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風のお父さん  作者: OTAM
2/10

2話 お父さんと銀行強盗

 老婆と別れてから約20分後。 時刻は13時29分。

 彼は再び足を止めた。 今度は交差点でもなければ信号の前でもなく、視線の先には全国に数多くの支店を持つ大手銀行。

 道行く人々が突然姿を現したようにしか見えない彼にぎょっと目を見開くが、そんなものはいちいち気にも留めない。


「流石に手ぶらで帰るのは可哀そうだな」


 誰に話しかける訳でもなく呟いてから時計を見て、時間に余裕があるのを確認すると、銀行の自動ドアの前に立った。

 その超人的な才能に比して、随分と平凡な事を考えながらドアをくぐった彼の眉間に、物騒な代物が突き付けられた。


「おっと、兄ちゃん。おとなしく床に伏せな」

「……まさか銀行のドアがアメリカに繋がっているとは思わなかった」


 物騒なものの正体はニューナンブ式38口径と呼ばれる拳銃だった。

 銃というのは日本では滅多にお目にかかる事のないものだが、この銃に限っては日本の警察官に支給されるものであるが故に、むしろ日本でなければなかなかお目にかかれない代物でもある。

 手にしたものは子供であっても少女であっても指一本で大男の生殺与奪すら自由に出来るという協力無比で危険極まりない、日常に存在しうる範囲では最強の暴力。

 しかも、今その拳銃を手にしているのは見るからにガラの悪そうな大男で、この大男の仲間と思しきこれまたチンピラじみた連中が、客や銀行員に銃をチラつかせている。

 当然ながら誰がどう見ても警察官には見えるものは一人もいないし、そもそも警察官にこんな職務はない。


「おい!早く床に伏せろって言ってるのが分かんねーのか?!」


 しかし、彼はその圧倒的暴力の恫喝に微塵もひるむことなく、余裕に満ちた表情で銀行の中を見回している。

 眼前の大男にも、彼の怒声を聞いて振り向いた仲間にも理解出来ない事であったが、その行為は敵の戦力を把握する為のものだった。


「なるほど、8人か」

「っち、言う事が聞けねーんなら死ね!」

「撃つならさっさと撃て。せっかくの飛び道具をそんな至近距離で脅しに使ってどうする」


 言い終えるが早いか、大男は引き金に手をかけようとした瞬間、天井にめり込んだ。

 その銀行の天井までの高さは5メートル近くあり、そこらの一般家屋とは勝手が違う。 たとえNBAの選手や跳躍系の陸上競技の選手がどんなに頑張ったところで、その高みに頭を持って行く事は少なくとも己の肉体だけではまず不可能だろう。

 彼が天井にめり込んだ――正しくは大男がめり込んだ拍子に頭蓋を粉砕しないように蹴りの衝撃波で予め砕いておいた――際に生じた轟音に驚き、銀行内にいる全ての人が振り返る。 そして、下あごを蹴り上げた右足を静かに下ろすスーツ姿の男性の存在を認める。


「痛い思いをしないうちに銃を下ろして床に伏せろ」

「な、なんだてめぇ!?」

「ごろつきというのは万国共通でつくづく同じような反応しかしないものだな」


 ゆっくりと銀行強盗達の一人の元へと歩いてゆく男は彼らの一人を指差し、静かに警告するが、銃という力を得て尊大になっている強盗達にその言葉が届くはずも無い。 チンピラどもの一人が下劣な雑言を吐き捨てながら彼に銃口を向ける。

 刹那、視界から彼の姿が消えた。


「っご!?」


 そして、彼が再び銀行にいる人達の視界に映った時には、拳銃を構えた男が窓口のカウンターに叩きつけられて伸びていた。

 男はいわゆる掌打の構えを取っており、その動作を捉えることすら叶わなかった者たちはしばらく彼が構えを解くのを呆然と眺め、やがてその一撃が仲間を吹き飛ばしたのだと類推する。

 それまでにかかった時間は理解の早いものでもおよそ3秒。 つまり、3秒もの間、身動き一つ取れなかったのと同じ事である。

 当然、その致命的なまでの隙をお父さんが見逃すはずもなく、カウンターの向こうで銀行員に現金を詰め込ませていたリーダー格と思しき男が、銃を構えなければならないという事に思い至った時には、彼の仲間達は既に全滅していた。

 あるものは鮮やかなかかと落としを食らい、またあるものは現実的には極めて困難な延髄への手刀で意識を狩り取られ、あるいは恐怖のあまりに意識を放り捨てたものさえいた。

 そして、その内の一つたりとも男は知覚する事が出来なかった。


「ち、ちくしょおおおおおお!?」


 最後の一人になった銀行強盗の男は藁にでもすがりつくかのように銃を握り締め、スーツ姿の化け物に向ける。

 しかし、震える手では彼に狙いを定めることもままならない。


「良い判断だ」


 もっとも、どんなに冷静であったとしても彼らの力量ではどうにもならなかったろうが。

 いつの間にか懐に潜り込んでいた男が「もし、人質を取ろうものなら殺していた」と告げる。 彼が背を向けた時には頼みの綱の拳銃は手を離れ、発した覚えも無い呻きが彼の耳元に届く頃には意識は遠のき、彼の視界は暗転した。


「ふぅ。怪我人は……いないな」

「あ、ああああ、あっ」


 呑気に銀行内の様子を見渡す男のすぐそばでもはや言葉とは呼べない無意味な音声を垂れ流しているのはこの銀行の支店長。

 どうやら彼の大暴れを間近で見て、否、見えないほどの動きを間近で感じたことで酷く混乱してしまっているようだ。

 何事も無かったかのように申し訳程度の着衣の乱れを直しながら、とてもまともに会話できそうにない状態にある支店長に話しかける。


「ところで、ATMを使ってもよろしいかな?」

「は、はいっ、大丈夫だと思います」


 勿論、銀行強盗があった直後にすぐに通常業務の再開など出来るはずも無いのだが、あまりにも何事も無かったかのように問われたせいか、支店長は思わずそう答えてしまった。

 同時に、そのあまりの何事も無さが彼を僅かながら混乱と動揺の中から救い出してくれた。


「あ、あのっ!?」

「ん、何ですか?」

「あなたは、一体……?」


 よろよろと立ちあがった支店長が発した言葉はその場にいた全員にとって共通の疑問だった。

 拳銃をもろともせず、人知を超えた身体能力で銀行強盗を一蹴した英雄の正体に興味を抱かないものがいないはずがない。


「私ですか? 私は――」


 人々の羨望、感謝、好奇心、恐怖など様々な感情が入り混じった視線が彼に注がれる。

 そのただ中で、彼は呑気にATMからお金を下ろしながら、さも当然のようにこう言った。


「ただの“お父さん”ですよ。 娘にお土産を買ってやるのを忘れていましてね」


 その言葉だけを残して、“お父さん”は風のように去って行った。



 昼下がりのワイドショーで報じられた彼の活躍、そして防犯カメラに残された彼の雄姿。

 それらがあまりにも超常識的な“お父さん”という存在を証明し、作り話にもならない荒唐無稽が真実である事を人々に伝えるのはそれから約1時間後の話。

 こうして、日本全国津々浦々の人々が井戸端会議で、ネット上の巨大掲示板で、SNSで、電話越しの雑談で信じる信じないはさて置き、彼のことを噂するようになってゆく。

 とは言え、やはり「非現実過ぎる」として頭の悪い冗談だと見なすものが多数派だったが。


 ――この時は、まだ。

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