第三章(5)
屋敷に入ってから数十分後、ようやくメイン会場となるホールが開けられた。ぞろぞろと移動する人波に紛れて、リフェ達も中に入る。
できる限り目立たない。けれど、ラキアスが登場する舞台が見やすい位置に移動した。
「ジーン……」
「何だ?」
リフェは目の前の光景に、わなわなと震えながらジーンを見上げた。思い切り駆け出したい衝動を必死にこらえる。
「どうしよう、美味しそうなデザートがいっぱいだよ!」
「ああ、そうかよ!」
どうやらこの甘美な光景は彼に伝わらなかったらしい。こっそりと脛を蹴られた。リフェにとってこの光景は天国であり、食べに駆け出せないのは地獄だというのに。
デザートの山を見るようにしながら、リフェはそっと辺りを窺う。
ホール内にいるのは貴族や商人、警備につく赤い軍服を着たサウス軍の兵士。貴族には入る前に胸につける花飾りが渡された。青と赤の花飾りだ。
リフェ達がつけているのは青。大多数は赤だが、幾人か青をつけている人も見える。
(何かの格付けかな?)
知る顔ぶれで確かめるが、判別がつかない。
そうこうしている内に入り口が閉じられ、フッと場内の照明が暗転する。次いで、舞台上だけが一つの明かりで照らし出された。一気に沸き起こる拍手。
「あれは……」
「ルーバスタ・ガンズ・シダ。サウス大陸の統治者であり、軍部の大総統だね」
確か年齢は七十過ぎ。五大陸中で最も老齢な統治者だ。
野心家である一面を持つが、その強い向上心からリゾート地として成功した今のサウスの姿がある。彼が統治者でなければ、開発はもう少し遅れていただろうという噂だ。
「皆様、本日はお集まりいただき、まことにありがとうございます。この度は、サウスとイースト、お互いの理解の不一致により、望まぬ戦闘が起こり……」
「何が望まぬ戦闘だ。仕掛けてたのはあんたらじゃないか……」
隣からポツリと聞こえた。ジーンの言うように、再三のテロ行為や暗殺は彼らからだ。リフェ自身『よく言うよ』と思ってしまう。
「しかし、イーストは我らの言葉を聞きいれ、和睦という道を選んでくれました。本日は、二大陸の新たな友好のため、素晴らしい客人を呼んでおります。どうぞ皆様、温かい拍手でお出迎えを。イースト大陸の若き将軍、ラキアス・カイ・クローディクス殿です!」
ワッと盛り上がる歓声の中、舞台上に見慣れた青年が姿を現した。
将軍仕様の軍服。精悍な顔つきと、一ヶ月前と変わらぬ新緑色の強い目。腰には一本の剣、そして腿に剣の柄だけが括りつけてある。
「サウス大陸の皆様、初めまして。イースト軍将軍、ラキアス・カイ・クローディクスと申します。本日は私のために盛大なパーティーを開いていただき……」
客人の中には、羨望と、そして恨みの眼差しを持った者がいる。だが、ラキアスはまったく物怖じしない態度で、笑顔のままに口上を述べていた。
「ラキアスさん、かっけぇ……」
「ジーン、ラキばっかり見てないようにね」
「あ、お、おう!」
苦笑しながらジーンに言うと、彼はピンッと背筋を伸ばした。その様子がおかしくて、リフェはさらに笑みを深くする。
「では皆様、ごゆるりとお過ごしください」
ルーバスタの声にあわせ、会場に光が戻った。同時に、ざわざわと喧騒も戻り、人々が動き出す。リフェは、舞台から降りてきたラキアスをそっと見やった。
貴族達と当たり障りなく受け答えする彼。その周りには、青い軍服を着た十人程度のイースト軍が見られた。特に近くには側近で魔術士のルースと、錬成士のシュミットがいる。
ラキアス自身も柔らかい笑顔で対応しているものの、周りの気配をしっかりと探っている様子だ。事前に暗殺の可能性を聞いていたのかもしれない。会場内にはイーストの諜報部隊もいるようだ。
これだけいれば、事なきを得られるか。
「なあ、オレは政治には疎いけどさ。普通、こういうパーティーって統治者同士が会うものじゃないのか? ラキアスさんは次期統治者だけど、まだ将軍だろ?」
ジーンの純粋な疑問を聞いて、リフェは少し困ったような顔をして見せた。
「ああ、まあ、普通はそうなんだけどね……」
イースト軍の序列は数人の大将・中将・少将、准将。その上に将軍と元帥が一人ずつ、さらに上に統治者兼、大総統がいる。その観点でいけば、ラキアスの地位は非常に高い。
だが、統治者の血筋ということを合わせても大総統に劣るのは確かだ。ジーンの疑問はもっともなこと。
「暗殺の可能性を聞いていたのかもしれないね。カイ大総統はラキみたいに戦えないし、事前に何か聞いていたならラキに任せると思うよ。まあでも、もともとカイ大総統はここに来る気はなかっただろうね」
「何で?」
「和睦したとはいえ、戦闘は実質こちらの勝ちだった。だから『お前らは負けたんだぞ』『対等じゃないんだぞ』っていう意思表示さ」
リフェの頭に浮かぶのは、切れ者とも、腹黒とも名高いイーストの統治者カイの顔。実の息子を囮にもするし、あの手この手で手駒も増やし、今の地位にいる。
駆け引きにおいて、彼の右に出る者はいないと思う。
「何か……やな世界だな」
案の定、ジーンの嫌いな分野だったらしい。顔をぐにゃりと歪めた。
「こういうことも必要なんだ。上に立つ者にはね」
ジーンと同じように、ラキアスもこういったことは嫌いだったはずだ。ただ彼は、嫌いだからやらない、というわけではない。
時には受け入れながら、それでもより良い方法を模索し続けている。
ジーンの背をポンと叩いてなだめていたその時、リフェの視界に警備をしているサウスの兵達が見えた。何事かを話しながら会場を出て行く。それに気づいたイーストの兵も二、三人が追う。
(何だ?)
