第三章(1)
イースト大陸の軍部地区。一般兵士部隊・魔術士部隊・魔法兵士部隊・錬成士部隊・諜報部隊と部隊ごとに五区画に分けられた大規模な場所だ。
その中央に立つ軍部中枢ビルの屋上で、リフェは風を感じていた。目を開ければ、遠くに政治部の中枢ビルも見える。
「やあ、ラキ」
前を向いたまま、リフェは扉を開けた人物に声をかけた。振り返れば、予想通りの青年が苦笑してみせる。
「これで俺じゃなかったら爆笑ですよ、リフェ先輩」
「あはは、確かにね」
現れたのは、リフェと同じイーストの青い軍服を身に着けた青年。新緑色の目が精悍だ。
「先輩はどうしてここに? 報告ですか?」
「うん、先日のマフィア殲滅のをね。それと、昇進おめでとう。クローディクス大佐」
ラキアスの階級章は、先日まで中佐だった。それが見事に一新している。
「ありがとうございます。おかげで敵が増えますけどね」
「何言ってるのさ。返り討ちにしてるくせに」
彼はこのイースト大陸の統治者であり、軍の大総統でもある人を父に持つ。
だからといって、大佐になったのは贔屓や不正ではない。ここまでのし上がってきたのは、間違いなくラキアスの実力であることをリフェは知っている。
しかし、それが分からない者、反大総統派などが彼に暗殺行為をしていた。無論、リフェも大総統派であり、若い軍人のため狙われたことは何度もある。
「今年が、三年目になるんだっけ……」
「はい、あと一階級です。それさえクリアできれば、チェスに会えます」
そう言った彼の表情は、とても少年っぽくなり幸せそうだった。
四年前、ラキアスは少尉だった。その時、セントラル大陸の息女チェスと運命的な出会いをし、お互いに想い合う仲になった。非公式だが婚約までしたほどだ。
しかし、大陸の情勢は二人の想いを許さなかった。
彼らが出会って一年が過ぎ、ラキアスも中尉に上がった頃、全ての大陸に自然が猛威を奮う大災害が起きたのだ。津波、地震、異常気象。三ヶ月続いたそれは、死者も多く、各大陸の中枢機能に甚大な被害をもたらした。
一般的には、『数百年に一度の異常気象、一ヶ月を経て終結』と伝わっている。
だがイースト大陸の対策部隊指揮官で、ラキアス達と親しかったリフェは知っていた。
あの大災害は、人間達に憤りを感じた自然や自然に生きる種族達の反乱だったと。
それを止めたのは、自然と対話する能力を持った《ヒメルメーア》の巫女と魔術士の兄。そして、彼女を守るために立ち上がった、琥珀の髪を持つ錬成士なのだと。
真実を知っているのは、彼らと親しい者、そして各大陸の上層部だけだろう。
結局、この騒ぎで明らかになった《ヒメルメーア》の力と存在は、羨望と同時に危険視され、イースト大陸としても、婚約という直接的な関りを持つのは危険だった。セントラル大陸にしても、当時中尉でしかないラキアスとの婚約など不利益しかない。
こうして、二人の非公式だった婚約は誰に知られることなく白紙に戻った。しかし、想い合っていることを知っている父親達は条件を出した。曰く。
チェスは三年の内に《ヒメルメーア》としての信頼と、愛される地位を獲得すること。
ラキアスは三年以内に将位に上ること、だ。
その間、二人は連絡も手紙のやり取りも一切禁止。心細い中でも、お互いの想いを信じてここまでやってきたのだ。
「あと一つ、なんとしても上がらないとね」
「もちろんです!」
二人の気持ちが本物であることを見てきたから、リフェも頑張って欲しいと思っている。
「ラキの守りたいものは、チェスちゃんか」
「は? あ、や、何ですか急に!」
「あはははは、ラキ真っ赤だよ」
耳や首まで真っ赤にしたラキアスに、リフェは彼の頭をポンポンと叩いた。
ラキアスは少し悔しそうな顔をしつつ、真っ青の空を見上げる。チェスの目と同じ色をした空。彼女のことを想っているのだろうか。
「チェス……そうですね。チェスも、守りたいものの一つです」
「も?」
他にも、何かあるのだろうか。
