第一章(3)
「何で、オレがこんなこと……」
そう呟いて、ジーンは落ちていた空き缶を背負っている籠に放り込んだ。
炎天下の中、十数名の集まりに混じり、公園の空き缶やゴミを拾っていく。
「ジーン君が来てくれて嬉しいわ。最近の若い子はこういうの協力してくれなくて」
「それでいて捨てることは当たり前にするのよ。ジーン君は偉いわねぇ」
「あはは、そんなことないですよ。当然のことをしてるまでです」
営業スマイルを作りながら爽やかに言ってみる。おばちゃん達はちょっと頬を染めつつ、『偉いわね』を繰り返していた。
(冗談じゃねぇ。リフェのバホが! 誰が好き好んでこんなことするかよ)
ジーンはゴミを拾いながら、おばちゃん達から顔を背ける。途端に爽やかな笑みから極悪の形相に変わった。
結局あの後、少女を宥めたリフェはルカを探しに行こうとしたのだ。
『所長命令だ。この依頼は受けない』と言っても彼は聞かなかった。『人でなし』『冷血漢』と罵られ、その度にでこピンの応酬を繰り返す。
三度言い争いになろうとしたその時、ジーンはうかつな言葉を口走った。
『その値段で犬探すぐらいなら、空き缶拾って金に換えた方がマシだ!』
言った瞬間、ジーンは首根っこを掴まれ公園に放り出された。リフェはというと、無邪気で純真な子供の笑顔で『頑張ってね』と言い残し、少女と共に去っていった。
リフェが参加するつもりだったらしい空き缶拾い。それをジーンは押しつけられたのだ。
「って、ボランティアだから金でねぇだろ!」
「何か言ったかい?」
「いえいえ、何でもないです~」
瞬く間に表情をにこやかにして、ジーンはおばちゃん方からの疑惑を避けた。このあたりは商売柄身についたものだ。
「いや……」
もしかしたら、もっと昔に素養はできていたのかもしれないけれど。
「ちっ、やなこと思い出しちまった……」
頭に浮かんだものを追い払うように、空を見上げる。晴天だ。煩わしいぐらいの晴天だ。
「ちょうど一ヶ月、経ったのか……」
ふと、そうだったな、と思い出した。
一ヶ月前、年に幾度か発生する巨大な嵐がサウスを襲った。恵みの雨というよりは、災厄の豪雨だったと思う。死者も何人か出ていたはずだ。
しかし、一ヶ月前というキーワードでジーンが思い出すのは別のことだった。
「あいつ拾って……一ヶ月、か」
あのお人好しの少年――いや、青年を拾ったのは、嵐の名残がある雨の日だった。
※ ※ ※ ※ ※
一ヶ月前、嵐が去った二日後、ジーンは食料の買出しに海辺の市場まで来ていた。
「ああ、くそっ。急に降ってきやがって!」
事務所を出た時から嫌な空ではあったが、嵐が過ぎたことで安心していた。現に、買い物をすませるまでは降っていなかったのだ。
それが市場を出て数分後、運の悪いことに避難場所のない海岸沿いで、ジーンは雨に打たれることになった。
「だあ、くそくそくそっ」
無意味な悪態だけが口をついて出る。
荷物を庇いながら、ジーンは雨宿りできそうな場所を探して海岸沿いをひた走っていた。
それほどの豪雨ではないから、視界はまだ明るい。ちらりと目をやった海辺も、嵐が通り過ぎたおかげで以前より落ち着いている。まだ青くはない、灰色の海だけれど。
砂浜や岩場には漂流物がところ狭しと並んでいる。リゾート地の雰囲気が台無しだが、海が凪ぐのを待たなければ清掃も許可されない。
しばらくは観光地として機能しないだろうな、と不衛生な海を見ていた。
「……あ?」
その時、ジーンの目が岩場に固定された。
小雨の中見える、ごつごつとした岩場。悪い視界に目を凝らすと、合間に揺れるゴミを見ることができる。そしてそのゴミの間に、さらに別の、ゴミとはどこか違う物体。
「お、いおい、冗談だろ!」
