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星斗幻想紀  作者: 風光
2/12

2 火曜の暗恨

             皆、所詮は被害者じゃないのよ…




 もう! ヴェストル、今日は来ないのかな。こんなに素敵に晴れ上がったの、一週間ぶりなのよ?

 ヴェストルね、あれから雲一つ無い夜が来る度に、きちんと迎えに来てくれるの。

 でも、どうしたのかな。今日に限って、薄明が終わっても逢いに来てくれないのよ。とっくに大好きな金星も沈んじゃったし、今見えてるのは冬の星座達ばっかり。

 ほら、リゲルまで見えなくなっちゃったじゃない!

 ヴェストルの事を知って、もう一月になるけど…こんな事、初めてだわ……そう思った瞬間ね、あたし、そんなヴェストルが何処から来てくれるのか、全く知らない自分に気付いて驚いてた。

 そう……ヴェストル、あたしを勝手に連れ出して…星夜の町に出掛けてたの。だから…ヴェストルがこの散歩に飽きてしまったら……

 …もう、来ない…の……?

 まさか、って…そう思うけど……でも、でもね? 否定する事だって出来無いじゃない! あたし、ヴェストルの事、何も知らないし…小人なんだもん、連絡なんて出来ないでしょ?

 ヴェストルにその気が無くなったら、星夜の町への散歩も終わる……

 それが…それが……

 …今日かも知れないのよ……

 らしくないけど、ね。やっぱり、ブルーになるの。その考え方や口調は時々大嫌いになるけど…でも、でもね? ヴェストルとは逢いたかったし、ずっと、一緒に出掛ける事をやめてほしくないのよ。

 ううん。…出掛けなくてもいい。一緒に居て、話をして欲しい…そう思うの。もうね、小人だって事にも不思議さなんて感じないし…逆に、居なくなる方が不自然なのよ。

「今日は、来ないみたいね…」

 あたし、シリウスまで消えてくのを見て、溜め息吐いてた。星は大好きなんだけど…夜空を見たら、ヴェストルを想い出すもんね。

 だから、窓をそっと閉めようとして…

「遅くなって済みません、美星さん」

 ひょいって、丸い顔が覗いてる。

 あたしね、さっきまでの気持ちなんて何処かに放り出して、思わずそんなヴェストルに怒ってた。

「もう! 今日は来ないのかと思ったじゃない!」

「済みません。アウストルを手伝っていたものですから」

 あたし、とっても怒ってるんだけど…でも、でもね? 優しく微笑んでそう言われたら、何も言えないじゃない? 本当に困ってるのも、分かるしね。

「…もう、いいわよ。本当は、来てくれて嬉しいんだもん」

 小さな声であたしがそう言ったら、ヴェストル、きょとんとしてるの。

「僕が来るのは『当然』ですよ。最初に、僕がお誘いしたんですからね」

 あたしの指先を取って、笑ってくれる。そうよね、ヴェストルにしてみれば『当然』なのよね……

 …あたし、心の何処かで《本当》にほっとしてた……


「ねぇ、ヴェストル?」

「はい、何でしょうか」

 そんなに優しく微笑まれたら、あたし、質問なんて出来ないわ。

 ヴェストルね、今は格好良い若者の姿になって、横を歩いてるの。あたし、まだどきどきするのよ。本当に、素敵なんだもん…

「美星さん?」

 ぼぉーって見惚れてたら、少し照れた顔でヴェストルが言ってきたの。

 あたし、どうしようもないくらい慌てちゃって…

 急いで、視線を逸らしてた。

「あ、あのね…ヴェストルって、いつも何処から来るの?」

「それは…今は、秘密にしておきます。いずれ、『その時』が来れば、美星さんにもお分かりになるでしょうから…」

 真剣な声で応えてるの。少し厳しくて、冷たいくらいに抑揚の無い声…

 時々ね、こんな顔のヴェストルが嫌いになるの。何だか、あたしなんかとは全く違うんだな、って…

 小人なんだし、『他人』なんだから違って当然かも知れないんだけど…ね。

「おや? あの子はどうしたんでしょうか」

 俯き加減で歩いてたら、急にヴェストルがそう言ったの。あたし、それ以上は何も考えないで、視線を前に向けてた。

 青い薄闇に囲まれた一軒家の前で、一人の男の子が膝を抱えてる。青白い顔をしてて、ちょっと痩せてるんだけど…

 あれ? あの子、何処かで見た事が…

「あっ! ルミの弟じゃない」

「お友達の弟さんですか?」

「そうよ。でも、もっと元気そうな子だったんだけど…」

 どうかしたのかな?