「何て言うのかな。もし、どうしてもたった一つしか守れないっていうなら、俺は迷いなくチェスを選ぶかもしれません。でもここを、イーストも守りたいし……チェスが必死になって取り戻そうとしてる、自然と人間が共存した世界も、守りたい」
リフェは、呆気にとられた顔でそれを聞いていた。そんな彼に、ラキアスは笑う。
「だから、『自分が守ろうと思った全て』ですかね」
ズキリと、胸の深いところが痛んだ。
「まあ、統治者になっちまえばそんなこと言ってられなくて……イーストのために、ってことになるんでしょうけど。だからって、すぐ諦めるつもりもないですし」
意志の強い眼差しで言い切る青年。その姿に、昔の自分が重なった気がした。
ずいぶんと前に捨ててしまったものを、ラキアスは手放そうとしていない。
簡単に割り切ってしまった自分とは違う。軍人であるからには、それが難しいことだと分かっている筈なのに、笑って立ち向かっている。
ラキアスの目に、『諦め』はない。
「先輩は?」
「ん?」
「先輩の守りたいものはなんですか?」
問われて、情けない言葉しか浮かばない。自分は先輩などと呼ばれる価値はなさそうだ。
「……『手が届く範囲で、守りたいと思ったもの全て』かな?」
似ているようで、違う。
ラキアスの全ては、無限にどこまでも。守りたいと思ったもの全てだ。範囲はない。
だが、リフェは、範囲を決めてしまっている。届かないところを無理して守り、届くところを傷つけたくはない。そう、割り切ってしまったから。
「じゃあ、もしたった一つしか守れなかったら?」
「え?」
「どうしても、たった一つしか守れない状況。そうですね、先輩の『手が届く範囲でたった一つ』しか守れなくなった時、先輩は、何を守りますか?」
俺の場合はチェスですけど、と少し照れながら言われた。
蒼い空を見上げて、遠くに広がる青い海を見て、その蒼青の間にあるリフェの大切なもの達が浮かんでは消える。今は、全て手の届く範囲にあるもの。
(考えたこともなかった……)
届く範囲と、届かない範囲。そうやって区切りをつけてきたから。
手の届く範囲で、たった一つしか守れない状況。それはどんな時だろうか。
この二つの青の間にある大切なものから、たった一つを選択する。
自分なら、何を選ぶだろうか。
「せ……」
ラキアスが何か言いかけた時、後ろで大きな音をさせて扉が開いた。
「見つけましたよ、テンデル大佐! 早く魔法兵士部隊のビルに戻ってください。ロウ大尉が『仕事が溜まってるのにどこに行ったぁ!』って、凄い形相で探してるんです!」
「げ!」
「クローディクス大佐も、大佐就任挨拶を錬成士部隊でしてくださいって!」
「あ、忘れてた」
二人の大佐は、お互いの部隊の状況に慌てた。ここは急いで戻った方が良さそうだ。
中枢ビルを駆け下り、リフェは急ぎ足で魔法兵士部隊の区へ向かおうとした。
「先輩!」
その背に、ラキアスのよく通る声がかかる。
振り返ったリフェの前で、ラキアスはニッと笑った
「先輩は優しいから、自分より他人ばっか優先するから、悩んだり苦しんだりしてるんでしょうけど……どうしてもって時は」
新緑色の目は真っ直ぐで、どこまでも澄んでいた。見る者を惹きつける、ラキアスの強さがそこにある。
「どうしてもって時は、自分のために動いてください。協力しますよ。一人じゃなかったら、けっこうたくさんのものを守れるでしょ?」
一人では一つしか守れなくても、二人そろえば二人を、それより多くのものを守れるかもしれない。そう、彼は言っている。
「先輩の守りたいもの、間違えないでくださいね」
『んで、俺の時も協力してください』そう言って、腕をぶんぶん振り回しながらラキアスは去っていった。
「は、ははは!」
リフェは、優しい笑いを零した。嬉しいのと、切ないのがどこか混じった感覚。
口元を手で押さえながら、元気よく走り去る琥珀の青年を見送る。
「守りたいもの、か」
ラキアスの言う、たった一つはまだ見つからない。けれど少なくとも彼は、自分が守りたいものの一つだ。そう、リフェは思った。




