終章
「こんのドバホが~っ!」
「うわぁぁぁんっ、ごめんってば!」
朝の海岸に、大絶叫が響いた。
追いかける方、追いかけられる方、双方共に五匹以上の犬を連れている。
「引き受けるにしろ限度を考えろ、限度を!」
「だって、『犬預かって』て言われただけで」
「先に何匹か聞いとけよ!」
「だ……」
「だってじゃねぇ!」
リフェが無断で引き受けた犬の世話。まともな値段だし仕方がないか、とジーンも思ったその依頼。詰めが甘かった。
当日連れてこられたのはなんと十三匹。朝の散歩だけでも一苦労だ。
相変わらずなリフェのバホッぷりに、ジーンはそろそろ血管が爆発すると思っている。
(ったく。あいつ、オンとオフのギャップが激しくないか?)
戦っている時は、素直に格好いいと思えるのに、とジーンは溜息をつく。
大陸間の問題に巻き込まれに行ってから二週間。リフェはまだジーンの事務所にいた。
(帰ると思ってたんだけどな……)
目の前で、犬に引っ張られるように走っているリフェを見ながら、ジーンは二週間前のことを思い出していた。
※ ※ ※ ※ ※
「お、気がついたか?」
ジーンが目を覚ました時、そこがどこだかすぐには分からなかった。
家でもない。事務所でもない。何だかずいぶん天井が低いな、と感じる。
「大丈夫? 気持ち悪くない?」
そう、優しげな声をかけて誰かが覗き込んだ。ジーンはぼうっとその人物を見る。
綺麗な人だ、と思った。長い海色の髪をしていて、空の色をした目がある。
(ん? 海色と空色?)
はて、どこかで聞いたような、と考えた瞬間、ジーンは一気に目を覚ました。
「チェス様!?」
「きゃっ」
勢いよく跳ね起きて、すぐに脳が揺れた感覚に陥り突っ伏す。ジーンはぼやけた視界に何とかその女性を捉えようとした。
「まだ安静にしてろって。ほら、眼鏡」
「ラキアスさん……あの、これは一体」
眼鏡を差し出してくれたラキアスに、この状況は何なのかと目線で問うてみる。すると彼は一つ重い溜息をついた。
「ここはイーストの軍艦内だ。俺が手配してたもんなんだが……どうしているんだチェス。それにそこのクソ親父!」
隣に立つ女性にはあくまで優しく、だが、斜め後ろにいた男性には表情をコロッと変えてラキアスは指差した。
「はははっ、可愛い息子を心配して来てやったんじゃないか」
「嘘つけっ、てめぇこの騒ぎの責任ちらつかせて、シダ大総統に直接貿易の交渉するつもりだろう! それ狙ってここに来たな!?」
「何を言う。私はたまたまサウスとの国境沿いで訓練をしていた艦の演習を見に来ていて、たまたまこのフライヤーからの救難信号を受けて、そうしたらそれにたまたま愛息子であるお前が乗っているというからいてもたってもいられず来たんだ。さらにたまたまシダ大総統が乗っているということで、これからご挨拶に行こうとしてるだけじゃないか」
「俺が作った出撃理由を利用してんじゃねぇよ! この腹黒大総統っ!」
ラキアスが、あの頼りがいがあって大人びたラキアスが、言葉遣いも体裁を無視して男性に掴みかかっている。その様子は普段の彼からは想像できないほど子供で、むしろ――
(オレみてぇ……)
いつも誰かに突っかかっている自分を見ている気がして、ジーンは開いた口がふさがらなかった。その様子に、掴まれていた男性が気づく。
紳士風の、だがどこか底の見えない笑顔をした人だ。
「ラキ、ずいぶん呆れられているようだが?」
「え? あっ、いや……あ~、うん」
ラキアスは決まり悪そうに頭をかくと、諦めたように肩を落とした。
「紹介しとく。こっちの年中腹黒なのが俺の親父。カイ・ラウド・クローディクス。んで、こっちは一回会ってるし、覚えてるだろ?」
「あ、はい! お久しぶりです、チェス様。それに初めまして、クローディクス大総統!」
慌てて頭を下げた。イーストの大総統に、その息子であり最年少の将軍。そしてラキアスの婚約者であり、セントラル大総統の娘であり、伝説の一族、《ヒメルメーア》の巫女。
チェスとはラキアスと同じように三年前に会っているが、あの時の幼さは消え、見事に美しい女性へと変化を遂げていた。
「本当に久しぶり。こんな風に会えるなんて思ってもみなかったわ。元気そうで良かった」