動いたのが先か、叫んだのが先か。同時だったのかもしれないが、その時のジーンに判断する余裕はなかった。
ユラユラと、波に合わせるように動く大きな青い布。出っ張った岩に圧しかかるような白い手足。間違いなく、人間だ。
ジーンは慌てて岩場に駆け寄った。途中、邪魔な荷物を砂浜に放り出したが、汚れることを気にしている場合ではない。
「おいあんた、大丈夫か!?」
いくつかの岩を乗り越えてたどり着いた時、死体じゃないか、という考えも浮かんだ。
水死体は醜くなるらしい。伸ばす手が少し躊躇うが、唇を噛み締め、えいやと抱える。
「おい、大丈……ん?」
助け起こした瞬間、違和感があった。周りに広がっている服に比べて、その人物自体は異様に軽い。ジーンは男としては非力な部類だが、それでも簡単に抱えることができる。
「子供?」
倒れていたのは、まだ十歳そこそこといった風体の少年だ。
雨粒に打たれる顔は青白く、口元から漏れる息を確認しなければ死人だと思っただろう。
薄い茶の髪は水のせいで顔と首に張りつき、眉根は苦しげに寄せられている。
「溺れたのか?」
呼吸は弱いが正常だ。水はさほど飲んでいないらしい。
(何だ、こいつ……)
どうにも不可思議な少年だった。身長も体格も間違いなく子供なのに、服だけが大きい。着ているというよりも被っているようだ。よく波に晒されて脱げなかったと思う。
とにかくこの岩場では何もできない。移動させ助けを呼ぼう、とジーンは少年を抱えた。次の瞬間、岩場に硬い音が木霊する。
音の方向に目をやり、首をかしげた。特に何もない。ただの岩場だ。
気のせいか、とあらためて少年に目を向けると、彼は妙な物を握っていた。
「柄?」
ジーンにはそう思えた。嫌味ではない装飾のされた剣の柄。その柄だけを、少年が握っているのだ。気絶しているにも関わらず、きつく握りこまれている。
「なんでこんな物……いっ」
軽い気持ちでそれを取ろうとした瞬間、指から赤い雫が伝った。すぐに手を引っ込めれば、人差し指がぱっくりと割れている。
呆然とそれを見ていると、じくじくとした痛みが次第に広がり、血が指を伝って落ちた。
ジーンは少年を見やり、再度彼の握っている物に目を向けた。眼鏡の雫を振り払い、柄の先を凝視する。
何もないように見える岩場。だが、一部に不自然な境目があることに気づいた。
「これ……剣、なのか?」
透明な、ガラスのような片刃の剣。境目を確認して、刃ではない方から持ち上げる。
「おもっ」
それはこの少年が持つには酷く重量があった。周りを見れば、ゴミの中に鞘らしき物もある。それを拾い上げて、慎重に刃を収める。
形のハッキリした剣は、半ば少年と同じぐらいの大きさだった。
少年の身長は目測で一五〇弱。剣はそれより頭一つ分短いぐらい。刃の大きさも、長剣ではなく大剣のような物だ。
そして景色と見分けのつかないほどの透明の刃は、おそらく超高硬度物質を特殊加工してできた代物。
「これ……業物だぞ。何でこんなガキが……」
このような高価な物、よっぽどの金持ちか、もしくは軍部の上層階級しか持てないはず。
不審に思い、何か身元を確認する物はと少年の服に手をかけて、ジーンは息を呑んだ。
驚愕ではなく、戦慄の息を。
「嘘……だろ?」
歯の根が合わないのを自覚した。喉の痛みに唾液をごくりと飲み込む。
少年の纏っている服。青い衣に階級章。胸元についた紋章は、聖獣の一匹である海に立った銀狼と二本の剣が描かれたもの。それが示すのは――
「イースト大陸の紋章……これ、軍服か?」
ジーンは咄嗟に周りに人がいないか確認した。降り出した雨のせいか、まだ汚れた海のせいか人の気配は感じない。そのことにホッと胸をなでおろす。
