魔族の目的
魔族ラマッザの無数の黒い拳が俺へ迫る――そこからは感覚が鋭敏にでもなったのか、景色がスローモーションになった。
それは最初に遭遇した虎の時と同じような……ただし、今回は状況が違う。
俺も負けじと右ストレートを放って……無数の腕と俺の拳が交錯しようとする。
手数で言えば完全に俺の方が負けだが、俺はそれを補うべく力を入れる。
集中させた拳の力を、一挙に爆発させるようにイメージする。無数の腕が迫り来る光景は、窮地に立たされたと言っていいだろう。今までこうした状況でこの魔族の体は如何なく実力を発揮させた。
現在も、体はイメージ通りに動いてくれている――無数の黒い腕が迫る中で、俺は右腕に力を加えた。
それと共に、放たれる右ストレートの勢いが増した――感覚的にラマッザの拳が到達するよりも先に、俺の攻撃が当たると確信した。
それを相手が認識していたのかどうか……次の瞬間、ラマッザの仮面に拳が、触れた。
相手の腕が迫る。その中で俺の拳が仮面にめり込む。
「……え?」
ラマッザも反応した。しかしここで逃げられては元も子もない。
右腕の魔力をさらに膨らませる。刹那、腕の先から光が発され、その頭部を――撃ち抜いた。
途端、腕の動きが衰え、止まる。仮面は粉々に砕け、さらにその体も一気に塵へと変じていく……一瞬の勝負であり、またあっけない結末だが、勝った。
マントが床に落ちる前に、ラマッドの体が完全に塵となる。そこで俺はドルアへ近づいた。
悪魔はどうにか上体を起こし、壁に背を預けている。座り込んでいる様子からかなりのダメージを受けているみたいだが……。
「おい、大丈夫か!?」
「……どうやら、君達の願いは私がいたら叶えられんらしい」
自嘲的に笑う。それと同時に、悪魔が発する魔力がひどくか細いものだと理解する。
「私と共に行動すれば、おそらくファグラント様に目をつけられる……結界を行使すれば耐えられるかもしれないが、さすがにそういう状況にはしたくないだろう」
「……まあ、な」
悪魔は動かない。ここに来てリーズもただならぬ様子に固唾をのむ。
「……魔物達が動いている事実から、推測はしていたようだが」
突然、ドルアが語る。
「ファグラントは、地上に赴き戦争を始めようとしている」
――やはり、か。
「私はそれを止めようと考えていたが……どうやら、それもできない」
「止める……どうやって?」
「探し物だ。腕輪なのだが、それは周囲にいる魔物達を取り込み、魔力を我が物とする能力がある。それを使えば、私でもファグラントに対抗することができた」
「……けれど、それはもう相手の手の内にある」
リーズが言うと、ドルアは頷いた。
「そして、封印されていた魔物……ファグラントはその魔物達の力を取り込もうと考えた」
――ドルアが戦った魔物のような存在を取り込んだとしたら、確かに心底厄介だ。
「取り込まれたら、終わりだな……」
俺の呟きに対し――ドルアはこちらを見据え、
「一つ、問いたい……君は目覚めてから、魔物と戦ったか?」
「……ああ、あんたみたいに喋る魔族ともやり合った」
最早隠す必要もない。
「どういった存在と戦ったか……教えてもらえるか?」
その言葉に従い、俺は目覚めてから遭遇した魔物や魔族について簡潔に語る。すると、
「そうか……」
俺のことを見据える悪魔。何か言いたいようだけど……彼は一度言葉を止め、別のことを口にした。
「ゼノ、手を出せ」
手を? 言われるがまま差し出すと、悪魔が大きな手で俺の手を握った。
そして魔力が生まれる。何事かと思った矢先、魔力が途切れ手を離す。
「私が持っている魔物を使役する権限を、君に付与した」
「権限……?」
「私の指示で命令を聞く隊がこのフロアの上にいる……例えば魔物を倒せと指示を出せば、私の指揮している者以外の魔物を攻撃する」
そうドルアは語り……少し間を置いた。
「……私の力を与えたため、命令を聞く魔物なのかは見た目で判別できる。指揮下にあるなら、体の表面が淡く光っているように見えるはずだ。数もそれなりに多い……その魔物を利用して迷宮を攪乱し、地上を目指せ」
述べると、ドルアは大きく息をついた。
「私がいたなら、指揮下にない魔物に監視され身動きがとれなかっただろうが、君達ならば隠れて移動すれば大丈夫だろう」
「……そう、か。ありがとう」
礼を言うと、ドルアは笑う。ただそれは苦しそうで、終わりが近いんじゃないかと思う。
「なぜ、あなたは人間を助けようと?」
リーズが尋ねる。対するドルアは一時沈黙し、
「……そう複雑な理由はない。私が単に、人間が好きだった。それだけだ」
本当なのだろうか――ただ、それ以上の理由は聞けなかった。
「地上に出ると周囲は平地と森ばかりだが……とにかく町を目指せ。北東に進めば、大きな町へ辿り着くはずだ。そこで魔物が来ることを伝えろ」
人間達が勝てるのか――あるいは、俺達の言葉を人間側が信用してくれるのか。それに方角がきちんとわかるのか……課題は山ほどあったが、今はとにかく外に出なければならない。
「わかった。ドルア、本当にありがとう」
こちらの言葉に悪魔は頷き……足先から、塵になり始めた。
「お別れだ……こんなことを言える立場ではないが……頼む――」
そうして悪魔は消えた……初めて紳士的に会話できた相手なので、胸の内は複雑だ。
少しの間、俺とリーズはこの場に佇む。やがて動かないと、って思ったと同時、リーズが俺へ言った。
「……ゼノ、行くんだよね?」
「ああ。地上に出る……まずはそこからだ」
俺はふう、と息をついた。
「ドルアがくれた能力がどこまで発揮するのかわからないけど……とにかく上を目指そう。道中で魔物の行軍を見たけど、あそこまで戻れば地上への道はあるはずだ」
「わかった」
リーズは神妙に頷く……と、
「最後まで、私達の助けになろうとしていた……ね」
「まあな。もちろんそれはファグラントの目論見を阻止するためなんだろうけど……助けてくれたのは事実だな」
俺はドルアが消えた場所に背を向けながら言う。
「その意思を継ぐ、とか思ってはいないけど……少なくとも、俺は人間に戦争を仕掛ける魔族は、どうにかしたいと思ってる。俺自身、魔族だけど」
「私も」
強い口調。振り向けば、杖を握りしめる彼女の姿。
「私も、それに協力する」
「わかった……けど、無理するなよ。レト、窮地に立たされたら結界を張ってリーズを守れ」
ニャーと鳴き声一つ。大丈夫そうだな。
「それでは、進もう」
俺は言葉と共に歩き出し、リーズも弾かれたように追随する。
そこからレトの案内に従い書斎まで戻ってくる。休憩でもしようかと一瞬考えたが、できるだけ急いだ方がいいのでは、と思う。
戦争準備がどこまで進んでいるのかわからないが、もし準備完了してしまったら、地上へ行ける道は軍によって塞がれてしまうだろう。そうなる前にドルアからもらった指揮権で攪乱し、地上に出るしかない。
「リーズ、体力は大丈夫か?」
「うん、平気」
力強く頷く彼女。ならばと、俺は行軍していた場所へ向かって歩き始めた。




