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星斗幻想紀  作者: 風光
3/12

3 金曜の恋風

            人も神もね、《本質》は一つなの…




 う〜ん、…痛い……痛いよ…

 まるで、錐か何かで…頭を突き刺されてるみたい…

「くっ…!」

 ちょっと、冗談じゃ…ないわ、よ! 折角、昨日は…血や尿を採って…うわっ! ……注射もして…

 駄目…あたし、泣きそう…

 …胸の下から、…嫌なものが込み上げてくる…誰か、誰か何とかしてよ!

 ヴェストル…こんな時に、来てくれたって…いいの、に……


 あっ、少し…楽になったかな…

 あたしね、慌てて上半身を起こして、天井に向かって大きく口を開けてた。

 沢山の空気を吸い込んでみる。……ふぅ〜

 ……何とか、頑張れそうかな。

 やだ、物凄い汗じゃない。あたし、窓際に畳んであった、一番お気に入りの淡い黄色のパジャマを手に取ったの。

 大急ぎで、着替え始める。こんな土砂降りの日なんだもん。少しは明るい色が欲しいじゃない?

 そう…今日も雨。ヴェストル、もう一週間以上も来てくれてないのよ。本当に、退屈…星だって見えないしね。

 あたしね、別に雨は嫌いじゃないの。でも、でもね? 一週間も降り続いたら、好きなものも嫌いになっちゃうわ。


 雨が降る直前なんて、本当に好き。ほら、そんな時って、今迄凪いでたのに、急に生暖かい風が吹き始めるじゃない? 窓から見える木々の緑が、大きく、ゆっくりと揺れ動くのよ。ちょっと、どきどきするような動き方なんだけどね。でも、でもね。そんな仕草で、風が教えてくれてるのよ。それを見てたら、あたしも『自然』の中に居るんだな、って…あたしが見てるだけじゃない、風や樹だってあたし達を見てくれてるんだな…って。とっても嬉しくなるのよ。

 ……あ〜ぁ。でも、そろそろ止んで欲しいな。こんなに激しく降ったら、あのコゲラだって苦しんでると思うわ。

 そうなの! あのね、これ、礼奈にも話してないんだけど…あたしの部屋から見えてる公園にね、コゲラが巣を作ったの。公園にはプラタナスやケヤキが沢山並んでるんだけど、小さなコゲラが選んだのはイチョウの木だったわ。

 あれ、二ヶ月くらい前になるのかな。丁度、あたしが初めてヴェストルと逢った頃だったと思う。朝、目が覚めた時にね、窓の外でキィーッ、キッキッキッって変な鳥の啼き声が聞こえたのよ。そんな声、今迄に聞いた事も無かったから、あたし、不思議に思って公園に目を向けてた。そしたらね、何かの小さな影がイチョウの梢にとまったの。

 スズメくらいの大きさかな。尾が短くて、黒褐色の翼には白い横斑が見えてる。そのとっても可愛らしい小さな体でね、イチョウの幹に平行にとまってコッコッって健気に穴を開けようとしてるんだもん。すっかり、あたしのお気に入りになっちゃった。

 それから二、三日するとね、南向きの所にちっちゃな穴が出来てたの。巣を作ってたのよ! あたし、もう嬉しくって…

 まだ完成はしてないみたいで、時々穴の中からコゲラが出てきては、何処かに飛んでくの。その飛び方がちょっと不器用で…そこがまた可愛いのよ。ギィーッって啼きながら、グイッグイッって下に凸な短い波形を描くんだけど…何だかね、鳥なのに飛び慣れてないんだな、って感じがする。ヒヨドリみたいな飛び方なんだけど、まだまだスムーズさは及ばないかな。だって、今にもポテッと落ちちゃいそうなんだもん。

 本当に可愛いの。大好き!

