第五章(2)
リフェは、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
すっきりした目覚めでないのは、きっとまだ体が本調子ではないからだ。
それでも、何か気持ちのいい夢を見た気がする。
リフェは一度頭を振って、目の焦点を合わせた。目の前に白と黒がある。とても綺麗な白と、とても深い黒。ものすごく近くにある。見覚えもある。これは――
『ようやく起きたべか、リフェどん』
「うわあぁぁぁっ!」
目の前にアップで出てきた骸骨を、リフェは反射的に殴りあげた。小気味よい音がして、マルゲリータはドアの方にまで吹っ飛ぶ。さらに次の瞬間、ドアが開かれた。
プチ、という効果音を残して、マルゲリータがドアと壁に挟まれる。
「騒々しい……って、起きたかリフェ。調子は?」
「め、目覚めが最悪だったよ」
バクバクと激しい音をたてる心臓を押さえ、リフェは引きつった笑みを見せる。
起きた瞬間、骸骨とご対面は心臓に悪すぎる。いくら知りあいでも骸骨は嫌だ。
『あんさんら、もうちょいとオラの扱いよぉしても罰あたらんべ?』
「いたのか、マル」
『略すんはなしっちよ!』
隙間から這い出してきたマルゲリータを、ジーンは軽く足蹴にした。
リフェはもう一度頭振り、今度こそここがどこかを確認する。
事務所でないことはハッキリしている。何せ部屋がものすごく広いし、綺麗だ。事務所には無縁の絨毯や、高そうな置物まである。
(そっか。あのフライヤーに乗ったんだよね)
ラキアスの訪問から三日経ち、二人は一時間ほど前に例の大型娯楽水上フライヤーに乗船した。
ただ、リフェは体調が万全ではないため、しばらくの間眠らせてもらったのだ。騒ぎが起こるまでに、できる限り動けるようにしておきたかったから。
「もう出港したの?」
「ああ、二十分ぐらい前にな。動きはまだ何もない。軽く見てまわったけど、さすがにあの怪しいローブを着た奴はいなかった」
ジーンの報告に頷く。
あの事件があったからか、このフライヤーにはサウスの護衛がついていた。
ちらりと護衛艦を見たが、おそらくあまり戦闘に特化していないだろう。一ヶ月前にはあっさり母艦が沈んだような軍の物だ。
念のためにつけられた物だからか、それがたったの二隻。さらに乗り込む軍人もサウス軍だからあまり信用がおけない。
「あの魔術士達、後から来るのか?」
「いや、護衛艦をつけてるからね。そんなことすればサウスの上層部が関わってるって言ってるようなものだ。撤退用の潜水艇が近くに潜んでるってことはあるかもしれないけど、たぶん……客にまぎれてるんじゃないかな」
護衛艦をつけ、その護衛艦が反応しないままに襲撃されたのでは、自分達が黒幕です、と言っているようなもの。あのサウスの統治者が、そんなヘマを冒しはしないだろう。
おそらく、客にまぎれて魔術士達を船内に入れたはずだ。そして、全てが終わった後、護衛艦からは『客にまぎれて侵入されており、大型フライヤーを砲撃するわけにもいかず』とか何とか報告させる算段なのだ。
「大陸から離れた海に出るまで三時間。駐屯中の軍や警備隊がすぐに駆けつけられない場所までは……そのあと二時間ぐらいかな? 五時間の余裕はありそうだね」
航路と地図を見比べ、リフェは軍人時代に手に入れていた情報と照らし合わせる。少なくとも、あと数時間は何事も起こらないだろう。
「お前の予想は間違ってないと思う。ラキアスさんや貴族達が集う会食が始まるのも夕方だって聞いたし。そこが狙い目なんだろ。だったらリフェ、もう少し寝てたらどうだ?」
「ん~、いや。俺も中を見て回るよ」
マルゲリータのおかげで目は覚めた。土壇場になる前に、このフライヤーの中をきっちりと把握しておきたい。そう考えて、リフェははたと気づく。
「そう言えばジーン。何でマルゲリータを呼んでるの?」
「ああ……」
彼は一瞬言い難そうにして、何か嫌なことを思い出したのだろう。眉根を顰めて、隣を浮遊するマルゲリータを見た。
「この前ん時、オレがパニックになってすぐに呼べなかったんだ。だから、今度は最初から呼んでおこうと思って」
