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星斗幻想紀  作者: 風光
4/12

4 計都の惑溺

 何故、人は自らの上に「神」を創り上げるのでしょうか……




 あっ…

 ……う〜ん、まだ四時過ぎじゃない。どうして、こんなに早くから起きなくちゃいけないのよ!

 …………………

 やっぱり、そうなの…あたしね、一度目を覚ましたら眠れなくなるのよ。気分は悪くないんだけど…

 ……本当はね、こんな落ち着いた気分の日に、もっとよく寝ておいた方がいいの…分かってる。でも、でもね? こればっかりは仕方無いじゃない?

 それにしても…こんな時間って、何も音がしないのね。透明で、安らかな感じがする……とっても素敵な雰囲気。

 あたし、もう眠る事なんて止めて、上半身を起こしてた。

 窓から外を見てみるとね、まだ空には霞が掛かってて…少し青の入った灰色をしてるの。でも、でもね、今日は一日、綺麗に晴れそうだわ。

 ヴェストル、早く来てくれないかな…

 …無理だって分かってる…でも、でもね? …そう想ってもいいのよね?

 ……キョッキョ、キョ、キョキョキョ…

 あれ? あの啼き声、ホトトギスじゃない。…そうね「特許許可局」って聞こえなくもないわね。

 あたしがね、そのホトトギスの歌声に耳を澄ましてたら…今度は、急にスズメの小さな囀りが一斉に沸き起こってきたのよ。ほら、冬なんて、早朝の川面から霧がどんどん立ち昇ってくるでしょ? 感覚的には、丁度あんな具合かな。それから、ザァーッ、って…漣みたいに啼き声が押し寄せてくるのよ。何だか、あたし、嬉しくって…とってもわくわくしちゃう。

 そんな事を考えてたら、すぐにその「波」が引いてしまって…今度はね、虫達が小鳥に負けないくらい、大きな声で歌い始めたのよ。その精一杯な感じが可愛くって……

「あっ…」

 いつのまにか、公園の木々が一斉に黄金色に染まってる……

 ……本当に綺麗。…全部、金紅色に塗り潰されてく…こんなに、周りの家や景色って素敵だったんだ…

 ジィーッって続いてる虫達のコーラスを背にして、あたし、ずっと辺りの風景を見つめてた。…もう…絶対に出歩いては見られない風景…

 ……やっぱり、覚えていたいもんね。

 時々、ホトトギスが虫達に混じって歌ってる。ううん、…他にも、ヒヨドリやウグイスまでもが声を張り上げて啼いてるの…

 本当に素敵な朝…身体中の苦しみなんて、すっかり忘れてる。

 …《本当》に、ありがとう……


 あれ? 雨なんて降ってなかったのに、虹が架かってるじゃない。

 夕方、もう少しでヴェストルが来てくれる時間になるかな、ってくらいに、あたし、空を見上げて小首を傾げてた。だって、西向きに広がってるこの窓からは、全然雨雲なんて見えてないんだもん。なのに、虹なんて…何処か、遠くの方で夕立でもあったのかな?

 まだ明るい夕空の中、虹の隣りで金星が精一杯輝いてくれてる。あたしの一番大好きな金色の星…

 あたしね、いつも思うんだけど…あれだけ明るく煌いてくれてるのに…一体、どれだけの人が今、あの星を見付けてるんだろう? やっぱり気付いてないのかな…空を見上げる事って、皆、殆どしないもんね。

 でも、でもね? 気付かないなんて、勿体無い気がするのよ。折角、あんなに綺麗に輝いてくれてるのに…無視するなんて、失礼だわ。

「美星さんらしいですね」

 え?