 巣穴からひょいって顔だけ出して、きょときょと瞳を動かしてる時とか…素敵な所がね、一杯ある。目の下の黒い筋にだって、愛嬌があるのよ。

 でも…今は、葉が繁り過ぎてて、全然巣も見えてないの。でも、でもね? コゲラにしてみれば、きっとその方がいいんだもんね。

 ……コゲラが巣穴から顔を覗かせて…その下の公園で、ちっちゃな子供達が沢山遊んでてね。空は雲一つ無い、素晴らしい夕焼け空で…金星が、瞬きもしないであたしを見つめてくれるの…そして、隣には礼奈が居てくれたら……

 あたし、もう、こんな幸せな事は無いわ!

 あっ…!

 …もう一つ……すぐ傍に、ヴェストルが居てくれたら…ね。

 そう、…あたし、きっと……ヴェストルの事が……

「うっ…?」

 駄目…又、頭が……痛い! 痛いよ…くぅっ…

 ……? …誰か、ドア、を…

「入ってもいい…? …ミホ!」

 …礼、奈……

 力一杯、頭を押さえて身悶えてるあたしの額に…柔らかな指先がそっと触れるの。

 …いつも、そう。礼奈がそうやって触れただけで、あたし、気分が良くなってくる…頭の痛みや吐き気なんて、あっさり消えてしまうのよ。

「大丈夫…?」

 うん、…まだ、焦点がぼんやりしてるけどね…

 すぐ目の前で、明るい栗色の髪の毛が揺れてる。心配そうに覗き込んでくれる、少し青の入った黒い瞳…

「…ありがとう、礼奈」

 あたし、ほっと溜め息を吐いて…礼奈を見上げて笑おうとしたの。でも、でもね…やっぱり、ちょっと陰が入っちゃったみたい。

「ミホ…前よりも、随分酷くなってない?」

 静かだけど優しい声が、《本当》にあたしの事を心配してくれる。

「そうかも知れないけど…でも、でもね、大丈夫よ。昨日も、病院に行ったんだし」

 あたしがそう言ってもう一度笑ったら、今度は礼奈も微笑み返してくれた。

「ねぇ、ミホ…自分で気付いてる?」

「え?」

 急に、尋ねてくるんだもん。あたし、礼奈が何を言ってるのか分かんなくて、きょとんとしてた。そんなあたしの顔を見て、礼奈、くすくす笑いながら言ってきたのよ。

「前、来た時に比べてね…ミホ、とっても落ち着いてきてるの。綺麗になったと思うし…」

「まさか!」

 あたしが冗談だと思って笑ったら、礼奈、珍しく悪戯っぽく続けたの。

「きっと…時々この部屋に来る、あの人のせいでしょう?」

「えぇぇ〜!」

 やだ、どうしよう…あたし、自分が胸元まで赤くしてるのが分かるんだもん…どうしよう……あ〜ん、どきどきが止まらないよぉ。

 …でも、でもね…あの人は……

 そう……無理、なんだもん…ね…

「やっぱり、そうなのね…」

 礼奈ったら、いつもの椅子に腰掛けて喜んでる。

「ど、どうして…」

 え〜ん、あたし、まだ混乱してるぅ。

「二ヶ月前、部屋に入ったら何か違う雰囲気がしたの。それから暫くして、どんどんミホが変わっていくから…勿論、良い方向にね」

 そうなんだ…ちょっと、嬉しいかな。

「…話してくれる?」

「う、うん…」

 どもらないで! 礼奈だもん、大丈夫よ…

「あたしね、その人が…きっと…《本当》にきっと、その……

 …ヴェストルの事が……『好き』なんだと思う…」

 そう、きっと……そうなの…

 礼奈ね、自分の事みたいに喜んでくれてる…

 …でも……

「でも、ね…礼奈。その人…『神様』なの……」

 あれから、沢山の事を教えてもらってる。

 本当は、ヴェストル、神様に等しい『力』を持ってるだけで、『神様そのもの』じゃないんだって。神様が誕生する時に、一緒に生まれたらしいんだけど…でも、でもね。全然タイプが違うそうなの。

 一体、どれくらい前の事なのかな…

「そうなのね…」

 え…? そうなのね、って…礼奈、ちゃんと聞いてる?

