第二章(5)
「ちっ」
暗闇の中、屋敷の裏庭を駆けながらリフェは似合わない舌打ちをした。
手に持っていた剣は再び異空間に入れている。如何せんこの体であれを持って走るのは厳しい。手ぶらである今の状態でも、以前より遅いのだ。
その事実に気づき、リフェ再度舌打ちした。
裏口でフライヤーの始動する音が聞こえる。リフェは思い通りにならぬ足を加速させた。
ただの体術だけの暗殺者だと思っていた。巧く隠していたのだろう。ナイフを持っていた方の魔力に気づかなかった。
煙幕が辺りを覆った瞬間、聞こえたのは補助の風魔法。それを使って暗殺者はもう一人を抱え逃げた。これは二つ目の失敗だ。一つ目は、
「甘くなったな……」
知らず声が漏れた。
油断、隙。そういったものがあの時多分にあった。マルゲリータの力は知っているから、体力さえ削れば問題はないのだ、と。あの状態ならどんな攻撃だろうと防げる、と。
「くそっ、情けない」
一ヶ月。リフェが戦線から離れてたった一ヶ月だ。それだけでここまで甘くなっている自分に嫌悪すら抱いた。あの程度の暗殺者を、あの場で仕留められない実力にも憤る。
一ヶ月前の自分なら、きっとジーンの力を借りずとも二、三撃で倒せていたはずだ。
グッと、握った拳に爪を立てる。
この姿になって、自分が心の底から望むことが少しできていると思っていた。力のない人を、戦えない人を無条件に守るということ。
けれど、肝心な時に力がないのでは何の意味もない。
子供の姿になったと気づいた時、パニックに陥った。胸の模様を見た時、あの嵐の日が現実なのだと知った。
赤茶色の、銅色の模様は間違いなく死の呪印。本来は即死をもたらすもののはずが、なぜかリフェの体に存在を主張したまま、体を退化させるに留まった。
それを認め、すぐに彼を探そうと思った。何年も何年も探し続けた彼。手を放してしまったけれど、 絶対に生きていると、きっとまたどこかで会えると信じていた彼。
幼馴染みであり親友であり、兄弟になろうとまで言っていたジィーフェ。
なぜこんな再会をしたのか、なぜあんなことをしていたのか、それが知りたかった。できるならば話をして、わけを聞きたかった。
(でも……)
元の姿に戻りたいか、と問われれば答えに詰まる自分がいた。
二十五歳の、軍人のリフェ・テンデルに戻るということ。それはまた仕事と名のついた切り捨てや蹴落とし、権力や欲望が渦巻く世界に戻ることだ。
軍が嫌いなわけじゃない。あそこには仲間も、大切な人もいる。出身は海底都市だけれど、今ではイースト大陸こそが自分の故郷だと言える。けれど――
ブロロロッ、という音にリフェはハッとした。いつの間にか目の前に迫っていた裏口に突っ込む。通りに出て音のした方を向けば、遠ざかろうとしているフライヤーが見えた。
「くそっ」
「リ、はぁはぁっ……リ、リ、リフェ!」
後から、息を上げたジーンが追いついてきた。肩にはきっちりと縄をかけている。軍部にいた時と同じ要領で告げたため、言ったあと通じたか不安になったが稀有だったようだ。
「逃げられたのか。どうする? い、一旦戻って……」
「いや、追うよ。急いで!」
言い捨てるようにして、リフェはフライヤーを追って駆け出した。
「はあ!? って、フライヤーに足で追いつけるわけ……ああもう!」
すぐにジーンもついて来る気配がする。
確かに、普通なら人の足でフライヤーに追いつくのは至難の業。リフェは常人より身体能力が高いが、これに魔法で加速しても持続時間が短く難しい。
だが、暗殺者達が乗っていたのは四人乗りのボックス型フライヤー。それなりの大きさがある通りでなければ走れない。
リフェは周辺の地図を頭にはじき出した。
この先は一方通行。二車線通行の大通りはかなり先だ。周りは住宅街でボックス型が通れる幅の横道はない。そして、大通りに出る道の上には歩行者用の陸橋があったはずだ。
(そこまでの最短ルートは……)
リフェは、一度見たものはだいたい忘れない。頭に入れた地図は最新型の物だ。そこから計算すれば、ギリギリでフライヤーが通る瞬間に陸橋の上に出られるはず。
ここで見逃すわけにはいかない。
あの商人は罪を犯していたから、軍直下の警備兵に護衛もさせられないだろう。そして何より、こちらの顔を見られている。このままでは自分達も今後狙われかねない。
右へ左へ、建物と建物の間を一気に駆け抜けていく。後ろからジーンの躓く音やぶつかる音が聞こえてくるが、そこは自力で頑張ってもらうしかない。
人一人が通れる通路を走り、少し大きめの通りに出た。そのすぐ横に、件の陸橋。
上に乗って下の大通りを見る。夜中だからかフライヤーの姿はほとんどない。
「リ、リフェ、ぜぇ、はっ、この、バ、ホ……一体、何を……」
もう限界なのだろう。膝に手をつき、今にも倒れそうなジーン。そんな彼の声を耳に流しながら、通りを見ていたリフェはニッと笑った。
「ジーン」
「ぜぇ、ぜぇ、はぁ、あ、ああ!?」
「下りるよ」
リフェは空間から剣を出し右手に持つ。そして左手にジーンの襟をむんずと掴んだ。両方とも片手では厳しく、ずっと持ってはいられないが、一瞬だけならなんとかなる。
「ちょ、おい、待て、こ、こら! バホ!」
「着地したら、何か突き立てて体固定してね。行くよ!」
