷付いた手首に視線を落としていた。
すると、そこを切りつけて溜飲を下げていたはずの自分が、綺麗に姿を消していたのだ。
「……な、何だ……これ」
痛い。
手首ではない。別のところが、張り裂けそうに痛む。
耐えきれなくてノゾミは胸を押さえ込んだ。
胸が痛み、体の奥から熱が奪われていくような不快感が襲ってくる。苦しくて、切ない。よもや、後悔でもしているというのだろうか。
捉え所の無い悲愴感に、ノゾミはただ悶えることしか出来なかった。
これから逃れるためにはどうすれば良い?
答えはもう知っていた。あの一瞬で体を傷付ける快感を覚えてしまったノゾミは、またしても守り刀に手を伸ばす。
(いや駄目だ。これ以上やったら、抜け出せなくなる)
自傷で一時的にすっきりしても、それによって痛んだ心を修復すべくまた刃を入れれば、きっと腕がぼろぼろになっても止められなくなってしまう。
いつだって欲求を我慢するのは辛いことだ。だが今はそうしなければならない。
ノゾミは手を引っ込めると、ゆっくりと立ち上がった。
「こんな事してちゃいけないよな。ごめん」
そう独りごちると、部屋を出ようとして襖に手をかける。
その時、自分で付けた傷が目に入った。手首に走る紅い線が、色白の肌に良く映えている。それを不覚にも、綺麗だと思ってしまった。




