033
ーー姫を生贄に捧げれば、世界は救われる。
魔王から、そう告げられたら勇者はなんと答えるだろう。
光に守られた王国から、スライム達が蔓延る草原を抜け、氷の大陸が一面に広がる氷河、大地が怒りを露わにする灼熱の大地を超えて、魔王が支配する暗黒大陸を目指してきた少年にとって、魔王はどんな風に映るのだろうか。
ーー自ら汚れ役を背負う覚悟を持った、世界を救う本当の勇者か。
ーー少女に、世界の命運を任せる究極の愚者か。
ーー困難を穏便に済まそうとする、ずる賢い賢者なのか。
いずれにせよ、魔王と戦って姫を取り返すことはしないだろう。
少なくとも俺は、少女を助けて世界を滅ぼす道を選ぶことはできなかった。
そして、姫である一人の少女の願いを叶えられないでいる。
なんとも情けない。結果は全てだというのに。
自分で何も決断せずに、始まりの町で農業をやって平凡に暮らし、世界の現状から逃げようとする勇者そのものだ。
世界を変える力や機会を投げ出して、逃避行ーー伝説の装備一式の手入れが趣味のくだらない人生だ。
まさに、今の俺である。
「いっそ、ここから飛び降りようか」
高層ビルの屋上から、真下を眺める。
しかし、己の呪われた力のせいで、ここから落ちても死ぬことはないのだからーー考えるだけ無駄なのである。
「警視庁ぐらいたけーな、ここ」
かつて所属していた国家機関のことを思い出す。今も昔も国の犬だ。
もっとも、昔ならーー腑抜けた自分に対してーーーー。
「何言ってんだよ、世界を救うヒーローになりたくねーのかよっ!!」
胸ぐらを掴み、怒声を浴びせ、唾を吐き散らし、全力で剥き出しの正義をぶち撒けていただろう。
クソったれで、どうしようもない。このくだらない世界に絶望する前までは。
「今どき、正義のヒーローなんか流行らねーよ」
いっそ、世界をひっくり返そうとする『アーク』に手を貸して、反逆の勇者になるのも悪くない。
自分の口にした言葉について考えるのも怠くなって、冷え切った屋上で生ぬるい缶コーヒーを飲んで一服する。
なんとも、体に染みいらない味だ。
少女の唯一の願いは、一人の少年を見逃すことだった。
対象である少年は少女の記憶を消され、平穏に過ごしていたが寄りにもよって、再び俺に出くわし、仕方なく拘束する羽目になった。
「捉えた後で気がつくとか……どんだけダメ人間なんだよ、俺は」
架空の母親からの手紙も、どこにでも溢れてそうな過去の裏話も、選ぶのが面倒くさかったからセール品をダンボールにぶち込んでいた数ヶ月は全て無駄に終わったのだ。
ーーいっそ、あのままにしとけばよかったか。
己の成した行動について、自問自答する。
異能の副作用である慢性的な倦怠感を耐え抜いて成した行動が、本当に正しかったのか。
またも、答えの出ない自問自答をする。
それを考える事さえもどうしようもなく怠くなって、クロースから渡された手紙に目を通すことにした。
内容は簡素で簡潔だった。
薬を一錠飲むと強くなるが、それ以上飲むと通常の人間では死んでしまう。
理由は肉体が力に耐えられず、内部から破裂するからだそうだ。
少年の記憶を消す際に、条件としてクロースの実験に協力した。
俺の異能による体の硬質化した状態は、どの物質よりも硬く弾力性があり、拳銃で撃たれたり、業火に焼かれたとしても無傷に近いらしい。
ただ、鍛えれば鍛えるだけ強くならないのが唯一の欠点だとも言っていたが、この慢性的な脱力感の方がよほど欠点であると指摘する気力すらなかったので、受け流していた。
「身体はヒーローでも、心はニートかよ」
上手くもない例えをして、懺悔するようにーーあの日の少女のことを思い出す。