こんなところを見られては、自分もサウス兵に拘束されてしまう。何せつい三日前、サウス大陸とイースト大陸は争ったばかりだ。
「海に落ちた、のか? いや、でも、どうして子供が……」
階級章は大佐。いくらイーストの軍部が実力制とはいえ、この子供が大佐には見えない。
だが彼はこの軍服しか身に着けておらず、細かく服を調べれば、正式な着方で固定してあることが分かった。
ジーンはさらに服の中を探る。物取りのようだが仕方ない。この怪しげな少年をどうするのか、今のままでは判断をつきかねる。
内ポケットを探っていると、軍籍証明書のような物があった。ひっくり返し、ジーンは先程の比にならないほどの戦慄を覚えた。
「んな馬鹿な!」
証明書の顔写真は、少年ではない。けれど、少年の面影を残した青年の顔があった。少年が成長すればこういった顔になるだろうな、と思えるぐらいには似ている。
しかし、ジーンが驚いたのはそこではない。書かれている名前が問題だ。
『イースト軍魔法兵士部隊所属 リフェ・テンデル』
ジーンは、何も言えず、何を考えていいのかも分からず、少年の顔を見下ろした。
それは、三日前の戦闘で行方不明となった者の名前であり、
「こいつが……《不可視の死神》?」
全大陸中に二つ名を知られる、一人の軍人の名前でもあった。
怪しい少年を発見してから一時間。窓から見える雨は、小雨から豪雨へと変わっている。そのおかげでずいぶん助かったのだが、と、風呂から出てきたジーンは思った。
万屋の事務所としている階のさらに上。そこがジーンの居住場所だった。
入ってすぐ居間。左手に水周りと、右手に二つの部屋。部屋と言っても、ベッドを置けばそれで一杯一杯だ。
その内の一つ、現在ジーンが使っている部屋を開けた。お世辞にも寝心地がいいとは言えないベッドに、今は一人の少年が横になっている。
「何で、連れてきちまったかな……」
今更、数十分前の自分がとった行動に後悔の念が押し寄せてくる。
きつくなった雨の中、少年を背負い、剣と服の紋章が見えないように事務所につれてきた。雨で人通りが少なかったのが幸いだ。
子供とはいえ、気を失った人間と大きな服。馬鹿でかく重い剣に、自分の生命維持のための食料。普段あまり肉体労働をしないから、明日は筋肉痛になるかもしれない。
少年は未だに眠り続けていた。本当は風呂に入れた方がいいのだが、それもできない。仕方なしに、大きいが自分の服に着がえさせ、髪から水気をとり布団に押し込んだ。
「軍服だよな。偽もんじゃねぇよな?」
少年が纏っていた服。あらためて見れば、素材はナイフなどでは簡単に破れないような特殊繊維で耐熱防水加工が施されている。さらに、いたるところに暗器が隠せるようになっていて、小型ナイフが五本も出てきた。こんな代物、一般に出回るわけがない。
「まずいよな。絶対にまずいよな。果てしなくまずいよな、オレ」
少年が持っていた軍籍証明書を見ながら、ジーンはブツブツと呟く。
別に彼がこの証明書の青年と同一人物だ、と決まったわけではない。信じているわけでもない。しかし、もし、万が一、最悪の場合、そうだったのだとしたら――
「見つかったらどうなんだ? 拷問か? 死罪か? うああぁぁぁぁ……」
ジーンは呑気に眠っている少年の横で悲嘆にくれた。それもこれも、ここ数年で大陸間の情勢が大きく変わったせいだ。
この世界には、かつて召喚と呼ばれる特殊な力と、自然と対話する能力を持った伝説の一族がいた。青い髪と蒼い瞳を持つ《ヒメルメーア》と呼ばれる一族だ。
そして三年前、数千年も前に滅んだとされていたその一族が突然姿を現した。しかもやっかいなことに、五大陸の一つ、セントラル大陸の現統治者の子供として、だ。