「は、はいっ、つつがなく過ごしてます!」
緊張のためか、言葉がおかしくなる。
「あ、あのっ、チェス様はどうしてここに?」
「え? ああ、だって……心配だったから」
そう言って、彼女が見上げるのはラキアス。彼は少し眉をしかめながらそっぽを向いた。その顔は耳まで赤くなってしまっている。
「愛だな。ラキ」
「うるせぇ」
大人びて、二人並べばお似合いのラキアスとチェス。だが、そのラキアスも、父を前にしてはまだ勝てないようだ。
自分が憧れている人なのに、とショックを受けたりはしなかった。逆に、遠く追いつけないかもしれない、と思っていた彼に親近感を感じて嬉しくなる。
「ジーン・エイリ・ハイディンガード君だったね。君には礼をしなくてはならないな。息子を助けてくれて、本当にありがとう」
横に来たカイがゆっくりと頭を下げる。その様子にジーンはギョッとした。
「や、やめてください! 俺はお礼をされるような凄いことは何もっ」
「そうか? あの炎を消して、中の整備士を助けたのはお前だぞ」
ラキアスに言われて、ジーンは思い出した。
そうだ、自分はあの炎を消すために力を使いきって倒れたのだ。
「あの人達、無事なんですか?」
「火傷はひどいが、一命は取り留めたよ」
ホッと息をついて、ジーンは苦笑しながら気まずげに視線をそらした。
「あれは、マルゲリータが頑張ったから」
「でも、召喚獣は召喚士の力なくして本領は発揮できないわ。えっと、マルゲリータさんだったかな。彼も消える前に言ってたの『召喚獣は主の意志と心に答える。我がここまで力をふるえたのも、主たるジーンの意志と心の強さが大きかったからだ』って」
チェスの目は、嘘をついている気配などまったくない。
多少、格好が良すぎる口調に変換されているが、本当にあの召喚獣が言ってくれたんだと分かり、ジーンは目頭が熱くなった。
落ちこぼれと、失敗作と言われ続けていた自分が、初めて召喚士として認められたような気がしたから。
「で、でもっ、オレがここまで頑張れたのはあいつが、リフェがいたから……」
彼の役に立ちたいと、助けたいと、隣に並べるようになりたいと、その思いがあの時の成功を導いてくれたように思う。
ジーンは確認するように一つ頷き、はたと気づいた。
すでにラキアスが艦の中にいるということは、あの騒ぎは全て終わったはずだ。それなのに、あの小さな少年の姿がない。
「ジーン?」
「ラキアスさん、リフェは!?」
「え?」
「まさか大怪我してるとかじゃっ!」
ジーンは飛び起きてラキアスの服を掴んだ。この場にいないということは治療を受けている可能性もある。だが、それよりジーンの頭には最悪の事態が浮かんでいて。
「お、落ち着け! 先輩はピンピンしてる。今は外の空気吸いに甲板に……っておい!」
最後まで聞かず、ジーンは部屋を飛び出した。軍艦の構造なんて分からないが、とりあえず走って上を目指す。
頭はぐらぐらするし、小さい傷からはしびれたような痛みが続くし、膝なんて今にも崩れ落ちそうだが、かまっていられなかった。
リフェの怪我が心配だからとか、決着がどうついたのか。それを気にしているのも事実。
でもそれ以上に、今会っておかないといけない気がした。今リフェに会わないと、彼は何も言わずにどこかに行ってしまう。そんな気が、ジーンはしたのだ。
目の前にある重い扉を、体で押して開ける。吹きつける風に顔をかばって、ジーンはやっと甲板の上に出ることができた。
キョロキョロと辺りを見回せば、暗い中に一つの人影。それは呼びかける前にこちらに気づき、振り返った。
「ジーン」
穏やかな声。柔らかい微笑み。それは、いつも見ていたリフェと変わらない。けれどその時ジーンの目には、青い軍服を着て颯爽と立つ青年の姿が見えた。
ついゴシゴシと、眼鏡を取って目をこする。
「どうしたの? 目にゴミでも入った?」
「い、いや、何でもな……ってお前、何でまだチビのままなんだよ!」
てっきり元の姿の戻れたのだと、先程のは本当の姿だと思っていた。しかし、眼鏡をかければ自分よりも小さい少年。ところどころ包帯を巻いているが、何一つ変わっていない。