 そんなあたしの顔を見てね、礼奈、くすくす笑ってた。

「ミホ…神も人間も、《本当》は同じものなの…違うのは、その全体としての様相に於ける…位階だけ…」

「え?」

 あたしが…ヴェストルと『同じ』…?

 …じゃぁ……

 あたし…ちょっと期待してる……若しかしたら…?

「そう…別に、ミホがヴェストルさんを『好き』になっても構わないの…それが《真》のものなら、ね」

 礼奈……

 あたしね、一気に話し出してた。

「礼奈、あたし…あのね、あたし、本当は諦めてたの。…初めてその事を知った時…ヴェストルが神様だって知った時……とってもショックで…

 でも、でもね…後になって、あたし、考えてたの。…その人が、その人の儘でいてくれるんなら…神様だって何だって……あたしは、その人の事を『好き』な儘でいてもいいかな、って。…ヴェストルがあたしの事、何とも思ってなくても…叶える事が不可能だって分かってても……

 ……あたしは想い続けるんだ、って…」

「ミホ…」

 真っ赤になってるあたしにね、礼奈、とっても優しい目をしてくれてる。

「不可能な事なんてないわ…きっと」

「ありがとう」

 礼奈って、だから好きなの。変な事を言っても、何も驚いたりしない…どんな事でも、信じてくれる。

 あたしの事、本気で心配してくれるんだもん。

 《本当》に、素敵な友達なのよ!


「ミホ…ヴェストルさんって、どんな人なの…?」

「あのね…」

 あたし、教えてもらった事、全部礼奈に話してた。こんな事、信じてもらえるなんて思ってなかったけど…やっぱり、礼奈だもんね。

 蒼く見えてる天蓋はね、大きく四つの『方位』に分けられてるんだって。その区切られた一つ一つの範囲を、『力』ある存在がそれぞれ司ってて、宙を自由に駆け巡ってるそうなの。

「僕は、美星さんから見れば、西(マール)の空を支えているんですよ」

 ヴェストル、そう言ってた。でも、この『方位』って、あたし達の意味してる事とは違うみたい。よく分かんなかったんだけど…

 他にもね、東天(グニル)ならアウストルがいるし、北にはノルドル、南にはスードルって言う名前の人がいるそうなの。

 この人達もね、皆、ヴェストルみたいに小人なんだって。でも、でもね? ヴェストルが《本当》に小人かどうかなんて、分かんないじゃない? あれは、きっとヴェストルの…何だろう…『体』、かな。その一つでしかないのよ。

「…ミホ。ヴェストルさんは『一人』なの…ただ、ミホの目に映る時の『様相』が違うだけなのよ…」

「うん…分かってる。ヴェストルは、ヴェストルなのよ」

 礼奈、温かな微笑みで頷いてくれる…

 ヴェストルの話だとね、夜空に煌いてる星達って、神様が『言葉』を発して創り上げたんだって。でも、でもね、その時に勝手に彷徨うようになっちゃった星達も沢山あるそうなの。ヴェストル、時々それらを手にして投げたりするって言ってたわ。それが、流星としてあたし達には見えるんだ、って。

「でも…わたし達が見る星は、『星』の《全て》ではないわ」

 うん、ヴェストルもそんな事を言ってた。でも、でもね、あたしには難しかったのよ。

 日食や月食もね、ヴェストル達が起こすみたい。星の代わりにね、今度は暗闇を投げるそうよ。その暗闇、とっても大きいから、流星みたいにすぐ流れたりしないで、ゆっくりと光を消してくの。

 遊星なんて、ヴェストル、クリケットみたいにして打つんだ、って言ってた。別の小人に打たれたら、又打ち返して…あたし、もっと不思議なものだと思ってたのに!