 座ったままで動こうとしないその子に近付きかけたら、ヴェストルがそっと引き留めたの。

「ですが、美星さん。彼は既に死んでいますよ」

「え?」

 冗談じゃないわよ! 夜遅くにこんな所で座ってるなんて、確かに変かも知れないけど…でも、でもね? ちゃんと、あたしには見えてるのよ?

「美星さん、ここは星夜の町なんです。その中では、死者も見えることがあるんですよ」

 そんな…! じゃ、じゃぁ…あの子は……

 …もう、…死んでる、の……

 ヴェストルの目、とっても真剣なのよ。でも、でもね? そんな事、簡単に信じられないじゃない? あたし、幽霊なんて今迄見た事無いし…それに、ルミの弟が死んだなんて、そんな話…

「…あっ!」

 あたし、嫌な出来事だったから…

 忘れようとしてた事、全部思い出してた……

 …礼奈がね、教えてくれたの。ルミの家に強盗が押し入って…犯人は見つかって、裁判に…

 じゃ、じゃぁ…やっぱり、あの子……

「どうかしたんですか? こんな所にまだ居るなんて」

 …ヴェストル…その子は……

 ただ…ただ、お金が欲しかったから、って…見ず知らずのルミの家に入り込んだ男に……たまたま、留守番をしてただけなのに…

 何度も…ナイフで刺されたのよ……

 ヴェストルの静かな言葉に、八歳の男の子がむっとした表情で呟いてる…

「あいつ、許せないんだ。だから、ここで帰ってくるのを待ってるんだよ」

「復讐ですか」

 そんな、平気な顔で言わないで…! きっと…きっと、あたしが考える以上の苦しみや痛みを感じて…それで、その子は復讐をしようとしてるんだから!

「そうだよ。でも、もう、お姉ちゃんが成功しそうだからね」

 ずっと遠くの方を見て…え? ルミが何をしてるの!

 …まさか。ルミが復讐なんて…

 ううん! そんな事、有り得ない。だって…刑も確定して、犯人、刑務所の中なんだもん。復讐しようにも、出来ないじゃない。

 それに…ルミは、そんな事を考える子じゃないわ!

「美星さん。ですが、今はそのお友達も『そんな事を考える子』になっているのかも知れませんよ」

 そんな…

 でも…でも、ね……あんなに弟の事、可愛がってて…兄さんと一緒にこの町に残ることにして……

 …ううん! そんな事、無いよ…きっと…

 あたし、あたしね…混乱してた。

 …ううん、混乱してる振りをしてたの……

 ヴェストル、そんなあたしをそっと見守ってくれてる…

「…ヴェストル、あたし…ルミの所に行かなくちゃいけないの。

 本当は、分かってるんだもん…」

 そう…ヴェストルが言わなくても、ね。

「あたし、でも…止めさせたいのよ」

 あたし、必死になって藍色の優しい瞳を見上げてた。静かな、温かな視線がにっこりと微笑んでくれる。

「分かりました。行きましょう」

「…ありがとう」

 あたしの手を握って、ふわっと空に舞い上がってる。

 …本当はね、きっとヴェストル、ルミの所になんて行くつもり無かったんだと思う。誰が誰に復讐をしようと、僕には関係ありませんからね…そう思ってるんだもん、きっと。それが、ヴェストルの嫌いな所なんだけど…

