第五章(7)
「クローディクス将軍っ、こちらです!」
ジーン達が機関部のある階に辿り着いた時、すでにそこは火の海になっていた。
一度魔術士の攻撃を受け、服はボロボロ。体も裂傷や軽い火傷を負ったりはしているが、それでも動けないほどではない。
ラキアスとジーン、そしてルースとそれが率いる小隊。さすがにこれだけを単体では相手にできず、魔術士は傷を負って退却した。おそらくもうほとんど動けないだろう。
「内部の状況は!?」
「メイン動力の錬成玉は大破。サブ動力も使用不可能! 航行不能です。浸水はありませんが、機関部の炎上がひどいんです!」
ラキアスを見つけ、先に消火活動をしていた兵士達が悲鳴に似た叫び声をあげた。
「乗客や整備士は!?」
「乗客はいませんが、巡回中の整備士二名が中にいたと思われます!」
「くそっ!」
悪態をついたラキアス。彼を見ながら、ジーンは前から襲ってくる熱気に顔を庇った。生き物のようにうねる炎の壁は巨大で、いくら消火活動をしても追いつかないだろう。
「ルース、水の魔法で消せないか?」
「無茶を言わないでください。火元を消せないのに、いくら水をかけたって無駄です。尚且つ、そんな長時間、魔術士の方がもちません!」
「なら俺に水の魔法で障壁を作れ、突入する!」
「そんなことできるわけがないでしょう。整備士がどこにいるのかも分からないのにっ。結界や障壁魔法は、時間制限もあるんです!」
「ああくそ! 練成術で酸素を消して……いやダメだ。こんな広範囲はどう考えたって無理だし……穴開けたって沈むし」
ブツブツと考え込むラキアスの隣で、ジーンは炎を見やる。
地道な消火活動では、整備士が生きていても間に合わない。かと言って、大穴を開けて水を流し入れれば、このフライヤーが沈む。
乗客達の避難完了にはまだ時間がかかる。無謀な賭けでは大勢の命が失われる。
「イーストの軍艦の到着は!?」
「まだです。近くには来ているはずですが」
「ちっ。一か八かだ。水の障壁を俺にかけろ」
歯噛みしたラキアスが、くるりと振り向き側近に詰め寄る。それに驚いたのは他でもない、ルースとジーンだ。
「ラキアスさん!」
「ダメだと言ったでしょうっ。将軍御自ら死地に赴いてどうするんですか!?」
「障壁が解ける前には戻るっ。入り口付近にいるかも知れねぇだろう!」
「ダメです。そうまでされるなら私が行きます。貴方を失うわけにはいかないんです。それこそサウスの思うつぼでしょう! 冷静になってください!」
ラキアスとルースは、今にも掴み合いにならんばかりの勢いで言い合う。その間にも、炎のうねりは大きくなったような気がした。
また何もできない無力さから、ジーンは手に爪を食い込ませた。
(やるしかっ、ないか?)
あれを呼ぶしかないだろうか。
あの道化師は強い。きっとこんな炎、もろともしないだろう。だが、あれを呼び出せば確実に自分はただではすまない。最悪、死ぬ。
もしそんなことになったら、召喚は暴走。あの道化師は周りの人も襲ってしまう。
『ジーン……』
今まで沈黙していたマルゲリータが、ゆっくりと隣に並んだ。
「何だ? 悪いけど今……」
『炎、止めてぇけ?』
その一言に、ぐりんっとジーンとラキ、そしてルースの首が回った。三人一斉に見られたマルゲリータは、少したじろぐ。
「お前、できるのか!?」
『まあ、炎っつうか、自然のものには全部「命」があるっちに。オラの能力なら、消せんこともない……オラとジーンは、この世界の炎の精霊に生涯恨まれるやろうけんどな』
マルゲリータの進言に、周りにいた者は全員顔を輝かせた。
「できるなら早く言えよ。んじゃやるぞ!」
『ただ……』
まだ何かあるのか、と振り向けば、マルゲリータはどこか不安そうな顔をしているように見えた。白い骸骨顔をおずおずと顔を上げて、ジーンを見やる。
『これだけの量で、しかも、一つの自然に逆らうことになるけ……それ相応の力が必要になるっぺよ……ジーンの力量なら、際どいところだがや』
眉を顰めたのは、ジーンではなくラキアスだった。
召喚がどれほど体力を使うか彼は知っている。ラキアスのそばには、自分よりも強大な召喚術を使う《ヒメルメーア》の女性がいるのだから。
ラキアスは、マルゲリータと見つめ合っていたジーンを下がらせた。
「ダメだ。炎を消せたとしても、お前に何かあったら困る。他の方法を……」
「やるぞ、マルゲリータ」
「ジーン!? お、おい、ちょっと待て!」
無視して炎に向かおうとしたジーンを、ラキアスは慌てて止めた。