 急に声がするんだもん、あたし、慌てちゃって…

 そんなあたしを見てね、小人のヴェストル、きょとんとしてる。

「ど、どうして…早かったのね」

「いけなかったでしょうか」

 ううん! 絶対、そんな事無いんだから。

「ちょっと、びっくりしたから…来てくれて嬉しいわ」

「僕も、美星さんに喜んでもらえて嬉しいですよ」

 あたしの指先を取って、ヴェストル、恥ずかしそうにそう言ってくれる。姿は小人でも…やっぱり、ヴェストルなんだもんね。どうしても、どきどきしちゃう…

「…ありがとう」

「では、行きましょうか」

 にっこり微笑んで、青白く天が覆う世界へと連れ出してくれる。

 いつも不思議なの。星夜の町にこうして出掛ける時や、ヴェストルの事を考えてる時って…あたしね、最近酷くなってきた「嫌な気分」を何処かに置いてきてしまうのよ。

「美星さん、そんなに苦しいんですか」

 急に、心配そうにヴェストル、振り返ってくれる。いつもの格好良い若者になって…

 やだ…どきどきが止まらないよ……

「だ、大丈夫よ…ヴェストルが来てくれるんだもん。すぐ、忘れてしまうわ」

「有難う御座います」

 でも…まだ《本当》に心配してくれてる。その顔を見てたらね、どんなに苦しくても頑張ろうって思うのよ。

 いつも、《本当》にありがとう、ヴェストル……

 …あたし、負けないんだから!


 東の空に、ベガが昇り始めてる。北斗七星も、そろそろ主役を譲らなくちゃね。

 一度、この素敵な星空を礼奈にも見せてあげたいな。いつも、あたしの事を気にして、心配してくれてるのに…あたし、何もしてあげられないんだもん……

 ちょっと、自分の力の無さが情けなくなる…

「そんな事はありません。きっと、そのお友達も美星さんに助けられているはずですから」

 ヴェストル…

「少し、降りてみましょうか」

 あたし、何も言えずに頷いてた。何かを口にしたら…泣きそうだったんだもん。…それくらい、ヴェストルの言葉、嬉しかった……


 とっても掴み所の無い、ぼんやりとした薄闇が流れてる。そう言えば……

 …近頃ね、この辺りで嫌な事件が起こってるの。…幼稚園や小学生の子供達が、次々といなくなって…死体で、ね……何人か見付かったのよ……

 惨たらしい死屍には…ね。…獣で喰いちぎられたような痕が残ってたそうなの……

 どうして…そんな事件、起こってしまうのかな…

 この近くには、野犬もいないから…獣に見せかけた変質者の仕業じゃないか、って…でも、でもね? あたし…そんな意見を平気で述べる人も気味が悪くて……

 ……そんな…ね。酷くて悔しい事が、この下で起こってるかも知れないの…星夜の町では見えない「何か」がするんだろうけど……

 何だか、この静かな暗闇が穢されてるみたい…

 …あれ? あそこを走ってるの、未夏じゃない。あんなに大人しい子が、何を急いでるのかな。

「お友達ですか?」

「う〜ん、友達って言う程じゃないけど…去年、同じクラスだったのよ」

 そう、あんまり話すのが得意じゃない子だったもんね。

「未夏!」

 地面に下りてあたしが声を掛けたら、未夏、びくっと体を震わせて振り返ってる。…? ちょっと、変…前より、感情が見えない気がする…

「美星さん…」

 あたしだって分かったら、ほっとしてる。でも…でもね。未夏、ヴェストルを見たら急に警戒するような目付きになったの。あんな目付き、前はしなかったのに……

「…そんなに急いで何処に行くの?」

 見たら、未夏、大事そうに白い器を胸に抱いてる。

「あっ、霊水が濁ったから…」

「霊水?」

 真面目に答えてくるんだもん。あたし、何の事か分かんなくて、思わず聞き返してた。別に、何かの宗教に入ったって話も聞いてないんだけど…

「そう、霊水が白くなっちゃったの。美星さんも、気を付けた方がいいわ」

「気を付けるって……何を?」

 あたし、ちょっと不安になってヴェストルを見上げたら…

 …腕を組んだヴェストルが、冷たく鋭い瞳で未夏を見下ろしてた……

「さっき、裏鬼門の方角に虹が立ったでしょう?」

「裏…鬼門?」

 確か、鬼門って北東だったから…裏鬼門って、南西よね。でも…虹が出たから、どうしたの?

