第一章(4)
目標を発見。距離二メートル。障害物なし。相手はまだこちらに気づいていない。
すうっと深呼吸。グッと力を込めた足を、一気に蹴った。
「うおりゃあぁぁぁっ」
「キャウン!?」
「捕まえた!」
スライディングした格好のまま、リフェは茶色い子犬を上に掲げた。暴れる子犬を抱きこんで、ついて来た少女に手渡す。
「ルカ! もう、かってにどこか行っちゃダメでしょう!」
怒りながらも、嬉しそうに子犬を抱きしめる少女。ルカの方もご主人に安心したのか、彼女の頬をぺろぺろと舐めだした。
「チビお兄ちゃん、どうもありがとう!」
「あ、あはは、どういたしまして」
最後まで『チビ』はぬけなかったが、お辞儀をして少女は去っていく。途中、知り合いだったのだろう。横手から出てきた女の子と一緒に人ごみに消えていった。
夕暮れの中、リフェは少女の背が消えるまで手を振って見送っていた。
ルカも、横手から来た女の子も少女の友達。仲良く寄りそって歩く姿が微笑ましい。
夕陽のせいだろうか、並んで歩く少女達の背に、遠い思い出が重なった気がした。
「友達、か……」
少女達が見えなくなると、リフェは幾度か首を振った。何を追い払うでもない。気分を切り替えるためのものだった。
ふと、その頭の上から影が覆いかぶさる。
「やっほ、リフェ君。今日もうちで食べてってくれるのかな?」
「リュミナちゃん」
首を上に向ければ、最初に目に入るのは豊満な胸。次いで、浅黒い肌を持った美少女の顔がリフェの目に映った。
金髪を短くそろえ、見事なスタイルを惜しげもなく晒しているダークエルフの少女。ジーンが『さん』づけで呼んでいたから、彼よりは年上のはずだ。
黒の短いスカートに、白のフリフリエプロン。リフェがよく行くスイーツ専門店、南国パラダイスのウェイトレスの格好だ。
この店、スイーツ店とは別の顔もあるのだけれど。
子犬の捜索をしている内に、店の前まで来てしまったらしい。
「あらら、今日は来るつもりなかったんだけど。甘い物に呼ばれちゃったかな?」
「リフェ君は常連さんだものね。来てくれないとスイーツが寂しいって泣くのよ。寄ってくでしょ。今日は何に挑戦する?」
「ん~、夕方だし小型ボールパフェで」
「はぁ~い、小型ボールパフェ一個入りまぁす! 制限時間は十五分だからね」
手をつながれて店に入り、いつもの端っこの席に座らされる。
リフェは甘いものが好きで、サウスに来てからはここの常連だ。子供の姿になって便利なのは、こういった店に男一人で入っても変な目で見られないことだと思う。
「ごめんね。いつもタダ食いで」
今のリフェは収入が少ないため、チャレンジメニューという制限時間ありの物を食べている。食べ切れなければ高額だが、できれば無料。ちなみに、失敗したことはまだない。
「うふふ、いいのよ。店の宣伝にもなってるんだから。『可愛い男の子が可愛い仕草でスイーツを食べてるお店』ってね。おかげでお姉さま方のお客が増えたわ」
パチリと軽くウィンク。ここは喜んでいいのかどうか分からなかった。
パフェができあがるまで、リュミナは接客に、リフェはボウッと窓から外を見る。
ざわざわと流れる周りの喧騒を、何とはなしに耳に流していた。
「え、魔術士の集団?」
小さな呟きが耳に入り、リフェは片眉をピクリと上げた。辺りを窺えば、近くに顔を寄せ合って話している女性達がいる。少し遠いが、鍛えられたリフェの耳にはよく聞こえた。
「うん、うちの旦那から聞いたんだけど。最近、貴族の屋敷でよく魔術士を見るんだって」
「それって、ただの護衛じゃないの?」
「そう思って、それとなく使用人に聞いたらしいんだけど。何か使用人達もよく分かってないらしいの。軍服は着てないから軍所属じゃないみたいだし。屋敷で見かけても、中で暮らしてるわけじゃないらしくて」
「何それ。こわっ」
その話を、リフェは明後日の方向見ながら耳だけで拾う。
「もともとサウスって魔法の研究は盛んだから、いてもおかしくないけどさ」
「でもやっぱ不安よね。あんな戦闘があったあとじゃ……」
おそらく、一ヶ月前の海上戦闘のことを言っているのだろう。あれのせいで、サウスの観光客は例年より減っている。
民衆にとっては、大陸の上下関係より日々の暮らしの方が大切なのだ。
(貴族の屋敷に出る魔術士達……ね)
『魔術士』と言うキーワードが、この一ヶ月で集めた情報に被っていた。
やれ『軍部に見慣れぬ魔術士がいる』『怪しい魔術士の集団を見た』『夜な夜な魔術士が森で儀式をしている』など、信憑性があるのかどうか分かったものではないが。
(君も、このどこかにいるのか?)