肩をしっかり掴んで、目線を合わせてくる。
「お前分かってるか? 死ぬ可能性があるって言ってんだぞ?」
「分かってます。今の状況じゃ、この方法が最善です」
グズグズしていたら、整備士の命どころか他の階にまで炎が及び、多くの命を奪うかもしれない。避難を完了させるまでにはまだ時間がかかる。なら、この炎をここで食い止めなくてはならない。
心配そうに眉を下げるラキアスに、ジーンはニカッと笑って見せた。
少しは、彼に――リフェに似てるだろうか。
「大丈夫です。オレは死にません。あのバホの手伝いをしに来たのに、ここで死んだらオレは一生あいつの足枷になる」
きっと、リフェは己を責めるだろうから。巻き込んでしまったと、この先ずっと自分を責め続けるだろう。だから、死ねない。
「やらせてください」
真っ直ぐ新緑の目を見てそう言えば、ラキアスは肩から手をはずした。
「……分かった」
そのまま、三年前よりも大きな手を、三年前と同じように頭にのせてくれる。
「頼むぞ。お前に何かあったら、先輩どころか、きっとチェスにまで殺される」
「はい!」
妥協してくれたラキアスに笑って、ジーンは近づけるところまで炎に近づく。
熱い。まだ距離はあるのに、このまま焼き殺されそうだ。
「おい」
『何だっち?』
「……信じてるからな」
驚いたような気配が伝わってきた。ジーンは少しだけ苦笑し、炎の壁を睨みつける。
「マルゲリータ、行くぞ!」
『了解だベ!』
炎を前に膝をつき、左手を床に置く。
青い光を放って描かれた魔法陣に、ジーンは一気に自分の力を注いだ。
「くっ!」
急激に体力が奪われていく。それと同時に嫌な思い出が蘇る。
問答無用で奪われていく体力と、突然、体を襲った強烈な痛み。胸が裂け、鮮血が視界を埋め尽くし、道化の笑みが自分を見下ろしていたあの日。
体力が減る感覚に、胸の傷が痛み出した。
怖い。また、あんな風になるのかもしれない。落ちこぼれの自分には、無茶な行動なのかもしれない。けれど――
(冗談じゃない!)
ジーンは唇を噛み締める。
マルゲリータとあの道化師は違う。彼は自分を傷つけるような奴じゃない。たとえどれだけの力を奪ったって、主たる自分を守ってくれる、最高の召喚獣だ。
「受け取れっ、マルゲリータ!」
限界まで搾り出した力を魔方陣に叩き込む。ぐらりと体が揺れて、抵抗なく床に吸い込まれていくのを自覚した。
だが、床にぶつかる前に、何か黒い物が体を包み込んだ。肩を支える力が心地良い。
(ラキアス、さん……?)
塞がっていく瞼が見たのは、新緑色ではなく、清々しいまでの青い色の目。
『よくやった、ジーン。さすがは我が主』
そう言って、髑髏の仮面を持って笑う男を、ジーンは見た気がした。
「シュナイデ・アングリフ・ヴィ・ベフライエン!」
「ヴァンド・シュッツ・エーア・ベフライエン!」
ジィーフェが放った風の刃を土の壁で防ぎ、リフェは後ろに跳んだ。次の瞬間、壁を越えて真上からジィーフェが襲いくる。
「アングリフ・フォ・ベフライエン!」
真上から放たれた炎の魔法。回避は間に合わない。防御魔法を唱える暇もない。
そう瞬時に判断したリフェは、大剣を盾にして正面から炎に突っ込んだ。体の周りを一瞬の熱が覆う。だが、すぐに開けた視界に彼を捉え、剣を振りかぶる。
「はぁっ!」
気合と共に振り下ろした剣は、ジィーフェの肩を切り裂いた。それでも杖を振りかざした彼に、今度は体ごとぶつかり弾き飛ばす。
お互いに飛ばされ体制を崩すも、宙で体のバランスを整え着地。すぐさま油断なく武器を構え、相手を視界に収める。
二人とも、荒い呼吸を繰り返していた。
ジィーフェは肩の傷の他にも、足や腕に大小様々な裂傷を負っている。致命傷ではないと言っても、痛みは集中力を奪う。集中力が何より必要な魔術士には大きな痛手だ。
対するリフェも、火傷や切り傷を負っている。何より、一週間前に負った胸の傷が酷い。すでに傷は開き、胸の辺りがじんわりと赤く染まっていた。
それに、子供の小さな体でこの大剣を持ち続けるのにも限界を感じていた。もう腕の感覚がなくなってきている。
「お互い、結構厳しいね……」
はぁ、はぁ、と息を乱しながら言えば、ジィーフェは微かに口元を引き上げた。
「時間もないようだし、な」
彼がちらりと視線をはずしたので、リフェもそちらを見やる。
暗い海上に、小さくイーストの軍艦が見えた。おそらくラキアスが手配していたもの。海底にも潜水艦が何隻か来ているだろう。
リフェは残った力で大剣を握り締めた。
次の攻撃が、最後になりそうだ。