兵が向かう方向、開いた扉から見えた廊下の窓。そこにリフェは目を凝らした。
見取り図からして、見えるのはおそらく裏庭に続く道。そこに、兵が向かっている。
(何か動きが……っ!)
扉が閉まる寸前、微かに見えたものにリフェは息を呑んだ。何を考えるよりも早く、そちらに足が向く。
「リフェ?」
「ごめん、ちょっと……すぐ戻るから!」
「え? って、おい!」
「ラキを頼む。もしもの場合はマルゲリータを!」
止めるジーンに強く告げて、怪しまれない程度の速さで会場を抜ける。
兵に何事かを耳打ちされたラキアスと、ルーバスタが顔を顰めたが、リフェの目には先程見た白い人影しか映っていなかった。
薄暗い廊下に出ると、リフェは人気がないのを確認して走った。頭の中にはリュミナから貰った見取り図を浮かべておく。
兵が走っていた方向。人影が行こうとした方向。どちらも裏庭だ。
嫌な予感がする。この暗い廊下も、兵の動きも嫌な予感を呼んでいる。そして、あの窓に見えた人影は――
「っ、この臭いは……」
裏庭に近づくにつれ、風に乗って妙な臭いがした。戦いに慣れ親しんだ者にしか分からない微量な臭い。金臭い嫌な臭い。
「まさか……くそ!」
悪態ついて、リフェは一気に速度を上げた。廊下の窓を開け、裏庭に飛び出し、生垣で造られた通路を臭い目指して走る。照明はいくつかあるが、夜の闇は深い。
ふと、臭いがいきなり強くなった。足を止めて生垣を見回す。風の流れから臭いの元になる場所を見て、リフェは唇を噛み締めた。
「おい、大丈夫か!?」
ぐったりと倒れているのは、サウス軍の兵。一人は頭を吹き飛ばされ、もう一人は胸を
貫ぬかれている。傷口は刃物ではなく棒状の物だ。兵達は武器を抜いていないから、おそらく理解する間もなく死んだのだろう。
強い。そう感じた瞬間、小さく金属の弾き合う音がした。
「あっちか!」
そう遠くない。聞こえた音は複数ある。何人かが戦闘の最中なのだ。
生垣の通路に手を焼かされながらも、リフェは音と臭いと殺気を頼りに走り続ける。気配が近くなってきた。
ピアスに力を込め、現れた剣を右手に握る。両手に持ち、切っ先を引きずるような形でリフェは生垣から飛び出した。
目の前にいるのは、たった今兵士を魔法で焼いた人物。背を向けているそいつに、リフェはすぐさま斬りかかる。
「新手!?」
気づいた男が杖で受け止めた。フードの中は、やはり魔術士の特徴である白髪。
男の後ろには焼かれた兵が三名。そのさらに後ろに、もう一人フードをかぶった魔術士と、崩れ落ちる兵士が見えた。
助走をつけた攻撃も、体格の差で押し返される。弾かれたリフェは、足が地面に着く瞬間に呪文を唱えた。
「バイシュタント・ヴィ・ベフライエン!」
補助の風魔法を唱え、自身の足と腕に限定して風をまとわりつかせる。体が少し軽くなる感覚。それを認めるが早いか、リフェは強く地を蹴った。
「アングリフ・フォ・ベフラ……っが!」
炎の攻撃魔法を唱えようとしていたのを遮り、リフェは魔術士の脇腹を斬る。致命傷ではないがしばらくは動けないはず。
崩れる彼に見向きもせず、リフェはスピードを保ちもう一人の魔術士に向かって走った。
その魔術士が振り向くのと、リフェが攻撃を仕掛けるのは同時だった。しかし、間一髪で相手が飛び上がり、リフェの攻撃は空を斬る。
背中に回る魔術士。リフェは魔法を解除。走っていた足を踏ん張り、空を切った剣をそのままの勢いで後ろに回した。一回転した剣と、相手の杖が甲高い音を立てる。
闇にまぎれ、薄ぼんやりと見えたフードの中。そして、見覚えのある杖。
「やっぱり……ジィーフェ」
「!? リ、リ……フェ?」
あの嵐の日とは逆に、彼の顔が驚きに見開かれた。まるで、死人に会ったかのように。