「あ、いやうん。ほら、変な風に魔法がかかったかもって言ってたでしょ? どうやら術者のジィーフェにも解けないみたいで……」
困っちゃうよね~、とあまり困っていなさそうな顔をして、リフェは言う。
「おまっ、最後の最後で締まらないオチにしやがって。このバホ!」
「ちょ、そこでバホは関係ないでしょ!? 締まるオチって何さ!」
「んなの決まってるだろっ。お前が元の姿に戻って、協力したオレと硬い握手を交わし、認めあう最高のオチだ! 俺の夢を返せ!」
「何だよそれっ、むしろ俺の無事を確認したジーンが抱きつこうとして海に落ちたってオチの方が妥当じゃない! 夢は夢だよ、あり得ない妄想しないでよ!」
「あり得ないだぁ!? てめぇ、人の夢を貶しやがって!」
先程感じていた稀有だとか、一瞬覚えた感動と敬慕だとか、そんなもの一気に吹き飛んだ。
だるい体を反射的に動かして、リフェに掴みかかる。もちろん、怪我をしていても彼にそんなみえみえの動きが通じるわけもなく、リフェはさっと避けてしまう。
それがさらに頭にきて、ジーンは逃げるリフェを追いかけた。
「てめぇ、一発殴らせろ!」
「冗談! こっちは怪我人なんだからね!」
「オレもだバホォ!」
そんな、もうどっちがバホだか分からない会話をしながら追いかけること五分。事件の疲労もあいまって、二人は甲板に倒れこんだ。
「こ、はぁっ、のバホがっ。余計な、体、力っ……使わせやがってっ」
「基礎体力がない、はぁっ、証拠だよ」
そう言うリフェも息が乱れているから、彼も少しは疲れているのだろう。沈黙が続く。
会話の内容がないわけじゃない。むしろ、聞きたいことが一つある。
《銅の呪術師》のことは、彼の顔を見ていれば分かった。リフェはすっきりしたように笑っているから、蟠りが少し消えたのだと思う。
ジーンが聞きたいのは別のこと。けれど、それを聞いて答えが返ってくることが怖くもある。
当たり前のことだと、仕方ないと言い聞かせても、胸の奥にある重石が消えない。
「リフェ……」
顔を向けることができなかった。向けたらきっと、恥ずかしい顔になると思ったから。
だからジーンは、星を見上げたまま聞いた。
「お前、これからどうするんだ?」
返ってくる答えは分かる。
ジーンは覚悟を決めて、顔をリフェに向けた。彼もまた、星空を見上げていた顔をゆっくりとこちらに向けて――
「俺……」
※ ※ ※ ※ ※
「『大総統にサウスの潜入係を命令されちゃったんだよね』ってなんじゃそりゃあ!」
「ジ、ジーン、どうしたの!?」
思い出した場面に、ジーンは盛大にツッコミを入れる。驚いたリフェが振り返ったが、わざわざ答えてやるつもりはない。あの時ジーンが受けた衝撃は半端ではなかった。
一人で勘違いして突っ走り、答えを出して間違いだった時ほど恥ずかしいものはない。
(結局、カイ大総統のせいだよな……)
ラキアスではないが、あの人は腹黒だと思う。年中どころか生涯腹黒だ。
サウスで正体がバレにくく、かつ有能な潜入係。今のリフェならもってこいだろう。《銅の呪術師》と関わった場合、発覚の恐れはあるが、そこは別の人に任せてあるという。
リフェはサウスの内情調査。特に、サウスへの反乱組織の有無と規模の確認が主らしい。カイは内側からサウスを潰す気でいるのだ。
それを話してもらった時のカイの顔を思い出し、ジーンは悪寒を感じた。
結局、リフェの生死は行方不明のままとなり、子供の姿であることは他言無用となった。イーストでも、ラキアスと彼の側近二人。チェスと元帥、大総統以外にはふせるらしい。
そのため、あの軍艦に乗っていた人達には『万屋のリー君』として紹介されており、武功はジーンの方だけを広めていた。
嫌がるかと思っていたのだが、意外にもリフェは笑って受け入れていた。
実は、ジーンも少し嬉しかったりする。
カイからは、危険行動でない限りリフェを手伝って欲しいと言われた。ラキアスからも、リフェを頼むと言われた。やりがいはある。
それに、リフェがここにいる間は彼から色々と学べる。彼の知識は豊富だし、最近は体術なんかも教えてもらっている。
(すぐに、なんて言わない。でも……)
ジーンはグッと拳を握った。
いつか、彼の隣に堂々と立ちたい。
「うわあぁぁ!」