 でも、でもね? きっと、あたしには分かんないような、深いものがあると思うの。宇宙って、一つじゃないし…ヴェストル、その全部を支えてるんだと思う。

「それに…『時間』や、他の幾つもの『軸』を超越して存在しているのよ」

 うん…あまり、考えたくないんだけどね。だって…ヴェストルはヴェストルなんだ、って…そう思えなくなりそうで、恐いんだもん。

「ミホ…大丈夫。神も人間も、その《本質》は同じだもの…」

 …ありがとう、礼奈。

「この世界が、第三期第三紀に当たる事は聞いてる…?」

 ヴェストル、そんな事も言ってたかな。

「第三期の存在は…ううん、極論すれば、他の『期』の存在もそうなんだけど…それらは全て《唯一の本質(ヘルジュトリア)》から生じたの。それは同時に、わたし達は皆、そのヘルジュトリアと《本質》に於いて等しい事になるのよ…」

「…難しいのね」

 あたし、正直にそう言ったの。でも、でもね。礼奈は笑ったりしないわ。

「そうね…でも、知らないといけないと思うの。ミホ…わたしは、ヘルジュトリアのとても僅かな部分を写している『鏡』なの…ミホも、《唯一の本質》の一部を顕現しているのよ。神も、そう…ただ、その『様相』が異なっているだけなの…

 こんな風に言ってもいいのか分からないけど…ヴェストルさんはね、わたし達よりもヘルジュトリアの多くを示現しているの…だから、『神』と呼ばれるんだと思うわ。それはね、多分…上下関係ではなくて……ただの位階の違い…その階層が違うだけなのよ…

 だからね…人間を好きになるように、神を『好き』になっても構わないの…それが《真》のものなら、きっとヴェストルさんは応えてくれるわ」

「…ありがとう」

 あたし、思わず礼奈に抱き着いてた。でも、でもね…礼奈。あたし、多分…まだヴェストルには何も言わないと思うの。今は、まだ…ね。

「あたし、ね。…まだ…気持ちを持て余してる…」

「ミホ…」

「礼奈、不思議だと思わない? あたしね…時々、ヴェストルの事が大嫌いになるの。人間は《真実》だけじゃ生きていけないのに…《嘘》を望む事もあるのに…ヴェストル、そんな事、ちっとも考えないんだもん。

 でも、でもね…そんな時は嫌いになるのに……やっぱり『好き』なのよ。…どうしても、『好き』になっちゃうの。

 …どきどきしてくるのよ。

 そんな時、思うの。やっぱり、あたしとヴェストルって違うんだ、って…

 …でも、そんな違う人でもね…あたしは『好き』なのよ。だから……今の儘のヴェストルを理解するようにしよう…って。きっと…あたしがどれだけ努力しても、ヴェストルは『他人』の儘だと思うけど…」

 だって…神様なんだもん、ね…

「でも…でもね? それでもいいのよ。『他人』のヴェストルを想い続けるからこそ…だからこそ、あたし、きっと……どんどん、ヴェストルを『好き』になっていけるんだもん…」