「知らないの? 虹が大事な方角に立つと、災いが起こるの。その直前にもね、私、サギに似ている知らない大きな鳥が、鬼門の方角にある木に集まっているのを見付けたの。その瞬間、晴れていたのに雷鳴まで聞こえてきたのよ…」

 恐そうに、未夏、震えてるんだけど…あたし、どうしてそんなに怖がってるのか分かんなかった。虹なんて、何処にでも架かるんじゃない? それに、あたし、雷鳴なんて聞いてないのよ。

「分からない? これ全部、災異なの。不吉な事が起こる、前兆なのよ」

「そう…なの?」

「うん。本に書いてあった事ばかりだもの。昨日は、家の前で死んだ蛇を見付けたし…そのすぐ後にね、変な風が起こって小さな虫の大群に囲まれてしまったの。家の傍にある倉庫で聞こえた、奇妙な鳴動だって、そう。

 世の中が乱れて、天の神々に背くような生活を皆がおくっているから、こんな前兆ばかりが続いているのよ。

 神々の警告なのよ」

 あたし…きっと、とっても変な顔してたと思う。それに『神々』って…

 当惑したまま、ちらっと盗み見たら…ヴェストル、視線に気付いて優しく微笑んでくれたの…

「今に、必ず酷い災厄が起こるわ」

 一生懸命、心配してるのは分かるんだけど…でも、でもね? そんな危険な事が起ころうとしてるのに、ヴェストルが教えてくれないなんて…そんな事、絶対に無いもん。平気な顔で微笑んでくるなんて、そんな事、有り得ない。

「皆、神々に罰せられるのよ」

「でも…どんな事が起こるの?」

 どんな宗教を信じてるのかは分かんないけど…いきなり反対する事も出来ないじゃない? 未夏は、それが《真実》だって思ってるんだし…

 …きっと、ヴェストルならね、こんな尋ね方しないと思う。でも、でもね? あたしは、あたしなんだもん…

 ……ね。

「あのね…」

 少し声を抑えて、未夏、あたしに教えてくれた。

「それを、今、天の神に尋ねているの。なかなか教えてくれないけれど…でも、簡単な質問には、きちんと答えてくれたわ」

「え?」

 まさか……神様と話が出来るの?

「そうよ。契印で、依代に神を召喚したんだもの」

 ……何、それ…

「まず、五つの印を結んで護身法を行うの。これで、私自身を清めて邪気から身を守らなくてはいけないのよ。

 それから、今度は神を喚ぶ為の場を清めるの。つまり、二つの印で聖域を創り出すのよ。そして、その聖域を道場として整える為に、荘厳道場法を行って…そうしてから、漸く私が召喚したかった明王を勧請法で依代に招いたの。

 その後も、道場の結界を強める為に法を行って供養したりするんだけれど…全てが私にもきちんと出来たみたいで、問い掛けたら答えが返ってきたのよ」

 …う〜ん、……ねぇ、あたし、何の事か全く分かんないんだけど…

「それでね、色々な事を教えてもらったの。若しかすると、私一人でも災いを防げるかも知れないそうだし…頑張って祈祷しているところなのよ」

「じゃぁ、霊水って…?」

 嬉しそうに話してくれるんだけど…あたしね、正直言って、それ以上聞きたくなかったから…最初の質問に戻してた。

「今迄使っていた霊泉が、災異の前兆で黒く汚れてしまったの。だから、神の御言葉に従って、新しい泉に霊水を取りに行くのよ」

 とっても真剣に、これは重大なんだって顔して言うんだもん。思わず、釣られて頷いちゃった。

 あたし、本当は宗教なんて信じないんだけどね。…なのに、すぐ隣に神様と同じくらい凄い人がいるなんて…ちょっと、複雑だわ。

 ……でも、でもね…いつも傍に居て欲しいの。『神様』としてでなく、『ヴェストル』として……ただの、《個》として…いつだって居て欲しいのよ。

「ねぇ、美星さん…」

 もっと何かを言いたそうだったけど…その時ね、急に未夏、体を激しく震わせたの。

「神が催促しているんだわ…じゃぁ、美星さん。本当に、気を付けてね」

「う、うん…ありがとう」

 急いで駆けてく未夏を見送って…あたし、どうしたらいいのか分かんなかった。反対しても、きっと信じてくれないと思う。…でも、でもね…やっぱり、何かを口にして言うべきだったのかな…