正統な血を引いているのは統治者の亡くなった妻で、子供はハーフということになるけれど、息子は強力な魔術士に成長し、娘は《ヒメルメーア》の力を完璧に継いでいた。
この子供の存在が、均衡を保っていた五大陸にひずみを起こしたのだ。
まず危惧を声高に叫んだのがウェスト大陸だった。もともと軍備、技術力において最高の力を誇っていたセントラル。このままでは、一つの大陸のみが強くなる、と。
だが、ノース大陸は《ヒメルメーア》を遠縁とする一族を自治国として大陸に抱えており動きを見せず。イースト大陸はセントラル大陸と統治者同士が親友のため、以前から同盟を組んでいる状態だった。
その中でここ、サウス大陸は中立を掲げた。リゾート地として他大陸とは違う独立した地位を築いていたからだ。
「でも、その中立の旗が嘘っぱちってことがバレちまったんだよな」
《ヒメルメーア》の血筋が見つかってから一年後、再三セントラルや、その同盟大陸たるイーストに敵対していたウェスト。そのウェストの首都で大規模な内乱が起こった。
民を省みない圧政であったこと。さらに、密かに海底にある自治都市ウィッシュを支配下においていたことが災いしたようだ。
反乱軍にはセントラルとイーストが加勢。鮮やかすぎる手並みで政権は交代。今では西、中央、東で横の繋がりができあがっている。
そしてその時、引きずり下ろされたウェストの権威者達が驚くべき発言を残した。
『二大陸に行っていたテロ、暗殺の類にはサウス大陸も関わっている』と。
表向きには中立を掲げ、裏ではウェストに武器の援助、魔術士の輩出などをしていたという。
サウスの政治部は、一部の過激派がやっていること、と追及をかわしていた。しかしその後も続く『過激派』という名のテロ。
セントラルもイーストもギリギリまで耐えていたが、二週間前、イーストの貿易船が襲われたことで、ついに軍が動いてしまった。
国境沿いの海に配置されたセントラルとイーストの軍。両大陸は警告の意味合いで出撃しただけだったのだろう。だが、あろうことか、対抗して出したサウス軍の方が先に攻撃を行った。
「大人しくしときゃあ、あの人達を敵に回さずにすんだのに」
ジーンはニュースを思い出しながらぼやく。
何の勝算があったかは知らないが、折しも嵐が来た時に起こった戦闘。
もともとの武力差と、わずかばかりの軍事費で造られたという脆いサウスの戦艦では一日ともたなかった。
「和睦だったか? 敗北に近い」
名目上、和睦、と民衆に伝えられたが、サウスの艦隊は嵐でボロボロ。海に落ちた兵もイースト達の戦艦に助けられたと聞いた。
「んで、誤魔化すために流したのが……」
外聞の悪い話ばかりだったサウス。しかし一つだけ、しつこいほどに流された話があった。それが、イースト大陸二人の死神の一人。リフェ・テンデルの行方不明である。
ジーンは軍籍証明書と、少年の顔を並べた。
「若干二十五歳の大佐。現地においては魔法兵士部隊を率いる総指揮官。その動きと攻撃は風のごとき速さにて捉えること叶わず。彼の風が通ったあとは血と骸の死の世界が広がる。ついた二つ名は《不可視の死神》」
いつか新聞に出ていた文句を、口にする。
イースト大陸も大総統派と反大総統派で二分していたが、リフェ・テンデルが大総統派にいるおかげで反対勢力はなりを潜めていた、とも聞いている。それだけの実力者。
その彼が、もしかしたら今、目の前にいる少年かもしれない。
「はぁ」
ジーンは盛大な溜息をついた。
上辺では和睦を受け入れたが、サウスは裏でまだ何か画策している、という噂もある。
もしリフェ・テンデルらしき者がここにいることがバレたら? この状態を匿っているとされたら? ジーンは間違いなくサウス軍に拘束されるだろう。
「……何で連れて来ちまったんだ?」