「でも、力を消費するんじゃないの?」
「呼ぶ時に使うけど、あとは何もさせなければそんなに」
『オラ達が主の力を使うんは、命令でオラの力発揮する時だっぺよ。そん他でジーンの力を食うことはないべ』
ふよふよ浮きながら笑った、ように見えるマルゲリータに、リフェは頷いた。
「それならいいんだ。肝心な時に働けないと困るしね。じゃあ、俺は回ってくるけど。ジーンはどうする? ここにいる?」
「いや、オレも行く。まだ見てない部分もあるし。てめぇはここにいろよ」
マルゲリータに釘を刺して、ジーンはリフェの後ろをついてきた。
ジーンと共に内部を確認しながら、リフェは怪しい所がないかを見ていく。ジーンは物覚えがいい方だから、何度か回を重ねると自ずと分担作業ができるようになっていた。
「ラキアスさんは貴賓室だ。夕方まで出てこないって」
「夕方……会食まで出てこないってことか」
この前の事件で、敵側もかなりの痛手を受けている。その分、今回の暗殺に回される人員が減ったはずだ。
なら敵としては、全員集まったところを一気に叩き、その混乱に乗じて去るのが一番だろう。
「シダ大総統も乗ってるんだよね」
「ああ、でも何かと理由をつけて会食まで会わないようにするってラキアスさんが」
サウスはラキアスの暗殺を計ると同時に、被害者の仮面もつけなくてはならない。ではどういう風にするつもりなのか。
将軍という地位にあるラキアスと、同等の被害を受けたと見せかける方法。あの交流会の時のように貴族達と一緒に襲わせるというのもありだが、最も有効的なのは――
(シダ大総統がいる場所を襲わせるんだな)
サウスの柱たる統治者であり大総統。彼も同時に襲われたとなれば、イーストも正面きって手が出しにくくなるということだ。
おそらくラキアスもそう考えている。だからこそ貴賓室から出てこない。
相手の狙いを逆手に取り、大総統や貴族達と会わないことで、狙う場所どころか時間すら限定させている。
(そういうところは、お父さんに似てるんだよな)
言えばきっと、彼はものすごく怒るだろう。けれど、ラキアスの計算高さは時に父親であるイーストの大総統に瓜二つだと思わせる。
「あん時に言ったけど……」
ジーンが海を見下ろして、ポツリと呟いた。
「もし見つけたら、行けよ」
「ジーン」
「今度はオレも戦うし、守るから。マルゲリータがいれば、何とかなりそうだし」
ジーンが『力になりたい』と言ってくれたあの日。リフェはジィーフェとの関わりを全て彼に話した。幼馴染みであることも、仲が良かったことも、そして、リフェの父親が彼の家族を殺した部隊の隊長だったことも。
その上で、ジィーフェが守ろうとしているものの話もした。ジィーフェから話を聞いて、罪滅ぼしとしてジィーフェか、それともラキアスか。あの時は選べなかったのだ、と。
ジーンは黙って聞き終えたあと、こう言った。
『ラキアスさんはオレが死なせない。だから、お前はそいつともう一度話しをしろ。そのための時間なら作ってやる』と。
ラキアスを守ることを自分に任せ、とにかくジィーフェのもとへ話をしに行け。ジーンは、そう言ってくれたのだ。
これほど頼もしい人物に気づけなかったことにリフェは苦笑する。
昔、身長が高すぎるリフェに『高すぎるから目の前にあるものが見えないんだ』と言った人物がいたが、どうやら身長が低くなっても周りが、特に自分のすぐそばが見えていないようだ。
リフェの笑顔を不思議に思っているのだろう、ジーンは少し眉を寄せて問いかけてきた。
「なあ、もう何となく答えは出てるんだろ?」
「……うん。ほんとに、何となくだけどね。俺もちょっと、ラキを見習おうと思ってる」
「そうか……」
ジーンは緊張している。これから戦闘になるのだ。当たり前だろう。
また、あの夜のように多くの血を見るかもしれない。彼はそういう場に慣れていないから、きっと恐いはずだ。
けれど、それでも力を貸してくれようとしている。ラキアスも、自らの命を危険に晒すと分かっていて機会を用意してくれた。
(ジィーフェ……俺は、守ってみせるよ)
蒼い空と蒼い海。二つの間で決意するように、リフェは真っ直ぐ顔を上げた。