 ヴェストル、あたしの為なら自分の考えなんて抑えるんだもん……

 …だからね、《本当》に思ってるのよ。

 ありがとう……って…


 一週間振りに、綺麗に澄み渡った星空。大きな北斗七星からスピカまで、白く浮き上がった雲一つ無いのよ…円い月も中天に掛かってて、レグルスの後を追い掛けてる。

 あたしの気持ちも…こんなに爽やかだったらいいのにな…

「ここですか?」

 …うん、あそこに見えるマンションよ。

 静かに、音も無く降りてく。あたし、前に出て懐かしい扉の方にヴェストルを導いてた。

「…ソバタソバタ、ソバカ」

「…?」

 中から、押し殺した掠れ声が漏れ出てくるの。ルミ…なのかな。でも、あんなに低い声じゃなかったし、独り言するような子でも…

 でも、でもね、他には兄さんしか住んでないはずなのよ。

「どうやら、一万編の真言も終わるようですね」

「真言?」

 真言って、あのお寺とかの? でも、どうして…

 扉の前で戸惑ってるあたしを、ヴェストル、静かに見てくるの。

「呪文ですよ、美星さん。相手を調伏、つまり呪い殺す為のものです」

「…!」

 そんな…そんな……

 …鋭い藍色の瞳は、真剣で…重くて……でも、でもね? ルミ、そんな宗教みたいなの知らないはずだし…そんな……

 呪い、なんて…

 その時ね、急に中の声が途切れたの。

「入りますか? 美星さん」

「…うん」

 あたしが頷いたから、ヴェストル、鍵なんて気にもしないで簡単にノブを回してた。

「誰!」

 扉が開いた途端、冷たく沈んだ声が聞こえてくる。あたし、思わず身震いして…

 …? 何、これ…香の薫りかな。でも…微かな臭みも混じってる……

「誰なの!」

「ルミ…?」

 あたし、立ち上がった人影に、そっと尋ねてた。でもね、その人影が答える前に、ヴェストル、勝手に入っていくのよ。

「威徳明王の法ですね」

 仕方無いから、あたしも腕を組んで佇んでるヴェストルの傍まで行って、脇から顔を覗かせてた。

 入ってすぐの部屋にね…壇がしつらえてあるの……その向こうに、気味の悪い仏像が見えてるのよ…! 何かに跨って…幾つもの顔が、牙を剥き出しにして……

 …その不気味な像の前にね…髪を乱して睨んでくる、かつてのルミじゃないルミが居るの……

 やだ、もう、…やだ…

 ルミの足下に、黒い人形が転がってるのが分かる。淡い蝋燭の光の中でね…何かの骨で作った杭が、肩や胸に突き立てられてるのが見えてるのよ……!

 とっても気持ち悪くて…禍々しくて…

 …胸の所まで、何かが込み上げてくる……

「誰なのよ! あなたには関係無い…ん?

 …そこに居るの、美星?」

「ルミ……」

 絶対に、駄目…おかしいよ、こんなの……

 …でも、でも…何も、言えないの…

 あたし……ルミが恐くて…震えてた……あんなに、…仲が良かったのに…

「フンッ! 呪いを止めるつもりだったの? どうして気付いたか知らないけど、でも、もう遅いわ。今頃、あいつは血を吐いて死んでるはずだもの」

 あんなに優しかったルミが…平気で、人の死を嘲笑するなんて…

「…そうですよ。随分と粗暴な発音と抑揚にも関わらず、明王はあなたの願いを叶えてくれましたからね」

 …え? ヴェストル、じゃぁ、もう…犯人、死んだって言うの?

「そうなの。じゃぁ、成功したのね」

 にやっと笑うのよ…あたし、そんなルミに、微かな声で…必死になって話そうとしてた。

「ルミ、どうして、こんな……」

 そしたらね、ルミ…きっと目を攣り上げて叫んできたの。

「どうして? 《当然》じゃない! あいつ…あいつは、たった何万かのお金が欲しかっただけなのに…なのに、何の関係も無い私達の家に入り込んできたのよ? 信也、可哀相に…ただ、留守番をしてただけで……ただ、それだけで殺されたんだから! …体中、何度も何度もナイフを突き立てられて…死んでもまだ、抉るように顔を傷付けられて……あの子が、どんなに苦しんだか!」

 分かるわよ! あたしにだって、それぐらい、分かるわよ!