額を押さえてうな垂れる。
本当になぜ彼を連れて来たのか分からない。あのまま軍部やどこかの病院、施設に運べば良かったはずなのに。
「ただ、オレは……」
なぜかは分からない。漠然と、この少年がリフェ・テンデルだと思った。あの大陸の軍人だと思った。そう思ったら――
「……っ、う、ん」
「! 気がついたのか?」
小さな呻き声に、ハッと顔を上げる。立ち上がって覗き込めば、数度震えた睫毛がゆっくりと開いていく。
髪と同じ薄茶色の瞳がボウッと辺りを映した。そしてジーンに固定されたと思った次の瞬間、
「うわ!」
「ここは、どこだ!」
顔を掴まれたかと思うと、ジーンの視界は反転し、続いて背中に重い痛みが走った。
『何しやがる』と返したかったが、それは首に当てられたナイフが遮る。相手は小柄だというのに、体は縛り上げられたように動かない。首に当たる冷たいナイフが恐怖を生む。
「ここは……どこだ?」
もう一度、今度は一言一言しっかりと問われた。指の間から見える少年は、すでに子供の目ではない。底冷えするほどの、軍人の目。
「こ、こは……サ、サウス大陸の首都だ」
「サウス!?」
「っ、オ、オレはぐ、軍じゃない。万屋をやってる。あんたが海岸で倒れてたから、事務所まで運んできたんだ。あんたに危害を加える気はさらさらない!」
もとより、危害を加えようとしても返り討ちにされるだけだ。先程の少年の動き、ジーンにはまったく捉えることができなかった。
叫ぶような言葉に、少年の手がピクリと動いた。そのまま、ふぅっと息を吐いたかと思うと、ゆっくりとジーンから身を起こす。
「ごめん……気が動転してた」
「あ、ああ……」
ボスン、と少年は力なくベッドに座った。いきなり動いて体が痛んだのだろう。微かに眉をしかめて、渋い顔をする。
「全身、打撲が酷かった。海中で岩に当たったりしたんだろけど……あと、胸に変な痣があったぞ……赤茶色の」
彼に状態を伝えると、少年は目を見開いて自分の胸元を覗いた。
着替えさせた時に気づいたのだが、少年の胸には小さな痣があった。痣と言うよりは模様に近い。魔術士の魔力増幅用のタトゥのような物が、彼の体についていたのだ。
少年はそれを見て、今度はどこかやるせなさそうに顔を歪める。
「あ、助けてくれてありがとう。えっと……」
「ああ、ジーン。ジーン・エイリ・ハイディンガードだ」
「そっか。ジーン、ほんとにありがとう。それと、さっきはごめん」
「い、いや」
フッと笑われ、文句や何やらが全てジーンの頭から吹っ飛んだ。あまりにも綺麗な笑みだったのだ。先程見せた、冷たい目や殺気からは想像できない、穢れなんてまったくないような、そんな目と微笑み。
「あ、あの、あんたは?」
「俺? 俺は……」
言いよどんだ少年に、ジーンはごくりと唾を飲み込んで口を開いた。
「リフェ・テンデル?」
言ったとたん、柔らかい目は鋭くなり、まだナイフを持っていた手が握りこまれる。
「ち、ちち違うっ。こ、これ、服に入ってた! 売り渡す気とかないって。その前にあんたなら逃げられるだろうが!」
慌てて、証明書を前に出す。情けないとは思うが、子供とはいえ彼に勝てる気がしない。やろうと思えば、彼は気づかぬ内に自分を殺してしまえるのではないだろうか。
「まあ、バレてるんなら……しょうがない、か。君は悪い奴にも見えないし」
「じゃあ、本当にあんたが」
「うん、リフェ・テンデルだよ」
目の前には軍籍証明書。壁には軍服がかけてあるから、言い逃れはできないと思ったのだろう。彼は、あっさりと自分がリフェ・テンデルであると認めた。
「何で、そんな姿に……」
「その、ほら、この前の戦闘で、ね。俺としては、何で生きてるのかなって感じだけど」