「…そうね」

 礼奈、呟いてるあたしを、しっかり抱き返してくれる。

「…あたし、まだ《本当》には、この気持ちが《真》かどうかなんて分かってないのかも知れない。でも…でもね。これだけは言えるわ。

 あたし…同じ『好き』なんかじゃなくて…ヴェストルの事、どんどん新しく『好き』になってるのよ……」

「素敵な想いね…羨ましいわ」

 にっこりと優しく微笑んでくれる礼奈にね、あたしも真っ赤になって笑い掛けてた。

 でも、話せて良かったと思うの。あたし一人だったら…きっと、心の整理なんて出来ないもんね。


「礼奈…本当に、ありがとう。

 ……でも、礼奈にも『好き』な人はいるんでしょ?」

 あたしがまだ中学校に通ってた頃から、何か、そんな雰囲気があったもんね。

「わたしは…」

 礼奈、恥ずかしそうに頬を上気させてる。…あたしから見ても、そんな礼奈ってとっても綺麗なのよ。

「わたしが『好き』なのは……人間かどうかも分からないの…」

「え?」

「…ミホ。わたしね、小さい頃から…寂しい事や悲しい事があった時に……一つの『森』に行く事が…帰る事があるのよ…」

 森…?

「えぇ…蹲って泣きそうになった時、いつも、急に突風がわたしを包み込んでくれて…気が付いたら、いつもその『郷夢の森』の中に座って居たわ…

 そこには、灰色に霞んだ大木が立ち並んでいて…初めて迷い込んだ時にはね、何だか嬉しくて…楽しそうに、はしゃいで駆け回っていたの。……三歳くらいだったと思うわ」

 あたし、思わず想像しちゃった。きっとね、今の礼奈からは考えられないくらいころころしてて、とっても大きな目を輝かせながら、とことこ走り回ってたのよ。

「だけど…突然、今、自分が何処に居るんだろう、って…そう思ったら、急に周りの木々が恐くなってきたの。何も変わっていないのに……わたし、しゃがみこんで泣き出してしまって……

 迷子になっちゃった…そう思って、わたしが泣いていると…ね……」

 礼奈、少し深呼吸してから、ゆっくりと吐き出したの。

「…すぐ目の前に、…一本の『樹』が現れてくれたの……」

 現れてくれた、って…?

「そう…灰色の森の中でね、…その『樹』だけが鮮やかな緑葉を繁らせていたの…わたし、泣く事なんて忘れて、…じっとその『樹』を見つめていたわ…」

 恥じらいながらね、礼奈、俯けた視線を泳がせてる。

「森の中でも一番大きくて、梢なんて見えていないのに…温かくて…威圧感なんて、全く無かったの…

 ……何か、わたし、この『樹』を知ってる……嬉しくて…わたし、その大きな幹に抱き着いて笑い出していたのよ…」

 その光景、見える気がするの。小さな礼奈が、青の入った円らな瞳でじっと緑の『樹』を見上げてて…きっとね、丸い人差し指の先を下唇に当てて、ちょこっと首を傾げてたのよ。

 不思議そうに…瞬きもしないで暫く見つめた後でね。急に可愛くにっこり笑って、太い幹に抱き着いてたんだわ。

「その『樹』も…ね。わたしをそっと…でも、しっかりと…抱き返してくれた気がして……わたし、それまでの事なんて忘れて…安心してその根元ではしゃいでいたの。

 ずっと…いつでも優しく見守ってくれるのよ…そして、声にはならないんだけど、いつも『言葉』で色々な事を教えてくれたわ…宇宙の事、神々の事。不思議な『言葉』や、…そして《歴史》の事を……」

 礼奈、とっても綺麗な笑顔を向けてくる。とっても素敵な微笑み…

「その『樹』は…ね。ミホ…『わたし自身』なの…わたしの《源》……でも、わたしだけではなくて…もう一つ、…別の存在もいるのよ……

 ううん。…本当は、その別の存在の方が多くを占めているの。その存在が、わたしをいつも見守ってくれていて……寂しくなった時には、呼んでくれるの…優しく抱いて、励ましてくれるのよ…

 ミホ…わたしね、その『樹』の傍に居ると、とても安心するの。その『樹』の御蔭で辛い事も受け入れる事が出来たら…いつも、その根元でぐっすりと眠ってしまうの…夢も見ないで…丸くなって……