「美星さん…」

 涙をぽろぽろ流してるあたしをね、ヴェストル、優しくそっと抱いてくれてた…

「そんな奴、私が復讐しても当然じゃない!」

 ルミ……

「…で、でも…犯人、捕まって……」

 ヴェストルにしがみつきながら、しゃくりあげて押し出したあたしの言葉を…ルミ、鼻で笑ったの。

「法律が何をしてくれたって言うのよ! せいぜい、何十年か刑務所に入るだけじゃない! それだけでも、馬鹿な市民団体や弁護士なんかは文句を言ってるのよ? 始めは死刑だったのに…世界の潮流に逆らってるって……

 …皆、所詮は被害者じゃないのよ! 死刑がどうしていけないの? 後退することが、どうしていけないのよ! 進んでいく事が、全て正しいはずなんてないじゃない! …更生するチャンスを与えろって? 例えあいつが更生したってね、死んだ信也は生き返ったりしないんだから!」

 …あたし、あたし……

 何もね、言えなかった…

 人を罰するんじゃなくて、罪を罰するんだって…でも、でもね? そんな事…ルミに言えないじゃない? だって、ルミの言葉……

 ……《真実》なんだもん…

 あたしだって……あたし…う、ううん……あれは《夢》よ……

「ねぇ、美星。あんただって、そうよ。美星だって、被害者じゃないのよ。

 分かる? お母さん達は先に引っ越したけど…お兄ちゃんが残るし、私達も学校の友達と離れたくなかったから…だから、だから……大好きな信也と一緒にここに残ったのに……全部、そうよ…全部、消えたわ!

 お兄ちゃん、ショックで少しおかしくなって…仕事、辞めさせられたのよ? どうして…どうして? 世の中って、どうしてあんな奴にばっかり有利に出来るの? そんな文明国なんて、犯人にしか好かれやしないわよ!」

「……」

「…だからね、美星。私、決めたの。

 あんな奴だけが、ありもしない『人権』で守られるんなら…私は、法律なんかであいつを殺したりしない。世間があいつを守るんなら、世間には知られてない『呪い』であいつに復讐してやる……そう決めたのよ。

