第五章(9)
「将軍、イーストの軍艦が到着したようです」
ルースが耳元の通信機を押さえ、そう言った。ラキアスは気を失ったジーンを抱えつつ、ホッと息をつく。
燃え盛っていた炎はすでに消え、煤汚れた機関部で兵達が救助活動を行っている。
「将軍、整備士を発見。まだ息はあります!」
「よし、すぐに手当てを。ルース、イースト艦の横づけはすぐできるか?」
「サウス側が誘導を装って邪魔をしているようです」
予想できていた答えに舌打ちが出る。
「蹴散らして来いって伝えとけ。手の空いた者達は全員、避難誘導と怪我人の手当てに回れ! 身分の優劣関わらず、怪我人と老人、女子供優先だからな!」
ラキアスの指示に従い、兵士は整備士達を抱え上に向かう。イーストの軍艦が来たということは、おそらくあの魔術士集団も撤退するはずだ。
『リフェ殿の援護には回らなくていいのか? 《琥珀の錬成士殿》』
後ろからそう声をかけられ、ラキアスは肩ごしに振り返った。
黒いマントと黒の大鎌。そして髑髏の顔。それはさっきまでふよふよと飛んでいた小さい死神の姿と同じだ。しかし、今目の前にいるのは、ラキアスよりも長身の死神。
「先輩はきっと上手くやるよ。だいたい、そう思ってなかったらお前が飛んでってるんじゃないか? マルゲリータ」
あの小型死神と同じ名前で呼ぶと、彼は髑髏を模した仮面を少しずらした。死者の顔の下から、薄く笑う生身の口元が見える。
「しっかし、こいつもしかして、ものすごい潜在能力秘めてないか?」
ぐったりしているジーンの頭を軽く小突く。まったく目を覚まさないが、呼吸は安定しているので問題ないだろう。
落ちこぼれと言われていた青年。その青年が、ラキアスから見ても強い召喚獣を使い、あの炎を全て消してしまった。
『主の力は弱い。だが意志が強い。そなたや、リフェ殿のようにな。ただ、それだけだ』
三年前に会った時、この青年は力も弱く、頼りない感じを受けていた。つい最近もそうだったが、昔も今も『何かを成したい』という気持ちは強く持っていた気がする。
この召喚獣も、そんな強さに惹かれたのだろう。
「ルース、俺は無事って大々的に伝えろ。ジーンが頑張ったってな」
この青年を信じたリフェに、届くように。
「了解しました」
珍しくルースが苦笑して、命令をこなしに上に向かう。
「いい主だな」
『当たり前だ』
何の気負いもなく返す召喚獣に、大きく笑い返す。この二人はいいコンビだ。
(さあ、こいつは頑張りましたよ。あとは、先輩だけですからね)
絶大な信頼を胸に、ラキアスはジーンを抱えて立ち上がった。
騒がしく叫ぶ声。だが、それも少し前と比べてずいぶんと大人しくなっていた。
「まさしく《不可視の死神》だな。してやられた」
喧騒を聞きながら苦笑して言うジィーフェに、リフェは困惑気味に笑い返す。
仰向けに倒れているジィーフェの腹部からは、鮮血が流れ出していた。
「一回目に炎を突っ切ってきたのは布石か」
「そこまで考えてないよ。君が炎を使ってこなかったら、正面から行ったかもね。こっちもあまり体力残ってなかったし」
リフェの身体能力と補助の風魔法をあわせた高速攻撃は、本来は一対多数。または対団体魔術士相手に特化したものだ。
一度走り出せば止まるのが難しく、連続攻撃をすることを念頭に置いた戦い方。そのため、相手に捕捉させないまま大多数を倒す場合。または、防御魔法を唱えた魔術士を攻撃に転化させないために活用できる。
軍にいた頃は、リフェが魔術士を抑えている間に仲間が他の敵を倒したり、突破口を開いたりする時などによく使用していた。
ただ、今回はすでに腕も体も体力も限界状態。ジィーフェも同じ状態だと予想できたため、どのような攻撃がきても懐に飛び込めるよう、あの魔法を使ったのだ。
「炎で一瞬、君の視界がふさがれるのは分かったし。一度炎を突破したから、引っかかってくれるかなって。ま、一種の賭けだったよ」
「俺は考えが甘かったようだな。その年齢で大佐にまで上がったんだ、臨機応変に動けると分かっていたはずなんだが」
リフェが炎を突っ切ることをやめたのは、炎が眼前に迫ったその時だ。
己の剣を炎に投げつけ、ギリギリで体を捻り、炎を避けてジィーフェの死角に入った。
剣がそのままジィーフェに当たるのならば良し。掠り傷でも体制が崩せれば何とかなる。それもダメなら、投げた剣を死角で受け取り、攻撃に転じればいい。
結局、後者をとることになったわけだ。
「でもあの炎はすごかったからね。避けたと思ったけど、熱風だけで火傷してるよ」
言いながら、リフェはジィーフェの腹部に手を当てた。そのまま回復魔法を発動させる。
「……おい」
「え、何?」
「何でお前は俺の治療をしてるんだ? 自分の傷を手当すればいいだろう」
「え、だってこのままじゃジィーフェ出血多量だよ。さすがに死ぬよ。逃げられないよ」
リフェだって胸の傷は痛むし体力もないが、ジィーフェのようにバックリと大きな傷があるわけではない。
「急所は何とかはずしておいたし、俺の魔法じゃ応急処置程度だけど、動けるよね?」
「お前、俺を見逃すのか?」
「退却用の潜水艇か何か、来てるんでしょ?」