突然叫び声が聞こえた。目を移せば、前方でリフェがこけ、その手から離れた犬が四方八方に走り出している。
彼の隣に堂々と立ちたい。学びたいこともある。嘘じゃない。嘘じゃないが――
「この超人級のバホがぁ! 捕まえろぉ!」
「はいぃぃっ!」
時々なかったことにしたくなるのも、嘘ではなかったりする。
「うわわわ、待って待って!」
「キャンキャン!」
逃げる犬達をリフェは必死に追いかける。
サウスでの暮らしが続くことになって、軍の仕事とは別にそのまま万屋事務所で働くことになった。しかし、所長のお怒りを買うことがほとんどである。
元気よく走る子犬を一匹捕まえて、それが以前助けた少女、ラピアの犬に似ていることにリフェは気づいた。
ペロペロと舐めてくる子犬に、少しだけ寂しさが沸き起こる。
事務所に帰ってから三日後。ようやくまともに動けるようになった二人は、溜まっていた郵便物を取り出したのだ。大量のチラシに雑じっていた、桃色の可愛い封筒。
ラピアからだった。
母親が書いたであろう手紙には、夫が自首をしたこと、家を売却したこと、そして首都から離れ、田舎にある実家に引っ越すことなどが書かれていた。
仕方のないことだ、と。夫の命を助けてくれて感謝していると書いてあったが、その文字からは後悔や悲しみが伝わってきた。
対してラピアが書いたものは可愛らしかった。子供らしい、大きな紙に描かれたリフェとジーンの似顔絵。その下に一言。
『お父さんを助けてくれて、ありがとう!』
あの商人を助けたことが良かったのか、悪かったのか、きっと人によって答えは違うのだと思う。リフェは間違っていないと思っているし、ジーンも手紙を読んだあと、『まともな仕事だったな』と言っていた。
けれど、きっと麻薬の被害にあった人から見れば間違っていて、捕まったこともぬるい罰と考える人がいるかもしれない。
それに、リフェの行動が正しかったとしても、リフェやジーンの言葉がラピアから父親を離してしまう原因にもなっているはずだ。
結果的に、彼女から大切な者を奪ってしまったのは自分達だ。
だから、言い訳をしようとは思わない。いつかラピアが、事実を知り乗り込んで来たのなら、罵声を浴びせられるのなら、それは受け入れるべきことだ。
何かを守るのなら、そのために傷つけ、奪ったものを背負うべきだから。
逃げることは許されない。守った者にも、守れなかった者にも、自分の歩いて来た道にも最大の冒涜になるから。
ただ、リフェは願う。
「欲張りだとは思うんだけど。やっぱり、ね」
子犬を掲げながら、心の中だけで願う。
またどこかで会えるといい。その時ラピアとルカが仲良しで、笑っていてくれればいい。そして、その隣に母親が、罪を償った父親がいてくれればいい。
家族四人で、笑いあっていて欲しい。
「こぉら、バホ! 休むな!」
「うわっ、はいっ!」
ジーンの喝に、リフェは慌てて走り出す。
海の向こう、地平線から日が昇り、明るい夜明けが訪れる。
サウスでやる仕事は大変だな、とか。呪いは本当に解けるのかな、とか。不安や困惑ばかりの毎日だ。
けれど、『いつか』どうしようもなく辛いことが起こっても、こんな風に朝日を見ながら笑っていられるといい。そんな風に、していきたい。
蒼い空と青い海を見て、リフェはめいっぱい笑った。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたらば、初めまして、詞葉と申します。
『蒼青のアイン』いかがだったでしょうか?
今更ですが、『アイン』とはドイツ語の『1』を表す言葉。この物語では『たった一つ』という意味で使っております。
なので、他にも魔法の呪文がドイツ語だったりで、分かりにくい部分が多々あったのではないかと戦々恐々としております(汗)
未だに小説の出版社の賞に投稿を続けている私ですが、この作品はいくつか書いた長編でも、特に思い入れの深いものです。
もし、少しでも読んでくださった方の琴線に触れていればいいと思います。
ご迷惑でなければ、ぜひ、誤字脱字報告や、我儘を言えば感想などを頂けると幸いです。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!




