今日の日常〜筍〜2
「おやぁ?与彦さん」
「アキ殿、ますます母君に似て来られましたな」
与彦と呼ばれるその人は、山伏姿に烏のような顔をしている、いわば『烏天狗』です。小さな羽扇を仰ぎ、小さな小さな旋風を起こしています。
その風は、妖艶な女性のところまで届き、黒髪をなびかせます。
「あら?与彦様ではありませんか」
女性が与彦に笑顔を見せました。
「ハル殿、今日は女子になっておるのか」
「はい〜、どうです?」
「うむ、このまま山に連れ帰りたいほどだ」
「あらやだ〜」
ハルは口を手で隠して静かに笑いました。
それを見ていたナツとフユは、宙返りをして花魁に変幻しました。
しかし、やはり違和感があります。
「ナツ、顔が獣のままですよ」
「う〜ん、むずかしいです」
「フユ、声を出してごらんなさい」
「おにぃさ〜ん、よってかな〜い?」
「低すぎます。腹に響くほどの重低音ですね。それでは女の子とは言えません」
「う〜ん、むずかしいです」
これを見ていた与彦は、お腹を抱えて笑いました。
「いやいや、先よりは出来ておるぞ」
「そうですねぇ、出来てるよぉ」
「え?ほんと?」
「わたしたち 、りっぱな びゃっこ になれる『そしつ』があるのかもね」
「私に言わせれば、まだまだ足元にも及びませんよ。お前達、精進を怠らぬように!次は男の子に変幻です」
「はぁい」
「はぁい」
狐の特訓を見ながら、アキと与彦は話を続けました。
「どうなさいましたかぁ?こんな辺鄙な場所にいらっしゃって」
「相変わらず気の抜ける喋り方じゃな。実はな、筍を持ってきたのだ」
「おやぁ?筍ですかぁ?」
与彦はどこからともなく、筍の入った袋をアキの目の前に出しました。その中には、たくさんの新鮮な筍が入っています。
「朝に採れた筍だ。先日、誠にうまい饂飩を馳走してくれた礼だ。我らが豊前坊様も、大層うまいと喜んでおられてな。あの『おあげ』なる食べ物がうまいと言っておられた」
「あらぁ、わざわざありがとうございますぅ」
アキはハルを呼び、筍を渡しました。
ハルは軽く宙を舞い、妖艶な女性から勇ましい男性へ変幻しました。
「次は男の子に化けよった!」
「私は何にでも化けますゆえ」
ハルはそう言って、またふわりと宙返りをしました。すると次は、与彦の姿に変幻しました。
「なんと!」
与彦は、ハルが化けた『自分』をまじまじと見ました。そして与彦は、花魁らしからぬ花魁二人に声をかけました。
「野狐や、この姿を真似できるか?」
「はい!」
「はい!」
二人は高く宙返りをして、与彦に化けました。
「ナツ、上手にできましたね。獣の耳が出ている以外は合格ですよ」
「やったぁ!」
「フユ、声を出してごらんなさい」
「おにぃさん、よってかなぁい?」
「言葉の選択は置いておいて、上手にできましたね。きちんと特徴を捉えていますよ」
「やったぁ!」
ナツとフユは、いつもの子供の姿に戻って大いに喜びました。
ハルは、与彦からもらったたくさんの筍を軽々と持ち上げました。
「うむ、良いものを見ることができた。それでは、我はおいとまする」
「あらぁ、もうお帰りですかぁ?」
「うむ、山へ帰って、小天狗どもを鍛えてやろうと思うてな」
「それはそれは、お手柔らかにぃ」
与彦は黒い翼を広げて、羽ばたこうとした時、ハルが与彦を引き止めました。
ハルは急いで家の中に行き、白い大きな袋を持って出てきました。
「これを、お土産にお持ちください」
「なんじゃこれは?」
「油揚げです。少し火で炙って、生姜醤油を垂らすと、良い酒の肴になりますよ」
「なんと!おあげとは何と万能なのだ!豊前坊様が舌鼓を打つ姿が目に浮かぶぞ」
与彦は悠々と翼を羽ばたかせ、満足そうな顔をしながら飛んで行きました。
与彦を見送った四人は、家の縁側で筍の皮を剥き始めました。が、
「ごしゅじん、わたし、このままたべたい」
「わたしも」
「私も、生で食べとうございます」
「灰汁は取らなくていいのぉ?」
「はい」
「はい」
「はい」
ハル、ナツ、フユは、皮付きの筍を美味しそうに齧り始めました。
「あなたたち、食べても大丈夫?」
「さすがは英彦山の筍。大変美味しゅうございます。ご主人は召し上がりませんか?」
「いやぁ、私達人間は、生で筍を食べないよぉ」
「なんと、人間とは可哀想な生き物ですね。こんなに新鮮な筍を、新鮮なままで食べぬとは……」
「ごしゅじん、かわいそう」
「でも、わたしたちは ごしゅじんが すきです」
「か、かわいそうねぇ……」
苦笑いを浮かべるアキなのでした。
一方、豊前坊率いる天狗達はーー。
「なんと!なんとうまい油揚げじゃ!これ!酒を持てーい!」
「はっ!」
「香ばしい油揚げと、風味豊かな生姜醤油とのこの相性は、最高ですな!」
「豊前坊様、筍と油揚げを醤油で煮てみました。一味をふりかけ、どうぞご賞味ください」
「うむ!うまい!油揚げとはなんと万能なのだ……」
「この油揚げは、我々を虜にしますな」
油揚げに舌鼓を打つ天狗達でした。
与彦と小天狗達はというとーー。
「うむ、今日の修行はここまでじゃ!」
与彦は小天狗達を鍛えましたが、
「なぁ松千代よ、今日の与彦様、優しくなかったか?」
「そうだな梅千代。いつもより辛い修行ではなかった。一体どうなされたのだろう?」
「与彦様は朝から、アキ様のところへ出掛けたそうだ。きっとお疲れなのだろう」
「そうなのか竹千代?」
「アキ様のところか、いや待てよ……」
「どうした梅千代?」
梅千代と呼ばれる小天狗は、同じ小天狗の松千代、竹千代に小声で言いました。
「案外、アキ様のおかげかもしれぬぞ」
「ん?どういうことだ梅千代?」
「教えてくれ梅千代」
「いや、もしやの話だがな……」
と話しているところに、与彦が小天狗に話しかけました。
「何を話しておる?夕餉の支度はできておる。今日は皆の好きな、キツネ饂飩だぞ。風呂もできておる。皆で共に入ろうぞ」
「は、はい」
「今参ります」
「今参ります」
その日、日が暮れるまで小天狗に優しい与彦でした。