たおやかな侵蝕
カイルは誰よりも疑い深いという設定。
どれほど歩いただろうか。
足がもつれそうなほど重たくて、カイルはやっと歩みを止めた。
町の中心部まで来たようだ。ぼぅっと辺りを見渡す。
「なにも、ない…」
目の前には、たくさんの人が溢れているけれど。
自分には、なにもなかった。
何もかも捨てて、この身ひとつで飛び出してきた。
なのに、心は少しも軽くならない。
「あぁ…これからどうしようか」
なんだか、生きることも死ぬことも、面倒だし。
「誰か殺してくれないかな……」
とりあえず、近くのベンチに腰かけた。
すると、忘れていた足の痛みを思い出す。
「…このまま、ここで寝よう」
もう、足も限界だった。
それに、こんなところで子供が野宿をしていれば、夜の町に忍び込んだ魔物たちが喰い殺してくれるかもしれない。
どさりとベンチに寝転がって、カイルは腕で顔を隠した。
もう、なにも見たくない。
でも、それだけでは町の喧騒までは消せなかった。
だから少しでも自分を隔離するために、丸まって寝てみた。すると、
「……ねぇ、大丈夫?お腹がいたいの?」
ひどく優しい女の声が、背後から聞こえた。
母のような金切り声でもなく、村の女たちのようなガミガミした声でもない。
「なんでしょうか」
僕は、背を向けたまま答えた。
もしかしたら善人を装った人買いかもしれない。
「うずくまって寝ていたから、お腹がいたいのかと思って…」
気遣うような声なんて、初めてかけられた。
それでも、
「あなたには関係のないことだ」
自分でもびっくりするほど、冷たい声だった。
だって彼女は、この瞳を知らない。だから、優しくするのだから。
「じゃあ、保護者の方を呼んでくるわ。どんな方かしら?」
「保護者などいませんよ。体調も良いです。早く消えてくれませんか」
これだけ暴言を吐いているのに、立ち去る気配も、怒った様子もない。
彼女は恐らく人買いではないのだろう。
「そうなの…」
しかし、めんどくさい人種であることには変わらない。
どうやら僕に同情しているらしい。
化け物だと知らずに、可哀想なひとだ。
「じゃあ、」
どうするつもりだ?
売るか、飼うか、手に負えないと逃げるか……
「うちの子にならない?」
「……は?」
思わず、くるりと後ろを向いてしまった。
「っ!!」
そして、あまりの美しさに絶句した。
処女雪のように穢れを知らない、滑らかな肌。
大きな瞳は、宝石のごとく輝く紫水晶の瞳。
波打つ豊かな、はちみつ色の髪。
なによりも……
「なぜ、」
見えてるはずだ。この瞳が、いま。
どうして顔色ひとつ変えない!!
「あのね、怪しい人じゃないわよ?わたし、近くで孤児院をやってるの。そこのマザーよ。だから、遠慮せずにいらっしゃい」
まだ出来たばかりだから、いろいろ手伝ってくれると嬉しいわ、と彼女は笑った。
「……そうじゃない。見えてるんだろう?この赤い瞳が!」
この暗黒時代、子供が捨てられることなんて日常茶飯事だ。
でも、僕のような化け物は、いつ生まれても捨てられる。
拾うなんてとんだ酔狂者だ。
「ひとみ?」
血のように赤い瞳だ。まるで、魔物のような狂気を感じると村人に囁かれていた。
「っ、あなた…!」
息をのむ音が聞こえた。
そう、それこそが普通の人間なんだ。
甘い善意なんて吐き気がするよ。
「素敵ねぇ…リコリスの色だわ」
ふわりと甘く微笑んだ。
長いのでここで切ります。