 …暫くして、木漏れ日が静かに起こしてくれたら…わたしね、…いつも、もう一度『樹』を抱き締めるの。わたしには、他に想いを伝える事なんて出来ないから……

 そして、歩き出すのよ。森の中を…見えないけれど、出口に向かって……

 ミホ…わたし、その『樹』の……もう一つの存在を、きっと……『好き』なの…」

「礼奈…」

「わたしには、分かるの。…今迄の、わたしとその存在の《歴史》が…過去も未来も全て……一つになって、その『樹』へと繋がっているんだ、って……

 『もう一つのわたし』が、何なのか分からないし…今、この《時間》で出逢えるのかどうかも分からないけれど……

 でも…」

「『好き』なのね…」

 静かに…真剣に頷いてる。そんな礼奈って、とっても大きく思える。凄いな、って思うのよ。

 …あたしなんて、例え神様でも…逢いに来てくれるんだもんね。まだ、礼奈よりは幸せなのかな…

「でも、でもね…? 礼奈……若し、その『何か』と出逢えなかったら……」

 礼奈…耐えられる、の?

「それでも…わたしは『好き』でいるわ…きっと……

 あの山の石のように…ね……」

 礼奈が窓の外を見てる。

 あたしも、その伝説なら知ってたの。

 昔ね、一人の女の人が、何処か遠くに旅立ってしまう愛する人を、ここから少し離れた所にある山の上で見送ったの…そして……ずっと、ずっと待ち続けて…

 そのまま、石になってしまったのよ…

 綺麗な人の姿をした石を、深い緑色をした苔が覆い尽くしていて…その表面で煌く露は、石になった女の人の涙……永遠に涸れる事の無い、泪なんだ、って……

 あたしにも…礼奈みたいにしっかりと言えるかな。…ヴェストルを待って、…永遠に待ち続けるなんて……

 ……でも、でもね…きっと、やっぱり……あたし、待ってるかも知れない。神様でも何でも…ヴェストルはヴェストルなのよ。あたし、やっぱり好きなんだもん。ずっと『好き』な儘で…きっと、応えが返ってくるのを待ってるわ。

 その前に…告白しなくちゃいけないんだけどね。それは、まだ……

 …らしくないけどね。…まだ、したくないのよ。『何か』が恐いのかな…自分でも、よく分かんない。

「…ミホ、焦る必要なんて無いわ…きっと『時間』が教えてくれるもの…」

 《時》が…

 でも、でもね? あたし…やっぱり、自分の意思で告白したいのよ。

 そう言ったら、礼奈、楽しそうにくすくす笑い出してる。う〜ん、あたしの言葉、混乱してるみたい。

 …でも、…仕方無いじゃない?


「…少し、雨も弱まったみたいだから…」

 礼奈がね、そう言って立ち上がろうとしてる。あたし、自分でも分からない間に、もう一度礼奈に抱き着いてた。

「礼奈、ありがとう…全部、話せて良かったわ…」

「わたしも嬉しかったわ、ミホ…また、頭が痛むようなら電話をして…何があっても、すぐに来るから…」

「大丈夫よ! もう、すっかり忘れてるんだから」

 あたしの返事に、礼奈、少し安心して笑ってくれる。礼奈が来る前までの苦しみなんて何処かに捨てて、あたしも心の底から笑い出してた。

 だから、礼奈って大好き!


 う〜ん、でも、今日はヴェストルは来ないわね。小雨にはなったけど、まだあんなに雲が厚いんだもん。

 あたし、ベッドの脇から空を見上げて…ずっと、ヴェストルの事ばかり考えてた。

 …何だか、胸の奥が熱くて…微かに、体が震えてる……

 泣きそうなくらい、嬉しいの…あたし、《本当》にヴェストルの事が『好き』なんだ、って……

 …体中に、『何か』が染み渡っていくのよ……


 ヴェストル…いつか、きっと…そう、きっと言えるからね!

                                                                         3 金曜の恋風 おわり






     曾て 二つにありしもの

      今は 共に唇歯と為る…

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