「ねぇ、ヴェストル。あんな事があるの? 本当に、神様と会話なんて出来るの?」

 あたし、困惑した顔でヴェストルに尋ねてた。……ヴェストルね、今迄ずっと…冷めた目をした儘、一言も口にしてなかったのよ…

「出来ますよ、美星さん」

 やっと、その藍色の瞳に優しさが戻ってくれる。でも……何処か重いの…

 やだ……『何か』あるの…? あたしには分かるんだから…ヴェストル……

「真摯な祈りや、特別な『言葉』を知る存在に対しては、神々が依代を媒体にして語る事もあります」

 そうなんだ…

「ですが…あのお友達は違いますよ」

「え?」

 とっても静かな口調なのよ…あたし、不安で一杯になりながら、ヴェストルを見つめてた。

「本来、明王に神々程の『格』はありません。明王が自ら『神』を名乗り、警告の意味を解する事など、有り得ないんですよ」

「じゃぁ…じゃぁ、未夏と対話したのは誰なの?」

 …嫌な予感がする…胸が苦しいよ…

「それは…」

 ヴェストル、言い難そうに視線を逸らしてる。いつも、あたしに対してはとっても気を配ってくれるから……でも、でもね。あたし、やっぱり知りたかったのよ。

 ヴェストルだって、あたしの気持ちは分かってくれる。時々、黄金色にも煌く深い双眸が、じっとあたしを見つめて…頷いてくれたの。

 ヴェストルが、そっと口を開きかけた時……

「いやぁぁぁ………」

 何?

 未夏が走っていった方向から、鋭い悲鳴が迸ってくる。…ううん、すぐに途切れて…やだ……まるで……ホースから空気が抜けてくみたいに…

「美星さん」

 尋ねてくるの…あたし……微かに頷いてた。

 あたしがいなかったら、きっとヴェストル、気にもしなかったと思う。あたしが望んだから…ヴェストル、悲鳴のした方に向かって導いてくれたのよ…

 本当は、見たくない…どうしても、最近起こってる事件が思い浮かんでくる…

 でも、でもね……助けにもいかないなんて…きっと、あたしはそんな自分を許せないもん……

 悲鳴は一度しただけ…まさか、もう……

 …考えるだけでも嫌だった。そんな事、無い方がいい…間違いであって欲しい……

 あっ…

 何か、見えてきた。青白い幕の向こうに、人影が浮かび上がって…

 「……! …う、嘘よ……」

 どうして…どうして! どうして、未夏の右手が…小さな、女の子の…首、を……引き千切ってるのよ…! どうして……真っ赤に染まった…その子の腕を………

 未夏…どうして、食べ、て………

 逃げてく…鬼…みたい、な…

 あたし…あたし…………


 ……………………………………………………………………………


(…ほし、さん…)

 嫌…信じたくない……

 ……あれは…夢よ…幻……そうよ、きっと…

「美星さん…」

 優しい声がする…温かい…

 ヴェストル……そう…あたし……

 でも…でもね……信じたくない事も、忘れたい事も…『人間』にはあるのよ……

「…忘れてもいいものでしょうか、美星さん」

 ヴェストル………

 …あたし…必死になって目を開けてた。…ヴェストル、そっと心配そうに覗き込んでくれてる…

 でも、でもね…あたし、目を逸らせて…ヴェストルの膝から、頭を起こしてた。

 家の傍の、公園まで戻ってる…

 あっ…駄目……又、あの『夢』が……

「…美星さん。悲しければ、泣いてもいいんです。力一杯、泣いてもいいんです……全ての涙が、恥じるべきものではありません」

「……大丈夫」

 掠れた声で、あたし、応えてた。

 …そう、あれは『現実』………自分でも分かってるよ、ヴェストル…

「…泣き出す前に、知りたいの…どうして……どうして、あんな事に…なった、の?」

 声が…体が、震えるのよ…! あたし…あたし、全身の力を込めて耐えようとしてた。必死で…必死で耐えようと……

「美星さん…」

 ヴェストル、あたしの肩をそっと抱いてくれる…温かいの…《本当》に温かいのよ…!