グッと、リフェは服の上から胸元を握った。
「ジィーフェ……」
呟き、閉じた瞼の向こうに燃え上がる炎が映る。そして、その炎の前に立つ人影。
もう、一ヶ月も前のことだ。
※ ※ ※ ※ ※
「テンデル大佐!」
足元に突き刺さる閃光を避けながら、リフェは声のした方向に目も向けずに叫び返した。
「俺が時間を稼ぐ。全員母艦に帰還し、そのあとはロウ大尉の指示をあおげ!」
強風と波によって傾いた甲板。視界を遮る雨の向こうに部下がいる。脇には気を失ったこのサウス母艦の操舵士を抱えていた。無事に救出したらしい。
まったく、はた迷惑もいいところだ、とリフェは思わずにはいられなかった。
こちらの大陸に幾度か攻撃を仕掛け、警告を含めて国境沿いの海上に軍を出せば、サウス側は事前通告もなしに砲撃してきた。
大陸間の戦争になるか、と誰もが緊張したまま丸一日迎撃を続けていたのだが、折から巨大化した嵐と、軍力の違いにより、夜中に向こうは白旗を上げた。
魔術以外の軍備は弱いサウス。イーストとセントラルの同盟軍には対抗し切れなかったのだ。
そのまま和睦に入ったのはいいが、なんと今度は相手側の母艦が嵐によって流され、イーストの住民が住む島に流されているという報告が入った。
(軍艦の制作費をちゃんと考えてるのか!?)
そんな思いもあったが、放っておくわけにもいかない。
側近のロウ大尉に他の沈みそうな艦に乗っている敵兵の救助を命じ、自らは数人を引き連れ母艦の撃沈作業に向かったのが十分前。
どれもこれも、相手の尻拭い。それなのに、甲板に上った瞬間この歓迎の仕方はどういうことなのか。
「しかし、大佐!」
「早く行けっ。この艦はもうすぐ沈む!」
その声に合わせるように、機関部から三度目の爆炎が上がった。爆破作業に回した兵は上手くやってくれたようだ。島に当たる前にこの軍艦は沈むだろう。
あとは自分達が操舵士を救助して、沈没時の渦に巻き込まれないよう退却するだけだったのだが――
「勘弁してくれ……」
言って、リフェはふぅっと息をつく。
不安定な甲板。開けた穴から水を取り込んでいるのだろう。中央に向かって傾いた砲の上に誰か立っている。
人間か、獣人か、はたまた他の種族かは分からない。炎しか明かりのないこの場所で、フードまで被られていては見分けようがない。
分かるのは、覗く髪が白であることと、持っているのが長い杖であること。そして先程の閃光を放った攻撃。これらの情報をまとめると、あれは間違いなく魔術士だ。
再三、艦は沈む、と言っているのに聞く耳を持たない。つまり、最初からここに来る上位の指揮官を待ち伏せていたのだろう。
もしかしたら、母艦が島に向かったのも何か細工をされていたからかもしれない。
そんな風に思った時、相手が杖を構え直すのが見えた。
(来る)
瞬間、相手は杖を振り上げながらこちらに飛びかかって来る。しかし、受け止めるには足場が不安定すぎた。リフェはすぐに甲板を蹴り、魔術士に向かって走り出す。艦が中央に向かって傾いているのなら、船首にいたこちらにスピードがつく。
豪雨にかき消される澄んだ音。剣と杖がぶつかり合い、お互い懇親の力を込めて弾き返す。リフェは離れる瞬間、剣を持ち替え、杖と腕の間を縫うように横に薙いだ。
「くっ!」
小さく漏れる相手の呻き。引っ掛けたフードの切れ端が宙に舞い、内側からバサリと白の長髪があふれ出る。その時、四度目の爆炎が上がった。