『間違いなく死の呪いだったはずなのに』などと、彼はブツブツ言っている。しかし、ジーンが知りたいのはそうではなく、なぜ子供の姿に、ということだ。
「いや、そうじゃなくて」
「それにしても、巨人族に助けてもらうなんてね。俺、初めて会うよ」
「は?」
「君、巨人族だよね?」
聞いてはいたんだけど、本当に大きいね、と可愛い笑顔でリフェはのたまった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。オレは巨人族じゃない。身長も一七〇程度だ」
「え? だって俺、一九〇前後はあるよ!」
「いやだから、あんたが小さくなってんだよっ。手とか見て気づけよ!」
「え。あ、あれ?」
ナイフを握っていた手を見て、リフェは目を丸くした。次いで足を、ぶかぶかの服を着た体を見て、どんどんと顔色が悪くなる。
ジーンはそんな彼に、ダメ押しとばかりに手鏡を見せつけた。
ピキッ、と固まるリフェ。次いで、彼の体はわなわなと震えだし――
「な……何これぇっ!?」
「聞きたいのはこっちだぁ!」
豪雨に負けぬ怒鳴り声が、サウスに響いた。
※ ※ ※ ※ ※
炎天下の中、脱力しそうな出来事を思い出し、ジーンは溜息をついた。
あのあとは怒涛だった。パニックに陥るリフェを拳で宥め、事情を聞きだす。どうやら戦闘中、魔術士に呪いをかけられたらしい。
即死をもたらす死の呪いだったはずなのに、なぜあんなことになったのか。
現状では推測だけだが、おそらくリフェが同時に魔法を使おうとしたせいではないか、ということになった。
(強力な二つの魔力が、一つの体でぶつかり合ったせいで起こった、か)
それなりに説得力はあると思う。
身の振り方をどうするのか、と問えば。
『この姿じゃ軍に戻っても何ができるか……俺がリフェ・テンデルだって、信じてもらえる可能性も低い。それに、この呪いをかけた魔術士がサウスにいるはずなんだ。ジーン、無理を承知でお願いするよ。しばらくの間、俺をここに置いてくれないか?』
真摯な眼差しで、そう言われた。
最初はイーストの軍人を、と悩んだ。だがすぐに、今の姿では同一人物だろうとは分からないだろうと考え直した。それに仮にも名をはせた実力者だ。高額な依頼がこなせるかもしれない、とジーンは二つ返事で了承してしまったのだ。
「間違いだったけどな」
できるなら、あの時の自分に『やめておけ!』と忠告したい。
安易な依頼承諾。安値での取引。そのくせ労働力だけは惜しまない。よくもあんな甘い性格で軍人を、しかも指揮官なんてやってこれたと思う。
「ジーン君。次はこっちに行くわよぉ」
「あ、はい」
別の所に移ろうとするおばちゃんに、慌てて立ち上がる。その時、近くにあった街頭ビジョンが最新のニュースを流し始めた。
『……日、和睦成立の記念と交流のため、イースト大陸イースト軍、ラキアス・カイ・クローディクス将軍の来訪が決まりました』
「っ、あの人が、来る?」
勢いよく顔を上げれば、街頭ビジョンに映った青年と目が合った。
短く切りそろえた琥珀色の髪。意志の強い新緑色の目。ジーンが頭に浮かべた人より、さらに成長し精悍さを増した顔。
『クローディクス将軍は、イースト大陸統治者、カイ・ラウド・クローディクス大総統の御子息であり、御年十九歳、史上最年少の将軍でもあります。先の海上戦闘に……』
読み上げる人物の声は、どこか遠かった。
(そうか……あの人とリフェ、似てるんだ)
漠然とした一致が、ジーンの中で生まれる。
軍人としての冷たい目。汚れたことを見、やってきたはずの人。けれど、強い意志と真っ直ぐな心を兼ね備えた目。
じりじりと照りつける太陽の下、ジーンはなぜリフェを手元に置いたのか、ほんの少し分かった気がした。