 きっと、信也だって復讐してもらいたがってるんだから」

 あたし、強く目を瞑って…しがみついてる指先に、力を込めてたの……

 だって…だって、さっきあの子は…

「…ううん! そんな事、思ってないわよ!」

 ……嘘だって、分かってる…抱いてくれてるヴェストルの視線が、あたしを貫いてるの…

 冷たいよ、ヴェストル……

「だって、呪いなんかしたら…ルミが無事なはずないじゃない! 信也君だって、きっとルミに傷付いて欲しくないわよ!」

「そんな事、どうでもいいのよ。私なんてどうなったって、これ以上失うものなんて無いんだから!」

 ルミがそう叫んだ時ね、ヴェストルが少し動いたの。

「いいえ、ありますよ」

 静かに…全く感情なんて含まないで、ヴェストルが言ってる。

「あるわけないじゃない! 私の一番大事な存在が、殺されたのよ?」

「では、どうして呪詛返しの符を用意しているんですか?」

「……!」

 ヴェストル、あたしの体を励ますようにそっと叩いて離れてく…そしてね、ルミが隠そうとした、何か奇妙な文字の描かれてる符を取り上げて、冷たい声で話してたの。

「しかも、間違っていますね。何を見たのかは知りませんが、呪文や印も無かったんですか? あなたは、随分と明王の『力』を軽んじてるんですね」

「いいじゃない!」

 ルミが取り返しても、ヴェストル、まるで表情を変えないのよ…

「知らない事とは言え、明王を自分の怒りだけで召喚したんですから。不十分な祈りの代償として、あなたはそれに見合うだけの犠牲を払う事になります。

 呪詛を行う者は、だからこそ真摯に行をおこなうんですよ。無知が引き起こした『力』ほど、恐ろしいものは無いんです」

「それがどうしたのよ! 私なんて、もう死んでもいいんだから」

 ヴェストルが、傍に戻ってきてくれたの。温かな腕で、泣いてるあたしを包み込んでくれる…

「あなたが自ら呼び起こした呪いで死ぬのは構いませんが、美星さんを傷付けるわけにはいきません」

 ……ヴェストル…

「今すぐ、美星と逃げればいいじゃない」

 嘲笑うルミに、ヴェストルは重い言葉を紡いでた。

「だから、あなたは『力』を軽んじてると言ったんです。先程の呪いで、刑務所の大半は潰されているんですよ?」

 え?

「今ここに向かっている、あなたの『業』に因る力の波も、恐らくはこの辺り一帯を綺麗にしてくれるでしょう」

 そんな…!

「それに、僕が美星さんを連れ出して力から逃れたとしても、結局は同じ事です。美星さんの心は、あなたの死に由って傷付けられますからね」

 ルミね、変わり果てた姿で激しく舌打ちしてる…背中を向けて、何かを始めてるの。

「恐くありませんか? 美星さん」

「…大丈夫」

 にっこり微笑んできてくれるのよ…

 あたし……

「美星さん、『時間(とき)』が来ましたね」

 え…?

 ヴェストル、あたしから離れて南の壁に歩み寄ってる。その背中が、ちょっと気になって…声をかけようとした瞬間…

 あたしね、物凄い爆風に、玄関まで吹き飛ばされてた。

「威徳明王、西天を支える存在を傷付けるつもりですか?」

 深い声が聞こえてきて…そしたらね、不意に風が止んだの。あたし、急いで顔を上げてヴェストルを探してた。

 ヴェストル、壁の前に立って…あれ? 風が入ってきたのに、壁、少しも壊れてないじゃない…

「……!」

 痛い…!

 ヴェストルの前で、小さな炎が揺れてる。空中に浮かんで…でも、でもね? その小ささからは想像出来ないくらい、強い『力』があたしとルミに迫ってくるのよ……

 あたし、床に押しつけられて…必死になって、悲鳴を上げないように頑張ってた…

「神々に等しい御方が、何故この第三紀に?」

 炎の中から、力強い声が流れて…え? …神々、って……?

「あなたには関係無い事ですよ。それより、今回の法を変更しませんか」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 ルミ、床の上で腹這いになりながら叫んでる。でも、でもね…ヴェストル、構おうとしないの…

 ……《当然》かも、ね…だって……『神様』なんでしょ…?

 ……どうしよう…あたし、あたし……

 体が震えてる…

「僕が、あなたを召喚した事にしましょう」

「そこまでされるのですか?」

 落ち着いた表情で、ヴェストル、頷いてる…炎はね、それを見てふっと消えちゃったの。一緒に圧迫感も無くなって…

 ……でも、でもね…あたし、動けなかった……

「もう、呪詛には手を出さないことですね」

 ヴェストル、振り向いてルミを見下ろしてる。

「復讐の為に、あなたの未来まで失う必要は無いでしょう。そこには必ず、あなたが計る事など出来ない『何か』が秘められているんですから」

 ルミ…何も言わないで…

「美星さん……行きましょうか…」

 あたし…

 ヴェストル、黙ってあたしの指先を取って…ルミの家から飛び出してた……


「美星さん」

 家のすぐ裏手にある公園で、ヴェストル…あたしをベンチに座らせてくれたの。

「…この天空の四方には、それぞれの方位を支える『力』ある存在が駆け巡っているんです。僕が司るのは西天(マール)で…」

「止めて!」

 あたし…哭きながら、叫んでた……

 …胸が苦しいから…何も、もう…言わないで……

 どうして…どうして、あたし、こんなにショックを受けてるの…? …小人だったんだもん…『神様』だって…同じ、じゃない…

 ……ううん、小人だったら…まだ、近くに思えるじゃない…でも、でもね…『神様』なんて……

 …どうして…どうして、ヴェストルが『神様』なの…? こんなにも苦しいのに…こんなにも悲しいのに……

 ……どうして…!