明るい炎に照らし出される、その姿。
「え……?」
リフェは、無意識に声を漏らした。
こんな再会を、誰が予想するだろうか。
「あ、あかが、ねの……呪術師?」
震えた声は、後ろからだった。操舵士を引き連れ、海上に飛び降りようとしていた部下。彼の発した声だ。
目の前で広がる白髪。前髪の先端だけが銅色に染まり、同じ色で右瞼から頬に複雑なタトゥ。魔術士が魔力を高めるためのものだ。
そして、杖が特徴的だった。いくつもの輪が連なった銅色の杖。
そう、この杖と風貌は有名だった。《銅の呪術師》という、呪いを得意とした世界で恐れられている暗殺魔術士がもつ特徴。
だが、リフェの目は違うものを追った。微かに面影の残る目元、なつかしさを呼び起こさせるその顔は。
「そんな……」
小声でも、相手には届いたらしい。彼は顔を上げてこちらを見返した。
「リフェ……」
名を呼ばれると同時に、相手が掻き消えた。反応するよりも早く、持っていた剣が弾かれる感触。それを目で追おうとした次の瞬間、腹部に痛みが走り、足が甲板から離れた。
「大佐ぁ!」
悲痛に彩られた部下の声すら、今のリフェにはどこか遠かった。
(どうして、彼が?)
そう思ったのは束の間だった。ひたすら訓練された脳は、当たり前のように状況を確認するために回転し、体は無意識にも次の攻撃に対応できるように動く。
頭上に降っていた雨が顔面に降り注いでいる。体が風を切り始めた。落下している。どこから? 視界に映るのは敵母艦の手摺。
(蹴り落とされた?)
そう理解すると同時に、リフェは二つの道を頭にはじき出した。一か八か母艦の手すりに手を伸ばすか、落ちゆく剣を追いかけるか。
一秒が生死を左右する判断に、リフェの頭は後者を選んだ。
魔法は媒体となる杖か武器がなければ使えない。嵐の海に落ちても、魔法さえ使えれば助かる可能性が高い。届くか分からない手摺より、こちらの方が生き残れる。
視線をめぐらせると、暗闇の中、炎に光る剣の柄が見えた。彼はすぐさま母艦の壁を蹴り、そちらに方向を変える。
闇と雨に視界がままならない中、指先が慣れた感触に届く。必死に手を伸ばし、しっかりと右手に握りこんだその時、異様な魔力を背後に感じた。
咄嗟に身を反転させれば、赤黒い魔力光を纏った彼がこちらに飛び降りてきている。しかも口は何かの呪文を唱えていた。
避けられるスピードでもなければ、方向転換できる場所でもない。
「っの、アングリフ・ヴィ……っ」
魔力を全力投球した簡易的な風の攻撃魔法。たった三節だけの呪文。だが、リフェはその呪文すら最後まで紡ぐことができなかった。
「フルーフ・トート・ベフライエン」
静かな、この荒れ狂う世界には似合わない声。どこかなつかしく、けれど昔より遥かに低くなった彼の声が間近で聞こえた。
「うっ!」
胸に当てられた手から、赤黒い魔力が体内に入るのを感じる。周りの音が、時間が、全て途切れた。
死の呪術。
そう理解した刹那、音のない世界で相手が――親友だった彼が、呟いた。
「すまない……リフェ」
小さく、悲しげな声。世界に、音と時間が戻った。
五度目の爆発に合わせるように、先程とは比べ物にならない衝撃を腹部に受ける。
急速に遠ざかる人物を見ながら、リフェは荒れ狂う海に体を飲み込まれた。
体を侵食する魔力。骨が、血肉が、全てが叫び声を上げるように痛い。