「『人間』は…何故、『神』を自らの上位に得たいのでしょうか。何故、畏怖すべき存在を自らの手で創り出すのでしょう。

 美星さん、それが《弱さ》として、悪鬼を心に招き入れてしまうんですよ。『何か』を待ち望んでいる心に入り込むなど、妖鬼にしてみればいとも簡単な事なのですから」

「……」

「修行もせず召喚を行った者に、神を観る事など出来ません。…神の替わりにあのお友達の許へと入ったのは、恐らく鬼絞(おにしめ)でしょう。自ら神の名を騙り、お友達に憑依したのです」

「………」

 あたし…振り返って、ヴェストルに縋り付いてた。もう、我慢出来なくて…

 …声も出さないで、あたし…泣き出してた……

「美星さん…神々は、災異を起こして人間に警告を送る事などしません…いいえ、正確には出来ないんです。第四期第一紀に身を置きながら…『時間』の鎖を断ち切りながらも、この第三紀への『扉』となる地が存在していないのですから……」

 静かな声…優しく、そっと包み込んでくれる。あたしを傷付けないように…そっと……

「…何故、人間はそれ程まで自らの存在を卑下するのでしょう。神々に支配されたいとでも言うのでしょうか…《本質》の等しい、ただ『様相』が異なるだけの存在に…」

「……分かんない…でも…『何か』の《原因》を、知りたいのよ……嬉しい事、悲しい事…全部、『何か』の『力』で起きたんだ、って……それが『人間』なのよ…」

 しゃくりあげながら…あたし、呟いてた…

「不思議なものです…神々が、その様な事では動くはずもないのに」

「でも、でもね…ヴェストル…あたし達には『そんな事』じゃないのよ…」

 弱いから…甘えたいから…

 でも、でもね……だから『人間』なのよ…

「もっと…もっと大きな《次元》がある、って……分かってる…でも…」

 あたし、真剣に見守ってくれてるヴェストルに向かって、濡れた瞳を上げてた…

「でもね…だからこそ、間違うのよ…」

 分かって欲しいなんて、思わない…でも…

 ……分かろうとはして欲しい…

「……美星さん。間違うのは、神々も同じなんですよ」

「え…?」

「だからこそ…第三期第一紀で《光》と《闇》は争ったんです…」

 ヴェストル、とっても遠い目をしてる…やだ、そんな目をしないで……何処かに消えてしまいそうで……

 あたし、恐くなって…思わず、確かめるように縋った腕に力を込めてた。

「美星さん…」

 すぐに、安心させるように微笑んできてくれる。

 …絶対に消えたりしないでね…あたし、信じてるんだからね…?

 あたし、涙を拭いて…何とか笑い返せたのよ…


 少し、静かな沈黙が広がる。あたし、呼吸を調えて身を起こしてた。

「美星さん…」

 その時ね、急にヴェストルが心配そうな顔をしてきたの。

「星が動いています」

「え?」

 意味が分かんなくて、あたし、首を傾げてた。

「あのお友達が…」

 言葉が止まる。あたし、恐くて……でも、でもね…

「…はい」

 あたしの視線に、ヴェストル…頷いてくれたの。

「あのお友達は、もう助けられないんですよ…」

「そんな…!」

「鬼絞に体を奪われると言う事は、同時に魂魄の消滅も意味しています。…今から、《星》の命ずる儘にお友達は解放されます」

「解放って…」

「…はい」

 ヴェストル、辛そうに…

 じゃぁ、未夏は……

「どうにか出来ないの? ねぇ、ヴェストル…」

 でも、でもね…ヴェストル、ただ頷くだけなのよ…

 そんな…未夏が死ぬなんて……!