「い、行くって! ま、待て、オレは……ッ!」
こちら側に向かって走ってくる暗殺者のフライヤー。速度と陸橋の高さを確認し、リフェは思い切り地を蹴った。そのまま柵に足をかけ、一気に外側へと飛び出す。
「このバホがぁぁぁぁ!」
ジーンの絶叫をおまけに、リフェは体を宙に踊らす。目線は向かってくるフライヤーの屋根。乗っている人間に間違いはない。
「ジーン、放すよ!」
「うおぅ!」
浮いていた足が、硬い物に触れるか触れないか。その瀬戸際にリフェはジーンを手放した。右手の剣に空いた手を沿え、落下の威力そのままに屋根の上に突き刺す。
「な、何だ!?」
突然刺さった剣に驚いたのだろう。フライヤーが大きくスリップする。その回転に耐えるために、リフェは剣にしがみつく。薄目を開ければジーンも必死だった。
「うぎょわぁぁあああぁぁああ!」
奇声を発しながら、何とか屋根に突き立てたナイフにすがっている。
スリップしていた中にブレーキの音が混じり、回転が緩やかになり始めた。その瞬間を見計らって、リフェは剣を持ったまま助手席の窓を蹴破った。
一人を蹴倒し、そのまま中へするりと身を滑らす。
「大人しくしろ」
懐に入れていたナイフを、運転していた暗殺者の喉に突きつける。
フライヤーが、その動きを止めた。
ぐったりとフライヤーに背を預け、ジーンは暗殺者を縛っている従業員に目を向けた。
「知ってたさ。お前がバホだっていうのはよぉく知ってたさ……だがな、いくらなんでもバホすぎるぞ。そのままバホ街道を驀進するつもりなのか? 特大バホよ」
「まあまあ、捕まえたしいいじゃない」
「良くねぇよ!」
リフェは暗殺者二人を縄で縛りながら、にこりと笑った。その可愛らしい笑顔を、今ほど殴りたいと思ったことはない。
暗殺者の前には、リフェが取り上げた暗器が多数積まれていた。この辺りを素早くやってのけるのは、さすが元軍人といえるだろう。
「ちっ、こんなバカ強えガキが護衛にいるなんて聞いてねぇぞ」
「高値だからって、回し依頼を受けるんじゃなかったな……」
二人の暗殺者がボソリと言った。その内、魔術士が言った内容にリフェが振り向く。
「回し依頼? 君達が直接依頼人から受けたんじゃないのか?」
そう聞くが、二人とも口を閉ざす。あと数分で騒ぎに気づいた警備兵が来るだろうに、リフェはスッキリしないらしい。
「おい、リフェ」
「だって、これじゃあ依頼人が分からない。あの商人さん達、何度も狙われることになるよ。じゃあ君達、所属組織の名前は?」
「…………」
無言を貫きとおす暗殺者。
リフェは一瞬だけ考えると、暗殺者達から取り上げたナイフを一振り手に持った。
「フリーなのか? 組織に入ってる奴と違って自害もしないし。なら、君達に依頼を回した奴って誰?」
「………………」
ナイフをちらつかせてもやはり無言。暗殺者は口が固いというし、裏事情まで子供姿のリフェのようが聞くのは難しいだろう。そうジーンは思った。が、
「爪からいく? 目からいく? 耳がいい? あ、追撃中の不慮の事故で生存者一人っていうパターンもあるんだけど」
「ひっ!」
ナイフは大柄な男の目玉の数ミリ前。リフェは可愛らしい笑顔のままでそれをやっている。隣の魔術士の顔面が蒼白になった。
前言撤回。子供の姿だからこそ聞けるかもしれない。
ジーンは流れる冷や汗を感じながら、勢い良く目を逸らした。
(こ、怖えぇ……)
さすがどころか、リフェは間違いなく軍人だ。
「あ、あっ、あの、へ、変な集団でっ」
「おい!」
「こ、こんなとこで死にたくねぇんだ! この依頼はもともとあいつらが持ってたもんだろ!? オレ達だけこれじゃあ割に合わねぇよ!」
諌めた魔術士に、大柄な男は泣きそうになりながら叫んだ。ジーンには見えないが、それは酷く滑稽ながら恐ろしい光景だろう。
「変な集団って?」
「っ、しょ、詳細は分からないが……」
魔術士の方も息を呑み、口を開き始めた。無言でリフェが促す気配が伝わる。
「正体不明の組織だ……酒場で会って、薄暗かったしフードも被ってた。一人は男。話してる声がそうだったし。二、三人で、あと分かるのは、全員魔術士だってことだけだ!」
「全員……魔術士?」
少しだけ、リフェの声が驚きに彩られた。そっと窺えば、何かを考えるように眉をしかめる姿が見える。
「あ、ああ。魔力を感じたし。フードから見えた髪は白髪だった! んでよ、大物のために今回みたいな小物を蹴ったっていう話だったぜっ。もういいだろ。ナイフどけてくれ!」
「あ、ああ、ごめん……ところで、大物って?」
男の叫びに、リフェはどこかぼうっとしたまま問い返した。ちなみにナイフはまだ突きつけてある。
「ち、近々来る大物っていやぁ、一人しかいねぇだろっ。あいつだよ、イーストの!」
「「!?」」
今度の言葉にはジーンも反応した。
近々来るイーストの大物。そんな人物は確かに一人しかいない。
「まさか、ラキアスさんのことか!?」
「っ、ジーン?」
権威者を慣れ親しんだ風に呼んだジーンに、リフェの強い視線がこちらに向けられた。彼を知っているのか、と。
警備隊のサイレンがすぐそこまで来ている。
一つの暗殺を止めて、もう一つ暗殺を知る。
それは、ラキアス・カイ・クローディクス将軍が来訪する、五日前の出来事だった。