ゴポリ、と叫びか言葉か分からない泡が水中に虚しく吹き出た。抵抗することさえできない四肢は、当たり前のように暗く底の見えない海中に沈んでいく。
やまない痛み。沸き起こる苦しさ。けれど、そんなものを遥かに上回るのは、どうしようもないぐらいの――悲しみ。
こんな風に、無事を知りたかったわけじゃない。こんな風に、言葉を交わしたかったわけじゃない。
(どう、して……ジィーフェ……っ)
こんな再会を、望んだわけじゃないのに。
その思いを最後に、リフェは全ての意識を瞳と共に閉じた。
※ ※ ※ ※ ※
「はい、小型ボールパフェお待ちどうさま!」
勢い良くパフェが落ちてきた。
リフェが我に返り視線を上げれば、リュミナが時計を持って立っている。しかも、すでにスイッチは押してあった。
「え、ひどいっ、スタート宣言なし!?」
「あらあら、世の中残酷なものなのよ~」
オホホホ、と笑いだしたリュミナに、慌ててスプーンを持って食べ始めた。マグマグとパフェを頬張り、時に美味しさにふにゃっと笑うと、なぜか周りから黄色い声が飛ぶ。
とにかく十五分以内に平らげなければならないので、せかせかと手を動かしていると、事務的な声が聞こえてきた。
『……日、和睦成立の記念と交流のため、イースト大陸イースト軍、ラキアス・カイ・クローディクス将軍の来訪が決まりました』
「え?」
よく知っている名前に、驚いて顔を上げる。室内ディスプレイに、これまたよく知っている顔が映っていた。
「そっか、ついに将軍にさせられちゃったのか」
真面目な顔つきの青年に苦笑が浮かぶ。
一ヶ月前まで、部隊は違うが同じ大佐だった青年。先の戦闘で准将にはなっただろうと思っていたが。
(カイ大総統が無理を通したんだな)
それが、身内の贔屓ではなく作戦なのだから苦笑が漏れる。きっと今頃イースト内では、彼の将軍昇進に反感を持った反大総統派が動き、大量に捕縛されているだろう。
自らの息子、しかも次期統治者を囮にするのだから、相変わらず恐い人だと思う。
『先の海上戦闘において将軍となられ、つい先日、セントラル大陸息女、チェス・レナ・セルドルフ様との婚約を発表されました。チェス様は《ヒメルメーア》の血を引かれた方で《巫女》とも呼ばれており、この婚約に伴って一層同盟の結びつきが強く……』
そこまで聞いて、リフェは危うくパフェを吹き出しそうになった。詰まりそうになった物を水で一気に流し込む。
いつもとは違うリフェの様子に、リュミナのいぶかしむ気配が伝わってきた。
「大丈夫?」
「う、うん。大丈夫だよ」
笑顔を返しながら、未だに早鐘を打っている心臓を宥める。
(いや、将位に上がったら婚約とは聞いてたけど。早っ。大総統達、このまま一気にサウス大陸を押さえ込むつもりだな)
おそらく、もう一つの同盟大陸、ウェスト大陸も了承済みなのだろう。
「この姿じゃ、お祝いも言えないなぁ……」
政治的都合での婚約。けれど、あの二人が想い合ってきたことをリフェはよく知っている。ずっとこの日をリフェも望んでいたのだ。それなのに、祝いの言葉一つかけに行けない。それが、もどかしかった。
(早く、あいつを見つけないと……)
そして、話し合わなければならない。
一ヶ月前にした決意を、リフェは心の内で新たにした。
「リフェ君、あと五分よ」
「うえぇぇ!?」
真剣な表情が一転、焦りに崩れる。
突きつけられた時計と、パフェの残りを見て、リフェはほとんど溶けてしまったアイスクリームを喉に流し込んでいった。