「美星さん…」

 お願い…泣かせて…! …お願い……

 …痛い……体中が、痛いよ…

 ヴェストル……


「…落ち着かれましたか?」

 ……うん…

「済みません。…僕にも、美星さんのように優しく嘘が吐ければいいのですが」

 それは、嫌…

 あたし……あたし…ね……

 …駄目、又…涙が溢れてくる…

 もう…前みたいに話せないじゃない? もう…気安く呼べないのよ……

 あたし…こんなに苦しい儘……

 …辛いのよ! 悲しいの…よく分かんないけど……でも…

 胸が痛いの……寂しいのよ…

 …ヴェストル……

「美星さん…」

 何度も何度も、優しく呼んでくれる…

 あたし、ね…? ヴェストル…あたし……

 でも…

「前に、美星さんは言っていましたね。僕は、僕なんだって…今でも、そうなんですよ」

 優しい、声……

 あたし…あたしね、その言葉に縋りたかった……

「《本当》に…」

「…はい」

「ヴェストル…!」

 そっと、温かな腕で抱いてくれる…

 …あたしも、力一杯、抱き着いてた……

「そうよね…ヴェストルは、ヴェストルなのよね…」

 しゃくりあげて、あたし…

「はい。僕は、僕の儘ですよ」

「…ありがとう」

 嬉しかった…《本当》に嬉しかった…

「じゃぁ…今迄通り…?」

「はい」

「嬉しい……」

 あたし、涙で濡れてたけど…でも、でもね。にっこりヴェストルに笑えたのよ…

 …そう。ヴェストルは何も変わってないの。だから、『神様』だって何だって…あたしは……

 きっと……ね…?


 もう、夜明けなんだ。

「…あっ!」

 今ね、東の空で流れ星が飛んだの。青白く澄んだ、綺麗な流星…水瓶座η流星群なんだ…地平線のね、ほんのすぐ上を流れてる。

「気に入ってもらえましたか?」

「え?」

 まさか…

 ヴェストル、あたしの顔を見て嬉しそうに頷いてる。

「来るのが遅れたのは、この準備をしていたんですよ」

 そう言って、少し照れたように笑うヴェストルって…なんて素敵なのかな。

 …やだ。…どきどきが止まらないじゃない。

「ありがとう、とっても素敵よ」

 ヴェストルも…ね!

「美星さんに喜んでもらえて、僕も嬉しいです」

 あたし、微笑んでそんなヴェストルを見上げてた…

 幾つも幾つも、流れ星が現れては消えてく。あたしね、それを見ながらそっと囁いてたの。

「ヴェストル…」

「はい」

「…あたしは人間だから、嘘も吐くけど…ね。でも、でもね? …ヴェストルには、嘘を吐いて欲しくないの。…いつも、今迄通りに…《真実》だけをあたしに話して……」

 今でもね、あたし、《真実》だけを話す時のヴェストルなんて嫌いだけど…でも、でもね。ヴェストルは、無理に変わらない方がいいと思うの。だって…『神様』なんだもん。あたしとは違って、それが《当然》なんだから…ね。

 あたしが、この儘のヴェストルを知らなくちゃいけない…そう思うのよ。

「…分かりました」

 差し出したあたしの手を取って、静かに空に舞い上がる。

 二階の部屋に入る前にね、あたし、もう一度だけ、長く尾を引くヴェストルの贈り物に目を向けてた。

 儚いんだけど…《本当》に綺麗なの……

「ありがとう、ヴェストル」

 ベッドに横になって、あたし、そう言って笑い掛けてた。

 もう…来ないなんて、不安になったりしないわ。

「お休みなさい、美星さん」

 小人の姿になって、ヴェストルが窓の外で薄れてく。

 きっと、又、来てくれる…あたし、信じてるんだもん。

「またね!」

 心から笑って、あたし、そう言えたのよ…

                                                                         2 火曜の暗恨 おわり






     静寂漂う その樹幹には

      『時間』にも褪せぬ《銀》が流れ

     光に躍る その枝葉には

      《真》を示す《黄金》が宿る・・・

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