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鬼畜チェイス  作者: 風癒
逃げ出した鳥は自由を得るか。悪徳の男は最後に笑うか。 【逃亡編】
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chase-08:カートリッジとすね毛

 知りたいことは山ほどある。


 見当がつくこと、つかないことの中で、ラグナには大きな二つの疑問があった。


 なぜ遠く離れた軍総司令部に居たはずの彼がフィンドールに来れたのか、とか。

 なぜ突然王犬を引き従えてやってきたのか、とか。


 だが、後者については、まさかとは思うが……原因を薄っすらと察することができた。


「王犬を……力技で捻じ伏せたのでごぜぇますか」

「ああ、これか」


 シグマはふっと目元を緩め、背後に屹立する王犬を横目で見やった。

「ぎゃんぎゃんと喧しい犬だった。あまりにしつけがなっていなくてな」

 は、と、吐息を漏らして彼は笑う。


「少し、叱りつけた」


「…………っ」

 背筋に戦慄が走った。

「それにしても、随分な格好だ。焼け焦げた服とは、斬新な誘い方だな」

 腰を抜かしてしまったことを、ラグナは本気で後悔した。

 シグマが膝をついて顔を近づけてきても、立ち上がることもままならない。

 王犬は仲間であった片割れと睨み合って動けない。

 剥き出しになった肩を、シグマの手が掴む。灼熱の火事場にありながら、男が持つ高い体温がはっきりと感ぜられた。

 額と額をほぼ突き合わせるほどに顔が近づいたところで、シグマはラグナの目を見つめる。

 蒼の中に、自分の蜂蜜色の瞳が映りこんだ。

「私の色は纏ってはくれないのだな」

 ラグナが着ていったコートのことを持ち出して、シグマは目を細める。


「残念だ」


「……真紅とエメラルドが似合うとお思いで? ケバケバでごぜぇますよ」

 辛うじてそう囁くと、彼は笑ったようだった。


「では聞くが。何よりも鮮烈に、何よりも強烈に――その色合いをこの目に刻みつけたのは、誰だったか?」

 この場では自殺行為だと思いながら、ラグナは目をきつく閉じた。

 瞼の裏に一瞬、光景が広がる。



 ――真紅に(まみ)れた自分の手。

 ふり乱れたエメラルドの髪にまでべったりと。

 だが構わない。


 自分でしてしまったことの決着は、自分が決めよう。



「捕らえたのは、誰だ」


 責めるような問いかけだった。


「おまえだ、ラグナ。全て、おまえが撒いて、そうと知らずに育てた種だ」

 シグマは言った。

「おまえが、全て狂わせた」

 唇が触れ合う寸前、彼が小さく囁いた。


 だが、その意味を問い返す機会は与えられなかった。

 下から手が伸びてきて、気付くとラグナは地に押し倒されていた。



「…………勝手にボクのお姫様に触れないでくれる? そのきれぇいな面の皮……引っぺがしてあげようか」



 ラグナを背後に庇い、スイートがシグマの喉元にナイフを突きつけていた。



 彼の首からさっと朱が走るのを見て、ラグナは息を呑んだ。やり過ぎだと言おうと思ったが、微妙な均衡を下手に声を上げて崩せない。

 凶暴な輝きを見下ろし、シグマは酷薄な笑みを浮かべた。

「一国の少将に刃を向けるか。例えミゼットを敵に回してでもその娘を守ると?」

「公私混同しないでくれる? ボクは最初っから最後までプライベート。ラグナに呼ばれた日から、『詐欺姫は無期限休業』って部下にも言い渡してある」

 だから、とスイートは言う。

「ボクが刃を向けてるのは、『個人』だよ、シグマ・アルスミード。鬼畜と言われたおまえなんかに、ラグナは絶対に渡すものか」

「……良い度胸だ。なるほど、奴が気に入るのも頷ける」

「……奴?」


 問い返したスイートは、次の瞬間短く悲鳴を上げていた。

 シグマに突き付けていたナイフが突然弾かれたように跳ねて、スイートの手から零れ落ちた。


 やや遅れて、タァアン、と乾いた音が響く。


 ラグナはぞっとした。

 覚えのある音だ。

「……この音。まさか、狙撃でごぜぇますか!」

 しかも、かなりの遠距離だった。軽く千マート――一マイティから一.五マイティは離れているだろう。

 そんな精度でナイフなどという小さい対象に弾を当てる神業を持つ人間を、ラグナは一人しか知らない。

「やはりおまえには耳慣れた音だったか」

「!?」

 背後から声がして、反応する間もなく、シグマに羽交い絞めにされていた。

「ラグナ!」

 しまったと唇を噛む間もなく、叫ぶ。

「スイート、逃げるのでごぜぇます! この狙撃精度、『天の眼』です!」

「けど!」

 真っ二つに折れたナイフの側らに蹲り、スイートが怒鳴る。彼女は飛び散った欠片で負傷していたらしい。怪我をした手を庇いながらも、こちらを睨んでいた。

 だが、これでは彼の狙撃手にしてみたら、彼女は全く無防備だ。

 戦時中は軍だけでなく、魔術師の間でも噂だった。

 『閣下』の支配する戦場には、姿の見えない『死神』が魂を求めて現れると――。

 一度狙われたならば、どこに隠れても殺される――それゆえ『天の眼』と恐れられた、まさに天才と呼べる狙撃手。

 現在は、シグマの一つ下の階級の准将になっていたはずだ。

「あの変態にスイートが傷つけられるには及びませんから!」

「アレを捉まえて変態とは……相当だな、奴も」

 優勢に立った余裕からか。シグマが呑気に後ろでぼやいているが、ラグナがどんなに身をよじって逃れようとしても、拘束の手が緩められる事はない。


 ここへ来て早くも万事休すか――


 ラグナは自分の見込みの甘さを呪った。

 フィンドールまで短時間で来れるはずがない?

