さよならは言わない
転移を始める直前――ふいに『ゼノ』が視線を俺の背後にある通路入口へ向けた。
「ふむ、来客だな」
「え、来客?」
「私は姿を隠していよう」
一方的に告げると彼の姿が突然消えた。何事かと思っていると後方から足音が聞こえ、振り返ると、
「……みんな」
オーゴにシェノといった魔族に加え、ファラと屋敷で別れを告げたはずのミーシャまでいた。そんな彼女の胸にはやはりレトがいて――
「見送りってわけか」
「私はタイミングが良かった」
そうファラが口を開いた。
「偶然、都へ帰還する時だった……本当ならば酒でも酌み交わしながら話をしたかったが」
「さすがにそれは……シェノやオーゴは?」
「最後に一目その姿を確認しておこうと思ったまでだ」
どこか茶化すような物言いで、オーゴが述べた。
「ゼノ殿がこれから迷宮を去ることは知っている。こちらとしてはどういった経緯でこの迷宮にいたのかなど、知りたいこともあるが……やめておこう。ゼノ殿が戦ってくれたことによりベルンザークが倒れ、迷宮内に平穏が訪れた。そこについて改めて感謝を」
「そうか……少なくとも俺の行動で迷宮内が無茶苦茶になる、なんてことはなさそうだし良かった」
「後のことは心配せずとも、なんとかする」
オーゴが告げる。俺は「ありがとう」と礼を述べ、シェノに視線を移す。
彼女は微笑と共に小さく頷いた。言葉にはしなかったけれど、それで十分だった。
「……ゼノ殿、ギルフォードから言伝がある」
そうファラは口を開いた。
「いずれ再び国を訪れた時は、最高の歓待でもてなそうと」
「……仮に国に戻ってくるようなことがあったら、都に立ち寄らない方がいいかもしれないな」
そんなコメントをするとファラは笑った。
それから――いくつか雑談を交わしこの世界で出会った面々は部屋を離れていく……最後に残ったのはミーシャ。彼女は俺と視線を合わせ、
「どうしても、最後に話がしたくて……屋敷でゼノと会話をしてから、どうしても伝えたいことができたから」
「それは?」
「……ゼノは魔族で、私は人間。もしかするとゼノはこの世界に居場所がないんじゃないかって思っているのかもしれないけど、それは間違いだよって言いたかった」
「……もし俺が元の世界に戻って居場所がなかったとしても、こっちに来ればいいってことか?」
「そういうわけじゃないけど……色んな人が感謝していることは、深く知って欲しくて」
「ありがとう……ま、この世界で大変な目に遭ったけど……終わりは決して、悪くないかな」
俺はふう、と息をつく……突然迷宮の中で目覚め、訳もわからぬまま戦い……一度はこの世界で生きていくことを決めたけど、最終的にはこうして元の世界へ戻る段取りをつけた。
「ありがとう、ミーシャ。この世界に帰ってくるかどうかはわからない……けど、一つだけ言えるのは、絶対にこの世界での出来事は忘れないってことかな。もちろん、ミーシャのことも忘れない」
「うん」
満面の笑み――俺もまた彼女に応じるように笑い返す。
「ゼノ……別れることになるけど、さよならは言わないよ」
ミーシャが言う。俺はそれに答えなかったけれど……彼女は満足いったのか、笑みを伴い踵を返す。
レトの鳴き声が聞こえる。俺はそれを黙って聞き……やがて、沈黙が空間を支配した。
「……今のが、ここで君がやり遂げた結果だな」
やがて『ゼノ』が現れる。
「もし彼らの顔が見たくなったのなら、ここに舞い戻ってくればいい」
「どうも……さて、別れの挨拶も済ませた。心残りもない――やってくれ」
「ああ」
『ゼノ』は手をかざす……直後、広間が光に包まれた。
光によって視界が見えなくなる。そうした中で俺の全身は、熱を帯び始める。無論それは焼けるようなものではない。体の内に眠る力と、外部にある元の体である光が混ざり、溶け合っていくような感覚。
そして――俺は意識を手放し――この世界から、去ることとなった。
次にはっと気付いた時、俺は自分の部屋へと戻ってきていた。
「……あ」
声を発する。ゼノの声じゃない。自分の……元の世界の自分の声。
時計を見る。カレンダー表示があるデジタル時計で、日付は意識を手放した時と変わらず、時刻はおよそ十五分ほど進んでいた。
「……帰って、来たのか」
呟き、俺はテレビを見る。録画していたアニメを見ていたわけだけど、どうやら電源ボタンでも押したのか画面が真っ暗になっていた。
俺はしばしテレビ画面を見ながら沈黙する……と、部屋の外、一階から足音が聞こえた。時間的に母親が夕食の準備をし始めた頃。おそらくその音だ。
そして閉め切られた窓の外からは、車が家の前を通り過ぎる音が聞こえてくる。夕方で空は茜色に染まっている。俺はそこで立ち上がり、窓を開けた。
直後、風が頬を撫でる……それと同時に考える。さっきまでの出来事は、夢だったのだろうか? アニメを見ていた途中でうたた寝でもしたのだろうか?
そんな疑問を抱いていた時、俺の自分の右手首にある物に気付いた……腕輪だ。金色の、腕輪。
「……夢、じゃない」
確信を伴った声を発した後、俺はそっと腕輪を外す。これを身につけてあの世界へ戻りたいと願えば――
「……さすがに、な」
あの世界は俺のことを受け入れてくれた。けれど俺は部外者で……ま、ミーシャだってそんなことをとやかく言わないだろうけど。
勉強机の上に腕輪を置いて、俺は外を眺める。帰ってきたんだと思いながら、心のどこかでさっきまでの出来事を思い返す。
その中で印象に残ったのは、ミーシャの最後の言葉。
「さよならは、言わないか……」
また会える――それがどうなのかは俺次第なわけだけど。
「ま、どうするかはゆっくりと考えるか」
窓を閉める。まだ夕食まで時間はある。とりあえずアニメの視聴を再開しよう。そう思い俺は座った。
――そうして、俺の長い旅は終わりを告げた。元の日常に戻って……けれどいつかまた、あの世界を訪れてミーシャに会おう。そんな風に思った。
完結となります。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




