002
教室の机から映る外の景色をーー僕……いや、俺は観ていた。
教室では保健体育の美人教師が電気信号のように、黒板を白く汚していく。
授業というのは白い汚れを消しては書き、また消しては書きの繰り返しであり、知識を求めるものは規則性に遅れまいと筆を走らせる。
それ以外の教室という小規模な社会の中で脱落した者達は、美人教師の乳の揺れや胸の谷間、太ももに密着する黒いストッキングになった自身を妄想や観察する者が大半だ。
そして、保健体育の授業を真剣にする美人教師に罵しられたいと、天照は思うのだろう。
この前者と後者で今の自分を例えるなら前者だと言いたいのだがーーーー。
どうにも右手に持ったシャーペンを動かそうという気になれなかった。
原因は美人教師の魅惑に囚われてる訳ではなくーー昨日、人が殺される瞬間を見たからだ。
見てしまってた、と表現するのが正しいと自分は思いたい。
あんな王道漫画にありそうなシュチュエーションで、やる気のない勇者は姫に銃殺された。
ヒロインが全員ヤンデレで主人公に選ばれかった腹いせで登場人物が仲良くご短命になったとしても、またルートをやり直せば主人公にはハーレムの桃源郷が待っている。
しかし、ここは現実だ。
努力が必ずしも報われず、生きたいと願う者ほど死を迎え、助けられるべき人々が虐殺されるーー無慈悲な世界だ。
だから、きっとーーーー。
「なぁなぁ、直斗。
本屋で働いてる綺麗なお姉さんのアドレス知ってるか?」
「なんで、俺が知ってる前提なんだよ」
「よく通ってるからに来まってんだろー」
この重苦しい考えを一瞬で、どうでもよくしてしまったのはクラスメイトであるーー天照紅である。
どこぞの中二病で左手に邪龍を宿しているライトノベルの主人公かと、長々とツッコミを入れたくはなるが、本当に彼の本名であるのだから仕方がないと半ば諦めてもいる。
本人は天紅と呼ばれたいらしいが、誰も呼ぶ者はなく、皆は天照と呼ぶ。
そして、彼の一番面倒くさい所はーーーー。
「なぁなぁ、知ってるか? 人間って無視されると悲しいんだぜ……」
「あぁ、もう分かったよ! これやるから許してくれよ」
天照は包み紙に包まれた一冊の聖遺物を受け取ると、満々とした笑みを浮かべーーーー。
「やっぱり直斗は親友だぜ!!」
授業中だというのに大きな声という媒体を用い、歓喜を全身で表していた。
そのせいで彼が廊下に立たされたのは、言うまでもないのだが。
天照にとっては、ご褒美なのだろう。
一日の拘束時間が終わり、学校という監獄から解放された生徒達はシャバの空気を全身に浴びて家路に着く。
こんな風に思って学校に行く自分は両親に対してバチあたりだと言われても、仕方がないのかもしれない。
けれど、顔も覚えていない人物を両親と呼ぶ気にもなれないのだ。
なぜかというとーーつい最近までの記憶が一切ないからだ。
朝起きたら見知らぬ部屋にいて、自分が何者かも分からなくなったと想像してみて欲しい。
きっと、記憶がある人間なら自らが消えてしまうと同義なのだから、恐怖に恐れおののくだろう。
だが、記憶を失った当の本人は何の苦もなく、現実を許容できた。
あぁ、そうなんだと。
幸い、両親とは離ればなれの高校に通っているため、何の弊害もない。
月に一度、アパートの家賃と生活費が振り込まれ、段ボール一杯に俺が好きだっただろう大量のチョコレートと、日持ちするツナ缶などが月に一度のペースで送られてくる。
手紙には親の愛情がこもっているのを、感じはするのだが涙を流すこともなく、申し訳ないと思う程度だ。
その愛情に満ちた手紙をとうして分かったことは、俺が引きこもりをしていたが、何でもできる直ちゃんなら大丈夫だと、他人任せな言葉ばかりだった。
なぜ引きこもりをしていたかと考えたことはあるが、それを赤の他人と化した両親に問いただすのも酷だと思いーーーー。
「バカな奴と友達になれたおかげで、毎日楽しく過ごしています」
そんな取り留めようのない返事を定期報告のメールで済ませ、晩飯の支度を始めた。