「お願い、連れていって。お願い…!」

「美星さん…《星》の運命は変えられないんですよ」

 そうかも知れない…そうかも知れないけど……

 でも、でもね…鬼になっても……未夏は、未夏なのよ。

 …ヴェストル、無理だって本当は分かってる。でも……

「…分かりました」

 静かに抱き上げてくれる。

 …ありがとう。でも…でもね……

 あたし、しようともしないで絶望なんてしたくないのよ…


 すぐに、未夏の姿が見えてくる。髪を振り乱して…鬼に心を奪われた未夏が…

 あたし、血にまみれてても…それでも、未夏に声を掛けようとしてた。精一杯の力で口を開いて、声を出そうと……

 その瞬間ね、未夏のすぐ前の脇道から、一人の男の子が飛び出してきたの。少し茶色い短髪をした、あたしくらいの年頃の子で…

「…! 未夏、止めて!」

 未夏、その男の子に襲いかかって……

 ヴェストルも動いてくれようとした時ね…凄い悲鳴が響き渡ったの……

 思わず立ち止まったあたし達の前で……引き裂こうとしてた未夏の右腕が…闇の中に消えてく…

 あの男の子、栗色の瞳を鋭く細めて…手にした短剣で、未夏を……

「止めてぇ!」

 それ以上…それ以上、傷付けないで! 例え(こころ)は無くなっても…体は未夏の儘なんだから!

 その子…あたしの悲鳴に動きを止めてくれたの。でも、でもね、その瞬間…未夏の体から、辺りの薄闇よりも、もっとずっと黒い霧が流れ出してた。

「危険ですね」

 落ち着いて、ヴェストル、あたしを抱いて宙に浮かび上がってる。

 若しかして…あたしのせいで、あの男の子まで……

 …でも…でもね? じゃぁ、あたし…どうすればよかったの?

 倒れて動かなくなった未夏の前で、その子、霧に向かってすぐに両手を組んでる。人差し指を立ててから、小指も続けて…

「祈神印です。口中の咒言も正確なものですよ」

 何の事か分かんなかったけど…でも、でもね、霧は何かの目に見えない壁で阻まれてるみたい。霧と男の子の狭間から、物凄く強い風が吹き上げてくる。

 霧が、少し退がってる。その間に、又、男の子は変な形に手を組んで…

「除魔印です」

 ヴェストルがそう教えてくれた時…突然、黒い霧が見えなくなったの。

 …やだ……冷たい咆哮が耳を貫いてくる…

 恐いよ……

「大丈夫です」

 そっと、ヴェストルが腕に力を込めてくれる…

「鬼絞は、この世界から消失してしまいましたよ」

「……未夏…未夏は?」

 見上げるあたしに、ヴェストル…黙って首を横に振ってる…

「そんな…」

 どうして…どうして、未夏が死ななくちゃいけなかったの……?

「戻りましょうか…」

 あの不思議な男の子が、未夏の体を整えてくれてる…

 …あたし、やっぱり……何も出来なかった……


「美星さん…」

 部屋に戻ってくると、ヴェストル、そっとあたしに言ってきたの。

「定まったものは変えられません。…美星さんが何も出来なかったように、僕にも何も出来なかったんですよ…」

「ヴェストル……!」

 そうなの…『何か』が出来るなら、きっと…そう、きっとヴェストル、あたしの為にしてくれたはずだもん……

「ごめんね…ごめんね、ヴェストル…」

 そんなに、辛そうにしないで…

「ごめんね…ごめんね……」

 あたし…何度も何度も呟いてた。あたし…ヴェストルまで傷付けて……

「自分を責めないで下さい。…僕が、力不足だったんですから」

 そんな事無いわ! ヴェストル、いつも一生懸命してくれるんだもん…

「ごめんね……ありがとう、…大丈夫、もう…泣かないわ…」

 きっと…これ以上にはならなかったの……『運命』の一言で諦めたくないけど…でも、でもね……あたし、もうヴェストルを苦しめたくない…

 だから、あたし…何とか笑おうとしてた…

「美星さん…有難う御座います」

 ううん、…あたしの方こそ…

 ……ありがとう…

 温かな腕が、ゆっくりと離れてく…

 あたし、横になってずっと…ヴェストルが消えた窓を見つめて考えてた……

 そう……ずっと考えてたのよ…

                                                                         4 計都の惑溺 おわり






     さ緑の葉は 互いを重ね

      揺らめく軌跡を 晶に描く

     楚々たる枝柯は 優美に絡み

      一途の旅路を 虚空に辿る…



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