海を見れば、サウス護衛艦の一隻がイースト軍艦の進路をふさぐように出ている。傍目には誘導のようにも見えるが、事情を知っている者からすれば一目瞭然だ。
おそらく、この下に魔術師が撤退する潜水艇か何かがもう来ているのだろう。
リフェが手をはずすと、ジィーフェは起き上がり耳を押さえた。連絡が入ったようだ。
「撤退らしい。暗殺は失敗。あの眼鏡をかけた奴が頑張ったらしいぞ。貴族や乗客、《琥珀の錬成士》もほぼ無傷だそうだ」
ジーンのことだ。彼は約束どおり、ラキアスを守ってくれた。
その事実に、リフェの顔はほころぶ。
「なら、なおさら君を捕まえる気はしないよ。俺が守りたかったものは全部守れたし。それに君が帰らなきゃ、パメラちゃんが、だろ?」
ラキアスとジィーフェ。そしてこのフライヤーに乗っていた乗客達。リフェの手の届く範囲にあったものも、手の届かない範囲のものも、ジーンの協力で失わずにすんだ。
「俺は、パメラちゃんにも死んで欲しくない」
これはリフェであってもどうにもできない。ジィーフェが生きて帰らなければ、彼女の命は奪われてしまうだろうから。
「……お人好し。よく軍人になれたな」
「あはは。それ、実はもう耳にタコなんだ」
軍にいた頃どころか、軍学校にいた頃から言われ続けている言葉だ。
頭をかきながら言って、リフェは唐突に大事なことを思い出した。
「あの、俺の呪いを解呪して欲しいんだけど」
「無理だ」
「即答!?」
あっさりと言われた言葉に、リフェはショックを隠しきれなかった。さすがにこの状況でなら解呪してくれると思っていたのに。
「まあ、やっぱり俺のこと恨んで……」
「勘違いするな。できるなら解いてやってる。ただ、それは不可抗力でできた、本来はない呪いなんだ。おそらく俺のコントロールミスと、お前の最大魔力がぶつかり合ってできたんだろう。解呪方法は俺でも分からない。術者である俺を殺せば戻るかもしれないが」
「じゃ却下。それはヤダしね」
こちらもあっさり返してやれば、ジィーフェは苦笑した。だからリフェも笑い返す。
「しばらくはこのままか……イーストに戻る日が遠くなったな」
きっとラキアスもげんなりするだろう。他の人達も、まだまだ待たせてしまうようだ。
「リフェ」
「ん?」
見上げれば、ジィーフェの目とかち合う。
見下ろしてくる顔には子供の頃の面影が残っていて、それが嬉しかった。
ほんの少し、昔に戻れた気がしたから。
「俺はまたサウスに戻る」
「うん」
でも、昔と同じ関係に戻ることなどない。
「この先も、パメラのために仕事を続ける」
「うん」
「また、敵になるかもしれないな」
あれから時は流れて、その間に見てきたもの、経験したことは同じではないから。
「うん。でも、ジィーフェ自身が決めたことで、その決意が固いって知ってるから、俺は止められないよ。その代わり、ジィーフェも俺を止められない」
選んだ道は別々で、守りたいものも違う。
あの嵐の日。お互いが手を離してしまったあの日に、進む道は分かれてしまった。相手の意志を捻じ曲げない限り、進んでいく足を止めることはできない。
そして、リフェもジィーフェも、簡単に曲がってしまうような柔な意志は持っていない。
リフェは、一度瞳を閉じ、開いたその目を真っ直ぐジィーフェに向けた。
「いつかまた、敵として出会う時がきても、俺は、俺のやり方と意志で、君の前に立つよ」
また、足掻いてみせる。
守りたいものを、間違えたりはしない。
「……分かった。俺も、俺の意志を貫くさ」
しばしの沈黙のあとそう言って、ジィーフェは手摺を掴んだ。
「ジィーフェ!」
「ん?」
振り向いた彼に、リフェは笑う。
あの時のような、辛い別れにはしたくない。また敵として会うことになっても、もう二度と会えなくても。覚えておくのは笑顔がいい。
だから、リフェは笑って言った。
「生きててくれて、ありがとう」
ちょっと驚いた顔をして、でもすぐにジィーフェも笑ってくれる。リフェの知っている、あの少年の時と変わらない笑い。
「お前も、な」
ジィーフェは手摺を越えて海に飛び込んだ。
もうすぐイーストの軍艦も到着するだろう。そう思った瞬間ドッと疲れが出た。
まだ、全てが終わったわけじゃない。
「それでも、進まないと」
リフェは歩みを止めない。笑って、前を見て歩き続ける。守りたいものがある限り、守り続けることをやめたりはしない。
(そしたら、俺にもいつか見つかるかな?)
ラキアスやジィーフェのように。譲れない、この蒼青の世界での『たった一つ』が。
いつか見つけられたらいいと思う分、見つかったらややこしくなりそうだなと思い、リフェは苦笑した。
「今は、その時守りたいと思ったものを守ればいいか」
リフェはゴロンと仰向けになる。
遠くから助けに喝采を上げる声や、安堵の言葉が聞こえるけれど、体はゆっくり休みたいと訴えている。鍛え抜かれた軍人がそう思うほど疲労困憊していた。
「ああ~、疲れた……」
いつになくだらけた口調でそう言い、リフェは大の字に寝転んだまま目を閉じる。
夜空に輝く月と星が、彼の頑張りを褒め称えているようだった。