 変装していれば情報もそう渡ることはない?

 そんな常識は通じない。何が起こったって不思議ではない。


 だって、自分の相手は、策士泣かせの鬼畜将軍――シグマ・アルスミードなのだから。





「ああ、俺って最低」

 それは心底からの呟きだった。


 弾を発射した余韻が、すっと身体に馴染んで消えていく。戦場においてはもうずっと前に慣れた感覚だ。そして、将軍閣下の援護となれば、それこそ三桁に上る数を経験している。

 倉庫街は入り組んでいる。広場に居たとはいえ、あそこを狙える場所となると、一.三マイティほど離れたこの三階建ての建物しかない。

 とりあえず、将軍の窮地は救ったので、今回も役割は果たしただろう。

 倉庫街の一角にぶら下がる洗濯物から、無意識にずっと風向きを計測していたことに気づき、苦く笑う。

 ジェスは建物の窓枠に寄りかかり、緩慢な動作で小銃(ライフル)のボルトハンドルに手をかけて、ゆっくりそれを引いた。まだ熱を持つ薬莢が弾むように排出され、ジェスの手に収まった。

 使用済みの転移魔法の札を取り出すと、それに薬莢を包んで、懐にしまう。

 詐欺姫に向けたものとして、この先この薬莢を捨てる事はないだろう。

「……詐欺姫の血か。美しいだろうなぁ」

 そうジェスは呟き、乾いた唇を舐めた。

 スコープ越しでは、彼女の庇っている手がよく見えない。

「叶うならもっと近くで見たかったが、どっちかというと俺は遠ければ遠いほど有用になる方だもんなぁ……」

 白い手に美しい紅色が滴り落ちている様を想像し、身の奥がざわつく。

「――ああ、まずい」

 ジェスは独りごちながら、苦笑とはまた別の笑みを浮かべた。

 シグマは鬼畜だ、サディストだ、などと言われ続けているので、ジェスには既に耳慣れているし、傍にいるせいで感覚が麻痺している可能性もあるのだが。

 その彼の性癖を許容でき、あまつさえ詐欺姫に一目惚れなぞしてしまった自分は、相当に数寄者(すきもの)なのかもしれない。

 しかし、これはいただけない。

「どんなに彼女の血が綺麗だろうが、怪我させちゃだめだろう、俺。最低だねぇ」

 暗く喉の奥を鳴らしつつ、目を細めた。

「けど――ごめんよ、姫。傷をつけようが壊してしまおうが……俺は、君を手に入れるまでは、暴走が止まりそうにないんだ」

 欲しいものなんて、待っているだけではすぐに誰かに奪われる。

 戦場では欲しいもの、守りたいものから順番に失われていく。

 故にシグマもジェスも、この好機を逃すような悪手を打つ気はないのだ。


 スマートに、シンプルに。それがどの場合においても最善。如何に手段が汚かろうと、勝たなければ意味がない。


 スコープから眺めていると、シグマが執心している魔術師の少女の横顔が見えた。

(失念していたな、ラグナ・キア。ミゼットの軍の将官には、非常時に現地で指揮をとるための急行手段として、転移用の魔法札が支給されてるんだよ)

 これも魔連と相当の駆け引きをした挙句にミゼットがもぎ取ったものらしい。――が、交渉役の血と汗と涙など知った事かと言わんばかりに、戦場においてはそれこそ将軍たちに紙切れ同然の頻度で消費されている。

 焦りを滲ませたラグナの顔をぼんやり眺めつつ、進行していく事態をジェスは見守る。

 あとはシグマが適当にラグナと詐欺姫を持ち帰ってくれるだろう。

 そろそろ撤収するかな、とジェスがぼんやり考えていると、



 突如、背後に気配が『出現』した。



「! な――」

 んだ、と、言葉が続かない。


 声を発する前に、頭に衝撃が走る。

 そのまま引き倒され、ジェスは床に頬を打ちつけた。

 急速に暗転する意識の片隅で、地を這うように低い声が響く。


「ナ~ニをワタシの可愛い子をかどわかそうとしくさってるのよ? この性悪将軍共」


 その口調と音域に違和感を覚え、ジェスは意志の力だけで瞼をこじ開け、自分に襲いかかった人物を見定めた。



 見えたのは――裾足らずのズボンから出た、すね毛だらけの足。

 気のせいだろうか。ぷんぷんと香水のような香りもする。

 やっとの事で見上げた顔は、ジェスにとってある意味凶器だった。


「ぉ――」


 ごすん、とこめかみに降ってきた足の裏に、今度こそジェスの意識は文字通り踏み潰される。


 屈辱だ、と思いながら、ジェスは人物を端的に表す言葉を、内心で愕然と呟いた。


(――オカマ?)


な ん だ と……!?


という訳で、謎の人物(ジェス曰くオカマ)が出現しました。

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